おひさしぶりです、前回の記事から3か月も経ってしまいました。3か月もあっという間ですね
今回はFで感じた神様を証しできればと思います。
Fの全てを肯定するつもりはないですが、今のFに対してかなり偏見を持たれている方が多いと思うので、初めに私個人の歩み方を紹介したいと思います
大昔のように「〇〇トーク」などの押し売りや詐欺まがいのようなことは今ではありえません。「おねがいします」も禁句です。法律で禁止されている内容は、教育されているので、下手にトークもできません。まず、昔に比べて飛び込み営業に対する世間の目がかなり厳しいのもあって、実績なんてほとんどないです。商材にもよると思いますが、ブロック全体としても赤字なんじゃないですかね。黒字だとしても多くないと思います
私は、基本的にお客さんが幸せになれるように祈りながら歩んでます。伝道でも同じことですが、トーク中は特に、「どうすればこの方を笑顔にできるのだろうか」とそればかり考えています。逆に「売ろう売ろう」と考えながらやってても、お客さんはすぐ気付きます。「こいつ売りに来たな~」って思われて相手にされません。Fはきつい修行みたいに思われるかもしれませんが、私個人的には心から楽しんでます
今回は、そんな私の神との出会いを紹介します。blogで色々とブーブー言ってきたので、その償いの意味も込めてw
Fでの出会いはたくさんあって、どれも宝物ですが、その中から読み手にも分かりやすい神との出会いを一つ選びました。
出会う日までの背景は割愛します。
その日の任地は、田んぼと集落が広がっている田舎でした。寺の近くで降ろされたので、そこで朝ご飯とトイレを済まして朝の8時まで、足を重点的にほぐしていました。私はFが始まる前には必ず、ストレッチとランニングをするので、よく任地の人から陸上部と間違えられます、すいません余談でしたw
その日は、足が痛かったのですが、足が折れても死んでも神様の為に生きたいと思い、走りつづけていました。この日だけでも完全に神様の為に生きたかったんです。今振り返れば狂信的だと感じますが、その日は特に、自分の命を全て捧げてでも、神様を愛したかった私でした。
二時間ぐらいそうやって歩んでいると神様の声が聞こえてきました。限りなく寂しい、愛に満ちた声で「お前を愛している」、「お前を勝利させたい」と、、、、、、、、
その声は、私の中から沸き起こり、全身を満たしました
その日は、一日中聞こえていたので、神様と授受しながら歩みました。感謝できない環境が来れば「この環境を与えるしかなかったんだ、許してくれ」と私を励ましました。その声の息遣いは、途切れ途切れでボロボロのお姿を想像できました。今にも死んでしまいそうでしたが、私の為だったら喜んで死にたいという、なんの躊躇もない確固たる思いが声に詰まっていました。そこで、これが神の愛なんだと初めて知りました。
一日中、涙を我慢しながら歩みました。我慢できなくなったら、誰にも気づかれない場所で声を出して泣きました。お客さんの前で涙をこぼしてしまう時もありました。
神様に出会った朝から、必ず今日は神様との約束を果たすことができるという確信が最後の一軒まで続きました。まるで、私の目の前にリンゴが置いてあるのを見てリンゴだと思うのと同じように、今日は勝利できるから勝利できるという不思議な確信でした。なので、最後の一軒は、どんな人が待っているんだろうとワクワクしていました。そして営業終了時間になるギリギリに飛び込んだ最後の一軒でちょうど神様との約束を果たしました。一日で稼いだお金をまとめて数えてみると、ちょうど原理数でした。
栄光在天