岡田さんはオタクを「文化民族」とカテゴライズしていたが、最近はどうもこれ、思想やイデオロギーとして考えた方がいいと思うようになった。
ネトウヨみたいにね。
そっちの方が解りやすいと思うのだ。

オタクはそもそも「血」の問題ではないからだ。

でも、他ならぬオタク自身が、自分のことを「民族」だと思っているらしい。
だから「アニメが好きならばオタクを名乗れ!」とか、変なことを言い出す。
これも「日本を愛するならば保守右翼だろ!日本人として恥ずかしくないのか!?」と、言っているのに等しい。

勘違いしているのだ。

オタクの様々なこだわりや偏執狂的な発想も、イデオロギーとして考えた方が上手くいく。
「オタクにだっていろんな考えがあるんじゃ!」いやいや、あんた方、結構似てますよ??

だって、思想だからだ。


フルトヴェングラーが戦後、ナチだったという嫌疑で裁判にかけられ、
「私はドイツを愛したのであって、ナチではない」
と言い切ったように、僕も、
「私はアニメを愛したのであって、オタクではない」
こう言い続けてきたが、ようやく言い切れる条件が整いつつあるようだ。


今の時代さすがに「アニメを観ているだけで変」とは思われなくなっただろう。
それはもちろん、アニメを創り、業界を創り上げてくれた先人達のお蔭である。

オタクのお蔭では微塵もない。

同様に、戦後日本の繁栄を築けたのは、様々なイデオロギーの多くの先人達。
ネトウヨのお蔭ではない。

考え方がまったく一致する。


今日も今日とて「アニメが好きなのにオタクを肯定できないオタクもどきがぁ!」と叫んでいるただのキチガイがいたが、これも「日本人のくせにネトウヨを肯定できない非国民がぁ!」と読み替えると、その異常さがクレンザーでもかけたかのように浮き彫りになるだろう。

アニメ好きとオタクとは違う。
まずそこから始めよう。もうそういう時代なのだ。