「生活保護”適正化”関連死」の死者数をカウントする提案

生活保護の不適用・適用上の問題による死者は、交通事故死と同等かもしれません。(ペイレスイメージズ/アフロ)

生活保護を利用している世帯数・人員、生活保護費総額は、「増加することが問題」というニュアンスとともに盛んに報道されています。

それでは、生活保護を利用できないことによる死者数や、健康被害・機会損失などを換算した金額は、いったいどうなのでしょうか?

「生活保護世帯は減少」は良いこと、らしい

2017年5月10日のNHKニュースで、生活保護世帯・生活保護受給者数(本記事では現在のところの一般的用語として「受給者」を用います。公的用語は「被保護者」)の減少が報じられました。

以下、このニュースの引用です。太字は筆者によります。

生活保護を受けている世帯は、ことし2月の時点で163万8000世帯余りと2か月連続で減少しましたが、高齢者世帯では依然として増加が続いています。

(略)

厚生労働省によりますと、ことし2月に生活保護を受けた世帯は前の月より516世帯減って、163万8944世帯でした。

(略)これで2か月連続の減少となりました。

(略)

また、生活保護を受けている人は、前の月より2006人少ない214万1881人で3か月連続で減少しました。

厚生労働省は、「受給世帯は、全体では減少したものの、依然として高齢者世帯は増加しており、原因を分析して対策を考える必要がある」としています。

出典:生活保護受給世帯 2か月連続で減少(NHK NEWS WEB  2017年5月10日 11時28分)

厚労省に対しては、財務省から「増加させてはならない」という強い圧力がかかっています。1950年に生活保護法新法が施行されて以後ずっと、です。さらに2000年代以後、その圧力は高まる一方です。

現在の厚労省としては、「生活保護費と対象者は、増加したら由々しくて減少したら喜ばしい」「もっともっと減少させなくてはならない」「さらに増加を防がなくてはならない」というニュアンスでしか語りようがないのでしょう。

しかしながら、「生活保護を必要とする状況が劇的に減少した」という事実はありません。

生活保護での高齢者世帯の増加の背景にあるのは、社会の高齢化であり、現役時代の就労状況を反映した低年金・無年金状況です。

子ども世代に扶養を求めようったって、その子ども世代も自分たちが大変、自分たちの育児で大変。親の扶養までしていたら、子ども・孫世代まで共倒れになりかねません。

さらに女性の場合は、結婚や就労の状況しだいで、簡単に低年金・無年金となります。

幸せな結婚生活を続けていても、

「長年にわたって専業主婦として働く夫を支え、老後は夫婦で年金を受給していたが、夫に先立たれて低年金に」

という状況もあります。

生活保護を必要とする人々は増えて当然、減らそうにも減らしようがありません。この他にも、母子世帯の異常な減り方など、気になるところが多数ある報道です。

「生活保護の必要な人数」を無理やりコントロールしてきた「適正化」の歴史

生活保護制度は、理由を問わず、「所得が少なく資産がない」だけを理由として最低生活を保障する制度です。

理由を問わないのは、雇用・保険など他の制度によって救済できない人を救済する制度だからです。そこで理由を問い、「あなたは自己責任だから」「あなたは性格が悪いから」「あなたの過去には問題があるから」というような理由で対象にしないことにしたら、その人を救う制度は他にないので、その人は「まだ死んでないけど、人間の生活とはいえない」という状況に置かれます。

実際には、「生活保護だけはイヤ」と言って基礎年金だけでなんとか生活している高齢者や、「車か生活保護か」の究極の選択で車を手放せないシングルマザーがいたりもします(買い物も通勤や、子どもの通院の足がなくなるわけですから)。ただ金額で見ると、月々の生活費は「生活保護基準より○%不足」という形です。その不足分だけ、「病院に行きにくい」「緊急事態に備えられない」「機会が奪われる」といった何らかの被害損害は起こるわけです。

このような状況にある人々、生活保護が必要な要保護状態にあるのに生活保護を利用していない人々は、500万人とも2000万人とも言われます。いずれにしても、現在、生活保護を利用している人々の2倍以上に達します。

しかし、生活保護をなるべく利用させない・利用させなくすることによって、「増やしてはいけない」というプレッシャへの対応が行われてきました。

生活保護の「適正化」とは、「なるべく申請させない」「なるべく早く打ち切れるようにする」という運用のお役所用語による表現です。

「生活保護”適正化”関連死」を認識しよう

地震などの災害には、その災害そのものによって直接殺されたわけではないけれども、避難生活をはじめとするストレスによって亡くなる方がいます。そういう方々も、「震災関連死」として認識され、人数がカウントされるようになりました。

それに倣えば、

「生活保護が必要だったけれども、役所の窓口で申請できなかった」

「生活保護を利用しており、まだ必要だったけれども、打ち切られた」

といったことが背景となっている餓死・凍死・病死・孤立死・自殺などを、「生活保護”適正化”関連死」と考えない理由はありません。

「生活保護”適正化”関連死」の死者数は?

