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古典を巡る人文学徒と自然科学者の問い

ディスカッションにご協力頂いた方々へ感謝を込めて。頃合いを見て処分しますので、興味のある方はお早めにお目通し下さい。

先日知人に「哲学がいまだに百年以上昔の文献をありがたがってるのは、21世紀において哲学が実質的役割を何も担わなくなった証拠」と言われて、二の句が継げなくなってしまったんですが、こういう論に対して何かよく知られた具体的な反論ってあったりします? 私は難しいなぁと思ってしまったので……

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「古過ぎて実用的でない鍋があるとして、本当に中にスープが入っているなら、それを新しい鍋に移すことも出来る。新しい鍋には更に新しい具を足すこともできる。科学はそうしてきた。それをせずに古い鍋に固執するのは、『鍋自体の持つ権威への信仰』に堕しているのではないか?」という指摘でした。

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「人の心が進まない」のと「人の心に対する見識が進歩しない」のは、全く別のことじゃないですか? 人体はほとんど進化してないですが、医学はすさまじく進歩してますし。

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既に完成していて評価のある程度定まっている鍋があったとしてわざわざ壊して作り直す必要性ってあるんですか

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なるほど。ジェネリック医薬品を断固として使わせない医師と同じ論理ですね。確かに一つの立場として固そうです。しかし人を説得するのに使うとなるとやや物足りなく感じます……(実質的に「俺が好きだから」としか言っていないので)

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(言った人はおそらく理系だと思ったのでその前提で言うなら)一般的な日本の中学校だと、数学は2500年前の内容を教えてるのですがそれは……

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たぶん文脈を読み違えてらっしゃると思います。数学は、今年出版された教科書で学べば、ユークリッドのユの字も知らずに同じことが出来るようになりますよね。そういう対比です。

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むしろ科学者のほうが古い文献の上澄みを掬うだけで原典当たるのをサボってるだけとも言えるのではと思いましたが、どうですかね。(もちろんその必要がないという議論はあるだろうけど)

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科学者の彼はまさに「その必要がない」という立場でしたね。さっきのスープの話の続きとして、「意味のある部分をどんどん蒸留して濃縮していかないから、奴らはうっすいスープを大量に飲み続けるだけで人生が終わる」的な流れがありました。

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"過去の経緯を当たる必要性の有無"と"学問の実質的役割"に関係があるんでしょうかね… "実質的意味"が短期間で新しい成果を出すとか研究者を養うとかいう意味合いならそりゃそうでしょうが

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「物理学」と「物理学史」は切り離せるのに「哲学」と「思想史」が切り離せない理由、私は上手く言語化できませんでした

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そもそも科学と哲学の方法論を比較検討してどちらかが劣っていると論じるのも「好き嫌いの問題」だと思うラジ〜

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別のリプライに書いたことなんですが、ひとまず私としては「『物理学』と『科学史』がある程度切り離せるのに、『哲学』と『思想史』は上手く切り離せない」が説明出来なかったのがひっかかってるんですよね……

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全くの素人で恐縮ですが「物理学」と「物理学史」は嫌な言い方をすれば「役に立つ実用的な学問」とその歴史に分かれていて物理学史は線のようだけれど、「哲学」は現実世界で役に立つより精神での活用を試みるものであって「思想史」は哲学の点を結んだ面のようなものだと思います…やっぱりわからない

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それは論点である「哲学は歴史であることを辞められるか?」に答えてないですね

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私自身は、思想史=歴史と見るならば哲学が思想史を作り上げる点である以上哲学は歴史であることを辞めることは出来ないと思います

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うーん、そこが最初の話なんですよ。物理学は科学史を構成しますが、物理学者は例えばニュートンやアインシュタインや湯川秀樹の「論文そのもの」は読まなくていいんです。

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すみません、読み違えでした 物理学者が論文を読まなくていいのは、論文の内容を式などで表すことができ、その式や概念からその人の考えを推し量れるからでは? 一方で哲学はその人の考えを一言でまとめることが出来ず、全てを読まないと完全に理解することが出来ないのではないでしょうか

