何が不足しているので、貧困な子どもに普通の大人が「おせっかい」できないのか?
大阪「CPAO子どもしょくどう」、ある日の夕食メニュー。メインはハンバーグ。
生活困窮の中で孤立死した人々が発見されるたびに、あるいは貧困状態にある子どもの実情が報じられるたびに、「おせっかいなご近所さん」による互助の必要性が強調されたり、地域コミュニティの「絆」による共助の必要性が強調されたりします。
援助を必要としている人がいることを知らせ、周囲の大人たちに「行動しましょう」と訴えかける報道も相次いでいます。
その必要性は、私も否定しません。しかし、それだけでは全く不十分だと思うのです。
「大人一人ひとりが動こう」という朝日新聞社説
2015年5月5日の朝日新聞に、「子どもの貧困、大人一人ひとりが動こう」というタイトルの社説が掲載されました。
日本の子どもの今を考えるとき、見過ごせない数字がある。
16・3%。
子どもの貧困率である。
6人に1人が貧困であることを意味している。貧困率とは「世帯収入から国民一人ひとりの所得を試算して順番に並べたとき、真ん中の人の所得の半分に届かない人の割合」をいう。
ひとり親など大人が1人だけの世帯の貧困率は、5割を超える。先進国の中で最も高い水準だ。
で始まるこの社説は、政府の政策がまったく不十分であることを
疑問を感じるのが贈与税の非課税枠の拡大だ。
祖父母や親が、子や孫に教育資金を渡した場合、さらには結婚や出産、子育て用のお金を贈った場合、一定額までは課税されない。
経済の活性化を狙った対策で、ゆとりのある家庭には恩恵が大きいが、家庭間の不平等を広げかねない危うさをはらむ。再考が必要ではないか。
と批判しつつ、ついで東京都豊島区のNPO法人「豊島子どもWAKUWAKUネットワーク」の活動を紹介して大人の「おせっかい」を勧め、
活動している団体に募金をする、という関わり方もある。ちょっと気になる子どもがいるなら、近くの民生委員に話をしてみるのもいい。市町村には、子どもに関する相談を受け付ける窓口もある。
と、「誰にでも出来ることがある」と呼びかけます。最後に
子どもは、これからの社会を担う存在だ。彼らを支えれば、未来も変わる。
少しだけ、おせっかいになってみよう。大人になっても貧困から抜け出せない「貧困の連鎖」を断ち切ることにつながるかもしれないのだから。
と、個人の行動を促しています。
地域の大人が現在よりも少しだけ多く近隣の子どもを気にかけ、募金・民生委員や児童相談窓口への情報提供が現在より活発に行われるようになることは、もちろん必要なことではあるでしょう。
本記事では、何があれば大人たちが安心して「おせっかい」になれるのかを考えてみたいと思います。
リアルな格差とともに過ごした、私の小学校6年間
私は5歳まで、終戦直後に大陸から引き上げてきた方々のスラムがまだ残っている地域で過ごし、5歳から20歳までは農村の中にいきなり出現した新興住宅地で過ごしました。
小学校は町立(当時)だったので、地域に住む大人たちの極めて多様な職業・収入状況などを反映したクラスで毎日を過ごしていました。「多様な」ということは、親世代の格差をはじめとする社会の問題がそのまま持ち込まれているということでもあります。
親御さんがおらず、中学を卒業したお姉さんお兄さんの少ない稼ぎで小学生の子どもたちが学校に通っているご家庭もあれば、一人親のお父さんが肉体労働の日雇いで辛うじて小学生の2人の子どもを養っているものの生存の維持が手一杯というご家庭もあれば、小学生女子の子どもが家業や家事で忙しく勉強どころではないご家庭もあれば、昭和の「中流」そのもののようなサラリーマン世帯もあれば、新幹線の九州延伸に伴って農地を手放し補償金で豪邸を建てたお宅もありました。
今にして思えば、相当数の要保護世帯が含まれていたはずなのですが、生活保護を受けているご家庭があったという話は耳にしたことがありません。子どもの耳に入らなかっただけで、実は「生活保護を利用してもなお大変な状況にあった」ということなのかもしれませんが。
私は、昭和の「中流」の代表例のようなサラリーマン世帯で、会社員の父親と専業主婦の母親のもとに育ちました。実家には、当時のサラリーマン家庭としては多い方に入るであろう書籍がありました。小学校に入る前に教育漢字をコンプリートしていた私は、小学校3~4年になると家にあった司馬遼太郎の小説などを読むようになりました。父親は芥川賞・直木賞の受賞作品や大河ドラマ原作のほとんどを買ってきて「積ん読」していました。それらの本が私の栄養となったのです。
