学ぶ意義は、どこに? - 元・英語落ちこぼれが贈る、オトナのための実践学習術
改めて。外国語の学習は、誰の何の役に立つのでしょうか?(ペイレスイメージズ/アフロ)
文科省によれば、中学3年時の英語力は、到達目標である「英検3級程度」を大きく下回っているということです。
文部科学省は24日、中学3年生を対象にした2016年度の英語力調査の結果を発表した。「読む・聞く・書く・話す」の4技能のうち「書く」では、英検3級程度以上の生徒の割合が50・8%となり、政府が中学卒業時の目標とする「英検3級程度以上が50%」を達成した。その他の3技能は20~30%台で、技能の偏りが目立つ。
どこに問題があるのかは、正直なところわかりません。カリキュラムが悪いのか、先生が悪いのか、生徒が悪いのか。
ただ、過半数の中学生が、中学英語の到達目標まで到達できないまま中学を卒業していることは事実です。
英語に限らず、学校在学中の限られた期間で、本人や家庭や学校や文科省の期待どおりに学べるとは限りません。
それに、引用記事中の調査結果を見る限り、学校に「到達目標まで引っぱり上げてから出してもらう」は期待できそうにありません。
学校を離れた後に、あるいは行きたいけれど学校に行けなかった方々が「学歴エリート」ならぬ「学び歴エリート」になるルートは、案外ありそうです。といいますか、ぜひ、存在してもらわなくては困ります。
私自身は、中学3年で英語落ちこぼれとなり、中3~高3の4年間、学校の英語の授業がほとんど理解できませんでした。でも今は、英語で取材したり研究発表したりしています。
本記事では、学校で学ぶ意味・学校を離れてから学ぶ意味・どうすれば無理なく苦痛少なく学べるかを、自分の経験と視点から述べてみます。
文科省の英語力調査への疑問
冒頭で引用した文科省の英語力調査結果には、「は?」と疑問を感じる点があります。
「書く」技能だけ50%、「読む」「聴く」「話す」は20~30%、という点です。
「読めるけど書けない」「聞けるけど話せない」、さらに「読めるけど聞けない」「書けるけど話せない」は、非常によくあるパターンです。でも「書けるのに読めない」とは、はて、なんだ?
冒頭で引用した記事には、調査結果のもう少し詳しい表があり、「英検3級程度」の上下に当たる層の成績も示されています。
それらの成績には、特に不自然な感じはないのです。
英検準2級程度 「読む(3.0%)」≒「聴く(2.1%)」>「書く(0.1%)」 (「話す」は結果なし)
英検 3級未満 「読む(74.6%)」≒「聴く(75.3%)」>「話す(68.6%)」>「書く(49.2%)」
もしかすると「聴く」「話す」の試験内容が容易すぎるのかもしれませんが、アウトプットよりインプットの方が易しいという、当然といえば当然という結果になっています。
英検3級相当レベルだけ、
英検 3級相当 「書く(50.7%)」>「話す(31.2%)」>「読む(22.2%)」≒「聴く(21.9%)」
とは? はて、なんだ?
