人権に関する国連の委員会は、各国の市民の参加を歓迎しています。
市民には何が期待され、逆に何が期待されないのでしょうか?
市民に出来ること、逆に出来ないことは何なのでしょうか?
レポート送付やロビイングによって、何をどこまで変えることができるのでしょうか?
国連が各国の市民に期待していること
各国が国連の条約を締結するということは、各国政府が自らの意思によって、国際法である条約を自国の法や制度のどこかに位置づけるということです。
締結しておいて「やらない」は通りませんが、どのように実施するかは、あくまでも各国政府に委ねられています。国内法のどこにどう位置づけるか、実行する意欲がどの程度あるのかは、国によっても政権によっても時期によっても異なります。
もちろん各国政府は、「やってます! この法律、この制度がそれなんです!!」としか言いません。
それらの法や制度が「看板だけ」「タテマエだけ」になっていないか、ひそかに全く異なる実態が進行していないか、報道されない・報道されにくいところに深刻な問題が隠れていないか、声を上げにくい・上げられない人々の状況はどうなっているのか、政府報告だけによって国連が把握することは不可能です。
このため、市民による報告や参加が歓迎されるのです。
なお、政府と同じことしか言わない市民ばかりが参加している国は、そのことによって、思想信条言論の自由が損なわれている可能性を疑われることになります。
「なぜ、そうなるのか」という仮説を立てながら、その国から来た人々とコミュニケートし、鋭い質問でその国の「実のところ」を理解しようとする委員たちの眼力には、毎回、驚くばかりです。
誰にでも出来るレポート送付と傍聴参加
国連の各委員会にレポートを送付すること、行って傍聴することは、誰にでも出来ます。
各委員会・各会期ごとに、スケジュールが決まりしだい、その会期のページが作られ、関連文書が全部まとめられます。
市民に対する参加案内も、「Participation by Non-Governmental Organizations (NGOs)」といった名称の文書によって行われます(英語版+フランス語版)。レポートの作成要領と送付方法・傍聴の申請とパス受け取り手続き、委員に直接スピーチするミーティング(その国の政府が同席するもの・しないもの)の発言申し込み要領など、必要事項が分かりやすくまとめられた文書となっています。
ここには明記してありませんが、「既に提出されている他の市民団体のレポートがあったら参照し、他の誰かも言っていることは、なるべく重ねて言わない」というお約束もあります。同じことを何回も読まされる委員の身になれば、当然の話です。もちろん、それぞれが別々のことを訴えたとしても、結果として「共通の根を持っていると思われることを、そういえばシングルマザーも高齢女性も障害女性も言っていたな」と認識されることはありえます。
なお手続きの詳細に関しては、拙記事「国連女性差別撤廃委員会は他国をどう見ているのか?」の冒頭近く「『質問リスト(List of Issues: LOI)』とは?」の節をご参照ください。
どうすれば委員へのロビイングができるのか?
委員にロビイングを行うことは、レポートを送付したり傍聴したりすることに比べると、かなりハードルが高くなります。多忙な委員に、会って話を聞く機会を設けてもらうためには、どうすればよいのか。
「こうすれば必ずできる」という方法はありません。
障害者運動は、各国協力して活動する機会が多いため、国際的ネットワークやアライアンスがあったり、国連との人的コネクションを持っている人が多数いたりします。これらのご縁に助けられ、近年は毎回、ロビイングができています。これは数十年来、国連での活動をしてきた先輩たちが「カフェや審査会場の入り口で待ち構えて、お声がけして、ちょっと立ち話で話を聞いていただいていた」を重ねてきたことも含めた努力の成果でしょう。
ロビイングは必須なのか?
