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被害額やCDN訴訟、議論の焦点は何だったのか
検討会議のまとめ案のうち、第2章でまとめた(ブロッキング以外の)海賊版サイト総合対策や、第3章でまとめた通信の秘密とブロッキングの関係や違憲審査基準などは、会議の成果物として複数の委員が高く評価している。ただ、検討会議は締め切りの存在に縛られた結果、事実と証拠に基づく落ち着いた議論ができず、いくつかの論点を積み残したのも確かだ。その後の委員への取材に基づき、積み残された論点について、合憲性の条件に関わる点を中心に、記者の私見を交えて改めて検証する。
特に推進派と反対派の間で意見の対立が目立ったのは、法律の合憲性を審査する4つの基準のうち(1)具体的な立法事実の裏付けと、(4)他に実効的な手段が存在しないか著しく困難か、についてだ。
立法事実を巡っては、特に海賊版サイトによる被害額の算定方法に議論が集中した。推進派はアクセス解析サービス「SimilarWeb」の数値に基づき、訪問件数×コンテンツ単価という計算で被害額を提示していた。例えば漫画村は、2017年9月~2018年2月までの合計訪問件数6億1989万セッションに、単行本の平均単価515円をかけ、被害額を3192億円と算出した。
この数値に対する反論は主に2つあった。1つは「SimilarWebの数値は不正確」または「アクセス数を過大評価している」といったものだ。
SimilarWebの数値は、ブラウザーの拡張機能などから収集した閲覧履歴に基づく統計的な推定値であり、正確と言えないのは間違いない。
ただ検討会議の外からは、SimilarWebはむしろ漫画村のアクセス数を過小評価しているのでは、との指摘もある。
海賊版サイトの追跡を手掛けるハッカーのCheena(ちーな)氏(仮名)は記者の取材に応じ、漫画村のスマートフォン版に掲示されていた出会い系サイト広告の短縮URLへのアクセス数を基に、2018年3月18日から漫画村サイト閉鎖までの1カ月間だけで、スマートフォンから2億件を超えるアクセスがあった可能性があると指摘した。「ピーク時、漫画村は1時間100万ページビューを稼いでいた可能性がある」(Cheena氏)。
さらに、ボットによる広告詐欺クリックの水増し分まで考えに入れると、ISPやCDN(コンテンツ配信ネットワーク)事業者を含め、海賊版サイトのアクセス数について正確な数値は誰も持っていない。アクセス数の推計についてはプラスマイナス数十%、あるいはそれ以上のレベルで不確かさがあることを前提に扱うほかないだろう。
第2の批判は、立法事実として取り上げる損害額は売り上げ減や利益減などの実損害額を算出すべきであり、国内コミック市場規模約4000億円に近い「3000億円」という数字は、政策の優先度を判断するうえでミスリードになるというものだ。
例えば2018年の西日本豪雨による農林水産業関連の被害額は約3000億円とされる。漫画村による出版業界への被害も同等と言えるかどうか。あらゆる分野の利害を調整する政策判断の場で、ある分野に特有の算定法を持ち出すのはふさわしくないというわけだ。
「当初の緊急対策案に記載していたという『損害額は数十億円』という数字を正直に出せば良かったのでは」と森委員は語る。「(漫画村の登場で)重大な被害が発生していたことは事実だ。数字を盛ったりしなければ、納得を得られる説明は可能だったのではないか」(森委員)。
宍戸委員は、そもそも立法事実において被害額の多寡は必ずしも決定的でないと主張する。「実損害額が3000億円であるはずはない」(宍戸委員)としつつ、「数億円、数千万円の被害であっても、救済されるべき案件であるなら、救済の手段を用意すべきだろう。重要なのは、真に救済されるべきかの議論を深めることだ」と述べた。
(1)立法事実と(4)「他の手段を尽くしたか否か」の双方で議論の的になったのが、出版会社などの権利者側が本当に海賊版サイト対策に手を尽くしていたのか否か、という点だ。
第9回会合が始まる直前の2018年10月10日、リンク総合法律事務所の山口貴士弁護士は米国での民事訴訟を通じ、漫画村の関係者とみられる契約者の情報を入手したことを明らかにした。漫画村のコンテンツ配信を中継していた米CDN大手のクラウドフレア(Cloudflare)から情報を得たという。
