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左右の複眼は削られ視覚から情報は得られない。三対六本あった脚は前脚と中脚、それぞれ一本ずつ根本から失われている。翅は前後共に機能を完全に消失した。
視覚を失っても眷属との
「やはりそうなりますな」
払暁まで残り僅か。恐怖公の戦いは最後の山場を迎えた。
■
「眷属招来」
シャルティアの影からモンスターが次々と湧き出した。
狼。鼠。蝙蝠。小さき蟲の群れ。
眷属招来はシャルティアが所持する召喚魔法だ。眷属を任意に召喚し使役する。
レベルは大したことがない。吸血鬼の狼ですら本来のレベルはたったの七だ。重要なのはそこではない。
「行け」
殺意だけをたっぷり込めた命令はたったの一言。眷属たちは主の曖昧な命令を忠実に遂行しようと、恐怖公の眷属で出来た漆黒の海に我先と飛び込んでいく。
触媒のない召喚は召喚モンスターのレベルを下げる。知能も大幅に低下する。通常ならば吸血鬼の狼の瞳は真紅に染まり邪悪な叡智の光を放っている。だが召喚されたそれの瞳は昏く濁り叡智の欠片を感じられない。
シャルティアは人間を殺せない。だが知能が低下した召喚モンスターは別だ。命令を正しく理解出来ないモンスター達は、殺意の命令を遂行すべく、眷属の海に囚われた人間ごと手当たり次第に主の敵を食い散らかした。
「ふふふ」
レベルという概念がなくスキルのみで構成された恐怖公の眷属達は、当たるを幸いに文字通り鎧袖一触で消し飛ばされていた。驚く事に僅かづつであるがその数を減らしていた。
恐怖公のスキル、ジェリコの城壁で召喚された眷属達は夜明け前にして繁殖能力を失っていた。
これまでシャルティアは常に主導権を奪われていた。攻撃をのらりくらりとかわされ、挑発に乗って切り札の
「
眷属で出来た海が地表までめこりと押しつぶされた。シャルティアを中心とした荒れ狂う不可視の衝撃波だ。シャルティアの主観ではこの辺り一帯に既に人間はいない
間もなく夜が明ける。払暁だ。恐怖公の眷属は消え去り、例え人間を盾にされたとしても召喚したモンスターをけしかければいい。今やシャルティアの転移を防ぐ
詰みだ。
太陽の光の下の恐怖公と瀕死の悪魔。シャルティアの勝利は約束されたも同然だ。
溜まりに溜まった鬱憤が晴れていく。
「あは、あはは、あははははは! 楽しいでありんすなぁ! デミウルゴス! 恐怖公! 隠れてないで出てきんなし!
シャルティアは朱の新星を次々と射出した。
紅蓮の炎が恐怖公の眷属の海に破壊をもたらす。炎系、対個人としては最高位の攻撃魔法だ。新たな増殖を行わない恐怖公の眷属は、ただの燃料として次々に延焼を広げていく。人が燃えようがシャルティアが殺したのではない。炎を纏った恐怖公の眷属が焼き殺しているのだ。
「あはははは! 燃えろ! 燃えろ! もっと燃えるでありんす!」
範囲攻撃と合わさり恐怖公の眷属達は急速に数を減らしていく。広範囲に広がった火災は勢いを増し周囲の大気を取り込む。局所的に生み出された上昇気流は周囲の炎を飲み込み摂氏一〇〇〇℃の熱風となって暴威を振りまき被害を拡大させた。
熱と光と旋風に煽られたシャルティアの銀の髪がゆらゆらと揺れていた。赤い瞳をこうこうと輝かせ、心の底から楽しそうに、牙をむき出しにして愉悦の笑みを浮かべていた。
真紅の全身鎧は鈍色に赤光を跳ね返し、シャルティアが元々持つ幻想的な美しさと合わさり、灼熱の地獄と化した死の神都の上空で、人類最高の宗教画を上回る荘厳さ、秀麗さを、これでもかと言わんばかりに放っていた。
「デミウルゴス、恐怖公。どこにいるでありんすかぁ? デミウルゴスは兎も角、早く出てこないと恐怖公は焼け死んでしまうでありんすよ。あははははっ!」
楽しそうに、嬉しそうに。シャルティアはダンスを舞うかの如く空中でくるくると回る。心の底から楽しそうに、嬉しそうに。
「あは、あはははは! 来たわ!」
遠くの山々の峰が淡く色づいた。日の出だ。勝利を祝う栄光の光だ。
眼下の燃え残った恐怖公の眷属達が塵となって消えていく。燃料を失った業火はあちらこちらで急速に鎮火していった。剥き出しになった神都の建築物は所々出火し、ぶすぶすと黒い煙を上げていた。焼け焦げた焼死体は逃げ遅れた家畜に違いない。