それはともかく、義務教育の中学校までの段階では、英検3級相当の英語力、「まあまあ英語が使える」といえる英語力を学校で身につけることは通常は難しいようすです。それだけは確かといえるでしょう。
英語の授業が全然わからなかった私
私は現在、まあなんとか、英語も使って仕事をしています。
最後に受けたTOEICの成績は約800点でしたが、正確な受験日時や点数はわかりません。あまりにも長いこと受験していないので、TOEICのアカウントを抹消されてしまい、成績が確認できなくなってしまったのです。たぶん2011年ごろではないかと思いますが。
英語を使った仕事は、それ以前からしていました。
でも私は、中学3年から高校3年まで、学校英語の授業の内容が、ほとんど分からないほどの落ちこぼれでした。
中学3年のとき、学校の英語教師が、文法を細かく正確に教えるタイプの人に替わりました。その英語教師は非常に熱心で良心的だったのですが、私は要求されるペースで文法を覚えることができず、気がついたら落ちこぼれていました。
一度苦手意識がついてしまうと、英語に関連する何もかもを遠ざけたくなってしまい、高校3年まで、学校英語がほとんど分からない4年間を過ごしました。
直行できなければ迂回路でもいいのでは? 思わぬ方面からの救い
学校英語がほとんど分からなかった中学3年~高校3年までの4年間、私は音楽方面での進学を考えており、作曲家・ドビュッシーに耽溺していました。
学校の英語の成績が毎度赤点、追試の常連であることは、さほど気にしていませんでした。「英語が出来ないままでは、将来の選択肢を狭めてしまうことになるだろうなあ」という危機感は少しはありましたが、イヤなものはイヤ。ああ、第二次世界大戦で日本が勝利して、日本語が国際公用語になっていればよかったのに。そんなことを大真面目に考えている、ごくありふれた、英語落ちこぼれ高校生でした。
でも英語がイヤでも、ドビュッシーの音楽を追求したかったら、フランス語は読めないと困ります。なにしろドビュッシーは、フランスの作曲家であることに強いこだわりを持っていて、自分の作曲する楽譜の中での演奏者向けコメントを全部フランス語で書いていたのです。歌曲の歌詞もオペラの歌詞も、全部フランス語です。
英語に強い苦手意識を持っていた私は、フランス語も「勉強したい」という気にはなれませんでした。アルファベットが並んでいるのを見るだけで、正直なところ、逃げ出したくなるような状態でした。でも、ドビュッシーの音楽の魅力は、「アルファベットの羅列を見たくない」という気持ちより強かったので、歌曲やオペラを聴きながら、フランス語と日本語の対訳を眺めていました。
そのうちに、歌ってみたくなりました。楽譜にカタカナで読みを書き込み、少しずつドビュッシーの歌曲を覚えていきました。
さらに、「これが名詞でこれが形容詞らしい」というアタリがつくようになりました。すると、英語と違う文法に従っているらしいフランス語が、少しずつ見えてきました。黒猫は、英語で「黒い」「猫」ですが、フランス語では「猫」「黒い」です。日本語だと、「黒猫」「黒い猫」あるいは「猫の黒いの」と、形容詞の「黒い」は名詞「猫」の前でも後でもイケます。また、英語にはない名詞の性別が、フランス語にはあります。
私はいつのまにか、
「名詞と形容詞の順序の違いは、黒い猫を見た時に、最初に目に入るものが『黒』『猫』『黒または猫』という違いをもたらしているのかも」
「そもそも言葉が出来たときは、なんでも擬人化していて、だから女性名詞と男性名詞のある言語が今も残っているのかも」
というようなことを、ぼんやり考える高校生になっていました。
気がついたら大きなジャンプをしていたのに気づいたのは、高校1年から2年にかけ、ドビュッシーが生涯に完成させた、ただ一本のオペラを丸暗記してしまった後です。とはいえ、中世ヨーロッパの王家が舞台となっているそのオペラには、地下鉄の乗り方も買い物の方法も出てきません。
あるとき、テレビに俳優のアラン・ドロンが登場して、日本人アナウンサーのインタビューに答えていました。そこには通訳がいて、もちろん、アラン・ドロンはフランス語で答えていました。見るともなく見ていると、アラン・ドロンが語ったことを、直後に通訳が日本語で話していました。私は驚きましたが、一瞬の後、
「あ、もしかして、私、アラン・ドロンのフランス語を聞き取れてんの!?」
