立川市だけじゃない 生活保護に追い詰められる人々の悲鳴
生きるための制度が、「生きるのを止める」を促して良いのでしょうか?(写真:アフロ)
生活保護は、生きるための制度です。
にもかかわらず、生活保護で暮らしているゆえの「死にそうに苦しい」「死にたい」「もう死ぬ」という声は、少なくありません。
本記事では、そういう方々から筆者に寄せられたメッセージを紹介します。
なおメッセージはフォームで受け付けており、記事で使用する場合があることを了承いただいています。
真相は闇の中へ?
2015年12月、生活保護で暮らしていた立川市の40代男性が、生活保護廃止(打ち切り)となり、その翌日に自殺しました。そのままなら、数日後に変死体として発見され、事件性があるわけでもなく、忘れられておしまい、という成り行きをたどったかもしれません。
しかし男性の知人の一人が無念に感じ、市議の一人に自殺の経緯と事実をFAXしました。市議は共産党所属です。その人が「思いを受け止めてくれるかもしれない」と思えた市議は、他にいなかったのでしょう。
活動を続けていた調査団
しかしながら、市議とはいえ個人情報の壁に阻まれ、事情を明らかにするのは容易ではなかったようです。2015年3月、出来事は「しんぶん赤旗」で一回だけ報道されましたが、その後は報道が続いていませんでした。私は「残念ながら、このまま『何も判明しなかった』という結果になってしまうのだろうか」と思っていました。
2017年4月に入ってから、調査団の存在と活動が報道されました。気になりながら何もできずにいた私は、男性の無念が忘れられることにならなさそうな成り行きに、ホッとしました。
東京都立川市で二〇一五年十二月、生活保護を受給していた四十代男性が保護廃止決定の翌日に自殺したとして、弁護士らが十一日、決定が適切だったかどうかなどの事実確認と再発防止を求める書面を都に提出した。
遺書は見つかっていないが、都庁で会見した宇都宮健児弁護士は「保護の廃止が男性を追い詰め、将来の展望をなくして自殺に至ったのではないか」と話した。
調査団に参加している稲葉剛さんも、詳細をレポートしています。
稲葉剛公式サイト:立川市生活保護廃止自殺事件調査団が結成され、東京都に申し入れを行ないました。
今この瞬間も、「生きるのを止める」へ追い詰められてゆく生活保護の人々が
生活保護ゆえに「死にそうに苦しい」「死にたい」「もう死にそう」という生活保護の人々、あるいは生活保護にも至れない方々は、少なくありません。
以下は、私のところに直接寄せられたメッセージの要約と、私からのコメントです。プライバシーには若干の改変を加えています。
・暴力の連続、子どもは不登校に(50代女性・母子世帯・子ども1人(中学生))
結婚後、夫からDV被害を受けた。離婚して身を寄せた実家でも虐待された。DVシェルターに保護を求め、母子寮に入所。同時に生活保護開始。
小学生だった子どもは学校で仲間はずれにされ、イジメに遭った。学校ぐるみ・地域ぐるみのイジメに発展し、日常的に暴力を振るわれるようになり、不登校に。中学校からは環境が変わり、登校できているが、授業には全くついていけない状態。
子どもの中学校の制服代など、公費で全額のカバーがされない費用は、社協からの借り入れで補った。返済が生活を圧迫する。
コメント:
残念ながら「シングルマザーあるある」。実家でも虐待されたということは、生育歴も暴力の中にあったのでは。「自己責任だ、しかたない」ではなく、「人生の始まりに近い時期からハンデを背負わされている中で、必死で生き抜いてきた人」という認識が必要です。
・親子とも発達障害らしいが、適切な支援が受けられていない(50代女性・母子世帯・子ども1人(中学生)・前項と同じ方)
子どもは小学校でのイジメ被害からPTSDとなり、医療機関等で治療を受けた。治療プロセスの中で、親子とも発達障害、母親は精神障害との重複である可能性が判明した。
しかし母親は大卒、DVシェルターを経て生活保護で暮らしはじめるまでは就労を継続してきた。その後も途切れ途切れながら就労している。周囲からは、日常生活も支障なく送れていると見られているが、生活は破綻している。周囲には、そのことが全く理解されない。生活保護ケースワーカー、支援窓口の職員、支援団体等に助けを求めたが、関係が継続しなかった。
ご本人は
「わたしはこれまで何度も何度も、どうにかして生活保護を脱却しようと、繰り返し就労をしてきましたが、その度借金が増え、身体は疲弊し、精神も追い詰められています。そして助けてくれる人は誰もいません」
という。
コメント:
このような経緯を経て、孤立と困難が深まっていくことは、非常に多いです。誰に何ができるのか。無力感しかありません。
・生活保護にもたどりつけていない(40代・女性・父および下のきょうだいと同居・居住地不明)