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その後半の根拠が焦点です。「解答や圧縮が出来ないのは、冗長性も含めた『原典』への過剰な信仰が原因ではないか?」という疑義への返答が課題

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ありがとうございます。そう考えると、むしろ自然科学の「次々と細分化された新領域が生まれて、次々と新領域のスターが共通認識になる」という盛り上がり方のが特殊ということなんですかね

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いやあでもねえ細分化した数学とか理論物理学の研究者は統合的視座を欠いて実存面で簡単なプロパガンダに弄されることもあるし、情報の複視は必要なのでは

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自然科学や医学、法学などが独立してしまった今、哲学に求められる役割が学問全体のフレームワークを維持、あるいは拡張することとすれば、鍋そのものの形や作り方を忘れないために古い鍋を標本として保存しておくことが大事、というのはどうでしょう つまりは、哲学は思考の考古学と

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ありがとうございます。「思想史」はむしろ哲学の本領、というお考えですね。しかしそうなると、つまるところ彼の「21世紀において哲学が実質的役割を何も担わなくなった証拠」という言は、言い方こそ挑発的であれ、ほぼ同じことを指摘していることになりますかね……

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なるほど…「実質的役割」がなにを含意しているのかが鍵になってきそうですね。今の哲学がそれを担う必要があるのか、という議論にも繋がってきそうです。 私の浅見にも真摯に答えてくださり、ありがとうございました。

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そうですね。基礎よりの理学みたいなこともやっている人なので、単純に「実用につながる」というだけの含意ではないつもりで話していましたが。私もまだ勉強不足でわかりません。

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そもそも実質的役割の部分が細分化してなんとか学みたいに分岐したんだから絞りかすみたいになるの当然なのでは?

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かつての哲学の分化が進み、実質的役割のあるものは社会学・倫理学・論理学・心理学・脳科学・物理学など名前がつき、実質的役割のないところだけ未だに単に「哲学」と呼ばれてるのではという気がする。

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コメントありがとうございます。ところでそれって哲学側からの弁であって、自然科学の側から見れば「かつては哲学という大きな体系があり、自然科学はその正統後継者である。「現代で言う哲学」はその分家の一つだが、分離して以来、何も生み出せていない」と言われてしまいませんか?

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現代の哲学徒は、たとえば生物分類学や微積分などはほとんど学んでいないわけですから、「AからBが生まれた」のではなく、「AとBの共通祖先であるXがあり、AとBはそれぞれ違う要素を引き継いだ」と考えるべきではないでしょうか? Xの功績をもってAを擁護するのはミスリードかなと疑問を感じました

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お邪魔します。 臨床哲学の取り組みは、どういうふうに位置づけられるのでしょうか。 哲学って、意外といろいろなことをやっているようにも思うのですが。

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ありがとうございます。隣接領域は最近開拓されたこともあって、古典偏重の風潮は弱い印象が確かにあります。ただ、私も文献で学ぶだけの門外漢なので、それ以上のことは分かりません。勉強不足です。

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実際哲学研究なんて先人の追従みたいなことやってる方が多いけど、ちゃんと現代哲学も発展してるのでセーフ(アウト

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哲学、むしろ古典読む以外に面白い発見などができない。今の人と議論するより、昔の哲学者の話を聞き入るほうがずっと面白いし濃い。

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哲学が題材にするのはどの時代においても割と近しい題材であり、また現代の思想の骨子を知るには(その変遷の妥当性の程度を見るには)古典を学ばざるを得ない、ということがありそうだと個人的には思っています。

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よく知られてないけど、そもそもギリシャの哲学は日常生活における困難への対処であり医者的立ち位置であったと。今日の哲学はその哲学からずれて来てしまっている。今日も哲学は日常生活の困難に対処する術として生き返るべきであると語る論者はいる。

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フッサールが『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』で言及した「生活世界」の復権は、おそらく「哲学が現代ではもはや死んでる」という危機感に対する、哲学者側からの問題意識として古くて新しいんじゃないかと思ってます。

