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 | ここに掲載するのは、アルバム"COMPLICATED MIND"のニューヨークレコーディングにおいてミキサーを勤め、次作の"INCOMPETENT..."ではプロデューサーとしてDOOMのサウンド作りに携わったスティーブン・リンズレー氏の最新インタビューです。 オリジナルはアメリカのDOOM FAQというファンサイトに2007年1月1日に掲載されたものです。 転載を快く承諾してくださったのPAT氏に厚く御礼申し上げます。 翻訳に際してはできるだけ正確を期しましたが、なにせ素人です。誤訳も多々あるかと思いますがご容赦を。 もし誤訳に気づいた方は管理者Y'S迄ご連絡頂けると幸いです。 (原文が掲載されているサイトはこちらです。01/01/2007: Exclusive Brief Interview With Stephen Linsley) あの時代を共に過ごしたものだけが語り得る熱い言葉。彼の見たDOOMの真実とは? では、どうぞ、ごゆっくりお楽しみ下さい。 Q)あなたの音楽業界におけるハイライトをいくつか教えてください。 どのような仕事をされてきたのでしょうか? A)私は元々はベースプレイヤーなんだ。Jim Carroll Bandのオリジナルメンバーなんだよ。それからPublic Enemyのファーストアルバムではエンジニア兼ベースプレイヤーとして参加している。 (訳者注:現在はフォトグラファーとして活躍されているようです。 http://www.silverandlight.net/) その他多くの作業に参加したけれど、DOOMとの仕事は私のキャリアにとってハイライトだったと言えるね。 Q)DOOMのアルバムでのあなたの役割はどのようなものでしたか? A)私は最初、Complicated Mindアルバムのミキサーとして呼ばれたんだ。 ミキシングプロデューサーは別にいたのだけれど、どうもバンドと彼との間には一体感が欠けていたんだ。 私は彼らの音に魅了されて、彼らの音楽に入れ込むようになった。 だから次のアルバムモIncompetentモにも参加を打診されたときに、プロデュースさせてくれないかと言ったんだ。だからレコードでは全く無駄なプレッシャーはなかったね。
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 | Q)Incompetent(あるいはその他のDOOMの作品)に対して、アレンジを提案することはできたのでしょうか?あるいはあなたが参加したときにはすでにその作業は終わっていましたか? A)音楽的なアレンジはほとんど完璧な出来だった。ただ、ライブ演奏でのバンドのエネルギーをレコードに封じ込めるようにしたよ。 それから、アルバムにおける多重録音やクレイジーなサウンドエフェクトは私の作業だね。悪魔の声のような残響音や怒りに満ちたボーカルは別のトラックに録音して、それをスピードを変えてプレイバックすることによって作り上げたものだ。 全てはアナログ録音だった。デジタルリバーブやデジタルエフェクトは何処にも使われていないよ。昔ビートルズが使ったような(※)スタイルのテープによるフランジングやテープエコーによるものだ。 (訳者注:DISC UNIONの限定DOOMまとめ買いBOXの中の藤田氏のインタビューには「ビートルズが使ったコンソール」という言葉がありました。原文ではBeatles Syleという表現だったのでビートルズが使ったような、という訳にしてあります) 私にとってテープはもう一つの楽器のようなものだった。 何度もトラッキングすることによってまるで別物のような図太い音に作り上げ、そのサウンドをDOOMのメンバーに聴かせて反応を見ることはとても楽しかった。 Q)DOOM との作業は、どのようにして、いつ、何処で、そしてどの位の期間行われたのでしょうか? A)一番最初は1987年だったね。それから彼らが再びこっちにやってきた1989年。その時に撮った写真も何枚か残っているよ。今度君に送ってあげよう。 Q)DOOMとの作業に身を捧げたわけですね?それは何故? (訳者注:原文ではbeing a monkとあります。直訳すると「修道僧になったのは何故ですか?」となりますが、PAT氏に確認したところ、MONKとはある種のスラングで、DOOMとの作業にまるで修行僧の様に身を捧げた人、という意味のようです) A)はっきりとはわからないんだけど、悪くないと思ったんだ。 私は瞑想することに入れ込んでいたんだ。多分それが理由なんじゃないかな?
