>>寸鉄<<

「御痛みの事一たびは歎き二たびは悦びぬ」御書(P1009)。信深く。病を飛躍の糧に。

 

御聖訓に学ぶ御供養の精神

門下の尊い真心を称賛

  日蓮大聖人のお手紙の中には、届けられた供養の品々を、冒頭に挙げられ、門下の真心を最大に称賛されているものも少なくありません。それだけではなく、「供養し給ういづれも・いづれも功徳に・ならざるはなし」(御書1098ページ)等と、尊き志が必ず福徳となると教えられています。ここでは、御聖訓や仏教説話を通して、御供養の精神について学びます。

 

信心の志が成仏の要諦

 凡夫は志ざしと申す文字を心へて仏になり候なり

 (白米一俵御書、御書1596ページ)

 「白米一俵御書」は、信徒が白米等の真心の御供養を届けられたことに対する御返事です。

 本抄で大聖人は、命こそ「第一の財」であり、いにしえの聖人・賢人が、大事な命を仏にささげることで成仏したと述べられます。さらに、鬼神に我が身をささげて仏法を習った雪山童子などの例を挙げ、末法の凡夫には、そうした実践はかないがたいことであると仰せです。では、どうすれば成仏の境涯を得ることができるのでしょうか。

 大聖人は、「凡夫は、志という文字を心得て仏になる」(御書1596ページ、通解)と教えられています。

 つまり、一心に万人成仏の大法を求め、信じ、護ろうとする信心の志が、成仏の根本の因となるのです。

 本抄の末尾で大聖人は、「白米は白米にはあらず・すなはち命なり」(同1597ページ)と仰せです。白米に込められた志を感じ取られ、あなたの命そのものを御供養したのと同じであると、たたえられたと拝されます。

 御供養といっても、大事なのは広宣流布を願う純真な志であり、その一念が幸福の道を開き、計り知れない福徳となって輝くのです。 

 

謗法への布施を止めよ

 (たと)()うをいたせども・まこと()ならぬ事を供養すれば大悪とは・なれども善とならず、設い心()ろかに・()こしきの物なれども・まことの人に供養すれば・こう()大なり

 (衆生身心御書、御書1595ページ)

 供養する対象によっては、その真心が、大善ではなく、大悪になってしまいます。

 日蓮大聖人は、「たとえ供養しても、真実でないことに供養すれば、大悪とはなっても善とはならない。たとえ、ぼんやりと軽い気持ちで少しの物を供養したとしても、真実の人に供養すれば功徳は大きい」(御書1595ページ、通解)と仰せです。御供養の際に、志とともに絶対に忘れてはならないことは、正邪を見極めることです。

 「法華経の御かたきをば大慈大悲の菩薩も供養すれば必ず無間地獄に堕つ」(同1133ページ)等、大聖人は随所で、謗法への供養を厳しく戒められています。法華経の敵への供養は、自分だけでなく、多くの人々の成仏の道を閉ざすことにつながるからです。

 御書のどこにも説かれない「法主信仰」等の邪義で、広布破壊の大罪を犯しているのが日顕宗です。

 「立正安国論」で大聖人は、謗法の悪侶に対して「其の施を止む」(同30ページ)べきであると教えられています。

 悪や謗法への布施を止めることが、日蓮仏法の本義にかなった実践なのです。

 

無量の功徳が集まる 

 便宜(びんぎ)ごとの(せい)()()(れん)の御志は日本国の法華経の題目を弘めさせ給ふ人に当れり、国中の諸人・一人・二人・乃至千万億の人・題目を唱うるならば存外に功徳身にあつまらせ給うべし

 (妙密上人御消息、御書1241ページ)

 法華経の行者に供養することは、広宣流布を前進させることであり、想像も及ばない功徳となります。

 そのことを日蓮大聖人は、「妙密上人御消息」で、御自身が民衆救済の大法である妙法を弘めていることを踏まえ、「便りのたびに送られる青鳧5連の御供養の志は、日本国に法華経の題目を弘められている人に相当するのです。国中の人々が、一人、二人、そして千万億の人が題目を唱えるならば、思いもかけない功徳が、身に集まるでしょう」(御書1241ページ、通解)と述べられています。

