障害者の「日本の常識は、世界の非常識」(ファストフード・障害者手帳・公共交通機関編)
米国マクドナルドの、生フルーツ入りオートミール。ファストフードもヘルシー志向。
「我が国の常識は、世界の非常識」は、大なり小なり、どこの国にもあります。
本エントリーでは、日本で「障害者の当たり前」と思われているもろもろのうち3点について、「日本の常識」と他の先進諸国とのズレについて述べます。
日本人として、「外国はいい、日本はダメ」とは言いたくありません。
しかし、問題点は問題点として認める必要があるだろうと思うのです。
1.障害者もファストフード店に入れるか?
ファストフード店には、スタッフの低賃金という問題があります。
参考:井上伸さん記事より
マクドナルドの時給1,500円で日本は滅ぶ? すでに30年実施してるオーストラリアは滅んでませんが?
しかし、車椅子利用者、あるいは歩行や動作に障害を抱えている人々にとっては、
「入れるかどうか」
が最大の問題です。少なくとも日本では。
牛丼チェーン店には、椅子を外すことのできないカウンターのみの店舗が多々あります。カウンターも椅子も高いとなると、身体の動作に若干の不自由のある人の利用は著しく困難になります。
ハンバーガーショップでは、狭いため「車椅子で店内を利用するのは、事実上無理」という店舗が珍しくありません。1階は販売カウンターのみ、座席は2階以上にしかない店舗もあります。階段を登れない人は店内での飲食ができません。
狭い店舗に数多くのお客さんを回転率高く迎えるための必然、ではあります。
しかし国によっては、障害者を事実上排除する店舗の存在が、法により許されていないことがあります。
米国の場合、どのようにコスト削減の努力を重ねる低価格帯の飲食店であろうとも、スロープの設置・椅子を取り外すことの可能な席の設置・店内の車椅子でのアクセシビリティの確保が連邦法(米国障害者法(ADA))によって義務付けられています。
教育・就労の機会が限定されやすく、低収入または無収入になりやすい障害者が、安価な食事を選択することも困難になるとすれば、経済的差別と言うしかありません。
障害者に対する教育・就労の機会確保は、もちろん必要です。収入水準を底上げする必要性もあります。また、「安いから」という理由でハンバーガーや牛丼を食べられるようになることは、もちろん「機会の平等」ではありますが、それ自体が好ましいことであるのかどうか疑問も感じられます。しかし、現在の日本は、まず「同じように選べる」ことを実現すべき段階にあります。
なお、アルバイトの苛酷な労働条件が問題になった「すき家」は、椅子を取り外せる席のある店舗の存在確率が高い感じです。といっても、車椅子を利用し始めてそろそろ満10年になる私は、もはや「利用しよう」と思って牛丼チェーン店を覗くという習慣をなくしています。もともと、牛丼の甘辛味があまり好きではありませんし。通りすがりにチラっと見て「ここなら入れるかな?」と一瞬考えてみる程度。その「入れる」可能性のある店は、私の出没する範囲では、ほとんど「すき家」なのです。
もしかすると、グローバル化を意識した幹部が「ダブルスタンダードはいけない」と主張した経緯が、とかいう社内事情があるのかもしれません。
そういう事情なら、それはそれで評価すべきではないかと思います。
もちろん「だからバイトは酷使されてよい」「スペースのシワ寄せは、どこかに必ず」という問題ではなく、それはそれ、です。
2.ここがヘンだよ、日本の「障害者手帳」
日本では、障害者手帳を持っている人だけが、公的に認められた障害者です。
障害者割引などを利用する際には、障害者手帳を提示する必要があります。
障害者手帳は、身体・精神・知的の三種類あり、重複障害の人は複数の手帳を保有していることもあります。
……日本以外の先進国では、これらは必ずしも「あたりまえ」ではありません。
政府や自治体が、障害の内容や程度を示すカード等の証明書を発行し、障害者が割引・車椅子スペースなどを利用する際の条件とする先進国は、日本以外にもあります(例:フランス)。しかし、その国で障害認定を受けたわけではない外国人に対して、あくまで「証明書を見せてくれないと対象にしません」「証明書に必要性が書いてありませんからダメです」という適用がされることはありません。背景には、若干「ゆるふわ」なその国の文化など、数多くの可能性があります。
