2016年12月8日、相模原事件を受けて厚労省に設置された「相模原市の障害者支援施設における事件の検証及び再発防止策検討チーム」による「報告書 ~再発防止策の提言~」が公開されました。
「共生社会の推進に向けた取組」「退院後の医療等の継続支援の実施のために必要な対応」「措置入院中の診療内容の充実」「関係機関等の協力の推進」「社会福祉施設等における対応」の5点にわたる提言内容は、本当に再発防止に役立ちそうでしょうか? そもそも、同様の事件が再度発生する可能性があるとすれば、背景はどこにあるのでしょうか?
日弁連「高齢者・障害者権利支援センター」で活動する弁護士・姜文江さんに、措置入院という方法について、前掲「報告書」について、お話を伺いました。
前編に引き続き、プライバシーについて、社会にとって何が問題で何が必要なのかについて、ご一緒に考えていただければ幸いです。
再発防止策検討チームの提言は、どこが問題なのか?
「相模原市の障害者支援施設における事件の検証及び再発防止策検討チーム(以下、再発防止策検討チーム)」による「報告書 ~再発防止策の提言~」の内容を、前編に引き続き、姜さんとともに検討してみましょう。
失われるプライバシー、どこまでも追いかけてくる「監視」
報告書では、措置入院が解除されて退院となった後の「支援」が重要視されています。
退院前に、退院後の支援計画作成を都道府県知事が開催する調整会議で行う可能性が述べられており、会議の出席者としては、措置入院を解除する都道府県の職員・措置入院先の病院・退院後の居住地の自治体職員・退院後の通院先となる医療機関・障害福祉サービス事業者 が想定されています。
患者のプライバシーは、この人々に筒抜けになってしまうわけです。
さらに、退院後の患者が他自治体に転居した場合には、本人の同意がなくとも転居先の自治体に情報が提供されるよう「制度的な対応を検討する必要」があるとしています(報告書12ページ)。「支援」の名のもとに行なわれる監視・つきまといに耐えられずに転居しても、どこまでもどこまでも追われるわけです。
もしも、このような体制が実現したら、耐えきれずに自殺したり、あるいは「やけっぱち」での犯罪行為に走ったり、ということも考えられるでしょう。
精神疾患を抱えて苦しみ、強制的に入院させられるという体験を余儀なくされた病人に、退院後は「強制的に入院させられたから」という理由で追い打ちをかけ続けることを、日本の社会は心から望んでいるのでしょうか?
「報告書では、退院後の通院や医療・福祉サービスの利用が、本人が反対しても強制されるものまで求めているかはわかりませんし、今後どのような制度が作られるかは、注視しなければならないと思っています。ただ、今回の報告書について言えるのは、仮に本人が反対した場合には退院後支援を強制しないというのであれば、『措置入院をした人です』という情報だけが、他の自治体等に提供されることになる(そのような制度的な対応の検討を求めている)わけです。これはまさに監視です。
今回の報告書では、『共生社会の推進に向けた取組』を一項目設けていますが、その内容が薄いだけでなく、退院後支援の強化や情報の共有など、ここで提案されているものが、かえって精神障害者差別につながらないだろうかということが危惧されます」(姜さん)
精神障害者は「ふつうに暮らす私たち」の安全を奪う存在?
しかし、「精神障害者は何をするか分からない危険な存在」「精神障害者は危険だから閉じ込めておくべき」という見方は、日本の世の中に、まだまだ根強く残っています。「措置入院になったような人は、誰かに監視しておいてもらわなくては」「自分と大切な人々が安全であるためには、精神障害者が差別されるのはしかたない」と考える人は、少なくはないでしょう。
「そこは、一人一人を知ってもらうしかないと思います。身近に精神障害者がいない人が『精神障害者は人を傷つける』と考えるのは、偏見の現れです」(姜さん)
では、医療観察法の対象となっている、罪を犯した精神障害者はどうでしょうか?
「過去に罪を犯した人が、現在も罪を犯しそうな怖い人というわけではありません。その過去の犯罪にも、さまざまな背景があります」(姜さん)
「精神障害者は閉じ込めておくべき」という思い込みをなくす必要が
日本の「精神障害者は閉じ込めておけばいい」という歴史は、現在も継続しています。
「昔は座敷牢でした。その後も、とにかく入院させることを中心とした政策が、日本では何十年も続いています。だから『精神科病院に入院している人は危ない人』『危ない人だから精神科病院に入院させられている』と、刷り込まれてしまっているんです」(姜さん)
しかし、それは「世界の当たり前」ではありません。今や、全世界の精神科入院患者の20%が日本にいるという状況です。入院を中心にしていない諸外国の中には、精神科病院の非人道性への反省から精神科入院病棟をなくした国もあります。
「そういう、地域移行が進んでいる国々では、入院機関がそもそもないわけです。本当に症状が重いとき、長くてもせいぜい数ヶ月入院し、落ち着いたら退院する……そういうものだと思われています」
入院機関もあるけれど、症状が重くて苦しい時の休養の場が障害者たちによって運営され、そちらにも行政の予算がつけられているという国もあります。
「でも今の日本の仕組みは、精神疾患に罹ったら入院が普通と思われていて、入院したら、なかなか退院できないわけです。本気で、精神障害者に対する制度を変えて、地域で暮らすことを基本にしないと、どうしようもないと思います。精神障害者に対する差別をなくすには、長期入院が普通になっている現状を変えて、地域の在宅生活を支える医療や福祉にお金をかけて、精神障害者も地域で普通に暮らす社会の一員であることを制度として作らないと、市民の意識は変わらないと思います」(姜さん)
今、この段階で、何が出来る?
