またしても長らくのご無沙汰、申し訳ない限りです。
ご無沙汰の言い訳とお詫びは雑記カテあたりで書かせていただくとして、さて、インド創価池田女子大の続き。

“創価学会員でもないインドの詩人セトゥ・クマナン氏が池田氏の「母の詩」に感銘を受け、池田氏を生涯の師と定め、ついには「創価」と「池田」の名を冠した女子大を作った”-----このような師弟美談で飾られているインド創価池田女子大について、前稿では同大のオフィシャルサイトに掲載されていた大学役員リストをもとに、大学経営に池田夫妻およびインドSGI幹部が深く関与していることを明らかにした。

これにより、インド創価池田女子大による池田礼賛(名誉称号やら“学生全員がイケディアン宣言”云々)は池田創価の身内機関による茶番劇であったことが明白になったわけであるが、本稿ではさらに突っ込んで、同大はクマナン一族(クマナン氏とその義父バスカラン氏)の主導で創設されたものではなく、創価主導で設立されたもの、つまり陰の(真の)創立者は池田氏なのではないか、というテーマで論考する。

その前に、前稿で証拠引用した役員リストに、その後奇妙な変化が起きているのでご報告。
先ほど久しぶりにそのリストを見に行ったところ、なんとリストから池田夫妻の名が消えているのだ。

弊ブログが引用したリストはこれ(修正前の魚拓):http://megalodon.jp/2012-0422-2100-18/www.sokaikedacollege.in/advisory_board.html
池田夫妻名が抹消された現行ページはこれ:http://www.sokaikedacollege.in/advisory-board.asp

絵に描いたような師弟美談とドロドロした現実との不整合を隠蔽したかったのか、それとも別の理由か、真相は不明だが、リストから名が消えても、池田夫妻が経営に参画していた事実は消えない。こういうこともあろうかと魚拓を取っておいてよかった。

余談であるが、中国の東北師範大学の“池田大作哲学研究所”サイトに書かれていた池田プロフィールも、弊ブログがそのトンチンカン記述(池田氏の日蓮正宗絶賛発言を引用)を引いて、同研究所の不勉強ぶりを指摘したら、その後、創価から連絡があったのか、修正が加えられていた。その修正も珍妙なもので笑えるのだが、それについてはまた今度“実事求是の勝利”第二弾として書くつもりだ。

では本題。「インド創価池田女子大学」は、長いので以後「インド創女」と略す。

インド創女は学校法人創価学園の系列校か

下図は日本の学校法人創価学園のスクールシンボルである。
手描きしたためちょっといびつだが、正確な図案は創価学園サイトを参照いただきたい。
sokalogo

中央がペン(=英知)、左右が鳳雛の翼(=未来への雄飛)というモチーフのデザインだ。
そして、当然のことながら、国内外の創価学園系列校、例えば、創価大学アメリカ創価大学香港創価幼稚園ブラジル創価学園韓国幸福幼稚園等の校章にはみなこの図案がシンボルマークとして使われている。言わばこのマークは創価系列校であることを証明する血統証のようなものだ。

次に、インド創女の校章を見ていただきたい。同大のオフィシャルサイトの校章紹介ページにある。→http://www.sokaikedacollege.in/about-our-logo.asp
何と、「創価と組織的に無関係(創価の主張)」のはずなのに、創価学園のスクールシンボルがそのまま使われているではないか。系列校でもないのにスクールシンボルが全く同じということは常識的にあり得ない。つまり、インド創女は池田創価主導で設立された創価学園系列校であるということだ。

創価が喧伝している池田-クマナン師弟美談では、大学名に「創価」&「池田」が冠されている理由については“センセイの偉大さの証明”とばかりに自慢げに語られているが、大学のシンボルマークが創価学園と同じである点については全く言及がない。シンボルの同一性について創価が言及を避けるのは、恐らく、校名のみならず校章までも創価一色になっていることが分かってしまうと、クマナン氏側のアイデンティティや主体性がぼやけてしまい、結果、同大が創価主導で創られたものであることがバレバレになって、師弟美談が成立しなくなるからではないか。池田夫妻やインドSGI幹部がインド創女の経営に関与していながら、それを隠して無関係を装っているのも同じ理屈だ。