この成果から山口弁護士は、海賊版サイト運営者の特定は困難との主張は誤りであり、「ブロッキングを立法する根拠となる立法事実は存在しない」と主張した。
カドカワの川上委員は、2018年4月の政府決定までクラウドフレアに対して裁判を通じた開示請求をしていなかった点について「この点は僕らの反省点であり、落ち度だった」と認める。
「これまで出版業界は、警察との連携に加え、クラウドフレアから得たメールアドレスなどの発信者情報を基に東欧の防弾ホスティング事業者を探し当て、現地で削除を要請するなど、取り得る施策は十分にやっているつもりだった。だが、違法コンテンツをどう削除させるかに意識が集中する一方、運営者の特定は警察に任せていた面があり、結果として十分ではなかった」(川上委員)。
その一方、漫画村に関するCDN事業者への開示請求が成功したことをもって立法事実が否定されたとの主張には異を唱える。「(CDNを使っていない)Miomioや(運営者を特定したのに止まらなかった)Anitubeについては、立法事実は否定されていない」(川上委員)ためだ。
実際のところ、仮にクラウドフレアからの情報開示で漫画村の運営者が特定できたとしても、それが全ての海賊版サイトに効くとは限らないのは確かだ。
前述のCheena氏は、漫画村は運営者の隠匿については脇が甘く、運営者に関連する情報を様々な技術的手法で取得できたと証言する。一方、2017年5月に閉鎖された電子コミックの海賊版サイト「フリーブックス」については「運営者の特定につながる情報は発見できなかった。開設の目的も、閉鎖された理由も謎のままだ」(Cheena氏)。
少なくともクラウドフレアはCDNサービスの申し込みに当たって厳密な本人確認をしておらず「偽の名前、住所で容易にサービスを使える」(Cheena氏)。PayPalなど課金手段に基づく追跡は有効な対策の1つだが、国内の振り込め詐欺で第三者の口座が悪用されるケースが多発していることを考えれば、こうした手段を使っても運営者の特定につながらないケースがある。
こうした反論に対し、ブロッキング法制化に反対した森委員も「クラウドフレアに対する東京地裁の仮処分と米国民事訴訟による漫画村運営者の特定は、実効的な手段と評価されるべきものだが、全ての海賊版サイトに対する特効薬ではない」と認める。
その一方、検討会議で示されたブロッキング以外の海賊版対策を総動員すれば、CDNを使わないケースや広告を表示しないケースを含め、海賊版サイトの被害を抑えることは可能だという。「CDNを使わなければユーザビリティは低くなる。また広告を出さないコンテンツは海賊版に限らずマルウエア配布サイトの可能性が高い。この両者については、使い勝手のいい正規版サイトの普及と教育啓発活動などが有効ではないか」(森委員)。
これらの点を踏まえ、森委員は「出版社はこれまで、広告抑制やCDNへの対応などをしっかりやってこなかった。それらの効果がない大型の海賊版サイトが登場しなければ、『事実上、他に実効的な手段が存在しないか著しく困難な場合に限られる』という違憲審査基準は満たされない」と主張する。各施策が効果を発揮するか否かを検証する期間としては「教育啓発やフィルタリングについては、2~3年を要するのではないか」とした。
あえて争点を単純化すると、ブロッキング以外の総合的な対策をもってしても被害を抑えられない「最強の海賊版サイト」が登場することで初めて違憲の疑いが薄まるとみるか、総合対策の検証より前に「最強の海賊版サイト」の出現に備えて最終兵器としてのブロッキングを用意することを合憲とみるか、2つの意見が検討会議で激突していたといえる。
必ずしも「最強の海賊版サイト」の登場を待つ必要はない、との意見もある。「ブロッキングの目的が恒久的な遮断か、一時的な止血かなど、目的をどう設定するかによっても、合憲性の判断の結論は変わり得る」(宍戸委員)。どのような実被害が出た際に、どのような目的でのブロッキングを求めるか。まず権利者側が具体的な要件を示すことで、行き詰った議論が進展する可能性がありそうだ。