凡人でも10傑になれますか??
ずっと、苦しんでいた。世間ではそこそこ優秀とされる高校に入ったのに、周りは恋愛恋愛パコパコ恋愛恋愛恋愛。あるいは部活!バイト!アソビ(笑)。あ~あ、高校生のつらいところね、これ。そんな絶望の世界の中でクラスの中心から遠ざかりアイを叫ぶこともなく孤独にモラトリアム人間を謳歌している。それが、何より苦しかった。だから僕は飛び込んでしまった。電車が来るホーム、ガタゴトという音さえ耳に入らなくなって、特にいじめられていたわけでも、不幸があったわけでもないのに、自分という存在の無価値さを冷え冷えとした頭で思い知ってしまって、心で感じいってしまって、昨夜はなぜか止まらなくなった涙で枕を濡らした。そして今日、僕は自律して動くからだに引きずられるようにして駅のホームから飛び降りてしまった。痛みはなかったし、今もこうして回想ができるくらいには自我がある。死んでも自我はあるのか。あるいは死んでいないのか。身体や精神という枠から解き放たれ、浮遊感とある種の全能感に溺れる。
……急に、世界が輪郭を得た。ホワイトアウトの中に物影が見える。次第に世界が再構築される。
そして、そこからの記憶は途絶えた。
***
……
目を開けると、そこは学校だった。僕の見知った学校。タイムリープ?死に戻り?ありがちなテンプレ?
黒板の日付は自殺決行の日と同じだった。僕は、結局死ぬのが怖くて学校まで来てしまったのか。それとも、あれは電車で見た夢だったのか。酔生夢死とはいうけれど、酒なんてこれまで飲んだこともないのに。そんな勇気も偽悪も無縁だったから。
ただ、少し様子がおかしい。普段は授業中うるさくしているリア充やギャルグループは嫌そうな顔でうつむいている。それどころか、普段は絶対口も開かないようなオタク系男子達がやたらうるさい。
「今月の”大学への数学”買ったよね君?もちろん学コンはBで出したんだろうねw?」
「当たり前じゃないか...wデュフwむしろ最近小生のオカズは新物理入門でありますからぁっ!?」
喋っている内容は全然わからないけど、すごく盛り上がっている。メガネ、デブかガリの極端な体系、女子という概念を知らなさそうな連中というのは変わっていないけど。それでも明らかに普段と違う。
教師も、普段はリア充グループを嗜めるのに、今日はオタク達を野放しにしている。
「じゃあ......篠崎!」
「は、はいっ!急になんですか!?」
「いや、前でこの問題を解いてくれ」
そういって先生が唐突に提示してきたのは数学の問題だった。そりゃそうだ、今は数学の時間だ。
「大丈夫?解けそう?」
小声でそう言って、隣から問題の着眼点を書いた板書を見せてくる幼馴染・春川千里。
「千里......普段は絶対見せてくれないのに」
「見せてるじゃない!あんた、ここで間違えたら学校生活終わるわよ!わかってんの!?」
必死の形相で、小声でもわかる迫真さで叫ぶ千里。
「何言ってんだ?」
「いいから!これ見て頑張りなさい!!」
「うおっ!?」
千里に背中を突き飛ばされ、僕は彼女の女子らしいノートを持って黒板へと向かった。はじめてのおつかいに子供を送る母親というか、子どもというか、僕らはそんな風にでも見えてるんじゃないか。
「これ、難しくないっすか?」
黒板の問題を一目見て感じたのはそれだ。
「そりゃあお前、これ京大の問題だからな」
「は?」
オタク君が口をはさんでくる。
「やあやあ、君これは有名問題ですぞ!?まさか、これを知らないなんてことはあるまいな......ねぇ?」
ニタリとした笑み。したりというよりはニタリという形容がぴったりなその得意顔の裏に潜むのは、明確な害意だ。
「歴代最短の問題文と謳われる、有名問題としてはしばしば取りざたされるところでありますこの一問、所見だというのなら、結構、解いてみたらどうでぇす?解けるなら、ですがね。ハハハ!」
別のオタク君が叫ぶ。教室の中心で。
他の生徒は皆うつむいている。いや、ボソボソとは聞こえるのだ。「今日は篠崎か......かわいそうに」「京大の問題のときにあたるなんて辛すぎでしょ」「ただあれ流石に有名だし知っててもおかしくなくね?」「そうやってすぐマウントとるなよ......あいつらと一緒だぞ」「しっ!トップカーストの人たちに逆らっちゃダメでしょ、マジでやばい」
なんだ、これは。まるで”勉強ができるやつがトップカースト”みたいな言い草は。なんなんだ。今日は4月1日か?或はどっきりか?それともハロウィンなのか?わからない。
先生が口を開く。「篠崎、お前わからんのか?結構定期テストとか点数いいし期待してたんだけど、高1に入試問題解かせるのもやっぱり酷かねえ。これまでこうやってやってきたけど今後からもう少しレベル下げた方がいいかな、みんな?」
「先生ッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
オタク5名が、叫んだ。
「先生の教育方針は素晴らしいでありますぅ」「数学とは実践あるのみ!我がそう思います」「僕も。東大模試を中3で受けて数学偏差値70を越えた者としてそう思います......w」「やはりもっと難しいことをやるべきかと」「現状は有名問題が多すぎるであります、東大京大の有名問題は生きていれば誰しも中学生までに一度は目にするでござるからなあwww」
「いやいや、流石にそれはないでしょ!?」思わず僕まで叫んでしまう。
その瞬間、空気が凍った。
「ハァ…?君、我らに逆らうでござるか?」「勿論東大模試は飛び級で受けていますよねえ!?その時の偏差値は?そのときの標準偏差つきで答えたまえ!!!!」「へえ、その問題も知らずによく知った口が叩けたもんだなァ!?」飛び出す威圧の文言。もはや、呪文詠唱みたいなものか。
「じゃあ、これを解けばいいんですね?やってやりますよ」
そういって、僕はチョークを持った。粉塵が舞う。教室中の、リア充や普通のやつ、オタクグループ、ありとあらゆる人の視線が僕の指先に突き刺さる。
問題:tan1°は有理数か。(京都大学)
......マジでわからん。ち、ちらっとなら見てもばれないよね...?とびくびくしつつ千里のノートに目をやる。そこには「背理法」「加法定理」「有名角に持ち込む!」と、可愛い丸文字で書かれていた。千里の字は可愛いのに本人の態度は全く横柄なのはご愛敬といったところか。
まず、背理法か。これは僕もわかる。~を示せ!って言われたら逆のことをまず正しいことにしちゃって、そこから矛盾を導くんだよな。今回だと......って、そもそも有理数か無理数かがわからないじゃんこれ!