シャルティアは一直線に降下し、大地に激突する寸前に体勢をくるりと変え、優雅に大地に降り立った。
「おや。隠れんぼは終わりでありんすか。恐怖公?」
体の三割が炭化。三対あった脚は後脚の二本のみ。両の複眼は失われ翅は燃え尽きている。至高の存在から与えられた三種の装備、王冠と真紅のマント、王笏は火災から身を護る過程で失ったのだろう。装備はなく支配する眷属も全て失った裸の王。シャルティアは無残な姿の恐怖公と対峙した。
「これはこれはシャルティア様。相変わらずお美しいですな」
恐怖公が腰を曲げた。悔しい事にこの期に及んで、シャルティアの目から見てもその動きは洗練され優雅に見えた。
「当然でありんすよ。ペロロンチーノ様にそうあれと創造されたのでありんすから」
ただの社交辞令だ。恐怖公は複眼を失っている。それに美的感覚の異なる恐怖公から美しさを讃えられてもシャルティアにとって嬉しくもなんともない。
「ここまで梃子摺らせてくれた事に敬意を払って遺言くらい聞いてあげるでありんすよ?」
聞いた所で誰に伝えるというのか。デミウルゴスか。どうせ全員死ぬ。
「心遣いに感謝しますぞ。ですが無用です。我輩、言葉を遺す資格を既に失っております故」
「あっそう」
シャルティアは恐怖公に興味をあっさりとなくした。しょせん気分が高揚して気まぐれに語った戯言だ。
「それじゃさっさと死になんし」
シャルティアは興味なさげにスポイドランスを構えた。
最後の抵抗か。ただでは死なぬとばかりに目の見えぬ恐怖公が蟲独特の構えを見せた。
かするだけでいい。それだけで恐怖公は死ぬ。ただスポインドランスで僅かとはいえ恐怖公の体力は奪うのは気が引ける。逡巡はほんの僅か。その僅かの差が恐怖公の命運を変えた。
「二人共、そこまでです。シャルティア、お待たせしました」
シャルティアは瞬時に飛び跳ね、声の聞こえた場所から距離を取った。声の主はもちろんデミウルゴスだ。
デミウルゴスは背中の翼を広げて宙に浮いていた。顔は醜悪な蛙顔。半魔形態だ。元の端正な顔立ちの面影など一切ない。
「おや、デミウルゴス。元気にしていたでありんすか?」
「えぇ。お陰様で体が軽くなりましたよ」
デミウルゴスのストライプのスーツの腹部に当たる部分は破れ、どす黒く汚れていた。
「ん? 足がないでありんすよ?」
「どこかのヤツメウナギに引き千切られたんですよ。尤も血の狂乱で覚えてないでしょうが」
「おやおや。それは酷いことをする奴がいるでありんすなぁ」
デミウルゴスの右足は根本から、左足は膝から先が失われていた。よく見ればスーツの左腕の袖の部分がひらひらと風に揺れている。左腕は肘から先が欠損していた。
なるなどなるほど。
シャルティアは湧き上がる笑いを我慢する。が口元は歪み、ぴくぴくと頬が動くのを抑えられなかった。デミウルゴスは満身創痍だ。蛙面の半魔形態で空を飛んでいるのも大地を掴む足がないからだ。
最後の余興だ。別れの挨拶くらいさせてやろう。お互い階層守護者だ。多少の気心は知れている。シャルティアの雰囲気を読んだであろうデミウルゴスは翼を動かし恐怖公の隣に移動した。激痛に襲われているはずだが、おくびにも出さない。
「恐怖公、感謝します。お陰で充分に休むことができましたよ」
「……これしきの事で吾輩のしでかした事は償えませんぞ」
デミウルゴスは何も言わず、スキットルを取り出し恐怖公の口元に近づけた。
「……この香りは……これがモモンガ様から下賜されたという……我輩にこれを頂く資格など……」
デミウルゴスは何も言わず静かに首を降り、スキットルを傾けた。前脚、中脚のない恐怖公はそれ以上何も言わず一口だけ口をつけた。
「……甘露なり。まさに天上の美酒。吾輩が知るどんな銘酒もこの美酒の前では霞んでしまいますな」
デミウルゴスは終始無言。自らも一口だけスキットルを煽った。
「さぁ行きましょうか」
「残念なお知らせが一つ。パンドラズ・アクターは間に合いません」
「その方がよいでしょうな。それに階層守護者のシャルティア様から金星をあげる絶好の機会は譲れませんぞ」
