会見する安田純平さん=2日、東京都千代田区(荻窪佳撮影)

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 《内戦下のシリアで2015年6月に拘束され、約3年4カ月ぶりに解放されたジャーナリストの安田純平さん(44)が2日、日本記者クラブで行った記者会見。

 武装勢力による拘束生活をめぐる説明は、ついに解放の動きがあった場面に。「今から帰すから」と連絡が来て車に乗せられたと語った安田さん。シリア入りから40カ月の今年10月22日、自分自身が絶対に過ぎないでくれと思っていた日だったという》

 安田さん「車に乗り込むと、『今から日本だぜ。うれしいか? お前、東京に住んでいるのか?』といわれて、『東京だ、東京だ』と言ってしまったんだけど、これも日本人とは言っちゃいけないルールだったようでした」

 《拘束中、自らが日本人であることが分かる発言をすることは禁じられていた》

 安田さん「結局この日夜、一戸建ての民家に移されました。一晩ひっぱられて、翌23日の朝に『今からトルコに行くから』といわれて車に乗せられました。また移動して車が止まって、彼らが何かやりとりした後に車から降ろされて、また別の車に乗せられて、車の中で英語で『もう大丈夫だから。お前もう(トルコの)アンタキヤ直行だよ』と言われました。彼らは『トルコ人だ』と言ったんですね。それでたばこを吸い始めた。私が監禁されている間、ずっとたばこを吸う人間はいなかったので、これは彼ら(武装勢力)じゃないなと。彼らは本当にトルコ人なんだなと思いました」

 「その車に乗せられたときも目隠しはされていました。国境付近からトルコのハタイ県アンタキヤという土地まで運ばれました。そこの入管施設の100メートル手前になって目隠しを外され、『お前はこれで解放された』と言われました。入管施設に入れられて、事務所で『解放だよ』と。私の解釈では、トルコの情報機関がおそらくシリア側まで入り込んで私の引き受けをしたんじゃないかと。トルコ側に戻す間は目隠しをしていましたが、トルコ側で身元引き受けをしたのなら目隠しは必要なかったと思います。シリア側にどこからどこまで入り込んだのかを隠すために、トルコ側が引き受けたにもかかわらず、1時間近く目隠しを続けたのではと解釈しています」

 「トルコ側がオペレーション(作戦)に成功して私の身柄を引き受けたとアナウンス(発表)していますが、そのオペレーションというのはシリア側にまで入り込んで、私の身元を受け取ってアンタキヤまで運んできたというのが彼らのオペレーションじゃないかなと解釈してます。つまり、トルコの情報機関が襲撃をして身柄を確保したとかそういうことではなく、彼ら(武装勢力)の側から通報を受け、場所の指定があり、そこで身元を引き渡すという連絡があって目的通り遂行した。そのオペレーション成功というのが彼らのアナウンスじゃないかなと解釈しています。ここまでが解放までの流れです」

 《会見開始から約1時間50分にわたって、安田さんは休憩を挟むことなく自らが解放されるまでの経緯を詳細に語り続けた。その後質疑応答に移ると、記者からの質問をメモしつつ、言葉を選びながら回答を続けた》

 --(代表質問)安田さんが日本に帰国されて、匿名のネット上でのバッシング、あるいは「自己責任」といったような議論があります。こうした日本社会の現状についてどのように受け止めていますか

 「私自身の行動によって、日本政府並びに多くの皆さまにご迷惑をおかけしたということもあるので、私自身に対して批判があるのは当然のことと考えています。何があったかを含め、皆さまに批判いただき、検証いただくのは当然だと思っています。そのことについては特に私の側からは疑問はありません。ただ、事実に基づかないものもあるように思いますので、あくまで事実に基づいたものでやっていただきたいという私の願いはあります」

 「自己責任についても当事者である私が述べるのは非常に言いづらい。紛争地のような場所に行く以上、当然、自己責任であると考えています。これは紛争地において日本政府が何かしらの救出をするのは非常に厳しい環境である。だからこそ、政府は退避勧告といったものを出しています。そういった場所にあえて入っていく以上、自分が相応の準備をし、何かあった場合に自分に起きたことは自分で引き受ける準備、態勢としての準備、それから自分自身の心の準備をやって入るものだと思っています。そこで自分の身に対して起きることははっきり自業自得だと考えています」

 「一般論になりますが、そのことと行政がどうするかは全く別のものであって、本人がどういう人物であるか、どういう準備をしたかということと、行政が行うことは全く別として存在していて、その本人がどういう人なのかによって行政の対応が変わるとなると、民主主義国家として非常に重大な問題であると思います。今回、外務省の対応について、国として行政としてやるべきこと、できることをやっていただいたと解釈しています。紛争地で人質になった日本人の救出は非常に難しいという中で、可能な限りの努力をこの3年4カ月の間続けていただいた。解放の理由やきっかけは分かりませんが、日本政府の原則として邦人保護は必ずやる、それから身代金は絶対に払わない。この2つが大原則。その範囲の中でできることをずっと探っていたと思います」

 「外務省の方とは話しましたが、その間、情報収集した内容なども伺っています。報道されている私の近況はかなり事実と異なるものもあります。たとえば、トルキスタンの施設で平屋の独房で私が2部屋を使っているとか、周囲の部屋が高くなったので、本人が神経質になっているらしいとか、これは事実に基づかないことです。(今年)9月下旬の段階でも、外務省に入ってきたそういう情報はかなり錯綜(さくそう)していました。情報収集はかなり困難だったことがうかがえます」

 「あたかも拘束者とつながっているようなふりをして、いろいろな話を持ちかけて来る人もいます。その中で本当に私の状況を知っている人物を選ぶのは非常に難しいことです。本当に捕まえている組織にたどりつくのは外務省であっても困難だったのかなと。それについて私も理解していますので、外務省の努力に対して私自身、何か不満に思うことはないし、その間家族のケアもしていただきました。本当にありがたいです。その旨についても、アンタキヤの施設で外務省の方が来て私の身元確認をしたときに、最初の言葉として伝えました。持っている限りの情報を提供するとも伝えました」

     =(10)に続く