学校の勉強で苦労した記憶は、ほとんどありません。算数の計算はややトロかったこと、作文は得意だけど読書感想文と社会科見学についての作文は「何を書いたらいいか分からない」状態だったこと、程度でしょうか。
算数は、小学4年くらいから仲のよい女子グループで一緒に宿題をするようになり、解法担当・計算担当を分担するようになりました。私は解法を人数分考え、計算は計算が得意な子にやってもらっていました。中学受験準備を始めたとき、本番では計算を代わってくれる人がいないことに気づいて慌てましたが、半年ほどで何とか克服し、受験に成功しました。なお、塾などの教育産業のお世話にはなっていません。「子どもが一人で通える範囲に学習塾が存在しなかった」という当時の地域の事情もあります。いずれにしても、塾・家庭教師・習い事は「子どもの向上を望むなら、行かせるのが普通」という感じではありませんでした。1976年、受験を突破してきた中学1年のクラスの1/2くらいは塾にも家庭教師にもお世話にならず、親に勉強を見てもらったり、自分で自学自習して受験してきた子たちだったという記憶があります。進学塾を経験してきた子が多数派になったのは2学年下の1978年中学入学者あたりから、「進学塾+家庭教師」というパターンも見られるようになったのは3学年下の1979年中学入学者あたりから、という記憶もあります。
いずれにしても、小学校時代は
「自分は、なんだかズルをしているような」
という感覚が、ずっとありました。
家庭環境に問題がないというわけではなかったものの、家で学校の宿題くらいはできる。学校図書室の本だったら読めるし、ピアノなどの習い事も出来る。一方、多分に家庭環境の影響で、学校の宿題もできない状況にある同級生がいるわけです。
自分が努力できて結果を出せることに対する申し訳なさと、良い結果を素直に喜びたいのに喜べないフラストレーション。もちろん、嫉妬や憤懣を直接ぶつけられることも、「イジメ」としてぶつけられることもありました。「ゼイタクな悩み」と言われればそれまでですが、小学校時代の私には辛かったです。
中学受験をして私立中学に行くと、当時の私の家庭あたりが階層でいえば最下流あたりでしたが、かえって気楽でした。自分自身が経済的困難を抱えているというわけではない「相対的下流」は、「上流」に対して羨望や嫉妬を抱く気にはならないのです。「経済的理由で大学に行けない」なら、大学に行ける同級生・東京の大学を受験するにあたって母親とともに高級ホテルに宿泊する同級生に激しい嫉妬を感じたかもしれません。しかし私の場合は「経済的に行ける範囲の大学や学部はあるので受かろう、でも、できれば国公立に」でした。そういう選択をせざるを得ないことに不満を感じたことはありません。5教科7科目だった共通一次も、負担感ではなく、受験勉強を飽きずに楽しめた記憶につながっています。また、自炊の出来る安いホテルやユースホステルで他の受験生とともに料理や交流を楽しんだ記憶は、決して「高級ホテルに泊まれればよかったのに!」という感情にはつながりませんでした。
たぶん、格差はあってもいいんです。多様性の現れであり、多様性の担保ともなる範囲の「健全な格差」があるのだと思います。格差の最下部さえ十分に底上げされ、一部の人は「貧乏」かもしれないけど「貧困」ではないという状況になれば、誰もに対して
「今、生きて暮らしていくことが楽しい。さらに努力してキャリア構築したり稼いだりできれば、もっと楽しいかも」
という極めて健全な状況が現れるのではないでしょうか。
「近隣の善意の大人」に出来ることは、多くない
「昔は地域コミュニティによる『共助』、社会のセキュリティネットがあった」
という声がしばしば聞かれます。私が小学生時代を送った1970年代の福岡県郡部も、確かにそうでした。
善意の大人が、何らかの困難を抱えた近所の子どもに自然に手を差し伸べることは、当たり前のようにありました。私もそういうふうに、近所の大人たちに助けてもらって育ちました。一方で、専業主婦コミュニティが働く母親を敵視し、子どもをより困難な状況に追いやるようなこともありましたけれども。
