死の超越者は夢を見る   作:はのじ
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誰得?
もちろん俺得。


激突(二)

 まるで海だ。空に月はなく、分厚い雲は星明りの一筋も通さない。空に闇。そして大地にも闇。だが大地の闇は蠢き、さざめき、雄大な大海の如くうねり、漆黒の飛沫を吹き上げながらダイナミックに押しては引き、引いては押しを繰り返している。

 

 漆黒の海が緊張を孕んだ。ぶぶぶと羽音が大きくなり。ざわわざわわと至るところで波紋の波が生まれ、それはお互いに干渉しあい、小さく、或いは大きくなっていた。

 

「はいよー! シルバー!!」

 

 暗闇を裂帛の気合が切り裂いた。

 

 蟲面(みなも)を突き破り、威風堂々の騎士が飛沫を風に巻きあげた。

 

 騎蟲は銀色に輝き、光と闇のコントラストを見事に対比させ、見る者の視線を釘付けにした。騎蟲は翼を広げて飛翔する。曳光の光が空を切り裂いたと錯覚する程だ。

 

 だが注目するべきは騎蟲の背を両脚でしっかりと掴んだ騎士だ。それはさながら漆黒の騎士というべきだろうか。

 

 裂帛の気合はこの騎士が吐き出したものに違いない。

 

 重厚なバリトン。戦場で戦士を鼓舞するに相応しい、女性の耳を孕ませる魅力的で野性的な音色。

 

 公爵にして舞踏家。芸術家にして稀代の戦術家。昆虫の森祭司を司り、誰もが認める眷属の王。第二階層黒棺(ブラックカプセル)の領域守護者。その名も恐怖公だ。

 

「はいよー!!」

 

 恐怖公の騎蟲、シルバーゴーレム・コックローチが蠢く眷属の海を突き破ったのだ。シルバーはゴーレムだ。下僕のように意識はない。命令された行動しかとれない。

 

 だがシルバーの動きはどうだ。まるで意思を持ち、自ら動いているようではないか。主、恐怖公の命令を受けるまでもなく右へ、左へ、東へ、西へ。ちょこまかちょこまか、かさかさごそごそと東奔西走を体現する動きで空に曳光の筋を一本、また一本と走らせた。

 

「もう! ちょこまかと!!」

 

「シャルティア様! それは吾輩達にとって褒め言葉ですぞ! そーい!!」

 

 漆黒の海からどーん!! と、漆黒の巨大な柱が何本も立ち上がった。

 

「ぎゃーーーーーー!!! 不浄衝撃盾!! 不浄衝撃盾!! 不浄衝撃盾!! 不浄衝撃盾ぇぇぇぇ!!」

 

 シャルティアの不浄衝撃盾が巨大な柱を破壊し、衝撃波が飛沫を後方に吹き飛ばした。飛沫の一つ一つが何で出来ているか言うまでもない。飛沫は消し飛び、消滅する寸前に卵を産卵した。信じられない速度で羽化した油虫は、眷属の躯を糧に元の数を取り戻すどころか数倍となって数を増やした。

 

「いやあぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

「夜はまだまだこれからですぞ!」

 

「殺す! 殺す! 殺す! 絶対に! 殺す!」

 

「殺されてしまってはたまりませんな。名残惜しいですがまた後ほどお会い致しましょうぞ! はいよー!! シルバー!!」

 

 主の意を汲んだかの如く動くシルバーゴーレム・コックローチが踵を返した。まるで、とぷんと音を立てたように、黒い飛沫を撒き散らし、現れた時とは逆に蟲蟲一体の騎士は漆黒の海の中へと消えた。

 

「んもう! んもう! もう!!」

 

 飛行能力で空を飛んでいるシャルティアは地団駄を踏めない。

 

 シャルティアは完全武装だ。伝説級アイテムの真紅の全身鎧で完全武装をしている。手にした神器級アイテムのスポイトランスは完全に空回りしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シャルティアは自らが洗脳されていることを誰よりも理解していた。

 

 創造された下僕の所有権は至高の存在に帰属する。姿を隠したと言えど絶対の大原則だ。至高の存在の所有物を許可なく殺そうなどと許される事ではない。

 

