『もののけ姫』。

かつて僕が大学の卒論で、冠に据えたタイトルだ。
この作品でアニメは変わる。そう確信して、僕はこの作品で卒論を書いた。

まぁ結果、教授陣にはチンプンカンプンだったようだが。
ウチの大学でも十分受け入れられると思ったんだがなぁ。

この作品の発表当時、実に多くの解釈や評論が飛び交った。
毀誉褒貶、いろんな意見が出たが、これほどの興奮に包まれた批評空間も珍しかった。

誰もが『もののけ姫』に注目していた。
結果、当時の興行収入を塗り替え、邦画トップに躍り出た。

その頃、僕は『ルサンチマン』なんて特撮映画を作りながら、夢中になって『もののけ姫』と格闘した。
若いっていい。時間が無限にある。
アニメ史から日本中世史まで、片っ端から調べ倒した。

しかし今となっては、当時の日本の勢力図がどうだ、自然と人間との関係がどうだとか考えるより、もっとシンプルな物語に見えてくる。


これはごく単純に言うと、アシタカとサンによる『ロミオとジュリエット』なのだと思う。
最近ではそう思うようになった。

学生時代から、「これってアシタカのハーレム展開だよね?」と仲間内で言うくらい、アシタカはいろんなところから頼りにされ、しかしアシタカの言う事を全然聞いてくれない。
まるで「便利屋」としていつも足りない時間の中絵を描きまくって演出をしまくった宮﨑さん自身のようだ。

そして持ち上げられては落とされる。
そんな「コンチクショウ・・・」という宮﨑さんの感情が、この作品には見て取れるのだ。


と、思ってたら岡田さんがこんな説を唱えている。さすがだ。


『もののけ姫』のセクシャリティについては僕は当初から自覚していた。
エロスの匂いがプンプンするのだ。

『もののけ姫』公開の年、僕はジブリの入社試験を受けている。
しかし「制作・演出」の募集がなかったから、僕は「動画」で受けた。
案の定一次で落っこちたが。

その時提出した「自由に描いた絵を二枚出せ」という内の一枚に、僕はアシタカとサンを描いた。
それも、洞窟の中でアシタカの身体を全裸で温めようとしているサンの絵だ。

かなり挑発的なことをしたのだが、もちろんあの絵、残ってないだろうな。


この作品は、「没入型」の宮﨑さんが、コナンやルパンで見せたヒロイズムを捨て、等身大の自分がこの世界で何ができるのか?という、一種のシミュレーションなのだと思う。
その結果、ラナやクラリスのような、「一生付いて行きます!」みたいな美少女は現れず、代わりに「もののけの娘」を登場させた。
彼の奥さんがモデルだとは思わないが、これが彼にとってのリアリティだったのだろう。
「どいつもこいつも勝手なこと言いやがって!」という、彼の苛立ちが良く表現されている。

しかし、彼はそんな女性達や、どうにもならない世界を愛するのだ。
一方で、信じてた共産主義が崩壊し、自分のアイデンティティが揺さぶられ、かなりのスランプに陥った彼が、「こんな世界どうにもならんのだ!」と、開き直って作ったのが『もののけ姫』だと言える。

だからこそ、やぶれかぶれともいえるテンションの高さは、他の宮﨑作品と比べても類を見ない。
しかし、僕はそんな袋小路の先に活路、いや血路を見出した宮﨑さんの執念に学生時代からいたく感動し、未だに完全に理解したつもりはないが、どんどんこの作品が好きになっている。

それ以降の宮﨑さんの作品は、タガが外れたとか、作劇法がなってない!とか、散々な言われ方をする時もある。
しかし、宮﨑さんはそんなの、捨てたのだ。
「これからは俺のやりたいようにやる!エンタメなんかクソ喰らえだ!」という宣言が『もののけ姫』だったのだと言える。


僕はこの『もののけ姫』と『The End of Evangelion』が公開された1997年を「アニメが死んだ年」と考えている。
アニメが死んだ?今もやってるじゃないか?という野暮なツッコミは要らない。
「死んだ」というのが適切でないならば、「役目を終えた」と言い換えてもいい。

それ以後のアニメは、日本の芸術史や文化史、精神史に何の影響も与えてないと思う。 
むしろアニメという表現の脆弱さがどんどん剥き出しになっているのではないだろうか?


何度も言うがアニメは、そもそも単純で稚拙極まりない表現だ。
それを高畑勲以下、数々の「知性」によって、なんとか底上げされてきた。

しかし、やっぱり無理だったのだ。
それがおよそ20年前明らかになって、その後20年もダラダラ作り続けて、今に至る。

しかし、はてさて、僕らはそんな「知性」に当てられて、アニメを難しく考えていたのも事実だろう。
アシタカとサンのロマンスでもいいんじゃないか?それでも十分に文学的だし、文化的じゃないか。

今は(無理矢理)そう思うようにしている。
アニメはもう恋物語すら捨てているからだ。
今のアニメは、何にもない。
(まぁ宇野さんなら「『この世界』があるじゃないか!」と言いそうだが)


思想も世界も、何にも描けないアニメだけど、せめて恋愛くらいはちゃんと描こうよ。
宮﨑さんが『もののけ姫』で言いたかったのは、実はそんなことだったのかも知れない。