おそらく年明け早々、厚労省は精神保健医療福祉に関する制度改革を検討し、法案を作成するであろうと見られています。法案が作成された折には、パブコメの募集が行なわれる可能性もあります。
「でも、法案が固まってしまったあとでは、パブコメが多数寄せられても、なかなか変えにくいと思います」(姜さん)
現段階で、一般の人々に出来て、なおかつ有効だと姜さんが考えているのは、署名です。
「可能であれば団体や組織として声を上げていくことが望まれますが、それができない人にとっては、いくつか要望項目を決めて、署名を集めると良いのではないかと思います。たとえば『退院後の支援を、本人の希望なしに強制しないでほしい』とか、『支援計画を作成するにあたっては、本人または本人の選ぶ代理人を必ず参加させてほしい』とか」(姜さん)
姜さんにはもう一つ、大きな問題だと考えていることがあります。報告書で、措置解除時に「法曹関係者(略)に(意見を)聴く方式も考えられる」とされていることです。これに対し、姜さんは「意味がありません」とし、
「今ある強制入院の一番の法的な問題点は、入院時に法曹関係者が関わることになっていないことです。本人に『良かれ』という意図からであっても、誰かの自由を奪うにあたっては、法律的な審査が必要であり、弁護士が同席したり、代理人をつけたりするべきです。措置入院では、措置解除の時ではなくて入院のときに、本人の言い分をきちんと主張できる弁護士が必要です。私はそもそも、退院後の強制支援は必要ないと考えていますが、もし、どうしても『退院後も支援を』ということにするのなら、なおさら、入院時に弁護士が必要です」(姜さん)
と述べます。
「弁護士の職域拡大のためにする主張だ」という反論が予想されますけれども?
「今、全国で精神科病院に行って活動している弁護士は、自ら支払っている会費を原資とした費用を日弁連からもらっているので、少なくともその分はきちんと国費で負担してほしいと思っていますが、この金額を前提にしても、活動にかけている時間に鑑みれば、弁護士に、経済的なメリットはありませんよ(苦笑)」(姜さん)
最後に - 「明日は我が身」
「ある日、他の誰かの言い分だけを根拠として、精神障害者として強制的に入院させられる」という事例は、決してフィクションの世界の話ではありません。揉め事を抱えたり抱えさせられたりすれば、案外、簡単に起こります。
1976年に出版された、荒木貢『私は狂っていない! つくられた精神病者』(山手書房)(Amazon書籍ページ)には、遺産相続で「争族」化したきょうだいが、相手方を強制入院させてしまった事例が掲載されています(私事ですが、著者は小学校の同級生のお父さんです)。
また私は、家族から性的虐待を受けていた若い女性から、家族に強制入院させられた経験を聞いたことが数回あります。被害に泣き寝入りしない姿勢を示したところ、性的虐待の加害者である家族(多くは父親)に強制入院させられ、数ヶ月~数年間、薬で寝たきりにされていたのだそうです。話を聞いた第三者としては、「間違いなく事実である」「間違いなく事実でない」のいずれとも判断できません。ただ、特に未成年の子に対しては、親がそのように入院させることは不可能ではありません。その一方で、入院させられる本人が取れる対抗策は非常に少ないのです。
姜さんは
「入院のときに弁護士の関与や裁判所の判断がないと、『他人の人権を制限する』ということの重みに対する感覚が不十分な状態で、強制入院が使われることになるのではないかと懸念しています。現状が既にそうですから」
と懸念し、
「家族や警察の主張だけにもとづいて入院させられ、本人が反論すると、『妄想』と片付けられたりすることは、実際にありえます。ですから、本人の味方になって反論出来る人が、入院時に必要であるはずなんです」
と語ります。
もしも本当に入院の必要な場面だったら、「自分の味方がいる」という感覚は、安心して入院できることや治療効果にもつながるでしょう。
精神疾患は、誰にでも起こりえます。特に高齢になれば、認知症と言う形で、多くの人が当事者になるのです。
明日は我が身。
「将来の自分が措置入院されることになったとき、どういう制度であってほしいか?」という視点から、ぜひ、措置入院を考えなおしてみてください。