しかし現在のところ、「生活保護”適正化”関連死」の死者数を正確にカウントすることは困難です。

「生活保護を利用できなかったゆえに餓死した」

「生活保護を打ち切られたので自殺した」

といった事例は、たまに判明し、メディアに報道されて広く知られ、忘れられることになります。

「たまに」と書いたのは、おそらく氷山の一角だからです。氷山の全体がどうなっているのかは、想像もできません。

「おにぎり食べたい」餓死事件を思い出してください

2007年、北九州市で50代男性が生活保護を打ち切られ(正確には「辞退届」を自発的に提出するように事実上強制され)、「おにぎり食べたい」と書き残して餓死した事件がありました。この年に予定されていた生活保護基準見直し(=引き下げ)が撤回されたことの背景として、「おにぎり食べたい」餓死事件の影響は無視できないと思われます。2006年から2007年にかけては、北九州市で他に2件、秋田県で1件、生活保護を申請できなかったこと・打ち切られたこととの関連のはっきりした餓死・孤独死・自殺が報道されました。前の事件が忘れられないうちに次の事件が報道された形となり、関心が広まりながら高まっていった形です。

起こり続けるが関心を呼びにくくなった「生活保護”適正化”関連死」

次に生活保護基準の見直しが予定されていたのは、2012年でした(実際には2013年に)。

この2012年には、1月、札幌市白石区の40代の姉妹の病死・凍死が報道されました。何度も福祉事務所を訪れていたのに申請できなかったことが判明しているので、姉妹お2人は間違いなく「生活保護”適正化”関連死」の死者です。

2012年だけでも、全国各地で、「生活保護”適正化”関連死」あるいは「生活保護”適正化”関連死」疑いの事例が相次いで起こっており、それなりに報道も行われています。しかし2012年4月、お笑い芸人の母親が生活保護で暮らしていたことが一大バッシング報道となり、「生活保護”適正化”関連死」を増やす方向への力となってしまいました。

私の近辺には死者はいませんが、

「5年がかりの治療の成果が出て精神疾患が快方に向かっており、そろそろ慣らし就労が可能な状況になっていたのに、バッシング報道で具合が悪くなって引きこもりになり、治療成果が3年分くらい逆戻り」

という生活保護の方は数名いました。「生活保護”適正化”関連健康被害」と呼んでよさそうです。

その後も「生活保護”適正化”関連死」の死者は現れています。

2015年12月、立川市で生活保護を打ち切られた翌日に自殺された男性(参照:拙記事「立川市だけじゃない 生活保護に追い詰められる人々の悲鳴」)は、間違いなく「生活保護”適正化”関連死」でしょう。

しかし2017年現在、「人が死なないように」「人の暮らしが悪くならないように」という方向への動きや、あるいは生活保護基準を下げる動きを止めたりする動きにつながる気配はありません。

「生活保護”適正化”関連死」の人数を試算してみると

ものごとは、できるだけ数量の形で明らかにしたいものです。せめて亡くなられた方の人数くらい、1人の数え間違いもなくカウントしたいと思います。というわけで、今、生活保護関連で執筆中の2冊の本のために「生活保護”適正化”関連死」の試算も行ってみています。

ただ、たいへん困難です。「氷山の一角」くらいは報道から知ることが可能なのですが、氷山の10分の1なのか、100分の1なのか、1000分の1なのか、それを明らかにするデータがありません。

それでも桁の見積もりくらいはできるだろうと取り組んでみたところ、少なくとも年間数百人、もしかすると数千人という結果になり、青ざめました。

数百人の桁だったら他殺並み、数千人の桁といえば、もはや交通事故並みです。

その試算で大きく外していなければ、生活保護が使えない・使えなくなったことと深く関連した死は、他殺や交通事故と同じくらいには当たり前になってしまったことになります。

あまりにも当たり前だから「報道されて知られたら、生きやすい方向へと政策が動く」とはいかなくなったのか、「福祉に殺される」が他殺や交通事故並みになったという事実に日本の人々が慣れすぎてしまったので政策が「生きやすさ」方面には動きにくくなったのか、どういう因果関係があるのかまではわかりません。

可能性の話であるとしても、他殺や交通事故並みに「生活保護”適正化”関連死」が存在するとすれば、大変恐ろしいことです。

さらに、実数がほぼ把握されていないに近い路上生活の方々の、襲撃・事故・病気でも治療を受けられないことなどによる死を正確に計上すると、少なくとも年間1000人以下ということはないのではないかと思われます。

あなたが生きたいなら、その人達も生きたかったはず

「少なくとも年間100人」「少なくとも年間1000人」を、ある程度の確からしさとともに言うには、もう少し明らかにしなくてはらないことがあります。

しかし今、生活保護基準の見直し(≒引き下げ)・母子加算の再度の廃止・生活保護法の再改正が検討されている2017年のこのタイミングで、まずは「生活保護が不足なら何らかの修復不可能な損害が発生する」「生活保護に問題があったら人が死ぬ」ということを、金額や人数で考える必要があるのではないでしょうか。

生育・教育・生活・就労の機会が乏しいことによる損害のカウントは、他の要因も複雑にからむため、容易ではないと思われます。

しかし亡くなられた方々の人数くらい、「概ね」「桁」が精一杯としても、なるべく妥当にカウントしたいものです。

その上で、さらに「これほどの人数が亡くなっている」と認識した上で、もちろん「いや国の財政事情も大変で」は認識しつつ、これからを考えるべきではないでしょうか。

私は死にたくないし、仕事も生活も充実させたいし、これから先の人生に夢も希望もあります。

私に「生活保護”適正化”関連死」と括られる(すみません)亡くなり方をされた方々お一人お一人も、口で「死にたい」「もうどうでもいい」と言いながらも、生きたくて、よりよい生活をしたくて、夢や希望をもって少しずつでも実現してみたくてたまらなかったのではないかと思うのです。

せめて生き延びていれば、そういう日も来たかもしれません。でも亡くなられたので、その機会は永遠に失われてしまいました。

これから「生活保護”適正化”関連死」をする方々が少しでも減ること、いずれは日本の社会を名実ともに「捨てたものではない」ものとすることこそ、亡くなられた方々への、せめてもの慰霊となる行為であろうと思われてなりません。