かつて、クソ上司の下で一緒に働いていた頃、僕はほとんど毎日のように「こいつ……」とキレそうになっていた。

彼のもとから離れて数年経ち、管理職になった僕は今、不本意ながら彼の背中を追いかけているような気がする

クソ上司と過ごした地獄のような日々

「反面教師」……そのひとことで終わらせるには惜しすぎるクソ人格。そんなクソ上司に振り回されたあの10年間は、僕と同僚たちにとって、大袈裟な言い方をすれば地獄のような日々だったけれども、あの頃の時間と経験が現在の僕を形成したのは間違いない。認めたくはないけれども。

彼は、言い間違いの多い人だった。相手の名刺に「CEO」と書かれていたら「瀬尾さん」と呼び、ラベルをレッテルと呼んでは現場を混乱させた。

クソ上司:「あの新商品に俺はレッテルを貼ったほうがいいと思う……」

僕ら:「マジかよ……」

かと思えば彼は、何かのスピーチで「私に続く後進のために、若い芽を摘み取っておきたい。それが私のサラリーマン人生における最後の仕事だと思っております……」と話したことがある。それを聞いて僕らは「また、言い間違えてるよ」と失笑したものだが、それが言い間違いではなく、彼の本気だったと知るまでにそれほど時間は必要なかった。

彼はそうやって僕ら部下を揺さぶり続けた。本音と本音ではない薄気味悪い何かで、僕らの心と魂を揺さぶった。

自称「チャンスをピンチに変える男」爆誕

彼と過ごす毎日、毎時間、毎秒、僕は消耗を強いられた。

「頼む……死んでくれ。誰も見ていないところで」

僕は心の底からそう願った。僕だけではない。同僚たち全員が願いの強さの差こそあれ、そう願っていた。その怨念ともいうべき願いは数年後に彼の突然死という形で結実することになるのだが、それはまた別の話である。

彼は、

「俺はチャンスをピンチに変える男だ……」

と何かにつけて言っていたが、それが言い間違いや勘違いだったのか、本音だったのか、当時は知りたくもなかったし、今でもよくわからない。ただひとつ言えることは、彼の下で働いているとき心が休まる瞬間は一瞬たりともなかったということだ。無駄な緊張感があった。

たとえば大型案件がもう一息で決まるという段階で、それまで「この案件がコケたらどうなるかわかってるよな……」と重圧だけを与え続けて責任を回避してきた彼が、「デキねえ部下の尻ぬぐいってか?」と呼んでもないのに最終交渉の席に同席したことがある。そして、「ウチと手を組めば御社も連敗から脱出できますわ……」と言わんでいいことを言って相手を激怒させて交渉を膠着させたのだ。

チャンスをピンチに変える男の本領発揮である。そのような事案はいくつもあった。クソ上司の彼に言わせると、「顧客をふるいにかけた」だそうである。僕が今も胃薬を手放せない体になってしまったのもおわかりいただけると思う。

かと思えば、部署の総力をあげての仕事がまったく終わっていないのに(そもそも無理すぎる工程を作った元凶は彼なのだが)、「帰るぞ……。上にいる人間が帰らないと下々が帰りにくいだろうからな……」といって会社からいなくなったこともある。彼の姿が消えた瞬間、どっと疲れが出たものだ。

天然で部下を消耗させるモンスター

彼は、おそらく、悪意でチャンスをピンチに変えていたのではない。善意でもない。ただ本気ではあった。本気で、会社のため自分のために行動しては周りに迷惑をかけていた。

世の中で最も厄介なものは、悪意をもたないのに無意識に悪事を働く上司ではないか。

天然ハラスメント上司。彼は部下の業績や、いや、部下の命ですら何とも思っていなかった。僕らは、そんなクソな彼のもとでも生きていかなければならなかった。強くなるしかなかった。

「部長が出てくるまでもないですよ」「交渉相手は格下の課長レベルです」

仕事の進捗状況を報告する際、アホになりきって彼のどうでもいいプライドをくすぐり、「勝負の分かれ目に備えるのが俺の役目……」という彼のつぶやきをイライラと胃痛に耐えながら聞き流した。

彼に秘密で交渉を進め、絶対にひっくり返らない段階まで話をまとめてから、先方に「恥ずかしながらウチの上司は少々難しい人物で、妙な発言をするかもしれませんが、何卒、何卒……」などと念押しをしてから面談を設定するようにした。慣れというのは人間の優れた性質のひとつだと思う。

うすうすヤバさを感じていたアンテナ感度の高いとある先方の担当者から、「失礼ですが、あの部長さんは過去に脳内の出血的な病気をなされたことがありませんか? 言動が奇天烈すぎて……」と言われたこともある。その後繰り広げられた「申し訳ありません。しかし彼にはそのような病歴はございません」「えっ!」という気まずいやりとりが忘れられない。

このような経験が僕を精神的にも肉体的にもたくましくした。

今、僕は別の場所で営業部長という管理職にあって、部下を叱ったり、部下が進めてきた仕事を中止したりするなどの厳しい決定を下さなければならない時がある。だが、何とか僕がそういう局面を乗り切れているのは、クソ上司である彼に振り回された過去と比べればイージーモードにすぎないといえる経験値と鍛えられたタフネスのおかげだ。

