祭政一致と民主主義は両立する? (ウェブ・バージョン) - 編集長コラム
2013.06.23
祭政一致が復活し、民主主義と両立する? 近代民主主義が発達したイギリス議会(右)、高天原の神々と話し合っていた天照大神(左)。
2013年8月号記事
祭政一致と民主主義は両立する?(ウェブ・バージョン)
幸福の科学が母体となった宗教政党・幸福実現党は、政治と宗教が融合した、ある種の祭政一致を目指している。
日本には、「宗教が政治に乗り出してはいけないのでは?」と漠然と考える人は残念ながらまだ多い。日本国憲法で定める政教分離は「国家権力は宗教に介入してはならない」という意味なので、まったくの誤解なのだが、日本のメディアや政治学者は「政治から宗教を締め出すこと」に熱心なところがある。
確かに、祭政一致と言うと、政治と宗教が接近した時に、いいことばかりではなかったと考えざる得ない面はある。「戦前の国家神道のように他の宗教を弾圧するのか」「中世のキリスト教国家や、今のイスラム国家のように、国民を抑圧するのか」「宗教対立や宗教戦争が続くのか」といった心配だ。
しかし、神と民主主義が共存し、人類の幸福を生み出してきた歴史は動かせない。
以下、(1)近代民主主義の源流となったイギリス民主政治、(2)古代における民主主義の源流で、実質的には神政政治だったギリシャ民主政、(3)神代日本の祭政一致、(4)古代ユダヤの祭政一致、(5)イスラム国家の祭政一致――を見ていきたい。
「神が各人に語りかける」近代の民主主義
イギリスでは1642年、清教徒(ピューリタン)革命が起こり、課税権を振り回した国王を打倒。この時から市民の代表者による議会で意思決定するようになった。最後は独裁的となった革命の指導者クロムウェルだが、議会での討議を重視してこう語った。
「我々は神に身を委ね、神が各人に語りかける御声に聴き入らなければならない」
近代の民主主義は、「一人ひとりが語る言葉に神が宿る」という考え方から始まった。
この精神はアメリカにも伝わった。ピューリタンたちはイギリス国教会の弾圧を逃れ、メイフラワー号に乗ってアメリカに移住。神の理想を実現しようという使命感の下、民主主義の大国が築かれていった。
近代の民主政治の本質は、「神のお考えがどこにあるか人間同士で話し合う」ところにあったのだ。現在行われている普通選挙も、「神様の考えが分からないので、人間たちの多数決で決めよう」という趣旨ということになる。
ギリシャ民主政は実質的に神政政治
古代ギリシャでは、デルフォイの神託に基づく神政政治と、アテナイ市民の民主政治が両立していた。
その最盛期は、初めて平民に国政参加の道を開いた賢人ソロンの時代だ。ソロンは奴隷に転落した貧農の借金を取り消して、これも偉業とされた。現代の感覚ならばふつうの貧民救済だが、実はギリシャの神々の存在意義に関わる大問題だった。
ソロンは没落農民について「ガイアが衰えている」「胸の奥からこみ上げる苦痛が私の中に広がる」と語った。ガイアはギリシャの神々の一人である大地の女神で、ソロンは「ガイアに育まれてきた農民が奴隷になることは、神も自由を失うことだ」と考えた。
近接した時代に生きたとされる詩人ホメロスは、「民の声は神の声なり」と長編叙事詩『オデュッセイア』で詠んだ。
古代ギリシャの民主政は、神と一体で、むしろ神政政治の方に重心があった。
「神々の民主主義」の下での神代・日本の祭政一致
神代の日本もギリシャと同様に祭政一致だったが、あの世(高天原)において「神々の民主主義」があったことが『古事記』『日本書紀』などから分かる。
日本の主宰神・天照大神が大事な判断をツルの一声で決めることはまずなく、必ず高天原の八百万の神々を集め、話し合ってから結論を出した。
地上の統治者として邇邇芸命(ににぎのみこと)を高天原から送る時も、大国主命が治める出雲の国を“攻略"するために誰を送るか決める時も、天照大神の独断ではなく、神々の協議に諮られた。そして地上にいる天皇は、神々の声を統治に生かす役割を担った。