風が二人の会話を届けた。最期だからと時間を譲った。しかしじわじわと殺気が湧き上がってくるのをシャルティアは感じる。今は制御できる。だがあと一〇メートルも距離を詰めればシャルティアの意思とは関係なく体は強制的に戦闘行動を取るだろう。一度動けば止まらない。終わるのはヘイトが切れた時。すなわち目の前の仲間を皆殺しにした時だ。そしてシャルティアは残った仲間を殺すため世界を彷徨う事だろう。
楽しいとは思わない。悲しいとも思えない。それが当たり前の事なのだから。心の奥で何かを必至に叫ぶ自分がいる気がする。
そう遠くない未来、シャルティアは知らない世界で一人になる。仲間は一人とていない。シャルティアが皆殺しにするからだ。誰も自分を知らない世界はどれほど寂しいものだろうか。例え新たな仲間が出来たとして、ナザリックの下僕達に勝るはずがない。その寂しさが一〇〇年続く。そうモモンガがこの地に降臨するまで。
「シャルティア、お待たせしました」
シャルティアが思考に耽る間にデミウルゴス達が距離を詰めていた。まだぎりぎり強制戦闘の外側だ。
「それじゃあ、始めるでありんすよ」
「えぇ。ですがその前に少しだけ話をしませんか? 貴女と話が出来るのもこれが最後になるでしょうから」
最後の最後でデミウルゴスの意外な一面を知った気がした。死を目前にして感傷的になったのか。死の覚悟が決まっているのか悲壮感は感じられない。ならば階層守護者同士の最期の誼。冥土の土産に少しくらいは構わないだろう。
「ふうん。構わないでありんすよ。でも命乞いは聞いてあげない」
「ありがとうシャルティア。二、三質問をするくらいですよ」
くすくすと笑ったのだろうが、げげげとしか聞こえないデミウルゴスの笑いが少しだけ耳に障った。
「聞かせて下さい。今の貴方はペロロンチーノ様を弑す事が出来ますか」
余りの馬鹿な質問に心がささくれ立った。
「馬鹿な事を。そんな畏れ多い事が出来るはずがないでありんよ」
即答したが、深く考えた答えではない。当たり前の事を当たり前に答えただけだ。敬愛する創造主をこの手にかける事など天地がひっくり返ってもあり得ない。
「ではモモンガ様はどうでしょう? 貴女はモモンガ様をその手で……」
「デミウルゴス!!」
不敬だ。会話そのものが不敬だ。ナザリックに残った最後の至高。世界崩壊から自らを犠牲にして下僕全員を救った慈悲深きモモンガを殺せるとデミウルゴスに疑われたのだ。シャルティアの心に轟々と殺意の嵐が吹き荒れた。急激に膨張する殺意は熱にも似たエネルギーを放出しシャルティアを中心に空間を物理的に歪めた。
「言っていい事と悪い事の区別もつかなくなったの!?」
「その殺意は誰に向けたものですか?」
「お前に!! お前に決ってい…………あれ?……あれ?」
シャルティアは殺意に新たなベクトルが生まれていた事にこの時初めて気づいた。それはシャルティアが極度の混乱に陥るのに充分な出来事だ。熾のようにじりじりと小さく燻っていた殺意は何かの間違いだと誤魔化せない程まで大きく燃え上がっていた。
デミウルゴスに向ける殺意は別にある。ではこの殺意は誰に向けたものだ。
「何なのよ……何なのよこれは! どうなってんのよデミウルゴス!! そんなはず……そんなはずない……だってモモンガ様は至高のお方で慈悲深き最後の……でも殺さなくちゃいけなくて……なんでよ……どうしてよ!」
デミウルゴスの蛙顔が苦悶に歪んだ。隣にいる恐怖公も悲痛の表情を浮かべた。
「やはり……そういう事でしたか……。シャルティア、今までの言動から貴方がモモンガ様から授かった勅命は凡そ推測出来ます……。私はまた一つ罪を重ねる事になるのですね……」
「デミウルゴス殿……」
「自分だけわかってるって顔をして! そういう所が嫌いなのよ!」
シャルティアは精神が幼児退行を起こした様に癇癪を起こした。ペロロンチーノを想う時、心の中に暖かい灯が灯る。認めたくないが捨てられたと分かっている。
モモンガを想う時、温かい灯はどす黒い殺意に変わった。楽しかった思い出も、嬉しかった記憶も殺意に塗り潰された。違う違う、モモンガは最後まで残ってくれた慈悲深い最後の至高の御方だと否定し続けても殺意は消えてなくならない。
「デミウルゴス……嘘でしょ? 嘘だって言ってよ! どうして私がモモンガ様を殺さなきゃならないの!? 勅命が何だっていうのよ!?」
