7月3日は「入獄と出獄の日に師弟あり」の日として、学会員なら誰でも知っている1957年の大阪事件の記念日だが、今回はこの大阪事件、特に「入獄と出獄の日」について、学会の歴史歪曲プロパガンダを検証する。

まず大阪事件とは、当時の朝日新聞によると次のようなものだった。
(起訴決定時の報道)
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創価学会幹部四十五人起訴 ・大阪発
  大阪地検は、去る四月行われた参議院大阪地方区補欠選挙での創価学会幹部らの公選法違反事件について、二十九日、同学会本部理事長、東京都議小泉隆(四八)・東京都大田区蒲田××××ら四十五人を買収で(うち二人は略式起訴)、同渉外部長池田大作(二九)・同区調布小林町××××ら三人を戸別訪問で、それぞれ起訴した。 起訴状によると、この選挙で、小泉理事長は主として"実弾作戦"を、池田渉外部長は戸別訪問をそれぞれ担当、現地で指揮に当たり、大阪、船場、松島、梅田、堺の五支部に『選挙係』を設け、府下六万信者のほとんどを戸別訪問に動員したもの。
 投票数日前には"タバコ戦術"として職安十数カ所で、日雇労務者に候補者名を書いたピースなど約四千個をバラまいたという」
(『朝日新聞』1957年7月29日夕刊)

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その後、裁判を経て、買収の罪で34人が有罪(1961年2月28日朝日新聞)、戸別訪問の罪で20人が有罪(1962年1月25日朝日新聞)となった(*1)、稀に見る大規模選挙違反事件だった。

創価学会では大阪事件について以下のように説明している。
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7月の広布史 大阪大会 記念日

池田青年室長を不当逮捕
7月17日は「大阪大会記念日」です。1957(昭和32)年のこの日、創価学会にとって重要な節目となった大阪事件を受けて、「大阪大会」が開かれました。
大阪事件は、この年の7月3日、学会勢力の台頭を恐れた当時の検察権力が、池田名誉会長(当時青年室長)を、不当に逮捕・拘留した事件です。同年4月の参院大阪地方区の補欠選挙では、一部の学会員が選挙違反容疑で逮捕されてしまいました。これを、学会に打撃を与える絶好のチャンスと捉えた当時の検察は、逮捕した会員たちを恫喝したり、騙したりして、池田青年室長の指令で選挙違反をしたという虚偽の供述を引き出し、ついに無実の池田室長を逮捕するに至ったのです。
http://www.sokanet.jp/sg/sn/Member/Collection/1161686909616/M_Proclamation
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上記は、ほぼ池田大作著『人間革命』の記述内容を踏襲したものだ。
何十名もの検挙者・有罪者を出しておきながら、組織として一片の反省もなく、我田引水的な池田大作英雄ストーリーに仕上がっている。

「不当に逮捕・拘留」と言うが、捜査当局としては常識的な捜査の常道を遂行したに過ぎない。
以下の資料を見ていただきたい。事件直後の(1957年7月12日)の聖教新聞の学会辞令欄だ。
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【学会辞令】
左の者は学会精神に反する行動により学会を除名する
蒲田支部所属=21名
蒲田支部荏原地区所属=1名
蒲田支部雪ケ谷地区所属=1名(女)
蒲田支部山之手地区所属=1名
男子第一部隊所属=18

(蛍注:実際は氏名が列挙されているが省略した。なお、池田、小泉は除名者に含まれていない)
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これによると、検挙された選挙運動員のほとんどが蒲田支部や男子部第一部隊所属の学会員であった。そして当時選挙参謀だった池田氏は、かつて蒲田支部幹部であり、第一部隊長でもあったこと、加えて既逮捕者による「池田が指示」の証言があったのだから、当局が池田氏関与の可能性が濃厚と見て逮捕に踏み切ったのは、素人目にもそれほど不当とは思えない。

ちなみに池田逮捕の3日後の聖教新聞によると、
(当時、聖教は週刊発行だったので、事件後初の聖教報道)
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「現地の弁護士からの報告によると、さきに逮捕された中村などが、いずれも口裏を合わせて小泉理事長、池田参謀室長の承認又は命令で行ったとか、金は池田参謀室長から十五万円もらってやったなどと勝手に作り上げた架空の供述をした為、捜査当局としても必然的に理事長、参謀室長を逮捕するような立場に立ったものであるとのことである。
(聖教新聞1957年7月7日)
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と、逮捕は必然であったことを学会側も認識していたのだ。

それにしても上記「除名」処分の迅速さには驚く。7/12と言えば、有罪確定どころか起訴すらされていない。つまり被疑段階でしかないのに「学会精神に反する行動により」と決め付けて除名しているのだ。司法より先に裁いてしまっているわけだ。ならば、共に疑われていた小泉理事長や池田参謀室長も、同じ理屈で除名されるべきだったろう。末端のみを切り捨てた不公平な処分と言わざるを得ない。

池田氏は全面自白して違反容疑を認めて起訴された後もなお除名されることはなかった。被疑段階で早々に問答無用で除名された41名はどう思っているだろう。

さて、前置きが長くなったが、ここから本題に入る。7.3神話の検証だ。

まず、学会が綴る7.3神話
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「出獄と入獄の日に師弟あり」
池田青年室長が逮捕された7月3日午後7時というこの日この時刻は、くしくも、1945(昭和20)年に戸田第二代会長(当時理事長)が出獄したのと同日同時刻でした。
夕張から羽田経由で大阪に向かう池田室長を見送りながら、検察による取り調べの過酷さを身をもって知っていた戸田会長は、池田室長の肩を抱き「死んではならんぞ。大作、もしも、もしも、お前が死ぬようなことになったら、私もすぐに駆けつけて、お前の上にうつぶして一緒に死ぬからな」と語ったといいます。
また、池田室長が拘留されている間、戸田会長は衰弱した体をおして、みずから大阪地検に室長の不当逮捕への抗議に出向きました。池田名誉会長は「足もともおぼつかぬ憔悴したお体で、手摺にしがみつくようにして階段を上り、大阪地検にも抗議に行かれた。後にその話を聞き、師のありがたさに、私は涙した」と語っています。
のちに池田名誉会長は、7月3日にちなみ「出獄と入獄の日に師弟あり」と詠み、無罪の判決を見届けることなく生涯を終えた恩師を偲びました。
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これも小説『人間革命』を踏襲したものだが、オフィシャルサイトで「史実」としてフィクスされて公言した以上、「あれは小説だから」という言い訳は通用しなくなった。
では、上記7.3神話に潜む大嘘を客観資料に基づいて検証していこう。

結論を先に述べると、上記文章には明らかなウソが3つのある。
(1)池田氏の逮捕日時と戸田氏の出獄日時を同じ7月3日午後7時としている点
(2)池田氏が夕張から羽田経由で大阪に向かったという点。
(3)羽田で乗り換え時に、戸田会長が池田氏を出迎えて激励したという点。

また、以下の2点はかなりウソ臭い。
(4)池田氏拘留中に、戸田会長が大阪地検に不当逮捕の抗議に出向いたという池田談話。
(5)戸田会長が当時「足もともおぼつかぬ」ほど憔悴していたという点。

上記5点について、次稿で詳しく検証する。

(*1)参照:「資料屋のブログ」http://toriaezumitekitayo.blog88.fc2.com/?mode=m&no=27