【大阪府警に連行された池田氏の映像】

昭和32年当時、映画館等で上映されていたニュース映像をYoutubeから引用する。急速に勢力を拡大していた創価学会を不気味な存在として捉えたニュース映像である。その最後の方(2分10秒~)に、池田氏が大阪府警にジープで連行された時のシーンがあるので、注意深く見ていただきたい。(「嘘だと言ってますが」というナレーションから始まる)


http://www.youtube.com/watch?v=taUA1HSVLTk

わずか数秒足らずのシーンだが、この映像から以下のことが読み取れる。

[撮影場所]:遠方に見える天守閣との位置関係から、旧大阪府警(現大阪市歴史博物館)の裏手と思われる(下図赤●印)(*1)。
大阪府警昭和49
[撮影時刻]:陽の当たり方や、ジープ側面にできる池田氏の影の具合から、太陽は東寄りの高い位置にあることが分かる。つまり午前中だ。

[撮影日]:池田氏が手錠をしていないので、拘置所に拘留される前の段階であることは確かだ。(拘置所からの移動なら必ず手錠をかける:某警察本部に電話で確認済)

では拘留前のどういうシチュエーションか。2つ考えられる。

(1)逮捕前、任意同行を求められてジープで連れてこられた。
(2)逮捕後、連行されてきた。(逮捕連行時に手錠をかけないこともある:警察本部に電話で確認済)

もう一つ、池田氏の主張を前提として、“池田氏が府警に任意出頭した後、ジープで府警の裏手に連れて行かれた”という状況も思いつくが、これはないだろう。府警正面玄関から任意出頭してきた池田氏を、同じ建物内で移動させるのに、わざわざジープに乗せて裏口(●印)に回ったりはしないだろう。署内を歩かせれば済むことだ。そもそも時間が合わない。池田談では出頭は夕方。上の映像は午前中だ。

従って(1)か(2)のどちらかだが、もし(1)の任意同行で連れてこられたのなら、7/3朝のシーンということになる(逮捕が7/3夜だから)。しかし、7/3朝は池田氏は北海道から東京に向かっている最中なので、(1)はあり得ない。

ということは、映像は(2)、すなわち、池田氏が他所で逮捕され、府警に連行されてきた時のものということになる。撮影日も消去法で7/4しかない。(7/5以降は手錠をしているはずだし、7/3以前は大阪に居ない)。

そして、その7/4朝の府警到着シーンと最も整合性が取れるのが、日経の「7/3夜、東京の自宅で逮捕」という報道だ。流れを整理すると、

7/3夜自宅で逮捕 → 夜行列車で護送 → 7/4朝大阪駅着 → ジープで府警に連行 → 上の映像 

となって、日経報道と映像が無理なく繋がる。
朝日ニュースのカメラマンも事前に情報を得ていて、待ち構えていたものと思われる。カメラマンが屋外と階段踊り場に配置された2カメ態勢であることを見ても、非常に重要な局面(時点)のシーンであったことが伺える。

こうして見てくると、日経報道の「7/3夜、東京で逮捕」の信憑性は疑う余地がなくなる。つまり、池田氏が飛行機を乗り継いで任意出頭したという事実はなかったということだ。

ここでもう一つの傍証として、海外向け学会サイトで見つけた「大阪事件」関連記事を見ていただく。

以前当ブログでも紹介したことのある、SGIオフィシャルサイト《池田大作ネット》中国語版。そこの「池田大作の生涯」というページにある「政治参加と迫害」という章の一節だ。
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(拙訳)
不当逮捕
1957年7月3日、夕張炭鉱労組との3日間にわたる調停を終えて東京に帰った池田は、帰京後、直ちに大阪府警当局から出頭を求められ、逮捕された。容疑は選挙法違反だった。

(原文)
不正當逮捕
1957年7月3日,在夕張跟煤礦工會斡旋了三天後,池田返回東京,一到達後就遭到大阪警察當局傳召和拘捕,被控以違反選舉法的罪?。
http://www.daisakuikeda.org/chs/political-involvement.html(*2)
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何と、7/3に東京に戻った後に出頭を求められ逮捕された、とあるではないか。

日経記事とは出頭の有無の点で異なるが、池田氏が7/3に東京に帰っていたという点では一致している。つまり、池田氏が7/3に千歳--羽田--伊丹ルートで任意出頭した事実はなかったということが、上文からも確認できるのである。なお、「出頭を求められ逮捕」という表現は、「任意同行で連れて行かれて逮捕」というニュアンスで書かれたものなら、真実に近い。

大阪事件をめぐる池田神話を根幹から揺るがすこの記述は、池田プロフィール担当者A.George氏(季刊SGI主幹)のミスなのか、それとも、あまりにも捏造されすぎた池田神話を踏襲することに、プロフィール編集者として良心の呵責を覚えたのか、それとも、SGIの方針として、学会員向けには「神話」を、対外的には真実を、とスタンスを使い分けているのか、理由は不明だが、『人革』大阪の章を覆す記述として、上文は注目に値する。

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以上の検証、考察を経て、当ブログは
1) 7/3夜、東京の自宅で逮捕された。という日経報道は正しい。
2) 拘留(入獄)日は翌7/4であり、「入獄と出獄の日に師弟あり」はマヤカシである。「同時刻」もウソである。
3) 千歳--羽田乗り換え--伊丹のルートで獅子の如く激流に飛び込んだ(任意出頭した)という池田流英雄譚は真っ赤なウソである
4) 羽田乗換えがないのだから、戸田氏が池田氏を激励して送り出したという感動エピソードも捏造である。
と判断するものである。

上記のうち最も許しがたいのは(3)と(4)である。極端に美化された自分史を綴るために、事実を隠蔽し、大掛かりな嘘話をでっち上げる。あまつさえ師匠戸田氏の史実までも歪曲或いは捏造して虚構の中に織り込み、自己礼賛に利用する。これは弟子として、作家として、そして宗教家として恥ずべき所業と言わざるを得ない。

池田氏の師匠利用はそれだけには留まらない。
次稿では、
●池田氏拘留中に、戸田会長が大阪地検に不当逮捕の抗議に出向いたという池田談話はウソではないか。
●戸田会長が当時「足もともおぼつかぬ」ほど憔悴していたというのはウソではないか。
について考察する。

特に後者は、池田氏が当局の過酷な取り調べに耐え切れず、全面自供してしまったことを正当化するために利用されているフシがある。

(仕事が立て込んでいるので、ちょっと間を置きます。ご容赦を)

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(*1)国土交通省・昭和49年の航空写真より
(*2)引用した中国語は下記英文オリジナルを翻訳したものと見られる。内容はほぼ同じだ。
Unjust Arrest
On July 3, 1957, Ikeda returned to Tokyo after three days of battling the unjust actions of the Coal Miners' Union in Yubari, only to find himself summoned by the Osaka prefectural police and arrested on a charge that was later proven to be entirely groundless.

http://www.daisakuikeda.org/main/profile/bio/bio-06.html