17.御所さんと天智天皇 由 緒 古川(ふるかわ)にある旧村社、御所神社(ごしょじんじゃ)の祭神は天命開別天皇(あめみことひらかすわけのすめらみこと)、つまり天智天皇である。その由緒を跡付ける資料としてはとくにないが、『西條誌』には次のように書かれている。 ○御所明神祠(方一尺五寸)神主朔日市村 高橋備中 此祠、前に見へたる水越の下の堤の外にあり、古木茂り、鼬鼡棲み、鴟梟夕へに鳴き、妖貍昼顕ハるゝの地と荒レ果たれ共、其古ヘを尋れハ、天子駐蹕の地とハ申し伝へたり、 斉明天皇(三十八代)當國の熱田津に至り玉ふと云事、日本紀に見へたり、熱田ハ、今の西田也といふ事、保國寺の縁起に見ゆ、皇嗣ハ、天智天皇也、此處にて斉明の諒闇に居玉ひて、所謂秋の田の御詠ありしといふ事も、亦保國寺の縁起に見へたり、此縁起も、牽合の説あるべけれハ、信じ取ルとにはあらざれ共、土人昔より申伝る旨とも合ひ、又御所といふ号も、故ヘある事と思ハるれハ、其説を表し出す也、 此祠の近きあたりの田地の字ナに、局といふ処もあり、かりの皇居にも、此等の御構ヘありしにや、古川、今の在所并土塲の在所共、此祠を臍緒神と崇め、重陽を祭日とす、天智を祀歟、斉明を祭ルにはあらじ、 御所さんは明治以降は御所神社、それ以前は御所明神と称していた。地元では御所殿、御所はんとも呼んでいる。元来こうした伝承があったから『保國寺縁起』にも書かれているのか、『保國寺縁起』が書いているからこんな伝承が今日に伝わっているのか、判然としない面もあるが、近くの安知生・西田辺りの熟田津石湯に斉明天皇が逗留したとの伝承には様々な角度から真実味があるので、この一帯に斉明天皇の船団が停泊したのであれば、天皇の行宮が熟田津であっても、中大兄皇子の行宮は古川に存したことは考えられる。 御所神社の移動地 | 伊予には斉明天皇が越智郡朝倉(現在は今治市)で崩御したとの伝承があり、その後、宇摩郡土居町(現在は四国中央市土居町)津根(つね)の磐瀬行宮(村山神社)に向かったと伝えており、その途中の古川に残る天智天皇の伝説から、この地を諒闇(服喪)の地と考えたのかもしれない。しかし、わずか7日間の内に朝倉でも何らかの儀式をし、史料によると村山神社でも祭祀を執行していることから、移動の途中の古川でわざわざ船を泊めて喪に服するような日数的余裕があったとは思えない。また、秋の田の御詠は、筑前朝倉にも土佐朝倉にも同様の伝承があり、それぞれが勝手にそう信じているだけのことであろう。 ただ、『保國寺縁起』は皇太子が帰途、古川に立ち寄り、天皇を偲んで以下の歌を詠んだことも同時に記している。 きみがめの こほしきからに はててゐて かくやこひむも きみがめをほり この『日本書紀』に載る天皇哀慕の地の伝承については、一顧を要するものがあろう。なぜなら、西条の海岸線が生前の斉明天皇と逗留した思い出の熟田津の地であり、皇太子の行宮が古川に存在したとすれば、帰路にも立ち寄った可能性は大きいと思われるからである。西征時だけでなく、難波津への帰途も伊予の津々に停泊しながらの航海であれば、当然、熟田津近くの自分の行宮が存した場所に暫く留まり、亡き母を偲んだこともあり得ただろう。これが、天智天皇の「御所はん」である可能性は高いと考えられる。在所の住民がこの祠を臍緒神と崇め、重陽(ちょうよう)を祭日とするという慣わしとも合致するものがある。 神社の移転 御所さんは以前は加茂川沿いの寂しく鬱蒼たる林の中にある祠だったのだろう。昔、この杜には御所狸(ごしょだぬき)が住んでいて、通りかかりに化かされたとの話が伊予の民話集にも載っている。当時の御所さんは加茂川の左岸にあった。しかし、昭和41年に河川工事のために移転したのである。 新産都の指定を受けた西条市は、加茂川の改修工事の一環として堤外にあった此の社をとり払い、その補償金を充当して局の地に新しい社殿を造営した。昭和41年の秋のことである。 ~真鍋允親著『伊豫の高嶺』~ こうして神社は対岸の局(つぼね)の地、現在の御所通り地区に移されたのである。 現在の御所神社(産業道路南) | しかし、これも42年ばかりで、平成20年に産業道路南の現在地に再移動をしている。最初の旧跡にはこれといった記念碑もなかったが、やはり平成20年に古川自治会により加茂川西岸土手上に石製の標柱が建てられている。 古川村 御所殿 祭神 天命開別天皇 本殿 1尺5寸×2尺5寸 拝殿 1間×1間半 鳥居 1基 社地 15間×5間 これは、明治7年甲戌5月の伊曽乃神社の明細帳に記された御所神社の記載である。往古のことは分からないが、この時点では小さな祠であろう。それでも旧村社であり、拝殿に鳥居は供わっている。 なお、早川(はいがわ)の御陵神社にも天智天皇の伝承があり、祭神とされている。両社に何か関連性があるのかもしれない。
神社の由緒 熟田津の地ともいわれている。古川乙松原にあったが昭和41年河川改修にて古川寅巳に仮移転、古川中条に奉還する。 平成20年10月吉日
| 狛犬は新しい
| 加茂川の御所神社旧跡を示す標柱 | 2010.10.01 ◆ 関連ページ 9.橘新宮神社と熟田津村 26.御陵神社と天智天皇 ■ 参考文献等 『西條誌』 『保國禅寺歴代略記』 『日本書紀』 『伊豫の高嶺』真鍋允親著 『縣社伊曽乃神社管轄大小神社明細帳』 『西条市誌』 『愛媛縣神社誌』
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