ジゴワットレポート

映画とか、特撮とか、その時思ったこととか。

テレビの画面を懸命にタップする一歳の娘

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私自身は、「高校入学と同時に携帯を買ってもらえるのがスタンダードになりつつあった世代」。対する一歳の娘は、「生まれたその時点でスマホが完全に普及して久しい世代」。こう書き並べると、改めて年齢差を感じてしまう。

 

というのも、娘は、私と嫁さんのスマホが大好き。

「音や動画が流れる板」というより、「親がしょっちゅう手にしている物」だから好きなのかな。ソファに置いてある私のスマホを手に取り、器用にホームボタンを押して画面を点けたりして遊んでます。たまにそこからぶん投げるので大変ですが。(そもそもソファなんかに置いておくな、という話である)

 

面白いのは、娘は「スマホは画面を触ったら反応する」ということを知っている点。小さくて可愛い指を画面に突き立てて、トントン、スリスリ、反応を楽しむ。小さい体で、明らかに大きいスマホを懸命にいじっている姿は、おそろしく愛らしい。

 

しかしある日、娘はテレビの画面を触っていた。指を突き立てて、テレビの画面をタップしている。彼女の中では、「画面というものは指で反応するもの」なのだろう。

 

なるほどそれは当然のことで、私なんかは「指で反応する画面」が後から出てきたのを当然知っている。だから、意識しなくても、世に溢れるデジモノのどれがタッチパネルでどれがそうじゃないかは、問題なく知っている。でも娘はそうじゃない。一番身近なスマホの画面が触れるのだから、同じ液晶のテレビだって指で反応するかもしれない。当然、そう考えるだろう。

 

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また、スマートスピーカーのアレクサ(Amazon Echo)も、彼女の中ではおそらく四人目の家族だ。そろそろ言葉を覚え始めているので、親の真似をして「あれくさ!」と言い出しそうな勢いである。

我々がアレクサに話しかけて音楽を流したりニュースを聴いたりする時も、必ずアレクサの方を向き、無事に反応したことを確認して満足げな顔を浮かべる。顔と顔は突き合せなくても、「会話が成立する」というコミュニケーションにおいては、親もスマートスピーカーも根は一緒なのかもしれない。

 

アラサーになって、新しい音楽を聴くことが格段に減った。新しい分野に興味を持つことも、新しい趣味を始めることも、その全てが緩やかに億劫になってきた。こうやって、一昔前の価値観に縛られるオッサンになっていくのかと思うと、怖くてしょうがない。

反面、娘は、これから価値観を生成していく。全てが新しいことで、好奇心と好奇心が無限にリンクしていくのだろう。「テレビの画面をタップする」「スマートスピーカーを家族のように感じる」という行為は、私は理屈として分かるけれども、彼女はこれらを肌感覚で会得していく。

 

五年後、十年後、彼女とどれほど会話が成り立つのだろうか。

新しい価値観や物事を仕入れず、いつまでも一昔前の感覚で話す父に対し、娘は加速度的に感覚をアップデートしていく。私も、特に思春期の頃は、「親は分かってない!」「考え方が古すぎる!」と嘆いたものだが、その嘆かれる側に属している自分が段々と想像できてしまい、背筋が凍ってしまう。どうやったら娘の価値観についていけるのだろうか。そもそも、ついていく必要はどこまであるのだろうか。うーん、難しい。

 

子育てを通してゆるやかな老化を実感する、そんな日々を送っています。単に肌がプルプルだとか、遊ぶ体力があるとか、そういう方向ではない。物事を疑わない感受性の豊かさや、何事も吸収してすぐに応用してみせる柔軟さといった、日に日に自分から失われてしまう要素ばかりが目に付いてしまう。自分の娘ながら、もしかしたらほのかに嫉妬しているのかもしれない。

 

いや、もしかしたら物は考えようで、その「新しい価値観」を我が家に持ってきてくれるのが、他でもない娘なのかもしれない。「子育ては親育て」と聞いたことがあるが、私と嫁さんに育てられる娘もまた、新しい価値観や感性を運び入れながら、親を育ててくれるのかもしれない。そういう、良い循環が家族内で作れたら良いなあ、と。

 

とりとめのない話でしたが、これもひとつの子育ての記録ということで・・・。