でも、近隣の善意の大人が、貧困状態にある子どもに対して出来ることは、実は非常に少ないのです。
継続的に行えることは、
- 週に1回か2回、ご飯食べてってもらう
- 何か機会にかこつけて、ちょっとしたプレゼントをする
が精一杯、といったところでしょう。
虐待されている様子があったら、「学校に情報提供する」「児童相談所にちょっと相談しておく」くらいのことはできるかもしれません。
幸いにも、親とも信頼関係を築くことができたら、何か利用できる制度の利用を手伝うことも出来るかもしれません。「親が日本語を読み書きできないので、子どもを病院に連れて行くのも一大事」といったこともあります。
しかし善意の大人も、そんなに余裕のある生活をしているわけではないのです。自分自身もしばしば困難な課題を抱え、守るべき家族があります。子どもたちにも「出来るだけ良い教育を」と望みます。ほんの少しの余裕を、自分の生活を壊さない範囲で提供すること。大人同士でもありうる「お付き合い」の範囲でモノや機会をさし上げることに、プラスアルファを少しだけ。そのあたりが限度です。自分自身や家族の生活を危機にさらしてまでの援助はできません。
生存生活が危機に瀕している状態の子どもや家族に対し、食料・食事を少し提供することくらいはできても、食費を丸抱えすることはできませんし、家賃を払い続けることもできません。その、実は最も肝心な部分は、どうしても「公助」で支えられる必要があります。
「互助」と「共助」が機能する前提は「公助」
近隣に要保護世帯がいて子どもがいるとします。親は苦しく、従って子どもは非常に厳しい状況にあるでしょう。
この世帯が生活保護を利用するかどうかで、近隣による支援の形は全く異なるものになります(必ずしも生活保護でなくともよいのですが、生活の根本を支える制度は、日本には生活保護しかありません)。
ご本人がその気になり、生活保護を申請し、保護開始となった場合には
「生活保護でなんとか暮らせているけど、しんどい」
という状況となります。生活保護基準は、過去「健康で文化的な最低限度の生活」を実現していた時期が一度もありません。生きてはいける、暮らしてはいけるけれども、しんどい。これが実情です。
しかしこの場合、生存の最低ライン以上が生活保護だけで実現されているのは事実です。必要なのは「ちょっとラクになる」の手伝いです。これならば、ご近所さんに出来ます。場合によっては
「生活保護は全然恥ずかしいことじゃないと思いますよ」
と話すだけでも、力になるかもしれません。
図式化すると
公助(大)+共助(中)+互助(小)
です。
互助は、根本的に「当てにする」というわけにいかないものです。期待できるかどうかは、相手の事情によります。その「相手の事情」は相手自身にコントロールできるとは限りません。
でも、生活の基本が「公助」という揺らぎにくいもので支えられており、やや安定した、「公助」よりフレキシブルな「共助」が直接支援の機会となっており、その上に「互助」がある形であれば、「共助」「互助」が無理なく成り立ちます。その先には「自助」の拡大が期待できます。そうすれば、「あげる」「もらう」の一方通行ではなく、「もらう」側が「あげる」側になること、互助のさらなる拡大がありえます。
「公助」である生活保護が金額にして2万円足りないけれども、何らかの「共助」で1.5万円分を埋めることが可能であれば、金額にして5千円の「互助」があれば足りることになります。その「互助」も、3~5世帯で分担すれば大きな負担にはならないでしょう。
「公助」が貧弱だと「共助」「自助」も成立しない
しかし、その要保護世帯が生活保護を利用しないとします。世帯主である大人が「利用しない」「利用したくない」と考えている限り、子どもも含めて生活保護は適用されません。すると、ご近所さんにとっての状況は全く異なってきます。
この場合、その要保護世帯の大人は、他人に介入や接触をされたくない状況であることが多いかと思われますが、
「幸いにも、あるご近所さんが信頼を得ており、何かと頼られている」
としましょう。その家の子どもは、しばしば欠食状態にあり、衣服もボロボロ、充分な頻度で入浴させてもらっていないので不潔感があり、イジメの対象となっており……という気の毒な状況を見るに見かねたご近所さんは、どうなるでしょうか?
