吉野家CMO兼グリッド社長の田中安人氏 牛丼の吉野家にあって野菜だけの「ベジ丼」を企画し、すかいらーくホールディングス(HD)の「ガスト」との共通割引券を実現するなど、異例の企画を成功させてきた田中安人CMO(最高マーケティング責任者)。新卒で入社したヤオハンジャパンの経営破綻で学んだ危機意識の重要性を説き、「妄想マーケター」と自称する田中氏にマーケターの役割を聞いた。
■マーケターは「桃太郎」になれ
――田中さんは自身を「右脳マーケター」と表現しています。
「もっと言うと妄想マーケターです。私は妄想からしかアイデアは生まれないと信じています。今まで潤沢な予算がつく仕事なんてしたことがないから、頭を使うしかなかった。それが妄想を大切にするということです」
「2013年、吉野家ホールディングス傘下のはなまるうどんの宣伝企画部長だったときに、当時の河村泰貴社長(現吉野家HD社長)から『予算がないけど売り上げを上げたい』と言われてひねりだしたのが、『まるごとダイオウイカ天を発売する』というエープリルフール企画でした。NHKのダイオウイカ特集をたまたま見て、2ちゃんねるがすごく盛り上がっているのに気づいたんです」
「結果は大成功で、店によっては売り上げが前年の4倍、平均でも1.8倍になりました。予算がなくても最高のものをつくりたいという関係者の熱量があり、本気でやってくれたのが大きかった。デザイナーがふんどし一丁で日本海までダイオウイカの撮影に行ってくれたり、エンジニアがダイオウイカのイラストに見えるようにソースコードを書いたり。このとき私が桃太郎になればいいんじゃないかと気づいたんです」
――桃太郎とは?
「桃太郎である私は、常に社会課題という鬼を探し、パッション(情熱)というきびだんごを持っている。お金で集めた仲間は、敵が強大だと逃げてしまいます。これをパッションに置き換えたとき、一流の人は鬼が強大なほど燃えてくれるんです」
「社会課題の発見とパッションの設定、私のスタイルはそこに尽きます。吉野家とはなまるうどん、すかいらーくHDのガストとの3社合同キャンペーンは、その一例です。そんなこと普通はできないって思いますけど、外食同士で戦っている場合じゃないという発想に、すかいらーくの方が共感してくれました」
――競合と協力する発想はどこから?
吉野家、ガスト、はなまるうどんの共同キャンペーンが話題に(2018年8月) 「女性社員が発案し、交流サイト(SNS)で話題になった『ニクレンジャー』(肉関連企業5社で結成)が一つのきっかけになりました。牛丼で競合する松屋も参加してくれ、盛り上がりました。お客さんには競合なんて関係ないのかなと思って調査してみると、外食ユーザーは10ぐらいのブランドを回遊しているとわかりました。競合相手は、むしろコンビニエンスストアや中食じゃないか。それなら手を組んだ方がいいという考えです」
■「自分事」にならない企画は成功しない
――成功する企画と失敗する企画の違いは何ですか。
「社員や関係者が自分の事としてとらえてくれるかどうかです。マーケターは外ばかり見がちですが、現場を鼓舞しないとうまくいきません。『自分事』になった企画は、一人歩きしてくれます」
「ソフトバンクの携帯ユーザーに無料で牛丼を提供する企画『スーパーフライデー』では、4日間で850万人が来店し、大行列になりました。それでも1200店で無事にオペレーションできたのは、社員が企画の趣旨や意義を理解してくれたからです」
――現場とのコミュニケーションは最初からうまくいったのでしょうか。
「最初は全然だめでした。牛丼一杯に命をかける侍の集団でしたね。そんな雰囲気ですから社長と私で考えた新メニュー『ベジ丼』にも、最初は抵抗があったようです」
「ある会議で『皆さんにとって吉野家って何ですか』と聞いたときに、ファストフード業界の24時間営業の草分けとして終電を逃したサラリーマンの居場所になったとか、震災のとき自衛隊の車両を借りてでも牛丼を提供する吉野家に誇りを持っている、といった意見が出ました」
「『つまり皆さんは吉野家の看板を守ることじゃなくて日常の食事を24時間提供し続けて世の中のインフラになってきた、それが誇りなのですね』『それならこれからは(伝統に固執する)侍じゃなくて、(時代に合わせて変化を続ける)サムライになりましょうよ』と言ったらすごく納得してくれました。それから日本刀を捨てて(笑)、新しい吉野家を皆で議論する機運が出てきました。女性や家族連れも入りやすい新型店の研究も始まっています」
――新しい吉野家とは。
吉野家の本質は1号店にある 「若手社員と幹部で複数のチームをつくり、2年かけて未来の吉野家を議論し、『人・健康・テクノロジー』というキーワードをまとめました。簡単にいうと、人が人らしくいるためにテクノロジーを使うということです」
「築地1号店では、お客さんは毎日同じ時間に同じ席に座るんです。何も言わずに。店長は1000人ぐらいのいつもの注文を覚えている。究極のサービスです。でも全世界の店長がそうできるわけではない。そこをテクノロジーで補うというのが我々の考え方です。1号店という原点に戻ると、本質が見つかるんですよね」
「そのために今やっているのがプラットフォーム作りです。YMA(吉野家マーケティングオートメーション)といい、将来は顧客の購買データや健康状況を読み取って『きょう、あなたにはこのスープがいいんじゃないですか』と提案するようなイメージです」
■CMOは「社長の夢実現担当」
――マーケティングとは何でしょう。
「経営判断以外の全てです。たとえば商品開発がうまくいかないとき、私が営業と商品開発の間を取り持ったりします。組織論でいうと自分の仕事じゃない。でも商品を世の中に届けるのに必要ならやります。市場調査だけでなく、世の中に商品や企画を正しく到達させる作業は全てマーケティングです」
「CMOは、社長の夢実現担当だというのが私の考えです。広告・宣伝だけでなく、吉野家の本質をあぶり出す作業や人事コンサルみたいなことまでやるのは、そのためです」
――吉野家には改革が必要という強い意識を感じます。
「新卒で入社したヤオハンジャパンでは中国での百貨店事業など多様な経験を積みました。経営が破綻したのは、私が30代のときでした。その前年には、会社は『ゆでがえる』状態でした。もてはやされているうちに倒産した。私は社内でよく『気持ちいいときが一番やばいよ』と言っています」
「危機感を持つのは、大きく変化する未来をイメージしているからでもあります。外食に求められる価値は、20年先には変わっているでしょう。たとえば、吉野家はメーカーになっているかもしれない。マーケターはそこまで妄想を広げるべきだと思います」
田中安人
1989年、ヤオハンジャパン入社。広告制作会社を経て、2002年に広告代理店を起業。10年、マーケティング関連のコンサルティングを手がけるグリッドを設立。17年、吉野家CMOに。公益財団法人日本スポーツ協会のスポーツ広報委員も務める。
(安田亜紀代)
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