 同時に下僕を皆殺しにする行為も、当然の事だと認識していた。吸血鬼が血を吸うこと、淫魔が精気を奪うこと、シャルティアがモモンガを愛すること、モモンガを愛する余り夜な夜な淫らな妄想で自らを慰める行為と同等である。モモンガへの想いを込めた手淫を誰が止められるというのだ。

 

 被創造物として、命が命である上で当たり前の話だ。相反する二つの事実に矛盾はない。違和感すら感じない。そして違和感を感じないことこそが最大の違和感だった。

 

 ペロロンチーノ或いはモモンガ以外の存在に自らの有るべき姿を書き換えられた。

 

 不快ではない。不快ではない事がどうしようもなく不快だった。自分でもどうしようもない。殺さねばならないという当たり前の行為からどうしても逃げられなかった。

 

 真っ先に狙ったのはデミウルゴスだ。デミウルゴスは弱い。同じ階層守護者でもデミウルゴスは戦闘に特化したシャルティアと比べれば赤子も同然だ。

 

 シャルティアはデミウルゴスに一目置いていた。自分にはない智慧を持ち、少しの情報で未来を見通すかのような洞察力。直感だった。デミウルゴスを潰さなければ負けるのはシャルティアだと。

 

 デミウルゴスの背中を突き抜けた掌が湯気を上げる桃色の内蔵を幾つも握りつぶしていた。デミウルゴスの吐血をばしゃばしゃと顔に浴びた。

 

 勝ちを確信した時、デミウルゴスが何かを呟いた。支配の呪言だ。レベル四〇以下の対象者を無条件で支配下に置く呪言だ。何を無意味な事を。シャルティアはレベル一〇〇だ。死を目前にデミウルゴスが狂ったと思った。

 

 ふと何かに抱きつかれた。弱い。術の繋がりがなければ気が付かないほど弱い存在。カイレ家の当主と名乗った女だった。

 

 人間は弱い。シャルティアが身じろぎするだけで肉片(ミンチ)になる程だ。今のシャルティアの行動原理は仲間を皆殺しにすること。そして――

 

「離れろ人間!!」

 

 ――人間を殺さない事だ。

 

 デミウルゴスの口角がにぃっと上がった。魅力的で蠱惑的な本物の悪魔の笑み。

 

 視界が黒で覆われた。ぶぶぶと羽音を立て、根源的な生理的嫌悪を催す恐怖公の眷属。背中に悪寒が走りアンデットなのに吐き気すら感じた。

 

「どけ人間!!」

 

 デミウルゴスを殺さなくてはならない。だが動けない。シャルティアの身じろぎ一つで人間が死んでしまう。

 

 そこから先ははっきりと覚えていなかった。笑っていたような気がする。楽しかった気がする。デミウルゴスの血を浴びて血の狂乱が発動したのだ。

 

 ぎぃぎぃと鳴くエントマの仮面の蟲を握りつぶしていると気がついたのは、次元封鎖(ディメンジョナル・ロック)で転移が封印されていると気がつく前だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 暗黒の夜空を背にシャルティアは恐怖公の気配を探した。無駄な行為だ。無限とも言える眷属に埋もれた恐怖公を普通なら探せるはずがない。

 

 このまま恐怖公が消えたままなら、他の下僕を探しに行ける。だが、シャルティアの恐怖公へのヘイトが消える前に、あの手この手の絡み手で仕掛けを繰り返され、シャルティアはこの場に釘付けにされていた。

 

 夜が明ければ恐怖公の眷属、ジェリコの城壁は消え去る。恐怖公に魔力が殆ど残ってない事は事前に承知していた。最悪の相手が無力化すれば、勝利は揺るがない。

 

 シャルティアはスポイドランスを肩に抱え、漆黒の海を睨んだ。主導権を一度も取れずイライラが溜まっていた。

 

 広範囲殲滅魔法で周囲一帯を焼き払う事が出来ない。眷属の海をかき分けていく気などさらさらない。転移も封鎖されている。他の場所に移動しようにも、恐怖公が定期的に姿を現し、洗脳の効果で攻撃行動に入ってしまい、ヘイトを稼がれたまま逃げられてしまう。