週に1回か2回、その子どもに夕食を食べてもらい、ついでに入浴もしてもらい、親のために食料や食事を持って帰ってもらうことは可能かもしれません。でも、その要保護世帯の
「家賃どうしよう」「水道光熱費の未払い分どうしよう」
といった悩みを、お金によって解決することはできません。一時的に「水道料一ヶ月分くらい」なら可能かもしれませんが、それが精一杯でしょう。
ご近所さんは出来ることを行い続けますが、しだいに消耗してきます。「役に立った」という実感が全く持てないからです。
子どもの気の毒な状況は、より悪くはならずに済んでいますが、良くはなっていません。周囲の子どもたちとの学力の差は開いていくばかりです。親の状況も同様です。
「自分は何のために、こんなことをしているんだろう?」
という疑念が、ご近所さんを時折襲うようになります。
「あげる」「もらう」という一方通行の関係の継続は、「もらう」側、要保護世帯の心理状態にも良くありません。「ありがたい」という感情は、いつ「バカにされている」という怒りや「立場が入れ替わるほどよこせ」という欲望に転化する可能性もあります。
時に怒りや妬みのようなネガティブな感情をぶつけられても、子どもに対して若干の援助を続けているご近所さんは、いつかブラックホールにつかまっているような感覚を持つようになります。
援助をやめて「かかわらない」を選択するか、共倒れか、あるいは「公助」に近い何かを提供できる団体につないでから壁を作るか。選択肢は、そのどれかになるでしょう。
この一家が得ている収入を「生活保護基準マイナス10万円」とすると、地域コミュニティやご近所さんが埋めることは最初から無理なので、「埋めようとしても埋めようとしても埋まらない」という当然の話です。
公助(小)+共助(中)+互助(大)
の合計が、生活保護基準以上になればよいのですが、そこまでの支援を出来るご近所さんを想定するのは非現実的です。もし実在したとしても、個人が行い続けることそのものに問題があります。
私は正直なところ、冒頭で紹介した朝日新聞社説に対して、
「ブラックホール化した/しかねない貧困状態の人が身近にいた経験を持っていたら、こんなことを簡単に書けるわけはないのでは?」
と思いました。
戦後の昭和に存在した中流層は、上も見えて下も見えて板挟み感で苦しい層でもありました。
中流層の消滅とともに、本来ならあるべき
「いろんな階層や背景が見え、ギャップ・板挟み感・羨望など、さまざまな感情を抱く」
という経験まで失われたのかもしれません。
米国型の「共助」の実態は、かなり「公助」
現在の日本政府は、行政の機能と社会保障を縮小させるために、米国型の「共助」を目指しているのかな? という気もする昨今です。
しかし米国は、予算規模で見れば、それほど「低福祉」の国というわけでもありません。「公助」的な予算枠で「共助」に予算をつけていたりもします。この実情は、過去に記事化したこともあります。
生活保護のリアル 政策ウォッチ編:日本の生活保護を海外と比較することは妥当か? 格差社会アメリカ・ボストン市で見た貧困層の実態
また、年間20億円規模の活動を行う生活困窮者支援NPOの財源の35%が、政府からの助成であったりもします。さらに60%の寄付を受けており、寄付に対しては優遇税制が設けられていることを考えると、基本的には「公助」によって支えられている「共助」と見るべきでしょう。ご関心ある方は、下記の拙記事をお読み下さい。
生活保護のリアル~私たちの明日は?:格差大国・米国でも、これだけの困窮者支援がある
アメリカの「共助」は、私から見ると
(公助+共助(公共の一部として))(大)+共助(近隣コミュニティ)(中)+互助(小)
の一部として成り立っています。
この図式を単純に賞賛するつもりはありません。
「(公助+共助(公共の一部として))(大)」の部分には、堤未果さんのご著書等に見るとおり、容易に「公営貧困ビジネス」「貧困ビジネスに対する公的支援」となりうる危険性も含まれています。
また米国は、「公的扶助しかない」という状況を予防するための「防貧」は日本に比べて若干は手厚いものの、「公的扶助しかない」という状況に陥った人々に対する「救貧」は極めて貧弱です(最近、かなり改善されてきていますけれども)。
いずれにしても、何によって、どのように、その地域の現状が実現されていて、結果はどうなのか。
外国の制度を理解するには、「ツマミ食い」せずに見る努力・自分の見ている日本語の資料が「ツマミ食い」の結果でないかどうか疑ってみる努力が必要です。
結局のところは財政論
「近隣の助け合い」「コミュニティ」「おせっかい」が成り立ち、良い結果に結びつくためには、必要な資源に対する冷静な議論が必要です。
日本に子どもが生まれ、育ち、社会に接続されるためには、いくら必要なのか。
それは結局、「親の貧困をどう解決するか」という問題です。
2人の親が2人の子どもを育て、充分な教育を与えて社会に接続するには、いくら必要なのか。
生まれて欲しい子どもの人数から、必要な費用の総額は容易に判明するでしょう。
「その世帯に必要な費用が、どのような形で供給されるか」は、それほど重要な問題ではないと私は思います。
ある世帯では、生活保護費+公的教育支援となるかもしれません。
ある世帯では、親の就労収入+現金給付+公的教育支援 かもしれません。
ある世帯では、親の就労収入だけでなんとかなるかもしれません。
どういう形態でも、「社会から世帯に資源が流入する」に変わりはなく、流入した資源は、子どもの貧困をただちに解決します。
「高齢化による社会保障費の増大が」「赤字国債が」ではない、未来志向の予算確保のための財政の話をすることこそ、現在もっとも「子どもの貧困」解決のために望まれることです。
大手メディアの方々には、ぜひとも、その方向へのリードを考えていただきたいところです。