しばらく前になりますが、子どもの本の表紙絵が萌え絵化しているという話がSNSで話題になっていましたね。
いまさらですが、小学校で司書をやっていて感じることをふまえて、自分の考えを書いていこうかなと思います。
他の方々の意見を見ていると、選ぶのは子ども、というのがポイントで、選ばれなければ結局のところ、良書だろうがなんだろうが関係ない、というのは、私自身も実感しています。
わかりやすい例をあげてみます。
先日、公共図書館でホチキスの針でいたずらをされ、話題になっていましたね。
- 作者: ケストナー,ワルター・トリヤー,高橋健二
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1962/05/16
- メディア: 単行本
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こちらは岩波書店が出している、ケストナー少年文学全集の中の一冊です。
私が勤めている小学校の図書館では、貸出が電算化した2010年から一度も借りられていません。
正直、驚きましたが、これが現実です。
- 作者: エーリヒ・ケストナー,patty,那須田淳,木本栄
- 出版社/メーカー: アスキー・メディアワークス
- 発売日: 2012/09/15
- メディア: 単行本
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一方、2012年にKADOKAWAから出版された新訳、角川つばさ文庫版はどうかというと、2012年に受入をしてから、121回の貸出があります。
今年度だけでも12回借りられています。
次に『ふしぎの国のアリス』で見てみます。
- 作者: ルイス・キャロル,ジョン・テニエル,Lewis Carroll,田中俊夫
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1985
- メディア: 単行本
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岩波少年文庫が出しているものは、2010年からの貸出回数が26回です。今年度は0回です。
- 作者: ルイス・キャロル,okama,河合祥一郎
- 出版社/メーカー: アスキー・メディアワークス
- 発売日: 2010/03/15
- メディア: ペーパーバック
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一方、KADOKAWAが出しているものは2012年からの貸出回数が212回となっています。今年度は12回です。
どの本も、司書の方からこちらを読んでみて、というようにおすすめをしたことはありません。(昨年度以前のことはわかりませんが、まあ、そんなことはしないでしょう)
それでは、新訳のような萌え絵の本が出てしまったから、既存の本が読まれなくなってしまったのかというと、そうではないと思います。
先ほど例にあげたケストナーの『飛ぶ教室』は、少なくとも、新訳がまだ入っていなかった2010年から2012年の間、一度も借りられていません。
つまり、新訳の出版とは関係なく、子どもたちの元に届いていなかった、ということです。
逆に、新訳の方は三桁の貸出となっていますが、その理由は単純です。
子どもたちの目にとまり、面白そうに映り、手に取りやすかったために、というだけだと思います。
面白そうに映る、ということがいかに大切かは、本を借りていく子どもたちを見ているとよくわかります。
実際に小学校の図書館で働いているとわかることのもう一つは、最近の子どもたち(いやな言い方)は、つばさ文庫やみらい文庫が大好きだということです。
角川つばさ文庫の新刊と言うと、それだけで、飛びついてくる子もいます。
逆に、ハードカバーの本というのは、なかなか手にとられません。
読書が好きで、厚い本でもしりごみしないような子どもたちは借りていきますが、児童文庫に比べると、かなり少ないです。
いまの学校は児童数も多いので、読書家の子どももある程度いるのですが、前に勤務していた小学校では、ハードカバーはほとんど借りられていませんでした。
文章量だけ見れば、ハードカバーの本も児童文庫の本も、そんなには変わりません。
本の厚さも、児童文庫はそこそこな厚みのある本ばかりです。
そうなってくると、子どもたちは無意識につばさ文庫やみらい文庫をブランド化し、それじゃなきゃいやだ、という感覚を持ちながら、選書を行っているということのような気がしてきます。
そして、そのことが、『飛ぶ教室』や『ふしぎの国のアリス』のように、新訳ばかりが手に取られる、という現状を作っている要因の一つにもなっているのでしょう。
でも、それは、悪いことなのでしょうか?
子どもたちは愚かでまちがったことをしているのでしょうか?