では「国際障害者証」的な何かを作れば、障害者が国境を越えて移動することにトラブルが少なくなるのでしょうか? 否。
「障害の内容と程度を公共が証明する」的な制度が存在しない国もあります(例:イギリス)。「この人はこの場面で何を必要としているか」を個別に検討し、たとえば、給付する補装具が決定される仕組みです。その国を訪れた外国人障害者が「わが国で検討を受けなければ公共交通機関に乗れない」的な扱いを受けたという話は、聞いたことがありません。
しかし日本では、「日本の」障害者手帳の提示が、さまざまな場面で必要です。日本で障害認定を受けたわけではなく、従って「日本の」障害者手帳を持っているはずはない多くの外国人障害者が、この問題に困惑しています。
日本人障害者も、あまり快適な思いはしていません。
割引などを利用すれば、
「健常者に羨望をぶつけられたり疑念をぶつけられたりして辛い」
といった問題も起こるわけですが、それ以前に、
「3障害が分割されており、それぞれに障害者手帳がある」
「判断の手段が具体的にどうなのかを云々する以前に、内容や程度があまりにも『ざっくり』すぎる」
ということが、障害者福祉を必要とする場面・利用する場面の多くでハードルとなります。
一人の人間が、一人の人間であるままに
「職業人として、親として、パートナーとして……」
と数多くの側面を持つことは、人間として自然にありうることです。
一つの立体が、角度によってさまざまな見え方をし、どこを断面とするかによって異なる断面を持つのと同じです。
もしも、
「職業を持っている人は、職業人以外の何者でもあってはならない」
「親になったら、親モード以外の思考をしてはならない」
「結婚した以上は、パートナーであることにのみ集中せよ」
といった、
「誰かが◯と見る以上、あなたは◯であること以外は許されない」
とまとめられる要求がぶつけられたら(ぶつける人はいますが)、多くの人が「は?」と感じることでしょう。
でも日本の障害者は、障害者福祉を利用する以上、「身体に◯◯障害を持つ◯級の障害者モード」「精神に◯◯障害を持つ◯級の障害者モード」……という極めて少ない断面の組み合わせであることが求められます。
生身の人間にはありえないことですし、もちろん、対象者を一人の生身の人間と考えて障害者福祉を提供しようとする自治体も職員もいます。でも制度は現在のところ、
「この制度から見たら、この人の断面はコレだから」
の組み合わせでしかありません。
また、障害があるにもかかわらず障害者手帳を交付されない、公的には障害者ではない「障害者」の存在があります。日本の障害者比率の異様な低さ(ここ数年は6~7%で推移、他の先進諸国の1/2~1/3程度)を考えると、この問題に苦しむ人々が1000~2000万人程度はいるのかもしれません。この人々は、「障害者」とカテゴライズされて障害者福祉の対象になることもなく、しかしながら健常者ではなく、「甘え」「怠け」などと責められてばかりのことが多く、辛い日常を送っているのではないでしょうか。私も障害が発生してから障害者手帳交付までの2年間、そういう状態でした。この2年間のダメージを何とか乗り切るのには、その後さらに5年かかりました。なぜ生き延びてこれたのか、現在から振り返って、自分でも不思議に思うほどの状況でした。
他の先進諸国に、「これが理想」と言える何かがあるわけではありません。しかし日本が「これでよい」「この方向性のままでよい」とは思えないのです。
3.国際問題に発展しても解決しない、車椅子族の交通機関事情
しばしば、ハンドル型電動車椅子が、公共交通機関利用で問題とされています。対象となる電動車椅子利用の障害者は、日本人である場合も外国人である場合もあります。
2010年には、米国から日本にやってきたハンドル形電動車椅子の利用者が新幹線の利用を拒まれたのをきっかけに、米国・カリフォルニア州の高速鉄道計画で、日本の新幹線車両・技術の輸入に対する大きな反対運動も発生しました。
