【中国における池田氏の認知度】
学会は「世界の知性が池田先生の思想を求めている」と喧伝し、それゆえ世界中の各大学が名誉称号を贈っているのだという。
しかし、それもどうだろう。それが本当なら、創価と利害関係のない立場で池田氏に好意的に言及したり、その思想を宣揚したりしている団体や個人のページが、インターネット上で絶無というのはどういうわけか(英語圏および中国語圏での調査)。
それどころか、創価と利害関係のある組織や個人のサイトですら、一体池田氏の何を知っているのかと訝しく見えるページがあったりするのだ。
例えば、東北師範大学の「池田大作哲学研究所」のホームページだ。
中国で近年「ブーム」になって次々と誕生している池田大作研究機関の一つだ。それらの研究機関は何故か創価大学が研究用図書を贈呈したり、看板を贈ったり、研究組織の役員に創価学会関係者がいたりと、学会のヒモ付きである場合が多い(専用HPで確認できたところではすべてそうだった)。そんなヒモ付き状態で公正で客観的な研究ができるのか大いに疑問であるのだが、下記記述はそんな池田研究機関が設立直後に開設したホームページで掲載していた池田大作プロフィールの一節である。つい最近(2006年)の記述だ。
--------------------------------------------
【拙訳】
池田氏は、日蓮正宗は「人間のための宗教」であり、「平和、文化、教育」を推進するための宗教であり、人間の美徳を磨き輝かせる宗教である、と言う。 (中略)
青年部は創価学会の考えを実践し、創価学会の精神を身に付け、生命尊厳を至上とする日蓮正宗の教義を信条として 、平和運動を弛まず展開していくことを固く誓っている。
【原文】
池田認為,日蓮正宗是“為人的宗教”,是為了推進“和平、文化、教育”的宗教,是磨砺、輝煌人的美?的宗教。(中略)
青年部強調要実践創価学会的主張,学習和豊富創価学会的精神,以生命尊厳至上的日蓮正宗教義為信条,誓死持久地開展和平運動;(*1)
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何と、池田氏や青年部が日蓮正宗をべた褒めしているではないか。
「池田大作哲学研究所」と「哲学研究」の看板を掲げている研究所でありながら、池田氏の現在の宗教的属性すら正しく紹介できていないのである。
実は上述のプロフィールは、20年以上前、中国青年報あたりに載っていた学会概要を引き写したものだ。インターネットのあちこちに転がっている。そしてその学会概要も、内容が青年部紹介に特化しているところを見ると、おそらく創価学会青年部が初訪中した折に学会側が中国側に提供したプロフィール資料であろう。
いずれにしても、「池田大作の哲学や行動を正視眼で見ることができる」(学会談)海外の知性が、池田氏の基本属性も知らずに、大昔の資料を無検証に引き写し、知ったかぶりをしているという状況が彼らのHPのトップページなのだ。
研究所設立後4年が経っているが、上記記述が訂正されないでいるところを見ると、彼らはまだ池田氏の宗教属性の変化(変節)に気づいていないようだ。彼らは一体池田氏の「哲学」の何を研究しているのであろうか。
そもそも大学が一つのテーマで研究所を設立する場合、学内での先行研究が一定進んでいるものだが、こういう低レベルな池田理解度で池田研究がスタートしたという経緯自体が不思議であり不自然である。中国で相次ぐ池田研究機関設立のカラクリについては機会をあらためて考察したい。
もうひとつ、池田氏を理解しているはずの中国のある学者の論文を紹介する。ここにも驚くべき記述がある。
湖南大学教授の馮偉林教授が中国南宋時代の思想家朱熹について研究した論文の一節である。朱熹が中国歴代王朝や周辺諸国の国家統治理念に与えた影響を縷々紹介した後、朱子学が日本に与えた影響について述べた箇所だ。ここで池田氏への言及がある。
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(拙訳)
日本の徳川時代、朱子学は官学になった。昨年初秋、日本を訪れた際、自民党総裁池田大作氏による創価大学の入学式のスピーチを聴いたが、その三分の二は朱子の学説について講じたものだった。
(原文)
日本的?川幕府時代,朱熹之學成為官學。去年初秋,我去日本訪問的時候,聽到自民黨總裁池田大作在日本創價大學的開學典禮上致詞,用了三分之二的篇幅講朱子學?。」(『源頭活水』2007年6月より(*2)
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「自民党総裁池田大作」は誤植ではない。著者の池田認識を反映したフレーズである。
