アナザーストーリーズ 運命の分岐点 桑田と清原 KK伝説~甲子園が熱狂した夏 …チームメートやライバルが明かす…
『アナザーストーリーズ 運命の分岐点▽桑田と清原 KK伝説~甲子園が熱狂した夏』の番組情報(EPGから引用)
2018/07/31(火)
アナザーストーリーズ 運命の分岐点▽桑田と清原 KK伝説~甲子園が熱狂した夏[字]
PL学園の桑田&清原を覚醒させた“敗北”とは?ある日、桑田が大阪から消えた謎、そして屈辱を味わった直後の清原の様子。チームメートやライバルが明かすKKの衝撃!
詳細情報
番組内容
PL学園の桑田&清原。1983年8月20日、当時1年生だった2人が豪打・池田高校を倒した瞬間から、甲子園のKK伝説は始まった。2人が甲子園で喫した敗北はわずか3つ。だがその敗北こそが彼らを“史上最強”へ導いた。高2で取手二高に敗れた後、桑田が大阪から消えた謎、その行動の一部始終と秘めた葛藤とは?高3の春、伊野商に敗れた後の清原の様子とは?チームメートや監督、ライバルたちが明かす、KKの衝撃!
出演者
【司会】沢尻エリカ,【語り】濱田岳![]()
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あの夏 甲子園は
2人の少年に沸いた。
清原く~ん!
(歓声)
空気を切り裂くような打球で
日本中のどぎもを抜いた。
圧倒的な投球で
マウンドを支配した…
彼らは
「KK」と呼ばれる伝説だった。
♬~
この夏 第100回大会を迎える
高校野球の聖地 甲子園。
この舞台で
さまざまなドラマが生まれました。
その時代時代に
圧倒的な力を見せつけた
選手たち。
その中でも
桁外れの成績を残したのが
あの2人です。
人呼んで 「KK」。
彼らがいたPL学園は
高校3年間で
たった3回しか
負けた事がないという
驚くべき成績を残しました。
その伝説が幕を開けた
運命の分岐点は
1983年8月20日。
まだ1年生だった彼らは
大番狂わせを演じました。
この瞬間の秘密をひもとく
第1の視点は…。
共に戦ったチームメートたち。
常識破りのアナザーストーリー。
35年前の彼らに
どんな奇跡が起こったのか。
今は難しい立場にある彼の事も
話してほしい。
そう頼むと もう一人の彼は
快く引き受けてくれた。
甲子園で20勝3敗という
驚異的な記録を残した。
(取材者)桑田さん そのきれいな…
きれいじゃないですけどね。
さほど大きくはない 柔らかな手。
語り始めたのは 1年生で初めて
公式戦に登板した時の事。
恐る恐る
マウンドに上がったんですけど。
当然 清原も
ファーストを守ってたんですけど。
1年生同士ですから
話するわけにもいかず
目で 頑張れよっていう目をね
してくれていたと。
なに1年でお前
話 してんだよっていう
そういう時代ですからね。
一方 清原は…。
やがて伝説になる2人を
チームメートは
誰よりも近くで目撃していた。
地元の人が通う一番街商店街に
一軒のすし店がある。
(取材者)こんにちは。
あっ こんにちは。 どうも。
すいません
今日は よろしくお願いします。
KKの1年先輩で
下級生の指導役。
以来 つきあいを続けてきた。
その後 長く
PLでコーチを務めた清水。
今も記憶に残っているのが
桑田の桁外れの才能だ。
10球まで いかないですよ。
一方 KKの代で
キャプテンを務めた
松山が
圧倒されたのは清原。
現在 ソフトバンクで
2軍コーチを務めるが
清原ほどの才能には
巡り会っていないという。
衝撃があったのは やっぱり
清原ですよね 間違いなく。
高校1年生の段階で もう
大人と子供ぐらいの違いがあって。
比べれないですね。
もう別格です もう全てが。
ほぼホームラン。
まあまあ 練習で10球
マシンを打てば8球はホームラン。
清原と桑田が
PL学園に入学したのは
1983年 春。
しかし いくら才能があろうが
1年生が簡単にレギュラーを
つかめるほど そこは甘くはない。
後輩であろうが
ポジションを争うライバル。
これでもかというほどの試練が
2人を待っていた。
まず 洗礼を浴びたのは
桑田だった。
練習で登板する度
先輩から 容赦なく めった打ち。
なんと 僅か2か月で
ピッチャーをクビになった。
一度
ピッチャー クビになりまして。
もう ここにいても ちょっと
3年間メンバーに入るのも