高速鉄道は2015年1月から着工されていますが、日本の新幹線がカリフォルニアを走れるかどうかは不透明です。話がまとまりかけたころに、大きな反対につながる何らかの問題が発生したら、まとまるものもまとまらなくなるでしょう。
最大の火種となりうるのは、このハンドル形電動車椅子問題です。何が理由なのか、明確に出来る人は誰もいません。サイズでも重量でもないのです。
「シニアカーの高齢者が大挙して公共交通機関を利用したら困るから、予防のために」
という説もありますが、どうも「ネタ臭」が漂います。
参考
どこにでも行こう車イス:JR東海の乗車拒否でアメリカ人ハンドル形電動車いす使用者が京都行きを断念
Togetter:JR東海によるハンドル式車いす受け入れ拒否に関する河村 宏 (@hkawa33) さんのツイートまとめ
度重なるトラブルのたびに、障害者本人たち・障害者団体とJR東海等の間で話し合いが重ねられ、若干ながら
「ハンドル形電動車椅子は、新幹線に絶対に乗せない」
ではない方向に、運用が改善されています。
しかし現在も、「日本の」障害者手帳・「日本の」公費支給を受けた車椅子であることなど、ハンドル形電動車椅子を利用する外国人障害者を困惑させる規定が残っています。
一応、外国人障害者に対しては、
一般社団法人 日本福祉用具評価センターが、「改良型ハンドル形電動車いす」と認定し、その旨の同センター発行のステッカーが貼付された「改良型ハンドル形電動車いす」
ならOK、ということになっています。つまり、最高時速など細かい規定を日本に適合するように満たせば良い、ということです。これは一見、筋が通っているように見えます。
でもハンドル形であろうがなかろうが、日本で販売されている電動車椅子は道路交通法で「歩行者」として扱われる代償として、他の先進諸国では考えられないような制約を受けています。たとえば、最高時速は6kmまで。これ以上の速度を出せる電動車椅子は、日本以外の国には当たり前に存在し、「だから歩道を走ってはいけない」という扱いも受けていません。
「それが良い」と言いたいのではなく、考え方・発想が異なる結果として、異なる状況が存在することを述べたいのです。
そして、ハンドル形ではない電動車椅子を利用している外国人が、ふだんの自分の身体の一部とともに日本にやってきたとき、その「身体の一部」について問題にされたという話は聞いたことがありません。
外国人が持ち込むすべての電動車椅子について、同様に「日本の基準を満たすことを厳格に求める」という運用をすればいい? そんなことをしたら、日本に来る外国人障害者は激減しかねません。日本の障害者をエンパワメントする目的で来る人々は残るでしょうけれども、観光目的でもビジネス目的でも、「そんな面倒くさいことをしてまで行く価値のある国?」という疑問が持たれることになるでしょう。
パラリンピックの選手まで来なくなってよいのでしょうか?
この他にも、数多くの「ズレ」があります。
たとえば、障害者に対する所得保障・教育や就労の機会保障・就労支援について、
「同じ先進国である◯国の障害者は働いているのに、日本の障害者は怠けて甘えている」
という主張が数多く見られます。
しかし多くの場合、日本以外の先進諸国で見られがちなのは
「基本的な生活の営める所得保障があり、教育の機会が保障されており、就労の機会も多く、したがって就労に接続される確率も高い。障害者差別の撲滅は不可能で、大なり小なり存在はするけれども、日本ほど就労継続が困難なわけではなく、結果として働いている障害者が多い」
という状況です。
日本で「基本的な生活の営める所得保障」は、事実上、生活保護しかありません。障害基礎年金は老齢基礎年金と同様、生活保護基準以下の金額です。
そもそも土壌が貧弱過ぎるため、生える茎は細く、葉も弱々しく、花も開かないのです。
土壌の問題を度外視して「花が咲かないのは自己責任」?
それはやはり、おかしな主張です。
状況を変えるには、政治を動かす必要があります。大変です。
マイペースで「おかしい」と言い続けていくくらいのことは、私にも大きな無理をせずに出来るので、今後も続けていきます。