日本のこの「神々の民主主義」の下での祭政一致の伝統は、その後も形を変えながら受け継がれていった。聖徳太子は十七条憲法で、「それ、事は独り断(さだ)むべからず。必ず衆と論(あげつら)うべし」と独断を戒め、明治維新では明治天皇が「五箇条の御誓文」で「広く会議を興し、万機公論に決すべし」と誓った。
日本の民主主義は、高天原の「神々の民主主義」で始まり、時代が下るにつれて、人間が代わりに「神々の心がどこにあるか」を話し合うスタイルに変化していった。明治以降、大正デモクラシーなどで近代民主主義が日本でも発達したが、日本の民主主義は単なる“輸入もの"ではないということになる。
旧約の預言者を導いた至高神エロヒム
古代の中東で生まれたユダヤ教でも祭政一致が理想とされ、政治と宗教は一体だった。
ユダヤ人にとって、救世主(メシア)は「油を注がれたる者」という意味で、国王兼宗教家だった。ダビデやソロモンといった王様たちが、神の言葉を聴きながら民を導いた。
ユダヤ教は一神教とされるが、実は預言者を導いた神は複数いて、日本神道のような「神々の民主主義」が垣間見える。旧約聖書をつぶさに読めば、神々の内に上下関係があることまで分かる。
「神は神聖な会議の中に立ち、神々の間で裁きを行われる」(詩編82:1~8)
この「神」は、ユダヤの民族神とされるヤハウェではなく、至高神、創造者とされるエロヒムだ。一般的にはエロヒムを「神」という意味の一般名詞と解釈されているが、エロヒムは愛の神で、祟り神とされrヤハウェとは別の存在であると解釈するのが有力だ。
預言者たちが受け取った神の言葉は、ヤハウェからのものも多いが、ユダヤ民族を超えた普遍性のあるものはエロヒムからであり、それに基づいて古代イスラエルの繁栄が築かれたのだった。
アラーの下、複数の神が導いたイスラム教
西暦600年代初めに生まれたイスラム教も、歴史的にも現代においても政治と宗教が強く結びついている。唯一神アラーがムハンマドに伝えたコーランやシャリーア(イスラム法)に基づいて執り行い、中世イスラム国家の繁栄をもたらした。
ただ、一神教とされるイスラム教も、日本神道やユダヤ教のような「神々の民主主義」がうかがわれる。アラーが頻繁に自身のことを「われわれ」と語っているのだ。
「まことに我々は自ら、コーランを下し、自らそれを守る者である」(15:9)
「我々は天と地、そして彼らの間にあるものを、ただ真理によって創造した」(15:85~86)
アラーは、エロヒムの変化形の「エル」が語源で、エロヒムと同じ神とされている。コーランにある「我々」という言い方からすれば、アラーの下に複数の神がムハンマドを導いていたことを示している。歴史的に傑出した宗教の構造というものは、そう変わらないのかもしれない。
「神々の声を直接聴き、人間同士で討議する」時代
ここまで神と民主主義が共存してきた歴史を振り返ってきた。
こうして見ると、「神々の声が聴こえた」のが神代や古代、中世の祭政一致政治(天上界では「神々の民主主義」があったと考えられる)。そして、神の声が簡単には聴こえないために、その代わりとして、「神のお考えがどこにあるか人間同士で話し合う」のが近代の民主政治ということになる。
大川隆法・幸福の科学総裁は『宗教立国の精神』(幸福の科学出版刊)で、その点についてこう指摘した。
「『本来は、神仏から委ねられた人が、神仏の思いを実現し、現実の政治をなしていく』というのが理想の政治ですが、現実には、神仏の声、神仏の考えが分からないがために、その“代用品"として、『投票を通して民の声を聴き、多数を占めたものが、神仏の考えと同じであろう』という擬制を用いているわけです」
古代や中世は、預言者や巫女、天皇、法王といった“選ばれた人"が神の言葉を降ろしていたが、近代以降の啓蒙時代は、人間の知性や理性によって神の心をつかみ、人々の幸福を実現しようとしたということだ。