 

「ふぅ……」

 

 作戦を考える必要がある。シャルティアは馬鹿ではない。力押しだけで勝てる力を持っているのだ。考える必要がなかっただけだ。

 

「まず恐怖公を殺して……次はデミウルゴス……その次にエントマ……エントマは後でもいいか……逃げた下僕を追いかけて……その前に仮拠点に転移してメイド達を……」

 

 シャルティアが口にするのは作戦ですらない。だが戦略の本質をついていた。成功すればデミウルゴスにとって上から数えた方が早いレベルで最悪のシナリオの一つである事にシャルティアは気がついていない。

 

「殺して……殺して……みんな殺して……その後は?……」

 

 駄目だ! 考えるな!

 

 スポイドランスを無茶苦茶に振り回して、形になる前の思考を頭から追いやった。これ以上考えてはいけない。

 

 スポイドランスを振るう度に思考の残滓は消えていくが完全に消えることはない。心の片隅に染みとなって残り続ける。

 

 シャルティア自身がペロロンチーノの被創造物だ。許可なく命を断つことなど出来ない。果たして洗脳はシャルティア自身を対象としているかなど考えてはいけない。

 

「モモンガ様ぁ……お会いしたいよぅ(・・・・・・・・)……」

 

 シャルティアは膝を抱え、空の上で体を丸めた。

 

 洗脳による恐怖公へのヘイトはまだ切れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

「全く……デミウルゴス殿も、なかなか厳しい注文をおつけなさる。ですがやり甲斐は充分ですぞ」

 

 恐怖公は眷属の海に沈み一時の休憩をとっていた。シルバーゴーレム・コックローチはぴくりとも動かない。命令をしないかぎりだたのゴーレムだからだ。

 

 注意して見れば体表をコーティングしている希少金属スターシルバーはところどころ剥がれてしまっている。凛々しい触覚は一本欠けていた。恐怖公が受けるはずだったダメージを肩代わりしてくれたのだ。

 

 ゆっくり休憩は出来ない。洗脳されたシャルティアは目の前の下僕を優先的に攻撃する。休憩に時間を取り過ぎれば恐怖公へのヘイト切れ、標的が他の下僕に移ってしまうからだ。恐怖公は命をベッドにして身を晒し続ける必要があった。

 

 恐怖公は見かけほど余裕があるわけではない。それどころが綱渡りの連続だった。当たり前だ。前提としてレベル三〇の恐怖公がレベル一〇〇のシャルティアに太刀打ちできるはずがない。シルバーゴーレム・コックローチにしてもレベル七〇だ。二匹合わせてレベル一〇〇……というはずもない。

 

 恐怖公の攻撃は一切通らず、シャルティアの攻撃は全てが致命となる。

 

 本来ならば蟲蟲一体で瞬殺は必至だ。恐怖公は公爵としてプライドをかなぐり捨ててシャルティアに立ち向かっていた。

 

 眷属の犠牲を戦術の大前提にして、決して正面に立たず、不本意ながらシャルティアの嫌悪感を煽り、貴族としてあってはならない行動も取っている。

 

 それでも。

 

「夜明けまで保たせてみせますぞ」

 

 時間は敵ではない。味方だ。今はデミウルゴスの回復を待っている。瀕死の体で次元封鎖を魔法効果範囲拡大化(ワイデンマジック)で拡大しているデミウルゴスの負担は想像以上に大きい。

 

 じわりじわりと回復しているが最低限の動きが出来るまでデミウルゴスの計算では夜明けを待つ必要があった。

 

 一言、勝てると断言したデミウルゴスを信じるだけだ。

 

 これは贖罪だ。恐怖公は罪を償わなければならない。モモンガの膝下に拝謁する資格はとうの昔に失っている。

 

 シャルティアはまだ下僕を誰も殺していない。しかし恐怖公が時間稼ぎに失敗した時点で、デミウルゴスを皮切りに、下僕は次々と殺されてしまうだろう。シャルティアは永遠の時を罪の意識に苛まれ生き続ける事になる。

 

 なんという残酷な地獄であるか。

 

「シャルティア様。申し訳ありません」

 

