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- 大昌寺について
大昌寺は、天保11年(1840年)に発生した荒町大火により焼失してしまったため、開創年代には諸説ありますが、一説には慶長9年(1604年)とされています。二世水天運大和尚(実質開山)が師の證岳宗徹大和尚(当寺開山・禅龍寺三世)が同年に示寂したことから、この年を創建年に当てたものと推測(二十四世大乗宗晃大和尚による調査)していますが、実質の開創は当然それ以前と考えられます。
寺伝によると、二世水天運大和尚は、上杉謙信の幕下にあった荒川伊豆守義遠の長子として生まれ、かの川中島の合戦にて、武田信玄の軍と戦ったと伝えられています。この際、多くの軍兵を失いながらも数騎と共に敵の囲いを破って逃れ、その後庄内まで落ち延びた後、父や家来の菩提を弔うために出家したのが始まりといわれています。
ちなみに、「甲越軍記」「北越太平記」「烈戦功記」によると、武田信玄と一騎打ちしたのは、荒川伊豆守義遠と伝えられています。
大昌寺の本堂の天井には、仏法の守護神といわれる龍が描かれています。龍は禅寺の本堂(法堂)の天井に多く描かれる存在で、仏法を説く場である神聖な場所を守っています。
本堂の天井画は、天保11年の荒町大火で本堂庫裏が焼失した後、7年後の弘化4年(1847年)に再建された際に市原渕潭(後に出家して圓潭)によって描かれたものです。しかし、150年の歴史の中で、ロウソクの油煙や煤汚れが付着してしまい、何が描かれているかも分かりませんでした。
しかし、現住職が平成13年に晋山したことを機に、傷みの目立つようになっていた人天蓋・幢幡と共に修復を発願し、平成14年秋に修復となりました。
さらに風雨にさらされているために特に損傷の激しかった本堂玄関(向拝)の天井画に関しても、別の板で復元模写することで、平成15年春彼岸に修復完了。修復復元模写は、仏絵師の藤茂伸哉氏が担当いたしました。
市原圓潭とは
文化14年(1817年)酒田天正寺町の呉服屋・市原平三郎の三男として生まれる。幼少から絵を好み、15歳のときに江戸に出て、狩野深淵のもとに入門。師の字をもらい、名を淵(渕)潭と号する。江戸で十数年修業し、28歳(1845年)で郷里に戻り、画業を続ける。その後、35歳のときに妻子を捨てて大督寺二十五世俊明和尚のもとで仏門に入り、圓潭に改名。3年後には再び江戸に入り、数多くの寺を渡り歩きながら、古来の名画を模写し、大和絵の研究に努める。
文久3年(1863年)4月には再び郷里に戻り、田川郡淀川寺-現鶴岡市大淀川-の住職となり、明治34年85歳で没する。
山形県鶴岡市の地で400年の歴史を誇る大昌寺では、地域の皆様や檀家さんにとっての「心の故郷」になりたいと想っております。神聖でいて、居心地の良い場所であるために、近年では本堂と本堂玄関の天井画の復元を行うだけでなく、守本尊堂にステンドグラスを設置いたしました。
大昌寺へとお参りに来られるひとつのきっかけになればと考えております。ぜひ心の洗濯に、大昌寺のステンドグラスをご覧ください。
所在地 | 〒997-0028 山形県鶴岡市山王町12-40 |
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連絡先 | TEL/FAX 0235-22-2857 |
住職 | 冨樫 晃悦 |
大昌寺では御祈祷を行っております。
ご不明な点はお問い合わせください。
※祈祷申し込みについては、大昌寺にご連絡ください。
子「千手観音」
丑・寅「虚空蔵菩薩」
卯「文殊菩薩」
辰・巳「普賢菩薩」
午「勢至菩薩」
未・申「大日如来」
酉「不動明王」
戌・亥「八幡大菩薩」
〒997-0028 山形県鶴岡市山王町12-40 TEL/FAX 0235-22-2857