「その問題行動は、精神疾患だから」? ー 新幹線殺傷事件と大学院生退学処分から考える(改題)

(写真:アフロ)

 精神疾患・精神障害と関連している可能性の高い言動に、何が可能なのでしょうか?

 言動そのものではない精神疾患や精神障害を、どう捉えればよいのでしょうか?

 本記事では、2018年4月・6月の2つの出来事を念頭において、犯罪統計も参照して現状と問題点を整理します。

出来事の概略

2018年4月の出来事

 2018年4月26日、大学院を退学処分となった元大学院生が、処分の取り消しを求めて行っていた訴訟で、大学院生の敗訴が最高裁で確定しました。元大学院生は、教職員への暴言などの問題行動を理由として退学処分を受けました。判決文には、元大学院生の精神面・人格面の問題が記載されています。

2018年6月の出来事

 2018年6月9日夜、新幹線「のぞみ」車内で、22歳の男性が男女3名を刃物で殺傷しました。報道によれば、男性が「自閉症」と診断されていたこと、社会的養護を経験していること、就労状況が安定しなかったこと、精神科入院歴のあることが判明しています。

そもそも「○○だから問題行動(犯罪)」が外している

 はじめに、「○○」はYahoo!ニュースで禁じられている伏せ字ではなく、不特定の何かを入れることができる「ワイルドカード」であることをお断りしておきます。

理屈(論理)では?

 「○○の人が問題行動(犯罪)を起こした」という場合、何があれば「○○が問題行動(犯罪)」の原因であった可能性が高い」と言えるのでしょうか? これは難問です。

 たとえば、人間の100%は時間が経つと死にます。生まれたばかりの娘に、生命とともに「小さな死を分け与えた」という父親の思いが語られている詩もあります(吉野弘「菜々子に」)。「人間である」ということは、確率100%で「いつか死ぬ」と結びつきます。少なくとも「人間である。だから、いつか死ぬ」と言うことはできます。 では、「いつか死ぬ」の原因は、「人間である」ということでしょうか?

 最強の生き物と呼ばれるクマムシも、条件しだいでは死にます。「いつか死ぬ」の原因が「人間である」ということにすると、クマムシだっていつか死ぬことを説明できなくなります。

 「人間である」と「いつか死ぬ」という、100%の確実さで結び付けられるものごとであっても、「だから原因だ」とは言えません。

 精神疾患・精神障害などレッテルに使われやすいものごとの多くでは、問題行動や犯罪との結びつきを確かにすることは非常に困難です。

 「○○の人の犯罪率は2%で、一般の犯罪率は1%」というとき、「〇〇の人」の犯罪率は一般の2倍です。しかし、「○○の人が犯罪を侵さない率は98%で、一般の人が犯罪を侵さない率は99%」でもあります。計算してみると「一般の人は、○○の人より1.01倍だけ罪を犯しにくい」となります。

 スーパーでトマトを選ぶとき、重量が100gか101gかを問題にするでしょうか? その程度の違いなら、色・ツヤ・熟れ方の方が重要でしょう。「○○だから、問題行動(犯罪)を起こす」という形で「○○」を問題にしていると、重要な点を無視して、どうでもよい点を問題にすることになります。もしもトマトなら、「意味ないから、わずかな重量の差は気にしない」というのが賢い選択です。

 もっとも、問題行動(犯罪)の場合には、他の何かと比べて「意味ない」と言えるかどうかという問題が残ります。

データでは?

 それでは実際のところ、精神疾患や精神障害と問題行動(犯罪)の関係はどうなのでしょうか?

 平成29年度版『犯罪白書』には、「第10章 精神障害のある者による犯罪等」という章があります。ここで「精神障害者等」とされている人々は、必ずしも精神障害者福祉手帳を取得している人々に限定されているわけではなく、「精神障害の疑いのある者」、つまり「逮捕したところ、どうも精神疾患のようだった」という場合も含まれます。

 『犯罪白書』には、「精神障害者等による刑法犯 検挙人員(罪名別)」という表があります。全体で見ると、犯人(検挙人員)のうち精神障害者等は1.8%。精神障害者等の占める割合は、殺人(14.8%)と放火(20.3%)で特に高くなっています。全体よりも低いのは窃盗(1.3%)・詐欺(1.7%)です。

 統計に慣れている方は、「全体が1.8%で、全体より低い窃盗と詐欺の数値に近いということは、件数で圧倒的に多いのは、それらのいずれかということでは?」とピンとくるのではないでしょうか。そのとおりです。件数で圧倒的に多いのは窃盗で、全体の51%を占めています。殺人と放火は、ともに0.3%です。

平成29年度版『犯罪白書』より 精神障害者等による刑法犯 検挙人員(罪名別)
平成29年度版『犯罪白書』より 精神障害者等による刑法犯 検挙人員(罪名別)

 それでは、精神障害者等の殺人や放火の被害者になる確率は、どの程度なのでしょうか?