難しいかなっていう事で。
母親にね 転校させてくれって
こう 言いに行ったんですよね。
もう やめさせてくれって事で。
もう 母親の前でね
こう 大粒の涙を落としながら
泣きながら もう連れて帰ってくれ
って言ってた時もありましたね。
もう ほんと
野球やめるつもりでした。
同期のピッチャーだった
井元秀人は
その時
桑田を励ました事を覚えている。
野球は 大学卒業と同時に諦め
今は エネルギー関係の企業で
サラリーマンをしている。
一方 清原も手荒い洗礼を受けた。
打撃の才能は明らか。
だからこそ…。
そして 2人を苦しめたのは
寮生活での鉄の規律。
1年生は先輩の付き人として
食事や洗濯の世話をする。
不器用な清原には
人一倍 鉄拳が飛んだ。
ずぬけた才能ゆえに
さらされた逆境。
だが2人は潰れない。
桑田が始めたのは
常軌を逸した走り込みだった。
その鬼気迫る様は
スポーツ記者になった同期 滝口の
脳裏に 今も焼き付いている。
同じ部屋だったんで 汗かいて
ランニングして帰ってきたら
滝口 それはランニングじゃない
とかって。
まあでも それぐらい こう
桑田っていうのは走り込んでたな。
人の5倍とも言われた練習量。
圧倒的な体力と技術を
身につけようとした。
そして 清原も…。
そして 7月。
チームに衝撃が走る。
いよいよ
夏の甲子園に向けた大阪予選。
勝負の試合で エースと4番に
2人が抜てきされたのだ。
その時 先輩たちの間には
不穏な空気が漂ったという。
当然もう 先輩たちも
ふざけるなって事ですよね。
何でお前 お前がいるから俺たちは
もうこれで終わってしまって
なんか お前の存在自体が
むかつくんだよ みたいな
雰囲気だったんですよ。
その試合の様子は
小さな記事で残っている。
清原が 豪快な
ソロホームラン。
1年生投手 桑田が
2安打に封じたと。
試合が始まりまして 初回ゼロ
2回ゼロ
3回ゼロになった時点で
キャプテンはじめ 内野の先輩方が
お前 やるじゃないか
何で そんなお前 今まで
隠していたのかっていう事を。
頑張ろうぜって
言ってくれたんですよね。
やっぱり 野球って
実力の世界ですから。
その試合で 僕のボールを見て
認めてくれたんでしょうね
恐らく。
桑田 頑張るぞ。
一生懸命 俺ら守るから
お前も頑張れって
キャプテンはじめ みんな
声掛け始めてくれたんですね。
その日から 僕の人生が
ガラッと変わり始めたんですね。
写真すら残っていない
この試合から
KK伝説は
ひそかに始まっていた。
そして 甲子園。
(応援団)かっ飛ばせ PL!
(実況)カウントは
ツー ワン。
カーブで きます。
空振り三振! 試合終了!
KKは
静かな快進撃を続けていく。
(歓声)
(歓声)
迎えた準決勝。
最大の敵が待っていた。
夏春連覇中の王者 徳島 池田高校。
そのど迫力の打線は
あらゆる対戦相手を粉砕。
「やまびこ打線」と恐れられていた。
下馬評は もちろん
池田の圧倒的有利。
試合が始まった。
初回。
3番 江上
4番 水野が 桑田に襲いかかる。
辛うじてピンチを脱するも
桑田がつかまるのは
時間の問題と思われた。
池田のエースで4番 水野。
この試合は
眼中にもなかったという。
久々に楽な相手と当たれるな
っていうのは 実際の…。
う~ん そうですね…
池田のキャプテンだった
3番 江上も…。
こいつは中学生だっていう感じで
見てましたんで。
まあ なめてるっちゃ
なめてたかもしれませんけど。
ああ これ いつか大量点いくな
っていう感じはありました。
だが 2回
試合は まさかの展開を迎える。
豪腕 水野から
桑田が2ランホームラン。
桑田は 尻上がりに調子を上げ
強打のやまびこ打線を封じ込んだ。
(歓声)
そして 9回2アウト。
1年生を主軸に据えたPLは
大差で池田を下した。
このままなら 伝説は
桑田だけのものだったはずだ。
だが 翌日の決勝戦。
(歓声)
今度は 4番 清原が大爆発。
2人の活躍で ついに全国制覇。
KKの名は 日本中に轟いた。
しかし… 実は頂点に立ったあと
桑田は悩みを抱えます。
そして一つの敗北で 野球への
姿勢を 根本から揺さぶられます。
第2の視点は
スポーツフォトグラファー。
敗北が桑田に与えた変化を
ファインダーで切り取りました。
敗北のあとに桑田が取った
不思議な行動の顛末とは?