ロビイングは可能なら「ベター」ではありますが、必ずしも必須ではないし、ロビイングしたからといって結果が変わるとは限りません。
精神障害分野での運動では、たとえば病棟内での分かりやすい虐待については、予防策や第三者機関によるチェックを委員会勧告に含めてもらうことに成功しています。しかし、本人の意によらない強制入院に対して「最終手段としてはしかたがない」という国連人権委員会の見方を変えることはできていません。
私は今回、7月のプレセッション・2月の本審査に、全国「精神病」者集団と大阪子どもの貧困アクショングループが提出した合同レポートを起草しました(プレセッション・本審査)。女性の貧困問題・貧困の原因でも結果でもありうる女性のメンタルヘルス問題・特にシングルマザーに深刻にあらわれる貧困とメンタルヘルスの問題・子どもたちへの影響について述べたものです。
プレセッションには行けませんでしたが、その日の朝、「ミーティングで1分だけ、あなたがたにスピーチの時間がいただけることに」という連絡をDPI女性障害者ネットワークからいただき、突貫工事で委員へのメッセージを作成し、代読してもらいました。プレセッションで作成された「質問リスト」には、レポートで訴えた内容が反映されていました。
本審査開始日は、夜行フライトで当日(2016年2月15日)午前中にジュネーブへ到着し、あわただしくミーティングに参加し、昼食も食べていないまま委員からの質問に対する追加情報作成で夜が更けました。翌2月16日は本審査でしたが、本審査直前、DPI女性障害者ネットワークが委員の一人にロビイングを行う際、一緒に参加し、ちょっとだけ女性の貧困問題・メンタルヘルス問題・シングルマザーに対して特に問題が深刻であることについて訴えるのが精一杯でした。しかし本審査での質問では、ロビイングを受けてくださった委員と別の委員から「日本の社会保障削減は、立場の弱い女性を最初に直撃するのでは?」という質問がなされ、総括所見にも、社会的給付・経済的給付に関する調査・配慮・改善の必要性が、「年金スキーム中心に」と極めて具体的に盛り込まれました(総括所見のパラグラフ40・パラグラフ41)。また、子どものいる女性がシングルマザーとなる大きな原因の一つであるDVに対しても、総括所見のパラグラフ22-25で調査・対策の不十分さが大きく指摘され、改善が求められました。メンタルヘルスの問題については、総括所見に独立した言及はありませんでしたが、深刻なメンタルヘルスの問題を引き起こす背景のうち、「2強」といってよい女性の経済問題と女性に対する暴力の問題という「大元」から、メンタルヘルスの問題を解決すべし、ということでしょう。
ロビイングは実質、DPI女性障害者ネットワークの協力のもと「ちょっとだけ」でしたから、問題の詳細と改善の必要性を訴えるのに有効だったのは2本のレポートなのだと思います。
とはいえ、ロビイングに全く意味がないというわけではありません。
過去のロビイングでの委員たちの反応から
2014年7月の自由権規約委員会で、全国「精神病」者集団から行った人々が、ある委員に対するロビイングの冒頭で日本の精神科長期入院患者がなかなか減らないことを訴えようとしたときのことです。委員は説明を遮り「精神科病院が、政治家に賄賂でも贈ってるの?」と質問しました。過去数十年にわたる問題のアウトラインは良く承知で、各国からの市民に対しては、さらに理由や背景や詳細を求めているのです。そこで一行は、明確な「賄賂」といえるものはなく(あっても摘発されない限り分からず)、チェック可能なお金の流れはココとソコに限定されていて、でもそこには「越後屋、お主も悪よのう」とはっきり分かるようなものはなく……といった詳細を説明しました。質問や勧告に反映されるかどうかは別として、重要な役割にあって関心を向けている方に理解を深めていただくことには、長期的に重大な意味があると思われます。
また2016年2月の女性差別撤廃委員会では、当初「日本の教育にフォーカスした質問をしたい」と考えていた委員に、DPI女性障害者ネットワークの人々は「教育以前に暴力の問題が」と訴え、視覚障害を持つメンバーが「殴られても相手の顔が見えないから被害届も出せない」という経験を延べました。それらの切々とした訴えを聞くうち、委員は「教育も大事だけど、それ以前の心身の健康が」と考えてくださったようです。質問の内容にはかなり、女性に対する暴力の問題が含まれました。
国連の枠組み・委員会の枠組みの上では難しい主張も
とはいえ、国連や委員会の枠組みの上では、主張が極めて困難な主張もあります。
たとえば今回、2015年7月のプレセッション向けのレポートで、私は当初、鈴木大介さんのご著書「最貧困女子」「最貧困シングルマザー」、その後で出版された中村淳彦さんのご著書「女子大生風俗嬢 若者貧困大国・日本のリアル」に見られる、貧困そのもの・就労を困難にする何らかの事情・公的支援の谷間や隙間の存在によって風俗産業への従事を余儀なくされる女性の問題を含めようとしました。しかし、レポートを見てくれた国際障害者アライアンスの方のアドバイス・全国「精神病」者集団で長く国連での活動を預かってきたメンバーの意見で、断念しました。理由は2つあります。