 同表には、件数そのものも掲載されています。同年2016年の日本の人口は1億2700万人でした。精神障害者等の犯罪の被害を受ける確率を「検挙された精神障害者等1人が、1人に被害を与えた」と単純化して計算すると、

犯罪全体(犯人が健常者である場合を含む) 226,376/1.27億=0.18%

犯罪全体(犯人が精神障害者等である場合のみ) 4084/1.27億=0.003%

殺人(犯人が健常者である場合を含む) 816/1.27億=0.0006%

殺人(犯人が精神障害者等である場合のみ) 121/1.27億=0.0001%

放火(犯人が健常者である場合を含む) 577/1.27億=0.0004%

放火(犯人が精神障害者等である場合のみ) 117/1.27億=0.0001%

となります。

 犯罪被害を受ける確率は0.18%ですから、「少ないけれども無視はできない」というところかもしれません。しかし、精神障害者等による犯罪被害はその1/6程度で、小数点以下2位までで四捨五入すると「ほぼ0」です。同じく殺人・放火の被害を受ける確率は、さらに小さいのですが、「人命がかかった数値を切り捨ててゼロにするわけには」という理由で、無理やり数値として出しました。

 数字の上で見れば無視してかまわないほど少ない確率ですが、殺人と放火は、発生した場合に取り返しのつかない重大犯罪です。どれほど少なくても、「少ないから無視していい」と言い切るわけにはいきません。

 そもそも、確率が高いか低いかで考えること自体が、不適切なのかもしれません。

レッテル対策は、問題行動(犯罪)対策になるのか?

 どれほど確率が低くても、犯罪被害には遭いたくありません。犯罪とは言えない問題行動であっても、できれば遭いたくないものです。「○○の人は問題行動(犯罪)を起こしやすい」という事実がある場合、「○○」を遠ざければ問題行動(犯罪)から遠ざかることが可能なのなら、「そうしたい」と考えるのは自然でしょう。しかし、少なくとも犯罪に対しては、そもそも可能性が低すぎるため、あまり意味がなさそうです。

 犯罪に至らない問題行動に対しては、さらに対策が困難です。問題行動につながると見られる「○○」への対策を行うこと自体が、しばしば、別の問題を発生させるからです。

事例から考える

名古屋市立大の退学処分では?

 名古屋市立大が院生を退学処分したことに関する訴訟の判決文(最高裁が支持した二審判決)では、退学処分について

本件大学院に勤務していた派遣職員について同和差別を内容とする発言(本件同和差別発言)をするなどしてその名誉を毀損した行為や,同職員の派遣元会社に電話をしてその業務を妨害した行為等が,A大学大学院学則49条で準用するA大学学則67条1号に当たるとして,A大学学則66 条,67条に基づき退学処分(本件退学処分)をした。

と記されています。

 退学処分を受けた元院生は、「根拠なく違法かつ無効」と訴訟を開始し、一審では勝訴しました。しかし大学が控訴したため、二審では元院生の入学から退学までに至る経緯や言動の詳細が明らかになりました。

 判決文には、「そのような言動が研究室や研究科の中にあると、大学院は機能しなくなるだろう」と思われる元院生の言動の数々が並びます。しかも、大学はいきなり退学させたわけではなく、「居心地を悪くして自発的に退学させる」という作戦を取ったわけでもなく、むしろ可能な限り真摯に対応や指導を行い、改善が見られないので「退学処分やむなし」と判断した、と見受けられます。

 私が判決文を読んでいて最も気になったのは、元院生の言動の数々が「これらの行為は、根拠もなくその対象者の人格を酷く傷つけるもの」「執ような人格攻撃」と述べられている一方で、「被控訴人(筆者注・元院生)の人格・性行を示す点において同じ種類に属する非違行為」とされていることです。元院生の言動に多大な問題があったこと、従って「退学処分やむなし」としたことを、法廷で本人の「人格・性向」と結びつけて判断する必要はあるのでしょうか?

 また、元院生が「複数の教員が(略)特別の指導体制を組んだにもかかわらず,これに反発し,複数の教員に対するハラスメントの申立てを行ったり,教員に暴言を吐く」「教員の指導に素直に従わない態度を取り続けてきた」という点も、研究室運営への支障という面から問題にされています。大学院側に対して意地悪く読めば、「複数の教員が、反発されるようなチーム指導しかできなかった」ということになります。また「ハラスメントの申し立てをすること、自分の人権を守るための当然の手続き自体を、司法が問題視していいのか?(元院生の行った申し立ての内容や方法には、私自身も問題を感じますが)」「素直さという態度の有無を、司法が問題視していいのか?」という疑問も感じます。

 いずれにしても、元院生の人格・性格・性向、さらに受けた指導への反応を問題にすると、自動的に浮かび上がって来てしまうのは「なぜ、合格させ入学させたんでしょうか?」、言い換えれば「なぜ見抜けなかったんでしょうか?」という疑問です。大学院入試では、入試前に研究室訪問や教員との面談を行い、その後、入学選抜を受けて入学するのが通常です。その入学までの数ヶ月の経緯のどこにも、チェックポイントとして機能するものはなかったのでしょうか?