と気づきました。聞き間違いもありましたが、40~50%は聞き取れていたようです(その後、ブラッシュアップを全くしていないので、現在は「ほとんどわからない」に近くなっています)。
これで少しだけ自信をつけた私は、フランス語と日本語が両方書いてあるものを見る機会があったら、日本語を読む前に意味を推測してみて、その後、日本語を読んで「当たった!」「外れた!」を楽しむようになりました。
そこから、英語アレルギーが少しずつ消えていきました。
フランス語だって、きちんと教科書で勉強したわけではありません。オペラ一本丸暗記、他はそこから推測、それだけ! です。そのフランス語を道具に使って、「英語のアレはフランス語のコレ」と、高校の英語教科書を解読できるようになっていきました。高校の英語の成績は、「毎度赤点」が「赤点でないことが、ときどきある」になる程度の向上はしましたが、パッとしないままでした。
高校3年生になって大学模試を受験するようになると、相変わらず、英語がネックになる状態ではありましたが、それでも英語は偏差値で50~55程度でした。高校の英語の先生たちは、「なぜ、赤点常連が?」と驚いていましたけれども。
意味が完全に分からない外国語を読むことに、私は取り立てて抵抗を持っていませんでした。なにしろフランス語が読みも意味も全然わからないところから、若さに任せた丸暗記で、ある程度分かるようになっていたわけですから。その後、通常の高校生は、模試の英語の長文読解は、習っていないところから長い文章が出てきて、その場で意味を取らなくてはならないというプレッシャーを伴うようであると知りました。
当時、入試にヒアリングはありませんでしたが、「英語の読み書きは平均よりちょっと上」レベルのまま、私は高校を卒業しました。
英語の勉強したくない、でも出来るようになりたい
私は高校を卒要した直後、偶然からプログラミングのスキルを身に着け、予備校に給費生として通いながらプログラマをやっていました。
当時は、日本語に翻訳されたコンピュータ専門書は多くありませんでした。それにコンピュータもプログラム言語も、考え方や作られ方の故郷の多くが欧米です。
「英語で落ちこぼれたままでは、自分はすぐに、成長できなくなりそうだ」
と思いました。でも、せっかく高校を卒業して、高校英語から解放されたのです。やはり「英語の勉強なんかしたくない」とも思いましたし、英文法を覚えようとすると脂汗が流れるような状態でした。「勉強したくない」というより「勉強できない」が正確なところでした。
そこで私は、フランス語を曲りなりに理解できるようになった経緯から、「とにかく英語に触れよう」と決めました。
「NHKのラジオ英語講座だけは、本放送と再放送で1日2回聴き、毎日、その内容だけは身につける」
ということにして、本当にそれだけしかしませんでした。
レベルとしては、中学3年~高校1年相当の「英語会話」なら何とかついていけそうだったので、それを朝晩2回聴きながら口に出したり書いたりしてみることにしました。高校を卒業していた私がそんなだったわけですから、学校英語で本当に落ちこぼれていたことを信じていただけるでしょう。
予備校のテストや模試の英語の成績は気にせず、とりあえず「朝晩2回の『英語会話』」だけは実行していたところ、半年後の9月、突然、予備校のテキストに載っていた英語の文章が、ドサドサドサドサという感じで頭に入ってきました。その直後に受けた模試では、それまで55前後だった偏差値が、いきなり70近くに伸びました。
文法が頭に全然入っていなくても、「20分の放送を1日2回聴き、その内容だけは覚える」だけで伸びたのです。
苦手意識が消え、周囲に苦手と思われない成績という裏付けができた私は、怖いもの知らずになりました。予備校の授業では、積極的に添削を受けたり答えたりするようになりました。「中高の英文法が頭に入っていない」という問題は解決していませんから、「ここ間違ってるよ、中学1年からやり直したら?」「ダメじゃん? どこ受けるの? ○大? え?」と笑われたりしていましたが、実際に読めるし書けるし聴けるし、ある程度は言えます。うっすらと、「私がダメなのは学校英語で、英語そのものじゃない」と思えていましたから、授業でどれだけ笑われても気になりませんでした。その頃、英検2級を受けたら合格して、ますます自信がついてしまいました。
大学・社会人以後の英語学習
私は大学夜間部入学とほぼ同時に、研究所の補助員として働き始めました。機器のマニュアル類は全部英語、日本語が全然わからない外国人研究者との仕事上のやりとりも日常でしたから、英語が嫌いになったり苦手になったりしているヒマはありませんでした。