私は、読書ほど自由な娯楽もないと思っています。
大人の読書も、もちろん、子どもの読書も(子どもに何を読ませてもいい、というわけではありません)。
その本を読んでどう感じるのかも、どういう順番でそのシリーズを読むのかも、結局はなにもかも自由なのが読書です。
それが、大人の感覚だけで、子どもにはこういう本だけを読ませたい、というのは、エゴ以外の何に当てはまるのか、私にはわかりません。
話はそれますが、
以前、子どもたちが学校の図書館で読む本を制限されていることに怒った保護者が、学校にクレームを入れたという話を聞いたことがあります。
この場合は学校に、というより、そうした制限を設けていた司書に対して、だと思いますが。
それで、一年生は絵本の棚からしか借りられない、というような制限が問題だったと聞いたような気がするのですが、細かいところは不明です。
その司書の先生も、子どもたちに意地悪をしようとして、そんな制限を設けたわけではないのだと思います。
絵本を読みながらいろんな言葉や文字を覚え、本の楽しさを知る。
そうした段階を踏まえて、恐竜や料理の本なんかを借りていくようになってほしい。
とそんな願いのようなものがあったのでしょうが、図書館はもっと自由な場所であるべき、という考えをお持ちの保護者からすると、ただの意地悪、子どもに対する無用な規制でしかないととらえられてしまったのも無理はないような気がします。
結局は、図書館運営をどのように考えているのかは、司書によってそれぞれです。
よかれと思ってやっていることが、実は子どもをおさえつけているだけにすぎなかったり、図書館という場所をどう過ごしてもいい場所という誤った認識をうえつけさせてしまったりと、思った通りにいかないことも多々あります。
私自身は、一年生でも絵本以外の本をどんどん借りていってほしいなと思います。
なので、そうした制限は司書の方からは設けてはいません(担任の先生がここから借りていくように、と決めることはありますが)。
それから、基本貸出の上限が2冊の場合、1冊はお話の本、いわゆる9類の本を借りるようにしましょう、ということもあえて言わないようにしています(担任の先生にそうしてと頼まれたら言いますが)。
これは、結構多くの学校図書館がしている制限だったりするのではないでしょうか。
迷いながらも、そういう風にしている、という司書もいる気がします。
お話の本を読んでほしい、論争はまたの記事で考えてみたいと思います。
それで、その先生は、いわゆる岩波少年文庫信者というか、話は戻るんですが、昔ながらの本を大事に心に抱えているようなひとなのです。
それ自体は全然構いませんが、その本を、子どもにも押しつけるとなると……。
最近の表紙絵に対する不満を露骨にもらしていたこともありました。
自分の読ませたい本だけが良書だとでもいうような姿勢には、正直辟易していましたが、子どもの頃から本が好きだったひとなので、児童書に関する知識だけは豊富なのです。
そういうひとって、たぶん、多いんじゃないでしょうか。
あるクラスで、同じ本ばかりを読んでいる児童の多さに不安を感じたその先生は、図書の時間に、今日はこのリストの中から本を借りていくように、ということをしたそうです。
そのリストには、教科書に載っている本(百歩譲ってこれはいいです)と、その司書の先生が選んだおすすめの本(!)が書かれていました。
ため息をつきたくなってしまうのは自分だけでしょうか。
あなたのことを思って言っている、というのは、結局のところエゴです。
そういう言葉を盾にして、相手を自分の思うように動かそうとしているだけです。
大人が子どもの本について語ろうとするとき、それに近いニュアンスの言葉をよく耳にします。
子どものことを、そして、子どもの想像力を信じてあげる、というのも、時には必要なのではないでしょうか。
例えばRのリンクの端から落ちないように、大人が見ているというのはもちろん大切です。
でも、その内側にいる間は、子どもがのびのびとすべっていられるようにしてあげたいと、個人的には思うのです。
雑多な話になってしまいましたが(萌え絵の話もどこかにいきました)、非難をされていた方々にはぜひとも、実際の子どもたちの声を聞いてみたり、学校図書館での様子を見ていただきたいなと。
そこにある、「ズレ」を感じることができると思います。
なにが正解かは、わかりませんけども。
長々とだらだらとした記事で失礼しました。
お読みいただき、ありがとうございました。
皆さまからいただいた意見等をもとに、より踏み込んだ内容の記事も書きましたので、よろしければ。
子どもが少しでも図書館や読書を楽しんでくれるようにと企画したり作ったりしたものの記事も、よければ覗いてみてください。
それから、読書が好きな方々にぜひやってみてほしい遊びです!
暇つぶしにためしてみてください。