- 「母親はすぐに母親になれるが、父親はすぐに父親になれない」説についての疑問
- 平等でありたい私が直面した現実
- ほ乳類のオスとメスは平等ではなかった
- 漫画「寄生獣」で言っていた「命令」
- 父親と母親は平等ではなかった
- 母親は動物的本能で母親になり、父親は人間的文化で父親になる
「母親はすぐに母親になれるが、父親はすぐに父親になれない」説についての疑問
よく、子供が産まれると「母親はすぐに母親になれるが、父親はすぐに父親になれない」と聞く。
母親は10ヶ月間もずっとお腹の中で大事に子供を育てていて、その期間にお腹の中の赤ちゃんにたくさん愛情をかけている。
だからその差があるんだと。
それに対して私は、そうなのかなぁーと甚だ疑問に思っていた。
いくらお腹の中に10ヶ月いたからって、子供が産まれて父親、母親になる瞬間は一緒じゃん、と。
実際に私は妊娠中、そこまでお腹の中の赤ちゃんに愛情を注いでいなかったように思う。
それよりも自分の体がしんどかったり、重かったり、寝にくかったり、そういう事のほうが重要だった。
要は赤ちゃんよりも自分の方が大事だったのだ。
ちゃんと生きているのだろうか、ちゃんと育っているのだろうかという不安は常にあったが、お腹の中の赤ちゃんも頑張っているんだから、自分も頑張ろう、とか微塵も考えていなかった。
私は、妊娠期間中に母性を感じる事は無かったのだ。
平等でありたい私が直面した現実
私は男女は常に平等でありたいと思っている。
夫とも常に平等を意識しており、少しでも平等性に欠けると思ってしまうと、ものすごくイライラしてしまう。
当然、父親も母親も平等でなければならない。
だって父親も母親も、親になる時は一緒なのだから、平等でないとおかしい。
しかし、現実は違った。
冒頭で述べた「母親はすぐに母親になれるが、父親はすぐに父親になれない」というのは真実だったと思い知らされたのだ。
母親は、子供が産まれたらすぐに子供が世界の中心になる。
自分よりも子供のほうが数百倍大事で、旦那なんか本当にどうでも良くなる。
産後すぐは、自分の事ですらどうでも良くて、赤ちゃんの世話でいっぱいいっぱいだ。
しかし夫は違った。
夫は、子供が産まれても今まで通り、自分の好きな時間に寝て、自分の好きな時間に起きて、自分の好きな時間に風呂に入ったり食事をしたりトイレに行ったりしようとした。
そんな夫の態度に、私はものすごくイライライライラしてしまった。
父親になったのに。
なんで今まで通りなんだ。
なんて自分勝手な奴なんだ!
と。
ほ乳類のオスとメスは平等ではなかった
しかし、よくよく考えてみると、仕方の無い事だったと思う。
母親が子供が産まれたらすぐに母親になれるのは、10ヶ月もお腹の中で赤ちゃんを育てたからでは無かった。
ただの、ホルモンの影響だった。
ある意味「10ヶ月もお腹の中で育てたから」というのは間違っていないのかもしれないが、それは精神的な事ではなく、かなり肉体的な、生物学的な部分がものすごく大きいと思う。
母親は妊娠から出産まで、今までに無く身体に変化がある。
そして死ぬ思いで出産し、産後の身体の変化もかなり激しい。
そして産後のほ乳類のメスは、総じて攻撃的になるらしい。
普段なら逃げるだけの場面でも、敵に襲いかかって行ったりするのだ。
それは「子供を守る」という母親の本能がそうさせているのであって、自分の意志とは関係なく、自然の摂理でそうなっているのだ。
今まで私は人間として生きてきたが、自分がほ乳類のメスだと思った事は無かった。
しかし産後は、私もほ乳類のメスなんだなぁーと改めて感じた。
産後というものは、自分の動物的な本能というものを一番感じられる時期だと思うし、自分がこの地球に生きている動物だと、地球、いや宇宙と一番近くなれる瞬間じゃないかとすら思う。
出産経験者なら分かると思うが、あれだけ自分がコントロールできなくて、何か大きなものに振り回されている感覚って、産後以外に無いんじゃないかと思う。
母親は、そんな宇宙の神秘に否応も無く動かされているのだ。
子供が産まれても、身体の変化が一切無い父親。
そもそも生物学的な話をするなら、男性は妊娠させる事で種を繁栄させるという役割だ。
子供を守り、育てる役割は担っていない。
そんな父親が、母親と同じになれる筈が無かったのだ。
漫画「寄生獣」で言っていた「命令」
漫画「寄生獣」では、
「地球上の生物はすべてが何かしらの「命令」を受けている」
というセリフがある。
「ハエは教わりもしないのに飛び方を知っている」
「クモは教わりもしないのに巣のはり方を知っている…なぜだ」
と。
確かに人間は、ご飯の食べ方、子供の作り方、出産の仕方、授乳の仕方など、結構生命の根源的な部分でさえも、人から教えられる事で生きている。
しかしその他の動物や魚や虫たちは、誰に何を教えられた訳でも無いのに、種を繁栄させるための行動をしている。
人間も昔はそうだったのだろうが、人間独自の文化が発展していく上で、そのような「命令」を感じ取る感覚が鈍くなったのだと思う。
しかし、産後の私は、何か「命令」というようなものを受けていたように思う。
それは
「子供を守れ」
というものだ。
産後というものは、そこまで感性が研ぎ澄まされ、人間本来の動物的な部分に近くなるのだ。
父親と母親は平等ではなかった
私はその事に気付いてから、父親と母親は平等であるべきだという考えを改めた。
そもそも生物学的に役割が違うのだ。
子供も、「ママ、ママ」と私ばかり求めてくる。
私は結婚が割と早かった為、夫と2人での結婚生活が長かった。
子供が産まれる前までは、私と夫は完全に平等だった。
お互い仕事をし、家事もできる方がやる。
だから出産後も私は平等であるべきだと思っていたし、平等だと信じて疑わなかった。
しかし現実は違った。
生物学的に役割が違う以上、それに抗う事はできない。
考えを改めてから、私は夫にイライラする事は減ったと思う。
もちろん、できる事はなるべくやって貰っていたが、授乳をするのは私だ。
いつも息子と共にあり、一心同体のように生活していたので、必然的にオムツや他の世話も大体私がやる事になる。
その代わり、家の事は大体夫にやってもらっていた。
そうやってなんとかバランスを保っていたように思う。
母親は動物的本能で母親になり、父親は人間的文化で父親になる
息子はもう3歳、1月には4歳になる。
もう授乳をする必要も無いので、平等感は赤ちゃんの時に比べたら大分増したと思うが、相変わらずママばっかり求めてくる。
おそらくこれから大きくなるにつれ、ママを求めたりしなくなって行くと思うし、平等感は更に増すとは思うが、父親と母親というものは、やっぱりそれぞれの役割があるんだと思う。
産後はものすごく自分勝手に思えた夫も、いつの間にか父親らしくなっていた。
身体の変化が無い分、徐々に時間をかけて父親になって行くしか無いのだ。
こういう事が、動物とは違う人間らしさであり、文化なのだと思う。
母親は、動物的本能で母親になるからすぐに母親になれる。
父親は、人間的文化で父親になるから時間をかけて父親になる。
というのが私の今の所の結論である。
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