精神障害者(双極性障害)。障害年金を受給しつつ障害者雇用で就労しているが、症状のコントロールが困難で、安定した通勤ができない。会社は、精神障害を考慮して自動車通勤を認めているが、ガソリン代は自腹。家賃・光熱費の滞納もしばしば(他の家族は生活費を充分に分担していない様子)。手元にある現金は、いつも僅かな金額。
現在も父親に虐待されている。生活保護で一人暮らしをしたいが、出来るかどうかがわからない。
コメント:
ご本人に直接お返事できました。
単身での生活保護利用は可能ですが、親きょうだいと同居のままでは不可能です。具体的方法については、地域の支援団体が頼りになります。
・施設入所か保護打ち切りか(40代・女性・母子世帯だった(子どもは別居して自立)・東京都)
就労していたシングルマザー。
事故で負傷して就労困難になり(内容から見て 身体障害2~3級+障害年金 の可能性あるが、障害者手帳も障害年金も取得していない様子)、役所の母子相談員の勧めで、生活保護を利用し始めた。
歴代の担当ケースワーカーの不誠実さ、福祉事務所に出向くと数名の職員が囲い込むように奥の部屋に連れて行こうとする、威圧的であったり怒鳴りつけてきたりするといった対応が続いた。娘には同じ思いをさせないように自立させ、現在は別世帯。
福祉事務所は、他地域の施設への入所を求めた。かかりつけ病院が遠くなるため拒むと、それを理由として生活保護を打ち切った。打ち切りを通知する書面の送付先が誤っており、手元に届かず郵便局に戻っていた。しかし福祉事務所は「受け取ったとみなす」とした。
コメント:
保護打ち切りまで数日というタイミングならば、生活保護を打ち切られてすぐ再申請する手はずを整えるしかありません。並行して支援者(弁護士がベスト)探しが必要。
・ケースワーカーの暴力に抗議したら生活保護打ち切り(40代・女性・母子世帯・子ども2人(中学生・高校生)・四国地方)
シングルマザーとして子ども2人を育ててきたが、過労で持病が悪化して倒れた。その後は生活保護を利用しつつパート就労。現在は中学生・高校生になる2人の子どもを育ててきた。子どもの一人は持病があり、学校でも家庭でも観察・看護が必要。
数年前、生活保護ケースワーカーに暴力を受けた。市議会議員・地域の弁護士などの支援のもと、抗議を続けてきたところ、生活保護廃止(打ち切り)となった。
コメント:
封建的かつシングルマザーへの偏見が強い地域で、時々聞く事例です。目先の対応としては、生活保護の再申請→経済状況は変わりないので保護開始とせざるを得ない→…… となります。
・制度の谷間に落ちて生活が困難(40代・男性・単身・東京都)
傷病のため生活保護受給中。一ヶ月あたり10回以上の通院が必要。日常生活にも支援が必要だが、障害者手帳の対象になる状態ではない。担当ケースワーカーの調整があれば受けられる支援もあるが、対応してもらえない。支援団体や議員にも相談してみたが、「生活保護を既に受けている」という理由で、支援が受けられなかった。
コメント:
生活困窮者支援事業がもともと目指していたのは、「その人の困難」に寄り添うことでした。現在は原則、「生活保護なら生活困窮者自立支援の対象にならない」ということになっています(生活保護世帯の子どもに対する学習支援は例外)が、ケースワーカーが社協・生活困窮者支援部門などに働きかければ何とかなる可能性はあります。でも、その担当ケースワーカーさんが動いてくださらないことが問題。堂々巡りです。
・高校生の子どもの給付型奨学金が収入認定された(40代・女性・母子世帯・子ども1人(高校生)と同居・関西)
貧困母子世帯で育ち、学校にほとんど行けないまま、結婚・離婚。貧困の中で就労もしつつ育児。「生活保護世帯の子供こそ学び、社会に出る時に確実な生計の手段を持たせないと、貧困が連鎖する」と考えている。子どもはよく勉強し、高校進学時に給付型奨学金を得られることになったが、福祉事務所に収入認定(召し上げ)された。子どもに高校進学を断念させて働かせると、いかがわしい仕事・身体を酷使する仕事・低賃金の仕事しかない。子どもは、大人になっても安定した就労ができず、また生活保護に戻るしかなくなるかもしれない。
コメント:
「給付型奨学金を収入認定してはいけない」という厚労省通知が発行された後の話です。生活保護で暮らす人々が福祉事務所に対する不平不満・異議申し立てをすると、ネット世論は生活保護の人々への(断じて福祉事務所ではなく)批判へと動きますが、ケースワーカーも福祉事務所も自治体も、いつもいつも必ず正しいわけではないです。最新の通知通達も読み込んで熟知しているベテランがいなければ、簡単に誤ります。
最も深刻なのは、子どもさんの人生を捻じ曲げ、貧困から脱却する機会を奪っているかもしれないということです。謝罪されても取り返しはつかないかもしれません。しかし、私が取材して世の中に伝えられるのは、ほんの氷山の一角でしかありません。