幸福実現党は1400年ぶりの「事件」
では、この神と民主主義の歴史の中で、幸福実現党はどう位置づけられるだろうか。
大川隆法・幸福の科学総裁は、これまで2000回を超える説法を行い、1200冊を超える経典を発刊している。霊言については、この3年余りで250人以上を収録し、約170冊を発刊した。この中には、イエス・キリストやモーセ、ムハンマド、天照大神といった神々や預言者の考えが明らかになっている(注)。
イスラム教は「ムハンマドが最後の預言者」としている。確かにムハンマド以降、世界でも預言者と言える人は出ておらず、約1400年ぶりの「事件」が起こっているのだ。
大川隆法総裁は、同じく『宗教立国の精神』で、今の時代の意味についてこう解説した。
「今、『民の多数の声が神仏の声である』というフィクション、擬制の部分が取り除かれて、『神仏の真なる願いや考えが、どこにあるか』ということが、明確に発信されているのです」
「民主主義は、暴君による暴政から民衆を守るための最低限の砦として、最悪を防ぐという消極的な意味で肯定されてきましたが、私たちは、最高の理想である『神仏の理想』を実現するという意味で、民主主義をも超えた政治をなしうる立場に立っているのです」
現代は、かつての祭政一致と同様の「神々の声が聴こえる」時代なのだ。
(注)これまで発刊された霊言はこのほか、孔子、老子、ソクラテス、リンカーン、エジソン、ルーズベルト、エドガー・ケイシー、ガンジー、サッチャーなどがある。
「神々の民主主義」が地上に降りてきた
それだけではない。大川隆法総裁がメッセージを降ろしている神々は、ギリシャ神話の神々や、日本の八百万の神々、中東の神々などで、まさに「神々の民主主義」が地上に出現した観がある。
これだけの規模で「神々の声が聴こえる」ことは歴史上かつてなかったことだ。なぜこうしたことが可能なのか。
大川隆法総裁は、旧約聖書に登場する至高神エロヒム(エル・カンターレ)が地上に下生した存在であることを明らかにしている。エロヒムは旧約の預言者に言葉を送った至高神だが、同時に新約聖書においてはイエス・キリストを導いた「父なる神」でもある。また、イスラム教においては、ムハンマドに啓示を降ろしたアラーと同じ神とされている。
古代や中世において天上界から啓示を送った神が、現代は地上に生まれ、真理を説くと同時に神々の声を伝えている。「神々の民主主義」が地に降りてくるのは当然のことかもしれない。
祭政一致と民主主義の融合
しかし、だからといって、近代以降の民主主義が御破算になるわけではない。
「神々の声を直接聴くことができ、その上で人間同士で討議して神々の真意を深く理解する」という、かつてない時代が到来したということを意味する。つまり、幸福実現党が目指す政治は、神代や古代、中世の祭政一致と、近代の民主政治の素晴らしい部分を正統に受け継ごうとしているということだ。
こうした前代未聞の事態に、日本のメディアも政治学者も、幸福実現党の位置づけに困っているということだろう。 海外のメディアも現時点では、幸福の科学が起こしている「社会現象」の意味づけが十分できていない。
ただ、政治と宗教が一体となったとしても、日本のメディアが心配するような、国家神道に見られた宗教弾圧や、中世キリスト教国家や今のイスラム国家の国民への抑圧は起こらないと言っていいだろう。なぜならこれらは、「神の声が聴こえない」時代の出来事だからだ。宗教対立や宗教戦争も、至高神(エロヒム、アラー)の考えが世界に伝わることによって克服できる。
「神々の声が聴こえる」時代は、神に選ばれた預言者が活躍する時代でもある。古代においては、命を賭けて神の言葉を伝えた預言者が数多くいた。そうした人たちに匹敵する行動力や感化力を持って、メディアや政治学者をも説得できなければならないということだろう。
(綾織次郎)