ただ、積極的に勉強したいかというと、そうでもなかったのです。中高で植え付けられた苦手意識とアレルギーは、やはりどこかに残っていました。なので、「触れる」「確実に覚えられるものは覚える」だけを励行していました。
といっても、大したことはやっていません。ロックバンドもやっていて、英語の歌詞に触れる機会が多いのを活かし、通勤時間中、1週間に1曲くらいの英語の歌詞を、ちゃんと覚えることにしたのです。LED ZEPPELIN はなかなか大変でしたが、Level 42 は繰り返しが多いのでラクでした。
研究所で働いているうちに研究者になりたくなった私は、大学院を受験しました。英語には勉強時間をなかなか割けなかったので、大学院入試問題に出る専門用語を、ZEP や Level 42 の歌詞に当てはめて歌って覚えるなどしていました。
大学院入試本番では、専門で最も配点率が高かった物理の試験中に、大部分を解かないまま居眠りしてしまいましたが、当時得意だった数学と英語の成績が良かったので、総合点で合格範囲に滑り込みました。先生方は「ここまで専門が出来ない人を入れていいんでしょうか」と、ずいぶん議論したそうですが、合格させてもらえました。合格すれば、入試の成績は問題になりません。
とにかく、英語に少しでも触れているだけ
私は今でも、「とにかく触れる」だけで英語力をキープしています。
触れるためには「苦痛にならない」が必要なので、疲れている時・やる気のない時は、苦痛にならない範囲にレベルを落として触れています。
苦痛にならない範囲で触れるのを続けていると、ときどきは「もっと触れたい」「この単語の意味をしっかり覚えたい」「ここに出てきた文法がどうなっているのか知りたい」と思うことがあります。そういう時は、そうします。
それだけで少しずつは英語力がアップしてきたのでしょう。1990年過ぎ、勤務先の会社の義務で受験したTOEICのスコアは600点程度だった記憶があります。冒頭で述べたとおり、最後の受験では800点程度になっていました。
TOEICのテストテイクに特化した勉強をすると、もう少し良い点数が取れるのかもしれません。でも、そういうことに燃えない性格はどうしようもないので、「試験直前の1週間に2回、同じタイムスケジュールで模試を解いてみる」程度しかやったことありません。
文法だって勉強したほうがいい、でも無理なものは無理
英語が母国語というわけではない日本人の大人が英語を学ぶにあたっては、やはり、文法を知識として頭に入れることは、出来るならしたほうが良いに決まっていると思います。1ヶ月に3回くらいは、私も「しなきゃ」と思うのです。でも、「この夏は、中高英文法を頭に入れる!」と宣言して、何回、「やるやる詐欺」に終わったことでしょうか。無理なものは無理。中高の英語教育が悪かったのかどうかを、53歳の今、問題にしても意味ありませんし。
単語は覚えたら直線的に効果が出る、味を占めたら「しめたもの」
とにかく、英語に触れ続けていると、分からない単語は常に出てきます。分からないままでもアタリがつけられて大きな間違いがなさそうなら、そのまま放っておくことが、実は結構あります。つけたアタリが当たっていなかったら、その後の文章や文脈で「あれれ?」と気づきます。そこで辞書引けばいいや、と。「ここまで割り切っているから、英語が苦痛にならない」という面もあるかもしれません。
元気・やる気がある時には、せっせと辞書を引くこともあります。電子辞書が現れ、ついでインターネット辞書が出現し、辞書を引くことは、それほど気力を振り絞る必要のある作業にはならなくなりました。「分かんなくて、どうしようもなかったら、辞書があるさ」と割り切ることにしています。
文法と単語には、決定的に違う部分があります。
分からない単語があると、文章がところどころ黒塗りされたも同然になるわけです。でも、その単語が分かると、黒塗り文章が、ふつうの文章になり、「そっか!」「納得!」という快感が味わえます。文法では、そこまでの快感を味わったことはありません。
それに、覚えている単語の量が増えると、文章がラクに読めるようになります。すると、書く時に頭に思い起こせる書き方の選択肢・用語の選択肢が増えます。「辞書を引くとこの意味だけど、この場面で使っていいのかな?」というカンも働くようになります。
一日一個だけ単語を覚えていくと、一年で約300語、十年で約3000語を覚えることになります。