・医療での差別がひどい(50代女性)
医療機関や医師による生活保護受給者差別がひどい。受診さえ受け付けない医療機関が多い。受診出来ても、きちんと診察されなかったり、不親切な対応をされたりすることが多い。
眼科で「精神疾患じゃないか、精神科に行け」と言われたこともある。無意味な処方箋を出され、抗議すると警察を呼ぶと言われた。さらに「もう生活保護受給者の受診が出来ないよう断る」と言われた。
コメント:
障害者も同様です。何も要求していないのに「要らない治療や薬を欲しがっている」という偏見をぶつけられることは、自分自身、結構な頻度で経験してます。公費負担率が通常より高いだけで、そういう見方をされるものです。生活保護なら「なおさら」でしょう。
ご自分で可能な対応は、精神障害の可能性が高いのなら、障害者手帳を取得し、介護サービスの利用を申請し、通院支援を利用することです。
医療機関に可能な対応もあります。というのは、その方の言動に何らかの問題があった可能性は否定できないからです。まずは医療機関の側で「相手は生活保護ゆえに傷つきやすくなっている」という前提のもと、言動に注意していただきたいと思うところです。どうしても「来てほしくないけど、拒めない」というのであれば、担当ケースワーカーに同行をお願いすることが可能な場合もあります。福祉事務所に相談を。
・相続争いから生活困窮、「争族」は福祉事務所幹部(40代・男性・居住地不明)
元ICT企業勤務。激務からうつ状態になり失職。
状態ははかばかしく改善せず、家族の同意のもと医療保護入院。症状改善後も家族が退院に同意しないため、なかなか退院できなかった。
当時は母親と同居していたが、数ヶ月で母親が病死。その後は結婚したきょうだい(1人)夫妻との間で相続争い発生。差別的な言葉や罵倒を受けるようになった。
本人は非常勤ながら就労を続け、職業教育を受けるなどの努力を重ねていたが、老朽化していた家(亡母のもの)のメンテナンスをする経済的余裕がなかった。そのうち、シロアリ被害で家が住めない状態に。現在は安価なビジネスホテルに宿泊しているが、あと10日ほどで手持ち金が尽きる。もう生活保護しかないと思う。ところが、相続争いの相手であるきょうだいの配偶者が、地元の福祉事務所幹部。弱者に寄り添う支援による知名度は全国的。支援団体に相談してみたが、どうも左派に相談するのは抵抗がある。もう変死体で発見されるしかないかもしれない。
コメント:
貧困問題の狭い世界の中では、右とか左とか、実はあんまり関係ないんです。福祉事務所幹部である義理のきょうだいは、左派にも良く知られている人かもしれません。
生活保護の申請と利用については、義理のきょうだいが福祉事務所に居ようがなんだろうが関係ないのですが、どうしても気になるのなら、弁護士が中心になっている支援団体を選べばいいと思います。「しがらみ」が気になるので受けられないということはありえますが、その場合は他の弁護士さんを紹介してもらえばいいと思います。
必要なのは「食える支援活動」
このようなメッセージを頂戴したとき、私は稀に対応出来ますが、出来ないことの方が圧倒的に多いです。
差し迫った状況なら、自分が対応できないとしてもお役に立てそうな支援者をご紹介しようと思うのですが、しばしば、メールアドレスが誤っているなどしてメールが届きません。
動転していてメールアドレスを間違えたのか、「最後に言ってみた」で充分なのでメールアドレスをわざと間違えたのか、どういうことなのかは分かりません。
電話番号が書いてあることもありますが、コールバックすると当方の電話番号も知らせることになります。番号非通知にすることはできますが、電話するだけで、先方は「今後も電話で話せるもの」と期待するでしょう。その叶わない期待は、最初から持っていただかない方がよいだろうと思います。
しかし今回、記事のために読み返して改めて気づいたのは、深刻かつ差し迫った状況にある方が本当に多いことです。生活保護は、保護費と人的支援がセットであるところが最大のメリットなのですが、それがかえって災いして、あるいは機能せず、こうなってしまうのでしょう。
最後のセーフティネットであるはずの生活保護からも落とされそうな方々が多数いるという現実に対しては、まず「生活保護、ちゃんとしてよ!」と言うのが筋ですし、私自身、それを言い続けてきたわけですが、今、生活保護から落とされそうな方に対しては、役に立ちません。
一定の責任のもと、相談を受け、実際の支援を行えるような人々や機関が、もっともっと必要なんだろうと思います。ボランティアでは長期的には続けられませんが、その人々の人件費があれば、責任を求める裏付けも出来るわけです。
まず、目指すべきところは、「食える支援活動」でしょう。そのためにどうすればよいのか、具体的な方法は思い浮かびませんが。
なお、上記の事例のいくつかは実は立川市であることを、最後に補足しておきます。