馮偉林氏が日本で聴いたというのは2006年の創価大学入学式兼湖南大学名誉教授授与式で行われた池田スピーチだ。実は、池田氏は師弟論に通じるエピソードを『朱子行状』から紹介しただけで、朱子学そのものについては論及していない。(師弟論を語るためだけに、身分制度や君主権を容認する朱子を肯定的に引用する池田氏の無節操さは昨今ではめずらしくないが)。
馮氏は名誉称号授与側の来賓として招かれていたのだ。つまり「池田の価値」を最も知っている立場として臨席していたのだ。にも関らず、その一年後に書かれた論文で言及した池田氏に対する理解度はこの「程度」だったというわけだ。
もちろん大学者とはいえ、専門外のことをよく知らないということは当然ある。池田氏の素性を知っていようが知るまいが、馮氏の学者としての評価には影響しない。本稿は馮氏の認識間違いを指弾したいわけではない。
学会側が池田氏の名誉称号を過大評価するためによく言う「海外の学者の方が日本人より池田先生を理解している」とか、「大学の最高決議機関である評議会に推薦があった数多くの候補者の中から、副学長が委員長を務める学位審査会が審査するという、慎重で細心の手続きをおこなって決定している」などという主張がいかにまやかしであるかを指摘したいのである。
上の2例からも分かるとおり、中国の学術界における池田大作の認知度・理解度は相当低いレベルなのではないか。池田氏の「偉大さ」は、創価学会パンフで自称宣伝していることを知っている程度だろう。
このような程度の認知度で、さしたる学術成果もない池田氏が中国から111個もの名誉称号を受けるには、それなりの手法に頼る以外にはあるまい。
創価学会は機関紙や本幹等で名誉称号授与を報じる際、称号授与に付随する賛辞---抽象的な社交辞令部分のみをクローズアップし、寄付貢献については一切触れない。そうして「池田先生は海外の教育機関から無条件に認められ、求められている」と印象操作し、学会員の求心力維持に必死である。
おそらく中国側もそうした「名誉」を再利用して恥じぬ創価学会の唾棄すべき体質に苦笑しつつも、資金調達のために今後もせっせと名誉称号を贈り続けるのであろう。世界の大学が求めているのは池田思想ではなく池田マネーなのだ。
引用文献出自:
(*1)http://sohac.nenu.edu.cn/asia/jgsz/%E6%B1%A0%E7%94%B0.htm
(*2)http://www.yxsalon.com/dispbbs.asp?boardid=111&id=16118&page=&move=pre
学会は「世界の知性が池田先生の思想を求めている」と喧伝し、それゆえ世界中の各大学が名誉称号を贈っているのだという。
しかし、それもどうだろう。それが本当なら、創価と利害関係のない立場で池田氏に好意的に言及したり、その思想を宣揚したりしている団体や個人のページが、インターネット上で絶無というのはどういうわけか(英語圏および中国語圏での調査)。
それどころか、創価と利害関係のある組織や個人のサイトですら、一体池田氏の何を知っているのかと訝しく見えるページがあったりするのだ。
例えば、東北師範大学の「池田大作哲学研究所」のホームページだ。
中国で近年「ブーム」になって次々と誕生している池田大作研究機関の一つだ。それらの研究機関は何故か創価大学が研究用図書を贈呈したり、看板を贈ったり、研究組織の役員に創価学会関係者がいたりと、学会のヒモ付きである場合が多い(専用HPで確認できたところではすべてそうだった)。そんなヒモ付き状態で公正で客観的な研究ができるのか大いに疑問であるのだが、下記記述はそんな池田研究機関が設立直後に開設したホームページで掲載していた池田大作プロフィールの一節である。つい最近(2006年)の記述だ。
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【拙訳】
池田氏は、日蓮正宗は「人間のための宗教」であり、「平和、文化、教育」を推進するための宗教であり、人間の美徳を磨き輝かせる宗教である、と言う。 (中略)
青年部は創価学会の考えを実践し、創価学会の精神を身に付け、生命尊厳を至上とする日蓮正宗の教義を信条として 、平和運動を弛まず展開していくことを固く誓っている。
【原文】
池田認為,日蓮正宗是“為人的宗教”,是為了推進“和平、文化、教育”的宗教,是磨砺、輝煌人的美?的宗教。(中略)
青年部強調要実践創価学会的主張,学習和豊富創価学会的精神,以生命尊厳至上的日蓮正宗教義為信条,誓死持久地開展和平運動;(*1)
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何と、池田氏や青年部が日蓮正宗をべた褒めしているではないか。
「池田大作哲学研究所」と「哲学研究」の看板を掲げている研究所でありながら、池田氏の現在の宗教的属性すら正しく紹介できていないのである。