デミウルゴスがぎりりと歯を食いしばり、口元から一筋の血が流れた。
「シャルティア。貴女が受けた洗脳の命令は人間を殺さず、仲間を皆殺しにすること。ですが命令には逃げ道がありました。間接的に人間を殺せた事です」
周囲には人間の焼死体が無数にあった。恐怖公の眷属を燃料に魔法の炎で生きながら焼かれた人間だ。
「課せられた命令はカイレ家当主の思惑に沿うものではなく、シャルティア、貴女の主観で
「……」
「至高の存在を我々下僕の仲間だと口にする事は余りにも畏れ多い。至高の存在を下僕と同列に語るなど有りえません。現に貴女はペロロンチーノ様を弑す事を当たり前に拒絶した。それはペロロンチーノ様を下僕と同列の仲間だと認識していないからです」
「……」
「しかしモモンガ様は違った。貴女はモモンガ様を仲間、若しくはそれに類する
「…………勅命……」
デミウルゴスは静かに頷いた。
シャルティアは今、この瞬間もモモンガに恋をしている。白皙の死の容貌。大いなる慈悲の心。深遠なる智慧。至高の存在の頂点に立つカリスマ。恋をするなと言うのが無理だ。だがどうだ。思慕を募らせるほど、恋慕を重ねれば重ねる程、どす黒い殺意が膨れていく。それは取りも直さずベクトルを変えただけのシャルティアの想いの重さそのものだと言っていいだろう。
「……モモンガ様は言ってくれたの……結婚って……これからはずっと一緒だって……家族になるって……」
力なく顔を伏せ、シャルティアは自らが受けた勅命を語る。デミウルゴス達は何も言わず静かに聞いていた。
「……デミウルゴスなら何とかなるんでしょ? ……何とかなる方法を知ってるんでしょ? ……だから弱いのに自信満々に出てきて……そうなんでしょ? ねぇ! そうだと言えぇぇぇ!!」
大気がびりびりと震え、恐怖公はシャルティアの圧力に押されて一歩引いた。デミウルゴスはそれに耐え、絞り出すように言葉を吐いた。
「残念です……貴女を生かしておくわけにはいきません」
「――――――――――!!!」
絶望の慟哭は音にならなかった。天に向けて大きく開いた口は惜しげもなく牙を晒し、瞳はまるで血涙のように真紅に輝く。鋭い爪は強く握り締めた掌に食い込み、強く硬直した全身の筋繊維がぶちぶちと音を立てた。
シャルティアはペロロンチーノに捨てられた。そして今この瞬間ナザリックにも捨てられた。シャルティアがナザリックの下僕を皆殺しにする事は関係ない。世界で一人残されるだけでなく精神の寄る辺すらない真なる孤独な存在と成り果てた。
一〇〇年の孤独に耐えた後のモモンガとの再会は祝福ではない。呪いだ。シャルティアはモモンガを殺す。必ず殺す。モモンガへの愛を叫びながらだ。
「――――――――――!!!」
「げに恐ろしきはワールドアイテム」
恐怖公がぽつりと呟いた。
「……殺して……殺してよ……私、自分で死ねない……それともモモンガ様を殺して……最期は自分を殺せるのかな?」
答えは聞かずとも分かっていた。自身に殺意は湧かない。その事実は天元突破したはずの絶望に、更に上があることをシャルティアに教えただけだった。
「もとよりそのつもりです。それがモモンガ様から下僕を託された私の役目なのですから」
宙に浮くデミウルゴスがゆっくりとシャルティアに近づく。ヘイトが溜まり殺意が膨れた。
絶望と殺意、そして安堵。シャルティアの直感は正しかった。目の前の悪魔は死神となってシャルティアの命を刈ってくれるに違いない。
だから。
これで心置きなく全力でデミウルゴスを殺せる。
シャルティアはスポイドランスを構え殺意の籠もった視線でデミウルゴスを睨んだ。その表情はきっと笑っているように見えた事だろう。
【捏造】
ありそう。
下僕の所有権。
許可なく死ねないという捏造。
原作で誰かが自害しようとしてたような記述があったようななかったような……
デミウルゴスがぎりりと歯を食いしばり
蛙って歯がないはず。
蛙面だからあるというどうでもいい捏造。
傾城傾国の効果
矛盾を矛盾なく内包。破綻は容易。殺意がそれを塗り替える。
完全に発動した場合の洗脳効果が分からないので捏造。
同じく上記で術者が死んだ場合どうなるか不明。