34年を経て明かされる
アナザーストーリー。
KKが戦った甲子園 23試合。
その全てを切り取った男がいる。
数万枚に及ぶ2人の写真に
岡沢は KKの心を焼き付けた。
そんな桑田を捉えた写真の中で
最も印象深い一枚がこれだという。
高校2年 夏の甲子園 決勝。
桑田が初めて
めった打ちで敗れた瞬間だ。
その時 桑田は
指先を見つめていた。
それは
日本中が驚いた敗戦だった。
(歓声)
あの桑田真澄が
ノックアウトを食らったのだ。
(歓声)
実は この試合
桑田の右手中指は まめが裂け
血が噴き出し 激痛が走っていた。
もはや限界だった。
(歓声)
決定的なホームランを浴び8失点。
激痛の右手を見つめる桑田。
だが この時
もう一つ 抱えた葛藤があった。
すごくインパクトあったのは あの
取手二高の野球スタイルですよね。
もう 笑ってる。
そして失敗しても
笑ってるんですよね。
「次 頑張るぜ」みたいな感じで
笑ってるんですよ。
それまでの
僕の野球観っていうのは
グラウンドで歯を見せたりとか
三振して笑うなんて
ありえないって考えてた。
それが当たり前の時代で
当たり前の
野球スタイルだったのが
何で笑ってるんだろう
三振してるのに。
PLとは真逆のチームカラーで
伸び伸び 笑顔。
緊張感とは無縁で 甲子園の大会中
みんなで海水浴に行ったという。
キャッチャーだった 中島彰一は
チームのやんちゃぶりをこう語る。
実は 取手二高とPLは
僅か3か月前
練習試合を行っている。
その試合も
岡沢は追いかけ 記録した。
結果は 13対0でPLが圧勝。
清原は特大のホームランを放ち
桑田は 1安打で完封した。
桑田が 本当にそう言ったか
どうかは疑わしい。
ひょっとすると
記者に そう言わせたのは
あの男かもしれない。
その男は マジックと称される
采配を振るった
チーム作りの達人だ。
名将 木内幸男。
指導歴 61年を誇る木内の中でも
あの年の取手二高は
随一だったという。
木内の指導は 管理とは無縁。
そのかわり やる気に火をつける。
KKの圧倒的な力を見せたのは
木内の策だった。
案の定 試合後…。
そして変貌したチームは
見事にリベンジ。
(歓声)
その敗北が 桑田に
どれほどの衝撃を与えたか。
彼が背負っていた環境を思えば
それは なおさらだった。
実は 僕は
すごい苦しんでたんですよね。
全国の高校球児が
打倒PL 打倒桑田 打倒清原に
こう 燃えて
練習してくるわけですよね。
それが 何かいろんな事を
感じるようになって
プレッシャーが
かかってきたんですよね はい。
高校1年での全国制覇以来
全ての高校球児の標的となった。
自らをいくら追い込んでも
不安が拭えない。
その恐怖が
桑田を追い詰めていた。
走ってたですね。
どうしたらいいんだろう
どうしたらいいんだろうって
ずっと考えてました。
そんな桑田を あざ笑うように
僅か3か月の間で変貌した
不思議なチーム。
強くなるとは 一体何なのか?
(電車の警笛)
その冬の事だった。
桑田が誰にも告げずに
野球部の寮からいなくなったのは。
向かった先は…。
あのチームは 一体どんな環境で
練習しているのか
それを確かめたかった。
実際に取手の方に行って 学校…
「えっ このグラウンドですか?
ここで練習してるんですか?」
みたいな。
(取材者)びっくりしましたか?