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 | Q)DOOMのメンバーとコミュニケートすることは大変でしたか?(あくまで推測ですが、彼らの片言英語とでは大変だったのでは?) また、もっとマーケットに受け入れられるよう、彼らの英語の歌詞をわかりやすいものにするべきだと進言した人はいましたか? A)フルタイムの通訳は一緒にいたんだけれど、驚くべき事に私と彼らの間には言葉ではなく解り合える深い感覚があったんだ。 音楽は世界共通言語だし、僕らは同じハートを持った人間同士だったからね。 諸田コウともまさに、そうだった。かれとコミュニケートするのに言葉はいらないんだよ。 彼らの歌詞をもっとわかりやすいものにさせることはなかった。 ただ、もっと力強く、明瞭にするための手助けはしたね。
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 | Q)DOOMはアメリカでギグを何回行いましたか? CBGBでの一度きりだったのでしょうか?その時の映像は現存するのでしょうか? A)彼らが行ったギグは全部見たよ。ずいぶんと一緒にいたんだ。とんでもなくすごい(FUCKING AMAZING)ライブパフォーマンスだった。 レコードでやったことを彼らはライブでもやったんだ。 他の誰にもかれらのエネルギーをいじらせたくなかった理由はそれだよ。 私には彼らがすごいライブをできることをわかっていた。スタジオでやったことどんなことでもそれ以上の事をライブでやることが彼らの目標だった。 そして、ライブパフォーマンスをレコードに封じ込めること。そして彼らのステージで生み出すあの感覚をレコードに封じ込めることが彼らの目標だった。
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 | Q)DOOMとあなたが手がけてきたその他のアーティストとの違いはなんですか? A)君が知っているとおりだよ。 人として、音楽家として、彼らは本当に才能にあふれていた。そして本当に人間的でもあった。 他のバンドとは全くかけ離れていた。他のバンドはDOOMと比べると必要以上に磨きをかけられていた。もう一度言うけど、彼らを売るためだけにそんな風にはしたくなかったんだ。 Q)あなたはベースプレイヤーでもあります。そこで訊きたいのですが、諸田コウと同じようなレベルにあるベースプレイヤーを知っていたら、何人か名前を挙げてみてください。 A)ジャコ(パストリアス)だね。 もちろん、大好きなベーシストは沢山いるよ。 ジョン・エントウィッスル(THE WHO)、ジョージャクソンバンドのブラハム・メイビー。ピート・トーマス(エルビス・コステロ)・・・ でもあくまでも好きなベーシストという意味だ。諸田コウのプレイは見ていても身の毛がよだつほどだった。
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 | Q)諸田コウが抑鬱されていたような兆候には気づきましたか? A)その時について言えば、NOだね。 私に言えるのは諸田コウは本質的に優しい人間だったということだ。 僕にはよくわからないけど、才能があって、若くして有名になると世界がゆがんで見えてしまうこともあるのかもしれない。 なんである人たちはうまくやっていけないのか理解できるよ。 おどけてすごしたロック人生のその後を過ごしていくのは大変だから。 僕は運が良かったんだ。 あの頃に戻って、彼に会うことができないのはどうしようもなく悲しいよ。 感傷的かもしれないけど、友情が救いだったと思いたい。 孤独と寂しさは、時に人の命を奪うからね。 Q)DOOMは次世代の大物になると思いましたか?そうなるのを妨げていたのはなんだったのでしょうか? 彼らがあまりに時代の先を行きすぎていたのでしょうか? A)そういう事について考えたことはなかったね。DOOMは、ありのままのDOOMだったんだ。 商業的に成功する事が全てではないと思う。 一般的にいう、商業的とは想像力のない一般大衆のための想像力のない作品の事だ。われらがブリトニー・スピアーズがいるのはそういう理由だよ。 Q)DOOMのメンバーとは個人的な交流がありましたか?それとも仕事上のつきあいのみでしたか? A)僕らは長い時間、一緒にいて楽しんだよ。 レコーディング作業が終了した後にはブルックリンの僕の家で盛大なバーベキューパーティをやった。 僕は彼らと最初に仕事をしていた時(Complicated Mind)結婚したんだけど、いつもDOOMのメンバーと一緒にいたがるといって妻はすごく怒っていたっけ。 |  |
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