「流石にヒントはあげるよ篠崎、tan1°は無理数。でもそれを示せるかな?」先生が不敵な笑みを浮かべる。
結構それって大きいヒントじゃないか?まあいいや。じゃあ、まずは有理数であると仮定してみるか。......次は加法定理、か。tanの加法定理って形が面倒なんだよな。とりあえずtan2°を考えてみるか。ていうかそれしかできない。加法定理って二つを合わせるだけだしなあ......。
加法定理より、tan2°=2tan1°/{1-(tan1°)^2}) ここで、^2は二乗を表してると思ってほしい。
てかtan2°ってこれ有理数じゃん。
あれ、じゃあ3°とか4°も有理数か。だって3°ならだとすると、tan1°が有理数なら、自然数の角だったら全部有理数になるっぽい?
え、でもtan30°って1/√3じゃん。絶対無理数じゃん。
「先生、√3が無理数って証明しないとだめですか?」
「......その質問だけで十分だ。お見事。席についていいぞ」
あれ?許されてしまった。
オタク君たちがこちらを見ている。そのうちの一人が、こちらに歩いてきた。
「篠崎、そこそこ優秀だねえ......この短時間でそこまで気づくとは」
千里のメモのお陰とは言えない。
「ま、まあたまたまだよ」
***
席に戻る。
「私のメモ、どうだった?」
「いやほんと助かった、ありがとな」
「別に、いつものことだし。......お礼に、このあとちょっと付き合ってよ。昼休みどうせ用事もないんでしょ?」
「それはそうだけど、まあわかったよ」
数学の授業が終わると、オタク君たちはどこかへ消えていった。その瞬間、
「篠崎お前すげえよ!!!」「すごいねほんと!」「マジ頭いいじゃん」「え、あれその場ですぐわかったの?やばすぎ」「怖かったでしょ~あれ」......と、クラスの大勢から囲まれてしまった。
しかし、「はいやめ、一旦こいつ借りるから」という千里の一喝により、皆すごすごと引き下がっていった。
「私、学内10傑だしこのくらいはできるんだから」
そういって魅惑気に微笑む彼女は、なかなかにクールだった。
***
食堂にて。
「しかし、あの3つのヒントでちゃんとわかるんだったら、結構数学できるようになるかもよ?」
「いやまあ、それはいいんだけど。......いつから、勉強でカーストが決まるようになったんだ?」
ポカーンとした表情で千里は言った。「え、何よ今更。ずっとそうでしょ」
ああ、そうか。僕は自殺したと思ったら「勉強ができればカースト上位で輝ける異世界」に来てしまったのか。
「さっき言ってた10傑ってのはなんなんだ?」
「あー、それはこの間の実力テストの順位。ほら、5月にあったじゃない。ちょうど1月前かな。そのときの順位、私学年8位だったの覚えてないの?」
「それは勿論覚えてるけど、そんな呼称あったっけなーと」
「テストのあとずっとその話してたじゃないみんな。学年400人のうち上位100人が100傑、他にも50傑、30傑、10傑、5傑あたりはよく使われてるのを聞くけど」
「なんかかっこいいなそれ」
「ちょっと、興味なさすぎじゃない?私が助けてあげなかったら今頃オタクグループからいじめられてたんだから。感謝してよね」
「いや、それは本当にありがとな」
「わかればいいけど……。とりあえず、今回の件で確実ににらまれただろうから今後も気を付けてね。スクールカーストなんて学力が全てなんだから。あいつら10傑には入ってないけどみんな30傑だし。あなた5月のときかなり悲惨な席次だったんだから猶更ね」
「ええ……どうしたらいいと思う?」
「思い切って勉強やってレースに殴り込むか、それとも10傑レベルの人たちの取り巻きになることね。そういう意味では私と幼馴染で得したわね」
「別にそういう打算的なアレがなくても千里と幼馴染でよかったとは思ってるけどな」
「そういう口説き文句を覚える前に和歌の一つでも覚えたらいかが?」そういって、千里は最後の一口を掬い上げた。
そのあと返却口をトレーに返す千里の姿を憧れの目で追う女子がいるのを見て、10傑に入る美人さんにはこういうファンみたいなのまで発生してしまうのかと、戦慄した。千里が気づいているかはわからない、けども。
これからどうなっちゃうんだろうなあ。とりあえず数学は面白そうだしやってみようかな。あとは、千里を口説くのにいい和歌のネタがないか探してみるか。言ったところで通じるのかは知らんけど。