はい。
なんか いろんな
びっくりの連続でね。
ああ 高校生 高校野球って
こういう感じもあるんだ
っていうのを こう肌で
実際 自分の目で見て
肌で感じてね。
実は 甲子園のあと
日本代表の韓国遠征で
取手二高の選手と合流。
桑田も 清原も
すっかり仲良くなっていた。
その時 交換した
連絡先を頼りに
桑田は 取手二高のエース
石田文樹の自宅を訪れている。
突然の訪問に
父 良文さんは驚いた。
そこに電話が鳴った。
その時 撮影された写真が これ。
あの桑田の訪問とあって
一族勢ぞろい。
決勝ホームランを打った中島も
駆けつけた。
桑田は 家庭料理を食べ
たあいもない会話を
楽しんだという。
この2泊3日の旅で
桑田が得たものとは何だったのか。
彼は こう語る。
「最も大きな学びは やはり…」
以後 桑田は手探りで
練習方法の改革を推し進めていく。
だがファインダー越しに見る
岡沢には
何より変わったのは
桑田本人のように思えた。
それは ストイック一辺倒だった
桑田に 新たな野球観を授けた。
取手二高のエースだった石田は
10年前 がんで この世を去った。
プロでは1勝しか
挙げられなかったが
バッティングピッチャーとして
長くチームに貢献した。
そんな石田の家には
あの時 桑田が置いていった
ジャンパーが
大切に保管されている。
敗北をきっかけに
自らの野球観を見つめ直した桑田。
一方 天才ホームランバッターと
騒がれた彼も
実は 屈辱を味わいます。
第3の視点は 清原和博。
彼はその時 何を思ったのか。
KK 最後の夏へ。
彼らを不滅の伝説に押し上げた
アナザーストーリー。
サヨナラのチャンスには
めっぽう強かった。
(歓声)
しかし2年前 その栄光を失った。
清原は かつて
こんな言葉を残している。
清原の原点を見つめる。
清原とは どんな人間か?
そう尋ねると 彼を知る者は皆
うれしそうに語りだす。
まずは PL時代 多分一番
迷惑を被った先輩 高松省平。
清原は付き人として
高松の洗濯を担当したが…。
先輩に怒られても天真爛漫。
そして無邪気なほどに
バッターとして
一番である事に こだわった。
例えば 高校2年の甲子園。
珍しく 清原が試合前に来て
「桑田 相手の4番には
絶対 打たさんといてくれ」と。
「えっ 何で?」。
「俺と背格好も大体一緒で
すごい 飛ばすらしい
打つらしい
2年で4番を張ってる」と。
「だから 絶対に打たさんといて
くれ」って言われて。
まあ 僕は
打たさないと思いながら
バンバン ストレートで
攻めていくわけですよ。
そしたら 清原が途中で
「桑田 カーブも使っていこうよ」
って言うわけですよ。
「いや 抑えればいいんだろ」って
言って。
「カーブも入れていこう」
とかっていう。
で 1打席目を
ストレートで抑えて
2打席目もストレート ストレート
投げてると
清原が来て
「桑田 カーブも入れようよ」って。
「いや 何で?」
「絶対 打たさんといてくれ」と。
「俺は打つけど 安田君には
打たさんといてくれ」って。
「分かった」って またストレート。
「桑田 カーブもいこうよ」…。
(笑い声)
そうですね おさえました。
そしたら 試合終わって
「ありがとう 桑田!」って
すごい感謝されましたけど。
生まれは
勇壮なだんじり祭りで知られる…
小学校3年
地元のチームで野球を始めたが
ずぬけた体格や才能に加えて
その ひたむきな姿が
恩師の印象に残っている。
そして 高校で強豪PLへ。
だが その3年間は
苦難の連続だった。
清原はピッチャーを諦め
バッターでの日本一を目指す。
しかし あの池田戦は4三振。
4番バッターという重圧に
清原の体は悲鳴をあげていた。
もう げっそり痩せていて
体調も壊していて
精神的にすごく参っていてですね。
たくさん食べる清原が
もう 全く食べられない。
飲むだけですよね。
体調 悪くてね。
「大丈夫か? 大丈夫か?」って
したの思い出しますね。
清原は述懐している。
そんな清原に
最大の試練が訪れたのが
高校3年の春だった。
(実況)清原です。
通算が72打数30安打16打点。
いよいよ最終学年。
ナンバーワンバッターの力を
証明するはずの大会。
だが…。
(実況)
甲子園に来て4割1分7厘。
三振!