 それは何に対しての謝罪の言葉か。

 

 あの時、カイレ家の少女を見逃さなければ。作戦を前に精神が高揚した恐怖公は、見事忠義の姿を示した三人の人間に敬意を表して、少女を見逃したのだ。

 

 それが最悪の事態を招いてしまった。

 

 パンドラズ・アクターの援軍は期待できない。広範囲に拡大した次元封鎖は転移ポイントの尽くを潰している。パンドラズ・アクターが至高の存在に変身したとして、どれほど移動速度を早めても夜明けまでに到着するのは不可能だ。

 

「淑女を待たせるのは紳士として失格ですな。次の舞踏をシャルティア様が気にいって下さればよいのですが。シルバーゴーレム・コックローチ、頼みましたぞ」

 

 物言わぬ冷たきゴーレムの、ただ一本残された触角がぴくりと動いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 飛び出した直後に恐怖公は死んだと思った。走馬灯が三つ、ぐるぐるとフル回転していた。

 

 果たしてどんなスキルを使ったのか、もしかしたら恐怖公の知らぬ魔法かもしれない。油断したつもりもない。単調な動きでもなかった。流石は階層守護者。シャルティアは恐怖公の動きを読んでいた。

 

 完全無欠に待ち伏せを受けたのだ。

 

 スポイドランスの先端が見えた。わかったのはそれだけだ。後は何が何だか分からない。レベル差が有りすぎてシャルティアの攻撃をそれ以上認識出来ない。

 

「死ねぇぇぇ!!!」

 

「ぬおぉぉぉぉ!! そーい!!」

 

 恐怖公はそれを取り出した。在庫は山程ある。効果は覿面だった。シャルティアはスポイドランスの先端を反らし、慣性の法則を無視した動きで急制動をかけながら恐怖公の右を神速の速さで通り抜けた。

 

 衝撃波でシルバーゴーレム・コックローチが鋭角に弾き飛ばされた。シャルティアの攻撃は音速を超えていた。恐怖公が生きているのはシルバーゴーレム・コックローチが身を挺して守ってくれたからだ。

 

「ぐおおぉぉぉぉぉ!!」

 

 視界がぐるぐる回る。天地すら分からない。希少金属スターシルバーの破片がキラキラと暗闇を明るく彩った。手にしたそれが衝撃波でずたずたに引き裂かれ、遠心力で血を撒き散らし絞り尽くされていた。

 

 なんという献身か。シルバーゴーレム・コックローチが体勢を立て直した。平衡感覚は狂っている。だが恐怖公はシルバーゴーレム・コックローチの背にしっかりと立ち、悔しそうに睨むシャルティアの顔をはっきりと捉えた。

 

「シャルティア様! 残念でしたな! その程度の攻撃、痛くも痒くもありませんぞ!」

 

 恐怖公は手にしたそれを、ぽいっと捨てた。人間だ。在庫は眷属の海の中に山程ある。

 

 シャルティアが広範囲殲滅魔法を使えない理由がこれだ。恐怖公が未だ生き残っている理由でもある。

 

「ふざけるな!」

 

「我輩、至って真面目ですぞ。紳士故、真摯にシャルティア様に対峙していますぞ」

 

 高精度の複眼がぐにゃりと歪む無数のシャルティアを映していた。限界が近い。ヘイトは充分に稼げていない。だが立て直す時間は必要だ。

 

「語る言葉は尽きねど、此度はこれまでと致しましょう。はいよー! シルバー!」

 

 恐怖公が重力に従うままに眷属の海に沈むと同時にシャルティアの叫び声が聞こえた。

 

「長い夜になりそうですな」

 

 眷属の揺り籠の中、シルバーゴーレム・コックローチの節足が油の切れた機械のようにぎしりと音を立てた。

 

 




【捏造】

レベル三〇 VS レベル一〇〇

次元封鎖を魔法効果範囲拡大化(ワイデンマジック)で拡大
デミウルゴスが使えるか不明。

カイレ家当主
『君の名は』に出てきたカイレの少女の母。ケイ・セケ・コゥクの正当な後継者にして使い手。
ケイ・セケ・コゥクを失ったカイレ家はこれにて没落。








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