データから生活保護について論じる時に考慮すべきこと-「ご都合の良すぎる議論」の罠に陥らないために

数値データは抽象化の結果。何を抽象化したのか、忘れないようにしましょう。(写真:アフロ)

(2017年2月15日 修正を加えました)

生活保護制度に関しては、多数の統計資料が公開されています。

それらを分析して結論を導くことは、今、どなたにも可能です。

「根拠に基づく政策」は、今、政府にも自治体にも求められていることです。

政府や自治体が出した「根拠」がご都合主義的に作られたものでないかどうかは、同じ元データに接することができれば、市民が確認できます。

しかし、制度や運用のありようについて知らないと、生活保護にかぎらず、無意味な結論を導くことになります。

高橋亮平さんの記事を読んで、夜中に泣いた

高橋亮平さんが2月6日に発表されたご記事

【自治体ランキング】生活保護費「10年で5倍」「予算の1/4」という不都合な真実

が私の目に入ったのは、昨晩(2017年2月7日)遅く、もう寝ようかとしていたときでした。

読みながら、私は震えだし、涙が止まらなくなりました。

生活保護統計なら、私だって、ほぼ毎日見ています。それがモノカキとしての専門の一つですし、生活保護財政政策の研究もしていますから。

たとえばこの記述を見て、私は戦慄してしまったのです。金額が、考えられないレベルで疑問だったりするので。

(以下、囲みは高橋さんご記事からの引用)

そうはいっても生活保護世帯1世帯に年間1,154万円もかかっているという現実を皆さんはどう感じるだろうか。

ざっと概算してみましょうか。

本節の以下に修正を加えました。結論は変わりません。

  • 修正前

生活保護費の国庫負担をざっと4兆円(多め)、生活保護受給者をざっと200万人(少なめ、つまり一人あたり金額が多めに出る概算になる)とすると、保護費は一人あたり200万円。この「200万円」は、医療・介護・住宅など現物で支給されるものも含んだ、一人あたり保護費総額です(なお現在、生活費の「生活扶助」以外は、既に現物支給です)。

複数世帯なら世帯あたりの保護費は増えますが、人数に比例して増えるわけではありません。

それに複数世帯は保護世帯の中ではマイノリティ。保護世帯をざっと150万世帯とすると、平均世帯人員は1.3人。これは若干少なすぎる概算ですが、それでも単身世帯が保護世帯の多数を占めているのは事実です。

ですので、1世帯あたりの保護費の概算は、1.3(人/世帯)×200万(円)=260万(円/世帯) となります。

以上は国庫負担分の話で、ざっと1/3が地方負担分となります。すると1世帯あたり、 260万円÷3=87万円。

国庫負担分・地方負担分を合計しても、347万円です。

もちろん、大都市か町村か(生活保護関連の国費負担が若干違う)、どういう地域かで、若干の差はありえます。ここに挙げた数字だって、ざっくりの概算ですし。しかし、87万円(地方負担分・一世帯あたり)・260万円(国庫負担分・一世帯あたり)・347万円(地方+国庫負担分・一世帯あたり)に比べ、3倍~13倍の差が出る原因は考えにくいのです。生活保護に関する財源が他にあるのならともかく、財源は税100%(国庫75%・地方25%)、他にありません。

  • 2017年2月15日 修正(太字は修正部分)

生活保護費の総額をざっと4兆円(多め)、生活保護受給者をざっと200万人(少なめ、つまり一人あたり金額が多めに出る概算になる)とすると、保護費は一人あたり200万円。この「200万円」は、医療・介護・住宅など現物で支給されるものも含んだ、一人あたり保護費総額です(なお現在、生活費の「生活扶助」以外は、既に現物支給です)。

複数世帯なら世帯あたりの保護費は増えますが、人数に比例して増えるわけではありません。

それに複数世帯は保護世帯の中ではマイノリティ。保護世帯をざっと150万世帯とすると、平均世帯人員は1.3人。これは若干少なすぎる概算ですが、それでも単身世帯が保護世帯の多数を占めているのは事実です。

ですので、1世帯あたりの保護費の概算は、1.3(人/世帯)×200万(円)=260万(円/世帯) となります。

このうち国庫負担分が2/3、1/3が地方負担分となります。すると1世帯あたり、 国から 260万円×2÷3=173万円、地方から 260万円÷3=87万円。

もちろん、大都市か町村か(生活保護関連の国費負担が若干違う)、どういう地域かで、若干の差はありえます。ここに挙げた数字だって、ざっくりの概算ですし。しかし、87万円(地方負担分・一世帯あたり)・173万円(国庫負担分・一世帯あたり)・260万円(地方+国庫負担分・一世帯あたり)に比べ、4.4倍~13.3倍の差が出る原因は考えにくいのです。生活保護に関する財源が他にあるのならともかく、財源は税100%(国庫75%・地方25%)、他にありません。