私の語彙力は、ネットで無料で受けられるテストの類で測ってみると、だいたい8000~12000語の間になることが多いです。まあ「読む」はなんとかなるレベルです。
「書く」、さらに「話す」となると、その場面ですぐ使える単語の数はずっと少なく、「あああ自分ダメじゃん」と思うことの連続なのですが、実際に使われている単語の中に、自分の使える単語が増えれば、自分自身の英語力は確実に「使える」ものに近づくわけです。
後記(2017年2月28日):
「聴く」「話す」の方は、特にインタビューや会話の場面では、いわゆる「英語力」と異なるファクターが必要であったりモノを言ったりすることが多いです。もちろん、テストのスコアとして能力を計測することは可能ですし、それは一定の目安にはなるのですが、「テストの点は取れるけど使えない」「テストの点は良くないのに使えている」がありえます。しかし、聞いてわからなかったら、「今、なんとおっしゃいました?」「その言葉の綴りは?」「今言われたことは、……という意味ですか?」「今、……と言われたと理解しましたが、それで正しいですか?」とか問い返せば済む話ですし、それが次のさらに詳細な説明やエピソードにもつながります。英語力そのものも重要ですが、むしろ心臓に毛が生えていること、できれば剛毛をわさわさと生い茂らせておくことの方が重要なのかもしれません。
ペースメーカーとして外国語学習は有効
不調のとき、不遇のとき、「こんなことやっても、何にもならないのでは?」と自責してしまうときは、とにかく「読んでわかる英語の単語数を増やす」というようなことを、機械的にゲーム感覚でするようにしています。
どんなに不調不遇自責モードの時でも、「覚えた単語が増えた」は事実だし、その積み重ねは、ほんの少しずつでも、確実に力になりますから。
「毎日少しずつでも自分の目標に近づきたい」というとき、目標に近づくために、外国語学習が役に立つのなら、それをペースメーカーにすることは、強くお勧めできます。
その外国語を習得しても、スキルを向上させても、目標には到達できないのかもしれません。
でも確実に、近づくことはできます。
最終的に、目標を諦めなくてはならないとしても、その時に身についていた外国語のスキルは、「目標にこれだけ近づいた」に対する自己満足を、何らかの裏付けとともにもたらしてくれます。
そのことは「外国語だけはなく、目標に近づくための何かも少しくらいは見についたはず」という自信を、ある程度の根拠とともにもたらしてくれます。その自信とともに、次の目標を設定して、そこに近づこうとすればよいのではないでしょうか?
大人になっても学べるし、学ぶことには意味がある
学校で長期間・長時間学ぶ外国語が、もう少し「使える」ものであってほしいという思いは、私にもあります。
でも短期的には、そういう状況は期待できそうにありません。
ましてや、学校を離れて長い期間が経過した大人にとっては、学校英語が良くなっても悪くなっても、直接の恩恵はあまりないことになります。それに、学校を離れてからの人生、学びたくても思うに任せないことの多い時間の方が、はるかに長いのです。
「触れつづけてりゃ、なんとかなるんじゃないかなあ?」
と自分に言い聞かせながら、飽きず、イヤにならないように、自分の必要な何かに「学ぶ」というか「触れる」ことを続けていれば、きっと、なんとかなります。
少なくとも、触れていないより前進していることは、間違いありません。
「やっても意味ない」と諦めたら、そこで止まります。
でも、「やっても意味ないかもしれないけど、触れていよう」と触れ続けていたら、少なくとも、歩みは止まりません。
触れるにもお金がかかる? 公共図書館という強い味方が、日本の多くの地域にあります。
学校での学びに満足している(いた)方にも、満足していない(いなかった)方にも、思い通りに学べる(学べた)方にも、学ぶどころではない(なかった)方も。
必要な学びは、学ぶ対象に触れていれば、何とかなるかもしれません。
対象に無料または廉価で触れる手段は、図書館などの社会教育施設を含め、たくさんあります。
もしも、自分が必要なものに触れる手段が不足していたら、『必要だからもっと』と声をあげましょう。
もしも、自分が必要なものに触れることを妨害する何かがあったら、『その妨害物どけて』と声をあげましょう。
自分にとって必要な「知」にアクセスすること、近づくことは、誰もに保障されている人権の一つなのですから。