実は上述のプロフィールは、20年以上前、中国青年報あたりに載っていた学会概要を引き写したものだ。インターネットのあちこちに転がっている。そしてその学会概要も、内容が青年部紹介に特化しているところを見ると、おそらく創価学会青年部が初訪中した折に学会側が中国側に提供したプロフィール資料であろう。
いずれにしても、「池田大作の哲学や行動を正視眼で見ることができる」(学会談)海外の知性が、池田氏の基本属性も知らずに、大昔の資料を無検証に引き写し、知ったかぶりをしているという状況が彼らのHPのトップページなのだ。
研究所設立後4年が経っているが、上記記述が訂正されないでいるところを見ると、彼らはまだ池田氏の宗教属性の変化(変節)に気づいていないようだ。彼らは一体池田氏の「哲学」の何を研究しているのであろうか。
そもそも大学が一つのテーマで研究所を設立する場合、学内での先行研究が一定進んでいるものだが、こういう低レベルな池田理解度で池田研究がスタートしたという経緯自体が不思議であり不自然である。中国で相次ぐ池田研究機関設立のカラクリについては機会をあらためて考察したい。
もうひとつ、池田氏を理解しているはずの中国のある学者の論文を紹介する。ここにも驚くべき記述がある。
湖南大学教授の馮偉林教授が中国南宋時代の思想家朱熹について研究した論文の一節である。朱熹が中国歴代王朝や周辺諸国の国家統治理念に与えた影響を縷々紹介した後、朱子学が日本に与えた影響について述べた箇所だ。ここで池田氏への言及がある。
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(拙訳)
日本の徳川時代、朱子学は官学になった。昨年初秋、日本を訪れた際、自民党総裁池田大作氏による創価大学の入学式のスピーチを聴いたが、その三分の二は朱子の学説について講じたものだった。
(原文)
日本的?川幕府時代,朱熹之學成為官學。去年初秋,我去日本訪問的時候,聽到自民黨總裁池田大作在日本創價大學的開學典禮上致詞,用了三分之二的篇幅講朱子學?。」(『源頭活水』2007年6月より(*2)
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「自民党総裁池田大作」は誤植ではない。著者の池田認識を反映したフレーズである。
馮偉林氏が日本で聴いたというのは2006年の創価大学入学式兼湖南大学名誉教授授与式で行われた池田スピーチだ。実は、池田氏は師弟論に通じるエピソードを『朱子行状』から紹介しただけで、朱子学そのものについては論及していない。(師弟論を語るためだけに、身分制度や君主権を容認する朱子を肯定的に引用する池田氏の無節操さは昨今ではめずらしくないが)。
馮氏は名誉称号授与側の来賓として招かれていたのだ。つまり「池田の価値」を最も知っている立場として臨席していたのだ。にも関らず、その一年後に書かれた論文で言及した池田氏に対する理解度はこの「程度」だったというわけだ。
もちろん大学者とはいえ、専門外のことをよく知らないということは当然ある。池田氏の素性を知っていようが知るまいが、馮氏の学者としての評価には影響しない。本稿は馮氏の認識間違いを指弾したいわけではない。
学会側が池田氏の名誉称号を過大評価するためによく言う「海外の学者の方が日本人より池田先生を理解している」とか、「大学の最高決議機関である評議会に推薦があった数多くの候補者の中から、副学長が委員長を務める学位審査会が審査するという、慎重で細心の手続きをおこなって決定している」などという主張がいかにまやかしであるかを指摘したいのである。
上の2例からも分かるとおり、中国の学術界における池田大作の認知度・理解度は相当低いレベルなのではないか。池田氏の「偉大さ」は、創価学会パンフで自称宣伝していることを知っている程度だろう。
このような程度の認知度で、さしたる学術成果もない池田氏が中国から111個もの名誉称号を受けるには、それなりの手法に頼る以外にはあるまい。
創価学会は機関紙や本幹等で名誉称号授与を報じる際、称号授与に付随する賛辞---抽象的な社交辞令部分のみをクローズアップし、寄付貢献については一切触れない。そうして「池田先生は海外の教育機関から無条件に認められ、求められている」と印象操作し、学会員の求心力維持に必死である。
おそらく中国側もそうした「名誉」を再利用して恥じぬ創価学会の唾棄すべき体質に苦笑しつつも、資金調達のために今後もせっせと名誉称号を贈り続けるのであろう。世界の大学が求めているのは池田思想ではなく池田マネーなのだ。
引用文献出自:
(*1)http://sohac.nenu.edu.cn/asia/jgsz/%E6%B1%A0%E7%94%B0.htm
(*2)http://www.yxsalon.com/dispbbs.asp?boardid=111&id=16118&page=&move=pre
ここまで調べられるのは大変だったと思います。
折伏に使わせて頂きます。