高橋さん、たいへん恐れ入りますが、何か基本的な計算間違いをしておられないか、計算に用いられたデータは本当に確かなのか、たとえば「AをBで割る」というときにAとBは適切に選ばれているか、もう一度ご検討くださいませんか。

誤った結論で奪われる機会・健康・命は、取り返しがつきません

というのは、生活保護は人の生存に関わる制度だからです。

生存の機会が奪われるとは、死ぬことです。

「死」は、生物学的な個体の死だけではありません。

社会からの排除(=参加できない状態)・衣食住のレベルが「健康で文化的」でないこと・教育や将来の職業選択やキャリア形成の可能性を損なうことは、その人を少しずつ、「完全に健康で文化的な生活をしている」状態から、個体の死へと近づけているのです。

自治体ごとの生活保護費の総額を世帯数で割り、1世帯当たりの生活保護費の負担を見てみることにする。

最も高かったのは嘉麻市(福岡県)で、1世帯で年間23万5,320円も負担していることが分かった。

こうして各家庭で、毎年毎年負担している額だと思うと実感が湧いてくる。実際に、生活保護の方を支えるために、各世帯が負担する額として年間23万円というのはどう映るだろうか。

どうか嘉麻市に、この記述を見て、ご近所の生活保護世帯を「いじめて追い出そう」とか考える方がいらっしゃいませんように。

生活保護世帯が、そこで生き、暮らしているだけで、地域にはメリットがあるんです。

北海道釧路市では「受給者は社会の宝」と言っているくらいです。理由は「受給者がいると、国がお金くれるから」ではありません。仕事が増えず福祉ニーズが増えるばかりの釧路市という地域で、「どうやって、みんなで生きていくか」を追求した結果です。

なお、高橋さんのご記事で挙げられている福岡県の嘉麻市・田川市は、いずれも旧産炭地であることが無視できません。このことについては後でもう一度述べます。

生活保護世帯は、地域の負担である以上に、お金をもたらす存在

単純にお金だけの面で見ても、地域に生活保護制度の利用者がいることは、明らかなメリットがあります。

生活保護費の地方自治体の負担分は25%、この他に国が75%を負担しています。

前述の福岡県嘉麻市では、1世帯あたり約23.5万円の負担で、その3倍、70.5万円が国庫から嘉麻市に流れ込んでいるわけです。

うち、主に地域で生活保護世帯の方が使う金額は概ね半分(住宅費+生活費、残り概ね半分は医療費)ですから、「地域が23.5万円出したら、倍の47万円が地域に流れる」という計算になります。

景気と無関係に、生活保護世帯によって一定の消費が行なわれるということは、自治体がいちいち不況時に助成金を用意しなくても、地域経済の最低限の活動は維持されるということです。

なお、国庫負担率がこのように定められた経緯、現在までの変化の経緯は、論文も専門書もたくさんあります。

一言で言うと、

「国の制度なんだけど地方が責任を持って実施」

という精神を形にしたら、こうなったわけです。

このことを理解するために最初に読むべき一冊は、まず、生活保護制度を作った厚生官僚・小山進次郎の『生活保護法の解釈と運用』でしょう。入手難ですが、国会図書館にはあります。