そして、その経験値が、どれだけ最悪な状況に陥っても彼のようなクソ言動だけはしないようにしよう、という戒めとなっているのが大きい。

クソ上司が教えてくれた「背負いすぎない」生き方

今の会社で営業部門のトップになってからというもの、自分の数値目標に加えて、部署全体の数値目標の達成や社内他部署との折衝という、自分の力だけではどうにもならない仕事が増えた。むしろそちらのほうが大きなウエイトを占めている。

クソ上司の彼が「営業マンは一匹狼よ……。仲間が倒れても振り返る余裕はない……」と言っていたが、イチ営業マンとして仕事をしているときの苦労と管理職の苦労はまったく違うもので心が折れそうになる。

そのプレッシャーの中、僕は、人間としても上司としても大いに間違っていた彼が、実は生きるヒントを与えてくれていることに気づいた

まず、彼は責任転嫁の天才であった。責任感というものをはき違えていただけかもしれないが、年度末が近づき、散々な営業数字が明らかになると、己に責任に及ぶのを回避するため、保身のために、普段は虫けらのように扱っていた僕ら部下の味方になってこんなスローガンを絶叫していた。

「売り上げを達成するのは営業の仕事。達成した時は全部営業の手柄! 営業未達は商品開発部門の責任!」

「商品や企画を開発する部門が無能だから営業が苦戦している」と彼は主張した。どうしようもない商品を売らなければならない部下たちが不憫でならない、と。信じがたいが僕ら部下を「どうしようもない奴らだ…」と切り捨てていた男の発言である。

今思い出しても最低で、クソな発言。だが、そこには教訓がある。それは物事を割り切ってとらえるのも時には大事だということ。そして「背負いすぎない」ということ。自分の責任を放棄するのはもっての他だが。

どこまでもワールドイズマインだったその姿勢

管理職としての僕は、切ることの難しさにも悩んでいる。たとえば部下が時間をかけている案件を打ち切らなければならない時、長年にわたって良好な関係を築いている顧客との取引を打ち切る時。僕は、申し訳なさから決断を躊躇してしまうことがある。まあ、一瞬だけども。

今のところはその一瞬が大きな問題にはつながっていないけれども、もしかしたら命取りになる一瞬になるかもしれない。部下や顧客に対する「思い」が足かせになっているのを否定できない。

しかし、クソ上司の彼は躊躇も容赦もなかった。僕の記憶にあるかぎり、案件や交渉を打ち切る時、他者を断罪する時、彼が良心の呵責をみせたことはない。どこまでもワールドイズマインの姿勢を崩さなかった。

「責任を取るために部下は存在する……」「部下を斬って、斬って、斬りまくるのが上司の仕事」と言っていた彼はナチュラル・ボーン・他人カッターだった。人間としては見るべき点はなく、あのような人間にだけはなりたくはないが、マシンのように躊躇なく切る姿勢は、仕事の上では見習わなければならないと最近思っている。

とある有力な取引先と交渉していた時のことだ。自分自身の力不足のせいで希望の条件が引き出せずにブチ切れた彼が「顧客ごと木端微塵にしてやる……」と意気込んで最終交渉に向かった時、僕は単に気合いを入れていたのだと高をくくっていた。しかし、交渉を打ち切るに止まらず、出入り禁止まで食らってきたのを見て、自分の甘さに打ちのめされたのをつい昨日の出来事のように覚えている。

彼は「俺なりのスクラップ&ビルド」と自慢していたが、スクラップばかりで何かをビルドしたことは一度としてない。スクラップ&スクラップ&スクラップ……。取引先とのトラブル。失注の嵐。スクラップ地獄の中で、ビルドの大切さと価値を学んだのも彼と過ごした時期だ

認めたくないがクソ上司が僕をつくってくれた。

今、僕があるのはクソ上司のおかげだ。認めたくないが……。

ああいう人間にだけはなりたくない、なってはいけないという反面教師的な意味合いだけではなく、彼の根底にある、まったく根拠も意味もなく、他者を見下す謎の自信については、心のどこかで憧れに似た気持ちをもってしまう。何を食べればあのような自信を得られるのだろうかと生真面目な僕は考えてしまう。

僕の肉体と精神を揺さぶり続け、結果的に鍛えてくれたクソ上司……。彼が延長雇用されずに退職する時のこと。「寿退社だ」と強がった彼が言った「次に会う時は……客だ」というセリフが忘れられない。

無駄にカッコよかった。カッコよすぎてその後にこぼした「送別会ないの? ホントに?」という本音の寂しさが際立ってしまったけれども。

この文章は平成30年9月30日に日本列島を襲った台風24号下の激しい雨音をバックミュージックに書かれている。

こんな暴風雨の日は、かつて台風の日に、かのクソ上司が「空が荒れている時……アポなしで会うと客の心をつかめる……」という謎理論を持ち出して、洪水警報の出ている隣県へアポなしで赴き、すでに自宅待機していた見込み客担当者に「近くまで来たものですから」「偶然通りかかったので」などと執拗に電話をかけて、あっさり出入り禁止になった素敵な出来事を僕に思い出させるのだ。(所要時間70分)