とんちのような話をしよう。
哲学や論理学の世界では当たり前の話だが。
「この世に絶対はない!」
「じゃあ、お前の言ってるこの理屈も絶対じゃないね?」
でもこれ、とんちではない、れっきとした、当たり前の理論建てなのだ。
だから、「この世に絶対はない!」と言いたいならば、「(凄く気まぐれな可能性だが)それでも絶対はあり得る」としなければ、完全なる矛盾なのだ。
これはニーチェやハイデガーも(さすがに)踏襲している。
さて、古い記事だが、これを引用しよう。
またJ-castだった・・・。
まぁそれはいいとして、
橋下氏はさすが(悪徳)弁護士(?)、あらゆるところに逃げ道を用意していて、自分の弁を立たせる技術はある。
しかし、僕からしてみれば、ソクラテスが次々論破していったソフィストに過ぎない。
よしりん先生をここで殊更庇うつもりもないが、彼の「常識」に基づく「王様は裸だ!」という、非常に子供っぽくピュアな考え方は、哲学的に見て、なけなしの「絶対性」を有する可能性がある。
「可能性がある」という言い方は、これまた「逃げ道」のように見えるが、しかし論理を成立するに一番確実な言葉だ。
一方、橋下は?
「やっぱり小林よしのりはバカだった。人の話を理解する能力が欠如しているし自分が絶対的に正しいと勘違いしている」
ネットのバカが良く使う詭弁を、彼も弄している。
そりゃ同じ穴のムジナがわんさかいるネットの受けはいいだろう(笑)。
彼には簡単、こう反論できる。
「じゃあお前の理屈は絶対じゃないの?じゃあ無視してもいいよね?」
こんなの、論理学のイロハのイなのだが、未だに解ってない人間が余りに多い。
人間は進歩しないのだ。
「絶対」をとやかく言う人間には気を付けろ。
「絶対」を「絶対」に否定する人間は、もちろん「絶対」ではない。
ごく単純な自己撞着に陥っている、アホである。