地方財政にとっての負担は、大都市で大きくなりがち

生活保護制度は国の制度ではありますが、実施する地方自治体の規模・財政状況はさまざまです。

保護費の「国75%:地方25%」の比率は自治体規模によらず変わりませんが、ケースワーカーの人件費など細かなところで、「何をどこまで国が」の内容が異なります。

このため、都市型貧困の問題が深刻な大都市の場合、都市の規模が大きければ大きいほど、保護費が財政を圧迫することになりやすい構造があります。

大阪市で大きくなる負担率は、この結果です。この意味で、一番「ワリ食いやすい」自治体ではあります。

「いや、おたくは大都市なんだから自分で頑張ってよ!」ではなく、「大都市といえども」の現実に即して、国と地方の分担が見直されるべきところかと。

全国で最も生活保護費が多かったのは大阪市(大阪府)で、その額は年間3,146億3,813万円におよぶ。

次いで高かったのは、札幌市(北海道)の1,360億3,983万円で大阪市の約1/3。3位が横浜市(神奈川県)の1,357億1,334万円。

「この5年で保護費急増」なら、誰かがこの5年で急増している

「□市で、この△年で保護費が○倍に」という場合、日本で最も考えなくてはならないのは、高齢化の影響です。

データで見ると、自治体によっては生活保護費が10年で5倍以上にまで膨らんでいる実態が分かる。

増加額で見ると、最も増えているのは大阪市(大阪府)で、2002年から2014年までの間に1,094億4,791万円も増えている。

次いで、横浜市(神奈川県)の568億9,087万円増、3位が札幌市(北海道)の539億5,634万円増となっている。

大阪市には西成釜ヶ崎、横浜市には寿、東京都台東区には山谷という「寄せ場」がありました。

その地域の生活保護受給者の多くは、高齢者となった元・日雇い労働者です。今、西成に行けばサ高住化した元ドヤ、寿に行けばヘルパーステーションが目立ちますよ。

現役世代時代も貧困だった人々が高齢になれば、いくらかの年金があっても、生活保護しかなくなるという当たり前の話です。

これは、地域の高齢化率・生活保護受給者内の高齢化率(または高齢世帯率)と比べ合わせれば、すぐ分かります。

いま「急増」しているといっても、原因が高齢化ならば、15~20年後には、ある程度は急激な減少に至るでしょう。

生活保護が特別なわけではなく、日本全国どこにでもあるベビーブーマーの高齢化問題が、生活保護の中にもあるというだけの話です。

この問題は、岩田正美先生が論じていらっしゃいます(『現代思想』2013年7月号所収)。

過疎と高齢化の自治体で生活保護減少があるとすれば、原因は?

高齢者は、いつまでも慣れ親しんだ地域に住んでいられるとは限りません。過疎化・高齢化が同時に進んでいる場合、地域で介護を確保することは困難な場合も多いでしょう。そういう場合、他地域の施設で最晩年期を過ごす以外の選択肢はなくなるかもしれません。

また生活保護受給者は、早死にしやすいのです。

こちらの論文(藤原千沙・湯澤直美・石田浩「生活保護の受給期間―廃止世帯から見た考察」(社会政策学会誌『社会政策』2010年2月、第一巻第四号)本文に、

  • 生活保護受給者の平均死亡年齢 女性71.6歳 男性63.8歳
  • 全国で死亡した人の平均年齢  女性80.1歳、男性73.3歳

という、ショッキングなデータがでています。生活保護だと10年早く死ぬんです。恐ろしくありませんか?

もともと病気を抱えていた方が多いせいなのか、しばしば噂に聞く「生活保護だと医者が真面目に治療しない」が事実であるせいなのか、減らされていく保護費の中で社会生活を守ろうとして食を削ったせいか(このパターンは多いです)、そこまではわかりません。

ただ、「生活保護だと10年寿命が縮む」が頭に入っていると、高橋さんのご記事の

逆に生活保護費を減らしている自治体もある。

人口減少など外部要因の影響もあるのだろうが、最も生活保護費を減らしたのは、夕張市(北海道)で3億8,735万円の減少となっている。

次いで、歌志内市(北海道)の2億3,024万円減、3位が芦別市(北海道)の2億1,721万円減、4位が三笠市(北海道)の1億6,160万円減、5位が深川市(北海道)の1億5,953万円減、6位が赤平市(北海道)の1億3,724万円減。ここまでが全て北海道の自治体になっているのも特徴的と言えるかもしれない。

その後は、7位が室戸市(高知県)の1億280万円減、8位が津久見市(大分県)の1億207万円減、9位が串間市(宮崎県)の6,827万円減、10位が相馬市(福島県)の6,451万円減だった。

は、そんなに不思議ではないのです。

「高齢化→死亡による保護打ち切り」あるいは「高齢化→他地域の施設へ」「高齢化→他地域で社会的入院」パターンが増えている、ということであろうと容易に推測されます(他地域の施設等に移転する場合、基本、保護費を負担するのは移転先の自治体になります)。

減少した金額そのものではなく減少率で見るべきところとは思いますが、減少率と高齢世帯数の推移・保護廃止理由(自治体によってはネットで公開)を並べて眺めれば、「そりゃ、そうなるでしょう」かと。