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その例は「過去の偉人であることに意味がある」という「娯楽性」「権威性」の意味合いが強いので、哲学者が真面目に哲学をやる時に「過去の偉人が本当に必要かどうか」とは別の話になると思います。「歴史の利用価値は高い」という筋そのものは誰も否定しないと思います。

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個人的な娯楽としていうならば、古典名著ってめっちゃ解説本とか解釈本があるから、原著(の和訳)→解説本→原著→別の解説本→原著 で超楽しめる娯楽なんだけど、「それってエヴァとかハルヒでいいじゃん」って言われたら「確かにそれは個人の好み次第だなー」ってならない?私はなったニョロ。

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流れすぎて何の話をしているか分からなくなってきたので。「こいつを倒す手堅い論は立てられるか」という作戦会議をしています。

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哲学を「当たり前だと思っていることを改めて問い直す営み」として特徴づけるとどうでしょうか。 「問い-答え」のうち、古代哲学に「問い」を見出し、それ以降をおおよそ「答え」のバリエーションととるならば、最初の問いに今なお立ち戻るとしてもそれほど問題はないかと。

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「問い」自体が古いのは、数学でも同じなので別に良いんです。そうではなくて、その「問い-答え」がより洗練されて編纂されることなく、ずっと「この問いを知るには〇〇の本を読まなければいけない」という状態で放置されているのが疑問点なんです。

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実質的役割なんかどうでもよくて,哲学には(主に自然)科学がまだ答えを出せていない部分に大量の答えの候補を準備してくれる側面があって,もっちさんの主張ともこの辺はコンパチです むしろ人類が未だに100年以上昔の問いに答えを出せていないことの証左ですよね,それがありがたがられてるのは

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コンセプトとしてはその通りだと思います。なので、どちらかというとこの論議で対比したかったのは「研究対象の違い」というより、「それを学ぶ上でのフレームワークの違い」がどうしてあるのかというところです。

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やはり実験等を基にした"事実"があるのが大きいですよね。 哲学のような明確な結論がだせない分野では、それが1つの指標と成り得るまでにはそれ相応の議論と他者による研究が必要となります。指標になるまでに100年で済めば、案外早いのかもしれませんね。笑 とても面白い議題です。

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「地盤の硬いところ」と「柔らかいところ」の配分が違うために「地盤の硬いところ」に立脚しようとするとある程度の時の試練を経たものを選ばざるをえない。ということでしょうか。その観点ならば確かに先述の違いを「程度問題」に還元できてスマートかもしれません。御意見ありがとうございます。

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「営みが進歩的モデルで説明できない」ということと、「その教育課程が洗練されていかない」ということを混同していませんか?

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おそらく貴方が指摘した属性のほとんどは「数学」も備えているものです。しかし、数学は今やユークリッドやピタゴラスの原典を当たることなく、教育や応用を実践することができています。「哲学の問題意識が進歩的ではない」ことから「古い書物を使い続ける必然性」はそれほど自明に導けないのでは?

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「科学は進歩しても人間の心は進歩しないから」が割と頻度の高い解答のようです。物理法則も人体も大昔から変わっていないですが、物理学や医学は「学問体系としては」どんどん洗練されていて、少なくとも「古典名著は必読」ではなくなっています。そういう「体系の洗練」の問題とお考えください

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知人が言っていることは尤もかと。 どうすればその状況を打破できるかのほうが建設的なような。

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哲学には再現、普遍性が科学よりは無いため、応用や発展がしづらい。しかし、あくまで「科学より無い」というより話。 例えば2018年時点で100人中、60人がこの考えが参考になった、というような定量評価でも、論がアップデートされる契機になるのでは?そして、発展するのでは?と思ったり。

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哲学などは人間社会やそこに内在しているモラル、ノーム、パラダイムなどから一定の距離を置いて客観分析する必要があるため、そのコンテクストから遠い文献と現在を比較することで変数となり得るものそうでないもの(半恒久的なもの)等の分析がしやすい。というのはどうでしょうか?