1つ目の理由は、エビデンスの確かさが「今ひとつ」であることです。今のところは、これらのルポが唯一の「エビデンス」です。当事者証言など、さらなるエビデンスを求められた場合に、レポート起草者サイドで対応することができません。鈴木大介さん・中村淳彦さんのご協力があれば、もしかすれば可能かもしれませんが。それに「風俗しかない」という状況の原因は、女性の貧困と救済策の不十分さにあります。そちらなら山のようにエビデンスがありすし、対策も可能です。
2つ目の理由は、「売春することを本人が選ぶ権利」は、既に人権の一部として位置づけられているということです。この「売春することを本人が選ぶ権利」は、誰かの強制(「仕向ける」を含めて)によらないこと、管理売春ではないこと、辞める自由がいつでも実質的にあること、本人の健康維持に注意が払われること、売春とそれ以外の職業が同じように選択可能で「でも自分は売春を選ぶ」という人もいる状況であることなどを含みます。もちろん、「売春しかないので、売春することを本人が選ぶ」というのでは「選ぶ権利がある」とは言えないのですが、「本人が売春したり風俗産業へ従事する選択そのものを否定している」と取られかねない主張をすると、「は? この人たち、ここでなんで、こんな主張するわけ?」と思われることになりかねないわけです。
というわけで、この事実を訴えることは断念しました。売春や風俗への従事そのものが問題というより、背景にある女性の貧困が問題なのであり、そこを解決すればよいわけですから。
障害者にも、このジレンマがあります。
胎児の障害を理由とした妊娠中絶が容認され、障害児を殺した親に対して減刑運動が起こってきた歴史は、「障害児(者)は殺していい」につながりかねないものとして抗議の対象となってきました。しかし、女性の生殖に関する権利(リプロダクティブ・ライツ)は、妊娠を継続しないという選択を女性自身が行えることを含んでおり、女性差別撤廃条約(外務省訳)も、その立場に立っています。ですので、「胎児の障害を理由にした妊娠中絶を違法に」という主張は、少なくとも女性差別撤廃委員会では通らない、というわけです。といいますが、どの条約でも他の条約との整合性が維持される仕組みになっていますので、人権に関するどの委員会でも通らないでしょう。障害のある胎児を妊娠したことが、本人から何らかの選択の自由を奪うとしたら、それは本人に対する人権侵害ですから(胎児の人権は、また別の枠組みの話です)。
一方、生まれた障害児とその親に対し、障害者の権利という側面から、
「障害のある子どもだから育てるのが特に大変という状況を改善して、『子どもに障害があろうがなかろうが、同じように大変で楽しいのが子育て』となるように障害児福祉や育児支援を充実させる」
「『障害がある子どもであっても、障害がない子どもと同じように育てられるし、そのことで、親(特に母親)の人生が大きく影響されておしまいになったりすることはない』という情報を世の中に広く発信し、同時に事実を蓄積し、『大変だから』という理由で障害のある胎児の妊娠中絶をしなくてよいようにする」
という方向を目指すことは、国連の人権に関する委員会で訴えることが大いに可能ですし、質問・勧告に含められる可能性も高いです。
参考:はてな匿名ダイアリー「追記有)障害児産んだら人生終わったから、日本死ねっつーか死にたい」
レポートとロビイングで何がどこまで出来るのか
白を黒に、あるいは黒を白に、「ある」を「ない」に、あるいは「ない」を「ある」にするレベルの影響を、市民のレポートやロビイングによって国連に与えることは不可能であろうと思います。「国交の途絶した独裁国家から出てきた作成者不明の市民レポート一本が外部の認識を一変させた」はありえますが、「日常」が継続している社会が維持されている先進国で、そこまで大きな影響が与えられる可能性はないでしょう。
しかし、詳細についての理解、より詳細な理解に基づくイメージ、その社会での重要度の認識、「これは原因なのか結果なのか」の判断といったところには、市民のレポートやロビイングは影響を与えられると思われます。
あくまでも、神ならぬ人の集まりなのだから
今のところの私は、
「全能の神ではない人間が、何事かを前に進めていこうとするときに立ちふさがるアレコレの延長が、やはり国連にもあって」
という認識からスタートするのがいいのかなあ、と思っています。
「全知全能、誤ることがまったくない権威」が一定の権力とともに存在しているのが国連なのではなく、「誤ることも力及ばないこともあるけれども、多様な見方や考え方や行動様式を尊重しながら、全世界がものごとを前に進めるためにフィードバックのプロセスを繰り返す」が重要なのです。
国連は現在も、そのために必要とされている場の一つです。
神ならぬ不完全な人間が協力するためには、相互理解、コミュニケーションの継続、互いに変化を及ぼし合うプロセスの連続が必要です。個人が世界を変えることは、まずできません。
しかし、相互理解とコミュニケーションと変化を、自分の側から始めることは、いつでも誰にでも可能です。
国連は、その「いつでも誰にでも可能」が通じる場である努力を重ね、現在も継続している機関だと思います。