ちなみに、もう一つの校章を見ていただこう。クマナン一族が主宰するセトゥ・バリアンマル教育財団によって1988年に設立された幼-高一貫校セトゥ・バスカラ学園の校章だ。(同学園のオフィシャルサイトhttp://sethubhaskara.in/campus.htmlの上方にある)。
ご覧の通り、彼らのスクールシンボルはヒンズー教の伝説に登場する聖獣マカラである。象頭は学問を象徴するらしい。インド創女とバスカラ学園は設立母体(セトゥ・バリアンマル教育財団)を同じくする姉妹校である。ならば、アイデンティティの継承とブランドイメージの統一のため、インド創女の校章にも共通シンボルとして聖獣マカラが使われて然るべきと思われるのだが、同大の校章ではマカラは捨て去られ、異系列の学校のシンボルを推し戴いてしまっているのだ。
同大が本当にクマナン一族が自発的かつ自力で創設したものなら、校名や校章を創価一色にしてしまうなどという、自分達のアイデンティティを完全放棄するようなことはしないだろう。

さて、校章のほかにも、インド創女が池田創価主導で創られたことを窺わせる状況証拠がいくつかあるので、提示しておく。

インド創価池田女子大の創設はインドSGIの実績?

下記URLのページを見ていただきたい。
実はインドSGIのオフィシャルサイトの記述を見ていただくべく、そのアドレスを示したかったのだが、昨年8月頃サイトがリニューアルされて、なぜか記述が削除されてしまっていた。魚拓を取っていなかったため、どこかに同じ内容が残ってないか探したところ、下記サイト(恐らく個人サイト)に丸ごと転載されていたので、それを論拠として示す。→http://bharatsokatvmnayar.blogspot.jp

ページ表題の Bharat Soka Gakkai とはインド創価学会のことである。(バーラト=インド)
そのページの下の方(3分の2を過ぎたあたり)に、インドSGIのこれまでの教育活動が紹介されている。見出しだけ拾い出してみると以下のようなものであった。5番目に「インド創女設立」トピックがあるのに注目いただきたい。(括弧内は見出しの和訳と内容概略)

Tsunami Longterm Relief 
  
(津波被害長期支援:  2004年インド洋大津波の被災児童の教育支援)
Encouraging the reading habit amongst children in MCD schools
  (デリー市内の公立学校児童を対象とした読書習慣促進活動)
Picture Books Catalogue
  (絵本カタログ:  世界の絵本を紹介した目録を作成、インド国内の学校や図書館に配布)
For street and slum children
  (ストリートチルドレンやスラムの子供達のために:  社会から疎外された子供達をサポートする現地NGOに創価メンバーが協力)
Soka Ikeda College for Women
  (インド創価池田女子大学:  バスカラ高校内にインド創女が設立された)
The Challenges of the New Millennium and the Role of Education
 (「新世紀の課題と教育の役割」シンポジウムの開催)

これらを見ると、インド創女の設立もインドSGIの教育活動実績の一つとして挙げられていることが分かる。組織的に無関係な他者の業績を我が実績としてカウントするなどという破廉恥なことを宗教団体がするとは思えないので、上記は、インド創女が創価主導で設立されたものであることをインドSGI自ら表明したものと言えよう。
当然、トピックの説明文には、大学役員リストで“創立者”とされているバスカラン氏の名は一切出てこない。かろうじてクマナン氏の名が“尽力者”として登場するのみだ。インド創女トピックの説明文は以下の通り。
Soka Ikeda College for Women
The Soka Ikeda College of Arts and Science for Women is in the city of Chennai (formerly Madras) in southern India. Established through the efforts of the Indian poet and educator Dr. Sethu Kumanan, the college is presently housed at the Sethu Bhaskara Matriculation Higher Secondary School.
(拙訳)
創価池田女子大学
インド創価池田女子大学は、インド南部のチェンナイ(旧マドラス)市にある。インドの詩人であり教育者であるセトゥ・クマナン博士の尽力を経て設立されたもので、大学は現在セトゥ・バスカラ高校内に置かれている。



インド創女でも軽視されている“創立者”バスカラン氏


セトゥ・バスカラン氏とその娘婿クマナン氏および各教育機関の関係を図示すると以下のようになる。(クリックで拡大)
セトゥファミリー組織図

上図で分かる通り、バスカラン氏は彼ら一族が運営する教育機関の中心人物である。インド創女の役員リストでもfounder(創立者)と公称されているのだが、同大オフィシャルサイトでのバスカラン氏の扱いは驚くほど軽い。というか、ほとんど顧みられていない。