 法華経の行者に供養する功徳は、妙法を弘める人の功徳に等しく、広宣流布が拡大すればするほど、計り知れないほどの多くの功徳が、供養をした人に集まってくるのです。

 ここで、「法華経の題目を弘められている人」とは、今日においては、現実の上で大聖人の御遺命である広宣流布を進めている創価学会をおいて、ほかにはありません。

 御文に示された道理の通り、目覚ましい世界広布の伸展にともない、広宣流布を支える人に、無量無辺の功徳が集まっていくのです。

 

池田先生の指導から

 日蓮大聖人は仰せである。

 「仏を一中劫が間供養したてまつるより、末代悪世の中に人のあながちににくむ法華経の行者を供養する功徳はすぐれたり」(御書1508ページ)――釈迦仏を一中劫という長遠の期間にわたって供養するよりも、末代悪世にあって、人々が強く憎んでいる法華経の行者を供養する功徳のほうが、すぐれているのである――。

 末法の法華経の行者とは、別しては、もちろん日蓮大聖人であられる。さらに、大聖人に直結し、その御精神を受け継いで、広宣流布のために戦い、迫害されている門下である。創価学会である。

 この御書に照らして、牧口先生、戸田先生が、どれほど偉大であられるか。創価学会が、仏法上、どれほど尊極の団体であることか。また、日夜、広布のために苦労を重ねている学会員が、どれほど尊いか。どれほど大切な方々か。

 この崇高な創価学会さえ盤石であれば、一切が盤石である。広宣流布が進む。平和が進む。文化が進む。教育が進む。ヒューマニズムが拡大し、地球民族主義が拡大していく。国家悪を乗り越えていける。(『池田大作全集』第85巻所収、「11・18『創立記念日』の集い」でのスピーチ)

 

信仰体験

春来る

乳がんと私 3=完

「人ごとにしていませんか?」

 宿命から目をそらすことはしません。

 憂うつになるのも生きている証し。

 言い聞かせるんです。“乗り越えてみせる”って。

 「忙しい」「必要性を感じない」「もし、乳がんと分かったら怖い」。乳がん検診を受けていない理由を調べたアンケートには、こうした回答が多く並ぶ。福岡県宗像市に住む武田淑子さん(65)=福岡牧口支部、県副婦人部長=は、乳がんと闘った実体験を踏まえ、検診受診率の向上に尽くしている。

 

 先月24日、宗像市のショッピングセンター前にピンク色ののぼりが立った。

「ストップ・ザ・乳がん」の文字。武田さんら、「むなかたMAMMA」のメンバーが乳がん検診の受診を訴える。

 手渡すリーフレットには「勇気を出して自分を守ろう!」と記されていた。未受診の婦人と語らうと、武田さんの話に熱がこもる。

 「私も乳がんだったんですよ」――13年前、当時52歳。風邪さえひかないのが自慢だった。健康への自信があっただけに、胸の異物感に気付いても忘れようとした。マスメディアを通して見聞きする「乳がん」というワードをあえて避けた。

 恐怖心が受診を遠ざけること4カ月。葛藤の時間を経て病院へ。診察結果を聞くと、不安が現実になった。

 “早く来ておけば”“定期検診も受けていれば”

 後悔はあったものの、幸いまだ手術ができる状態だった。唱題に完治への決意を込める。一方、心のどこかで人生の最期を意識してしまう。自然と、自宅で思い出の品の整理をしていた。

 折れそうになる自分。逃げたくなる自分がいる。それでも御本尊に祈ることで、そんな自分自身の中から、立ち向かう勇気が湧き出てくるのを感じた。

 「命はかぎりある事なり・すこしも・をどろく事なかれ」(御書1587ページ)