 退学処分の判断、および二審の判断そのものは妥当だと感じます。元院生の言動そのものだけで、退学処分の根拠としては充分すぎます。しかし二審の判決文は、「元院生という人」まで問題にしています。そのため、「大学院側はどうだったのか?」という疑問を私は抱いてしまったのです。

 人格攻撃をはじめとする問題の行為は、それ自体を問題にすれば充分です。人格攻撃する人の人格を攻撃し返す必要はなく、それはむしろ有害です。

新幹線での殺傷事件では?

 事件が発生してからまだ1日ですが、既に、容疑者の背景として「自閉症」「精神科入院」「社会的養護」などが報道されています。その経歴の方々が、社会的に不利な立場に置かれやすい現実はあります。

 上記のとおり、精神疾患・精神障害そのものが犯罪に結びつく可能性は非常に少ないのですが、それが最初のつまづきの石となって不運不幸のドミノ倒しが始まるかもしれません。他の背景の数々が不幸な重なり方をしてドミノを倒し続ける可能性も、あるかもしれません。 しかし、同じつまづき・同じドミノの並びがあったとしても、最後のドミノが倒れる手前で止まる事例の方が、はるかに多いはずです。

 そもそも「○○だから問題行動(犯罪)」という因果関係は、明確にしにくいものです。そこに「そもそも確率としては非常に小さく『ほぼ0』」という問題も重なります。論理の問題としても確率の問題としても、事実上扱えないものに近いわけです。

 いずれにしても、「本人が○○だから」というアプローチは、何らかの問題解決にはつながりそうにありません。

では、どうすればいいのか?

 私自身、「こうすればいい」という正解を持っているわけではありません。しかし、問題行動の結果として居場所を失う人々、重大犯罪で被害者を生み出してしまう成り行きになる人々が、現実にいるわけです。その人々には、実際には別の行動の可能性があったはずですが、選択されませんでした。

 よりどりみどりの素敵な選択肢の数々があり、実際に選べる状況なら、自他ともに不幸になる選択はされにくくなるでしょう。目指すところは、そういう状況ではないでしょうか。

 何をどう整備すれば、すべての人に自他ともに幸せな居場所があり、決定的な重大犯罪に至らない選択がされるようになるのか。具体的な提案が出来るわけではありません。しかし、現在の日本では、どの年齢層に対しても不足が多すぎることは間違いないと思われます。

 何十年、あるいは何百年かかっても、本質的な解決を目指すべきでしょう。また私自身、解決の方向に向かって、小さな小さな仕事の歩みを重ねていきたいと思います。

おわりに

 新幹線の事件では、理不尽にも生命を奪われた方がいて、負傷した方がいます。また、巻き込まれて「本日、予想していた日常」を一時的にでも妨げられた方々は、おそらく数千人に達するでしょう。このような事件が起こらないことは、新幹線ヘビーユーザーである私自身の心からの望みでもあります。

 しかしながら容疑者について、世の中でレッテルとして使用されることの多い「自閉症」という診断名や「精神科入院」「社会的養護」といった経験、また人格面の問題を思わせるエピソードなどが、既に数多く報道されています。改めて、レッテルに犯罪を生み出す力はなく、したがってレッテル貼りは犯罪対策にならないことを強調したいと思います。

 容疑者の血縁者については、同居していなかったことや送金していたことなどが報道され、「それが悪かった」というネット世論につながっています。しかし、もし同居していれば「だから精神的に追い詰めたのでは」、送金していなかったら「見殺しにしたからでは」と、いずれにしても理由付けに使われるだけでしょう。

 報道に当たられる皆様には、容疑者の血縁者たちにどのような困難が重なっていたとしても、読者が困難と犯罪を結びつけることに対して慎重になるような書きぶりを、強くお願いしたいと思います。容疑者はすでに成人です。生育環境について血縁者に何らかの責任があったとしても、血縁者には事件に関する責任はありません。責任を問いたい「世間」の感情に対して、丁寧にしつこく、「血縁者に法的責任はない」「罪刑法定主義」「世間に裁く権利はない」と提示していただきたけないでしょうか。既に被害者がいて、被害者家族がいるのです。血縁者を新しい被害者にする必要はありません。

 強い感情を掻き立てられてしまう事件だからこそ、冷静に向き合う努力が必要なのではないでしょうか。

 今後、衝撃的な事件の報道に接して感情が揺さぶられるたびに、「ん?」と考えてみる方が、お一人でも増えることを願います。