通常、私学のホームページにはたいてい創立者紹介ページが設けられ、建学精神なり教育理念なりが語られているものだが、同サイトには"名誉創立者”の池田氏やクマナン議長や学長の写真付き紹介ページはあっても、なぜか公称創立者たるバスカラン氏の紹介ページがないのだ。(http://sokaikedacollege.in/上部の"about us"メニュー参照)。
そもそも同サイトでは、バスカラン氏の名は役員リスト以外には全く出てこない。About Us(本学について)ページの大学略歴部分にも登場しない。大学オフィシャルサイト内におけるバスカラン氏の存在の軽さは、同氏が真の創立者ではなく名目上のお飾りに過ぎないことを物語っている。

それに比して、同サイトでは池田宣揚記述が異様なほど多い。信心もしておらずSGI会員でもないのに池田氏をmentor(師匠)と呼んで讃えるクマナン氏の池田崇拝の気色悪さについては次稿で検証するが、同大サイトの池田信奉の濃密さは創価学園系サイトかと見紛うほどだ。

バスカラン氏が軽んじられ、池田氏が偏重されている様子からも、インド創女の真の(陰の)創立者が池田氏であるという真実が透けて見えてくる。

このように書くと、「クマナン博士は池田先生の“母”の詩を読んで感銘を受け、池田先生を師匠と定め、創価教育実践を目指して女子大を作ったのだから、オフィシャルサイトで池田先生を讃える文があっても不思議はない」などの反論が学会員筋から聞こえてきそうだが、それは前段(下線部)の美談が真実であればの話である。美談の信憑性の検証がまずなされなければならい。それについては次稿で考察するとして、
さてこのインド創女、不可解なことがまだある。

キャンパスなき開学

次のグーグル・アース(Google earth)の画像を見ていただきたい。
インド創価池田女子大学の現在の姿である。2011年の航空写真だ。(クリックで詳細表示、以下同)
isic20110524

さて、創価メディアがインド創女の開学について初めて伝えたのは開学1年前の1999年8月である。(下記記事参照)
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(1999.8.26の聖教「寸鉄」 インド創女開学一年前)
・SOKA IKEDA WOMEN'S COLLEGE インドに『創価池田女子大学』クマナン博士が創立 明年開学へ「池田先生は平和と人間教育の偉人敬愛する師の名前をぜひ新大学に」
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開学1年前にすでに大学名に「創価」と「池田」を冠することが決まっていたわけであるが、その明年すなわち2000年開学当時の航空写真を見てみよう。開学4ヶ月後のものだ。便利なことにグーグル・アースでは同じ地点の過去の画像も見ることができるのだ。
isic20001213
開学時点(2000.12)ではまだキャンパスらしきものはなにも見当たらない。土地の造成すら始まっていないようだ。では開学一年後(2001年8月)にはどうなっているか。
isic20010831
一年後も全く変化なし。そして開学二年後(2002年6月)を見ると
isic20020601
開学2年後にしてようやく基礎工事が始まったようだ。

こうした経緯を、昨年流行語大賞を獲ったワイルド・スギちゃん風に言うと・・・

  校舎も何もない原野に女子大を開学しちまったぜェ!ワイルドだろォ!?
  
ということになるのだが、まあ、実際には女子大はセトゥ・バスカラ高校の校舎内に2000年8月に設置されたようだ。いわば高校付属大学という形から出発したのがインド創女である。大学付属高校というのはあるが、高校付属大学というのは聞いたことがない。また、大学校舎もキャンパスも全く整ってない段階で大学開校というのは前代未聞だ。

さて、クマナン氏は、大学建設用地の造成すら始まっておらず、高校に仮住まい予定という準備不周到な段階で「大学開学」をぶち上げ、かつ「創価」「池田」の名を大学名として師匠におねだりしたことになるのだが、弟子を自認する者の振る舞いとしては、あまりにも拙速、拙劣すぎよう。

一方、池田氏は、クマナン氏の持ち込んだ準備不周到な大学話に乗って「創価」と「池田」の名を与えたということになるのだが、これも奇怪だ。「創価」という単語は商標登録されている。役務範囲として老人用おむつや生理用品に至るまで数百種類もの物品やサービスを指定した登録がなされており、創価の異様なまでの商標権防衛意識の強さが伺える。そんな池田創価が、先師が育んできた「創価」のブランドを、今後どうなるとも分からぬ大学に(そして会ったこともないインド青年やその義父に)唯々諾々と与えるだろうか。

だが、インド創女が池田創価の主導で設立されたものであるなら、すべてがストンと腑に落ちる。

ここで字数制限に達した。続きは次稿で。次稿では主にクマナン-池田美談の信憑性について論考したい。