 病魔と闘う門下への御聖訓が胸に響いた。

 「後悔よりも、闘う決意の方が上回っていきました。悲観主義は気分だから、弱い心に流される。楽観主義は諦めじゃなくて、強い意志です」

◇ ◆ ◇

 右胸の全摘出手術を終えた翌日。同部屋の婦人の車いすを押して歩くほど、心身ともに軽やかだった。会話に笑みがこぼれる。

 かつては、暗い性格を悩んだ。

 ――生後半年で両親が離婚。親戚の元で育った。周囲の顔色をうかがう。人を信じられない。そんな子どもだった。

 20歳の時に、創価学会に入会したのは、友人の明るい人柄に引かれたから。直後、疎遠だった母と再会できた。母も学会に入会し、娘の幸せを祈っていたことを知る。“捨てられた”という悲哀によって呼ぶこともなかったが、初めて「お母さん」と口にするようになった。

 親戚と営む商売が破綻するなど、つらい経験も続いた。それでも、母子でいれば笑顔があった。母はよく言った。「ここから逃げんよ。仏法の正義を、ここで証明しよう」

 宝物がある。亡き母が唱題時間を記録したノート。1979年(昭和54年)4月24日の欄には「池田先生会長辞任。涙、涙、涙」と。そんな母の思いを継いで生きてきた。

 抗がん剤は気力をそぐ。“証明する”と決めれば、負けられなかった。

 宿命から目をそらすことはしません。憂うつになるのも生きている証し。言い聞かせるんです。“乗り越えてみせる”って。その一日一日の積み重ねが、財産になります

◇ ◆ ◇

 以前、武田さんが乳がんの検査を勧め、受診した女性たちの中に、初期の乳がんが見つかった人がいた。早期発見で事なきを得る。

 低い検診受診率に早期治療の重要性。乳がんという言葉は身近でも、その実態はほとんど知らなかった。こうした知識を広めたい。婦人部の友と乳がん啓発の必要性を語り合い、2006年(平成18年)、乳がんの啓発グループ「むなかたMAMMA」をスタートさせた。

 自分自身が副作用の少ない抗がん剤治療を続ける身でありながら、啓発の取り組みについて学ぼうと、他県で開かれるピンクリボン運動に足を運んだ。

 長崎でのイベントに参加した時。妻を乳がんで亡くした夫が検診を呼び掛けていた。声を詰まらせながら、涙を拭って。

 自分は、残されるかもしれない家族のことを、どれだけ思っていたんだろう。後回しにしないことで、自分の命を守り、周囲の笑顔も守れる。そのために、誰かの一歩を後押ししたかった。

 検診に関心のない人と出会うと、自らの闘病を振り返りつつ、大切さを訴えるようになった。いつも言っていることがある。「人ごとにしていませんか?」――

 術後、医師から告げられた現実は重かった。「5年生存率は5割以下」。嘆くよりも、どう生きるか。行動に迷いはなかった。

 「生きることは伝えること。口を閉じてしまえば、そこで止まる。乳がんで泣く人をなくしたいんです」

◇ ◆ ◇

 街頭での検診呼び掛けに始まり、専門医を招いての講演会。乳がん患者を題材にした映画の上映会も開いた。イベントを開催する資金は、企業や商店を回り、協賛を得た。

 宗像市役所とも連携しての啓発運動。当初、市内の検診受診率は1割台だったが、現在は4割を超えるところまできた。

 入院中、ページをめくった池田先生のてい談集『健康と人生――生老病死を語る』。その中に、仏法者の使命を語った言葉がある。

 「現実社会の苦しみに打ちひしがれることなく、また、逃避するのでもなく、生老病死の『四苦』を自身を鍛えるチャンスととらえて真っ正面から挑戦していくのです。同時に、他者の苦しみにも『同苦』し、ともに協力し合って、『苦』を『楽』に変えゆく戦いを展開するのです

 啓発活動の中で、多くの患者と触れ合う。ある若年性の乳がん患者は、家族にも言い出せずにいた。抱え込む人に言葉は必要ない。うんうんと、ただ耳を傾けた。うなずいて、心をほぐすことから始める。

 今、月に1度、乳がん患者のサロンを開いている。「ここに来ると、ほっとする。私の楽しみです」。そう言ってくれる人に寄り添いたい。だからこそ、まだまだ生き抜く。

 「祈りがあれば、どんな試練も、使命に変えていける。苦しみ、闘う。その先には幸せがある。これが私たちの方程式」

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