好評です!
ほぼ日のアプリあります。

logo_1101

2018-11-02

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・なにかをはじめるのに、
 「もう遅い」と思っちゃだめだなぁとつくづく思います。

 昨夜、笑福亭鶴瓶さんの落語会がありました。
 三席の落語と、本人が前座の役でしばらく喋ったので、
 けっこう長い時間のひとり舞台になっていました。
 ぼくなんかが芸の巧拙を言うのもおこがましいのですが、
 最初のころからしたら、ずいぶん上手になってるんです。
 それは、まずは、口から発せられることばの、
 いわば「演奏」の上手さというようなことです。
 歌の音程がたしかで、いきいきと演奏されている。
 これはきっと、だれにでもわかることだと思います。
 地道に練習と本番を繰り返して、
 ちゃんと技術を積み立ててきたんだなぁと思うと、
 それだけでも拍手を送りたくなります。
 でも、それだけでは「鶴瓶」の落語としては
 もの足りないということになっちゃうわけで。
 「遅れてきた噺家のつるべちゃん」としては、
 じぶんならでは味やおもしろさを、
 台本書きの側に立って、新たに組み立ててもいるのです。
 この人は骨惜しみしないなぁと、つくづく思いました。
 そして、やろうと思ったら、ちゃんとやり通す。
 たいしたもんだし、その階段をしっかりと、
 お客さんの目の前で上ってきたのもすごいことです。
 他人には見えない覚悟と練習と、
 本番で見せながら力をつけていくこと。
 この両方をやりながら腕をあげてきたというのは、
 鶴瓶さんにしかできない方法だったと思います。

 で、ね。
 「俺が落語家になったんは五十歳のときですよ」ですよ。
 そこからはじめるって、遅いでしょう? 
 それはそうなんだけど、「遅すぎ」ではなかった。
 いや、「遅すぎ」にしなかったんですよね、本人が。
 「ほれ、こんなふうに、まだまだ上手くなるよ」と、
 見本を見せてくれてるような気がします。
 なにかをはじめると、よく「もう遅い」と言われます。
 そう言えば、ぼくも「ほぼ日」をはじめたのが五十歳。
 わりと具体的に「もう遅い」とも言われましたっけ。
 うん、歩みも遅かった、もう二十年も過ぎちゃったもん。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
そのへんの話を、「ほぼ日」でしてもらおうと考えてます。


ここ1週間のほぼ日を見る コンテンツ一覧を見る