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ご意見ありがとうございます。裏を返せば、「誰かが編纂してしまうと、恣意的なコンテクストが混入してしまう」ということでもあるのでしょうか。「距離を置けば中立的に扱える」かは難しいところですが、一つの紳士協定と考えれば合理的ですね。

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「中立的」は多分無理なので、あくまで比較分析のためです。比較することによって見えてくるファクターの断定のためです。

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めっちゃ極端な話として、「過去の問題の論点や、それに対する回答、アプローチを、『漏れなく被りなく』被覆して、一冊の哲学書に編纂することは可能だろうか」という話ニョロ。何だかんだ言っても多くの哲学書には、「冗長性」が多分にあるように思えるニョロ。

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数学でもプログラムでもそうだけど、100行書いた後で「これ10行にまとめられるんじゃね?」というのはすぐわかるけど、最初に「濃縮された10行」だけ見ても「なるほど」とはならんのだよな

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私の暫定回答は「哲学は再現性が無いアイドルやアートに近いので、総集編を作ろうとすると宗派による紛争が起こる」なのですが、これは先方からの質問に「正面から」は答えていないんですよね。ニョロ。

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社会の現状やモラル等を客観視しないと分析ができないのは経済学も同じですが、これだと一線の研究者が古典の解釈に多大な時間を割くべきという根拠にはならないと思います。過去発見された知見が現在の分析に有用な場合でも、原典そのままを読むのがベストである理由にはなりません。

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論点を理解してそうな人がいたニョロ

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多分ですが経済学よりもモラル等自体のメカニズムが研究対象なので、それ自体の直接的な比較分析で原典に戻る価値が多いのかと。原典の解釈が単一ではない-解釈自体がコンテクストに影響されるため-分析者自身で原典に戻り独自に解釈すること自体が役割になり得るということでしょうか。

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法でなくとも社会規範も含めて結構な社会現象が暗黙的に法と似た性質を持っています。過去の事例の解釈(現コンテクストでの歴史解釈など)が現在の価値感や暗黙的なノームが機能する根拠になります。

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「過去の事例の解釈が現在の価値感や暗黙的なノームが機能する根拠になる」という目的だと、歴史や社会に目を向ける理由にはなっても、百年以上前に書かれた学術書を読む理由にはならないと思います。この点は、ルールそのものがそういった古典に由来する法律とは明確に異なると思います。

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そうですかね。歴史よりも哲学書の方が当時のメンタルモデルが顕著に現れていることが多いですけどね。現在のの相違点同意点両方。僕の思ってるのは結局思想史的な括りで歴史学ってことなんですかね。

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思想史そのものに興味がある、あるいは古い学術書を(例えば当時の人間の考え方の)史料とみなして分析しているのであれば、百年前だろうが二百年前だろうが、読み返すことに価値があると賛同できます。でも元の話における「原典の重要性」は、史料としての価値に留まらないように聞こえるんですよね。

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史料として当時書かれたものを直接読むことにこだわらないのであれば、おっしゃるように、たくさんの後続の研究者が自分の解釈も加えつつ研究を進めているのだから、「立ち返る」べきなのは原典よりも、原典の議論を精緻化・内容を発展させた新しい論文、ないしは教科書になるのが自然に聞こえます。

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これがまさに哲学が思想史に「成り下がっている」ことの現れなんじゃないですか

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古典名著や哲学書を読んで「思考のパターン」を増やす効用を「思考のショートカット」と称する人がいるけど、その用法に限って言うなら「思考のショートカットのショートカット」が欲しくなるのは道理だなと思うニョロ。もちろん娯楽派なら「娯楽のショートカット」なんか求めなくていいんだけど。

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古典を通読せずとも、『哲学の道具箱』(バッジーニ)、『思考の技法』(デネット)などを読めば、各種哲学的思考が時代の洗練を受け、非常に強力な思考技法として現代まで生き残ってきたかが分かると思います。

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