生活保護は「聖域」でも「パンドラの箱」でもなくなっている

生活保護は社会保障の一つとして大きく増大化していく状況にある。

これをどうするのかが最も大きな問題なのだが、国政においても解決策があまりなく、むしろ触れてはいけない「パンドラの箱」になっている。そのため生活保護の問題は一向に解決されない。

単純な事実誤認でしょうか。

生活保護は2000年代に入ってから、「聖域」あるいは触れられない「パンドラの箱」ではなくなっています。

2009年までについては、2016年、拙論文にまとめています。よろしければどうぞ。

なお、生活保護制度に対してドラスティックな変更が行われにくいのは、生活保護費を減らすこと・生活保護制度をなくすこと自体がタブーであるからではありません。

実施したときにどういう悪影響が及ぶか、そのリカバーにいくらかかるのか、発生する問題を放置しておいたら社会的コストはどうなるのか。

あまりにも危険、かつ後戻りが出来ず、スケールが大きすぎる社会実験なので、「いくらなんでも、それはちょっと」という判断になっている、というところです。

ただ、精神科入院が生活保護費を大きく圧迫(概ね全体の13%)していることは、「パンドラの箱」でしょうね。開けちゃってもかまわない、メリットの方が大きなパンドラの箱。このことは、拙記事「生活保護費を70%も激減させる、確実かつ有効な方法!?」でも述べています。

こういう「パンドラの箱」、こういうタブーこそ、優先的に開けて壊しちゃってください。

ちなみに、保護率が全体的に低い大分県で、別府市はやや高めであることが高橋さんのご記事に触れられています。別府市も、精神科病院の多い自治体です。精神科病院数とベッド数、入院患者数などのデータは、厚生労働省が毎年調査して公開しています。

生活保護そのものの統計資料と同時に考慮すべき医療関連データ

「生活保護費が増大した」というとき、半分は医療費であることは、常に忘れないようにする必要があります。

特に近年の日本では、

(社会保険料が払えない→)医療費による生活破綻→生活保護

というパターンを無視できません。

「○市は生活保護が増えていて」というとき、同じ○市では、国保財政も厳しいことになっており、国民健康保険料の減免や医療費助成が受けにくい状況になっているかもしれません。というより、たいていはそうです。

この場合、もともと赤字が大きかった国保から、医療費によって生活破綻に至った高齢者が生活保護へと押し出され、生活保護費を医療扶助も含めて増大させているという構造があるわけです。

このことは、生活保護だけ見ていてもわかりません。せめて国保のデータ、さらにその自治体の減免・助成基準を参照しなくては。

「その地域ならでは」の特性も

地域特性を語るデータは、けっこう数多く存在し、容易にアクセスできます。

  • 日本北部の寒冷(北海道に多い「冬だけ生活保護」→家があっても暖房がないと死ぬ)
  • 持ち家率
  • 自動車保有率(100%を越えている地域では、車がないと暮らせない可能性が高く、「車か生活保護か」の2択になりがち)

など。

「○地域では保護率が低い」というとき、生活保護がいらない状況・生活保護が使えない状況が何かあることは間違いありません。

それが良いことなのか悪いことなのかはさておき、それらの状況を語るデータを参照しなければ、「生活保護が多い(少ない)」の原因はわからず、どういう対応が必要なのかもわかりません。

また、歴史的経緯も重要です。

かつて、生活保護率が高い自治体のほとんどは旧産炭地でした。

この状況は2000年代に入ってから、少しずつ変化しています。旧産炭地タイプと異なる貧困があちこちに拡大してきた、とも言えるでしょう。

地域ごとの、たとえば

「もともと炭鉱の町だったが、地域から炭鉱がなくなり、仕事が失われ、『失対』もなくなると生活保護しかなくなり、その人々が高齢化し、やがて死亡等で減少し……」

という流れは、同じ地域の経年データから容易に把握できます。

また現在、生活保護世帯の多さが問題となっているのであるとしても、その「多い」がいつまで続くのか、自然解消する見通しがあるのかないのか、自然解消しないとすれば何が問題なのか、生活保護受給者と地域全体の人口構成の経年変化から、ある程度は分かります。

「鳥の目」には、もっと「鳥の目」を

高橋亮平さんは「鳥の目」とおっしゃいます。

ならば私は、「もっと鳥の目を」と申し上げたいです。

地球規模の人口学という鳥の目で見れば、社会保障・社会福祉の意義、日本で生活保護が果たしている重要な役割は明らかです。拡大・前進させる必要こそあれ、縮小・後退させるべきではないのです。

しかし、人口学の視点から述べるのは、またの機会にします。