(拍手)
無名のピッチャーに
ねじ伏せられてしまう。
(実況)空振り三振! おっと
ランナー飛び出している。
清原 2打席連続三振。
この試合
伊野商業 渡辺智男の前に
清原は3三振。
KKは初めて決勝進出を逃した。
後に西武ライオンズで
チームメートとなった渡辺は
現在は 四国地区の
スカウトを務めている。
実は あの試合は渡辺にとって
人生を懸けた勝負だった。
ケガの不安で全力投球が
できなかった高校時代。
だが あの試合
ヒジが壊れてもいい覚悟で
全力を解き放つと決めた。
理由は もちろん
相手が清原だったからだ。
ずっと我慢を重ねてきた
渡辺の執念の投球に
清原のバットは負けた。
この試合の直後
清原の様子を目撃した
元横浜ベイスターズ…
清原の2年後輩で同じ部屋だった。
野村が目撃した清原の姿もまた
人並み外れたものだった。
追い込んで 追い込んで
清原はチームを救える
4番になろうとした。
高校3年 最後の夏。
清原は打ちまくった。
(歓声)
(場内アナウンス)
「4番 ファースト 清原君」。
(実況)これ 入った!
(歓声)
(実況)甲子園で11本目
今大会 3本目。
そして 決勝。
桑田が打たれる。
その時…。
(実況)きた! 豪快 豪快!
(歓声)
(実況)同点ホームラン!
大会45号目のホームラン。
この試合
清原は繰り返し桑田を励ました。
当然 清原も
3年間 後ろでね 見てますから。
僕が しんどいのを
知ってるわけですよね。
で 来て 「桑田 俺 絶対打つから
頑張ってくれな」って
ずっと声かけてくれたんですね。
で また僕が点取られる。
彼が来て
「桑田 大丈夫 ふんばっとけよ。
俺が次 また打つから」って言って
またホームラン打ってくれて。
(実況)出たか
大きい 大きい 大きい!
これも入ります 入ります
ものすごい当たり!
ものすごい当たり!
(歓声)
清原に支えられ
桑田は調子を取り戻していく。
(実況)キャッチャー…
また走った 空振り!
さあ キャッチャーは
セカンドに送球してタッチ。
ダブルプレー!
(歓声)
そして 9回裏。
(歓声)
(実況)3塁ベースを回っていった
回りました ホームへ向かった。
サヨナラゲーム!
PL得意のサヨナラゲーム!
4対3!
夏 3度目の優勝を飾りました。
桑田が苦しんでたんでね
とにかく
楽にしてあげたかったんでね
思い切り振りました。
(男性)3年間の この甲子園
思い出に残った事は
一番 何ですか?
やっぱり 今日 最後
清原と抱き合った事が
一番うれしかったです。
(男性)そうですか おめでとう。
どうもありがとうございました。
試合後 くしくも
2人が口にしたのは
互いへの思いだった。
その後 清原の人生には
試練がつきまとった。
(男性)読売 桑田真澄 17歳 投手。
憧れの巨人に入れなかった
痛恨のドラフト。
だが2年目
その巨人を倒して日本一に。
そして プロ11年目
KKはジャイアンツで
再び チームメートになる。
その時 先輩やチームメートは
2人を
こんな気持ちで見守っていた。
清原に 度々
山菜巻きを届けた清水。
あの人から
うれしい言葉をかけられた。
そして 2008年
清原は静かにバットを置いた。
本当は
前年に引退するはずだったが
「桑田が まだ頑張っているから」と
戦い抜いた。
そこには もちろん 彼の姿も。
この日 25年にわたるKKの伝説は
静かに幕を下ろした。
付き人だった清原のミスを
許し続けた…
10年前に妻を亡くし
今 娘と2人 懸命に生きている。
1つ先輩の清水 哲は
大学時代のケガで
体の自由を失った。
だが KKとの絆が
今なお力をくれるという。
大手町の企業戦士となった…
僕たち2人 やっぱり
特別だと思うんですね。
野球から たくさんの幸せを
もらったんです。
だからこそ 僕たち2人は
他の人以上に
野球界に恩返ししなきゃいけない
と思うんですね。
その恩返しの方法は
僕がやってる方法も
一つの方法だし
いろんな方法があると思うんで
キヨらしい方法で 野球界に
恩返ししてもらいたいなと。
それが 僕の心からの願いですね。
KKは試練を跳ね返してきたのだ。
いつだって。
NHK「プロフェッショナル」制作班 NHK出版 2011-10-06
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