パクリ疑惑渦中のデザイナーは、何をすれば潔白を示せるのか?

グエル公園のトカゲ。設計者・ガウディは、多数のスケッチを残しています。(写真:アフロ)

2020年開催予定の東京オリンピックなど多数のロゴを手がけた有名デザイナーが、「パクリ?」疑惑の渦中にあります。

結果が既存の何かと偶然似てしまうことは、当然ありえます。

何があれば、デザイナーは身の潔白を示すことができるのでしょうか?

(2015年8月20日、わかりやすくする目的での若干の加筆と修正を行いました)

「参考にする」自体は、デザインの「ふつう」

既存の作品・似たようなコンセプトの作品を参考にすること自体は、デザインの「ふつう」です。

とはいえ、既存のありとあらゆる作品をチェックすることは不可能なので、知らなかった作品に偶然似てしまうことまでは避けられません。

では、「参考にする」は、デザインのプロセスのどのあたりで行われるのでしょうか?

「参考にする」とすれば、デザインのごく初期段階

グラフィックデザインでは、デザイナーはまず、クライアントからの要望の聞き取りを行います。実際のクライアントから直接聞き取ることができない場合には(コンテストの場合など)、デザインによって何が実現される必要があるのか、つまりコンセプトを明確にします。

この後、デザイナーはアイディアスケッチを作成します。何かが参考にされるとすれば、この段階です。

たとえば「成長」をイメージしたロゴマークであれば、植物の若芽・下流を目指して流れていく川の流れなど人間の「成長」イメージに近い自然現象、タワーのように「成長」をイメージさせる建築物、さらに過去のロゴマーク作品を含めた既存の作品が参考にされるでしょう。既存の作品は、「成長」というイメージがどのように視覚化されてきたかを振り返るためにも重要です。もしも酷似が指摘された過去作品を参考にしているとすれば、この初期段階でのことです。そこにオリジナリティを付け加えれば自動的に、「共通点はあるけれども、オリジナリティが追加されている」という作品になるはずです。

考えをまとめるために「ざっと」作成されるアイディアスケッチは、完成する一作品に対して数十種類に及ぶこともあります。

ついで、アイディアスケッチを元にした最終形に近いデザイン案を作成します。この「カンプ」と呼ばれるデザイン案は、多くても三種類程度まで絞り込まれるのが通常と思われます。多すぎるデザイン案は、提案を受ける側からすると、デザイナーの自信のなさ・気の迷いの表れでもあるからです。

デザイナーはカンプをクライアントに提示し、ともに最終案候補を選択します。さらに最後のブラッシュアップや微調整を行い、作品を完成させます。

どのようなデザインであっても、この大筋はあまり変わりありません。

Webデザインであれば、「試用してみて使用感をフィードバックする」が必須なので、プロセスのどこかに「試用」が含まれることになります。もしかするとクライアントとユーザ候補の両方から、時には矛盾する要望を聞き取ることになるかもしれません。しかし

  1. コンセプトの明確化
  2. アイディアスケッチ
  3. 試作(カンプ)
  4. 完成品

という流れは、大きくは変わりません。

もしかすると、開発・研究・著述などに携わる方々から見ても「意外にフツーなんだなあ」という感じがあるかもしれません。

人間がやるものである以上、知的生産のプロセスは、対象が何であるかで大きくブレることはないのでしょう。

企業内研究者を経験した後で、美術短大の通信課程でプロダクトデザインを学んだ私は、そう実感して現在に至っています。当初、「電子機器の中身と外見が両方わかるデザイナーになる」という野望(笑)のもとに学び始めたのですが、すぐに「自分にデザインの才能はなさそうだ」と気付き、目標を「デザイナーの仕事を理解する」に下方修正し、今でいうパーソナルGPSのような卒業制作を行い、なんとか卒業しました。

さて、話を「パクリ?」に戻します。

「オリジナルとして作られたプロセスを示せればよい」、以上!

通常のデザインプロセスを踏んでいるのであれば、「パクリ」疑惑をかけられたデザイナーは、「プロセスを示せばよい」ということになります。結果として酷似してしまったロゴを実際に使用できるか・使用し続けてよいかどうかについては別途判断が必要でしょうけれども、「パクリ」かそうでないかを明らかにする目的なら、プロセスを示せば済む話です。

部下が行ったのであっても、部下の手元にプロセス記録が残されているはずです。

この点は、STAP細胞スキャンダルで実験ノートに明確な記録が残されていなかったことが、かなり大きく成り行きを左右したことと似ています。

研究者にとっての実験ノートに比べれば、デザインプロセスの記録の重みは、やや小さいとは思います。しかし「まったくない」ということもまた、考えにくいです。

あるはずのものが、あってしかるべきものが、なぜ、出てこないのでしょうか? 

問題は結果よりも、むしろプロセスと体制では?

もしも、疑惑の作品の数々に対し、どのように完成品が導かれたかを示す証拠があれば、既に出てきており、

「結果として似てますけど、パクったわけではありません!」

と示されていることでしょう。部下がデザインしたのであっても同じことです。

詳細が明らかになるのを待つべきとは思いますが、疑惑のデザイナーの事務所では、オリジナリティを大切にする体制になっておらず、オリジナルな発想を活かしやすい業務プロセスにもなっていなかったのではないでしょうか。その結果として、プロセス(おそらくはプロセスの記録も)が大切にされていなかったのではないでしょうか? 

もしそうであるとすれば、作品が結果として既存の何かに似たか似なかったかなど問題にならないほど、重大な問題だと思います。過去の作品の蓄積の上にしか成り立たない知的生産の妥当なプロセスを踏まずに、デザインという知的生産を続けてきた、ということですから。

プロフェッショナルといえども、欠点も弱点もある人間です。

私自身、そんなにエラソーなことを言える人間ではなく、サボりたくて遊びたくてたまらない一凡人です。

「良さそうな結果だけ、安価に、簡単に手に入ればいいや」

という発想に流れる傾向は、もちろん大いに有しています。

その、欠点も弱点もある人間が行う仕事だからこそ、妥当なプロセス、無理のない体制が必要なのでしょう。

ロゴマークの「パクリ」? の一件は、どのような職種の方にとっても、「他山の石」となる数多くのポイントを含んでいると思われます。