インターネットは英語で「Internet」と表記する。なぜ「I」が大文字なのか、理由をご存じだろうか。インターネットの源流ともいうべきARPANETの運用が開始されてから約半世紀、ワールド・ワイド・ウェブの登場から約30年、そしてソーシャルメディアが産声を上げてから約10年が経とうとしている今、ますますスピードを上げて進化を続け、社会の姿を変えつつあるインターネットは、この先どのように発展していくべきなのか。その答えは、インターネットが大文字の「I」で綴られることの意味合いを理解することで見えてくると、「日本のインターネットの父」と呼ばれる慶応義塾大学の村井純教授は示唆する。
喜ぶ人が増えると、なし崩し的にテクノロジーは広まっていく
村井純(以下、村井) 武田さんは「今のクオンのコミュニティサービスはパソコン通信が原点にある」とおっしゃいましたよね(対談第2回)。実はパソコン通信に関連して、1992年にこの慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)でちょっと面白いことをやっていたんですよ。
武田隆(以下、武田) どんなことでしょうか。
村井 パソコン通信って、本来はそれぞれをつないではいけないんです。PC-VANならPC-VAN内で、NIFTY-SERVEならNIFTY-SERVE内で通信する決まりになっていました。それらの相互接続には特別な方法と許可が必要とされていました。
慶應義塾大学環境情報学部教授/大学院政策・メディア研究科委員長 工学博士(慶應義塾大学・1987年取得) 1984年日本初のネットワーク間接続「JUNET」を設立。1988年インターネット研究コンソーシアムWIDEプロジェクトを発足させ、インターネット網の整備、普及に尽力。初期インターネットを、日本語をはじめとする多言語対応へと導く。内閣高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部(IT総合戦略本部)有識者本部員、内閣サイバーセキュリティセンターサイバーセキュリティ戦略本部本部員、IoT推進コンソーシアム会長他、各省庁委員会の主査や委員などを多数務め、国際学会等でも活動。2013年「インターネットの殿堂(パイオニア部門)」入りを果たす。「日本のインターネットの父」として知られる。 著書に『インターネット』(岩波新書)、『角川インターネット講座〈第1巻〉 インターネットの基礎 情報革命を支えるインフラストラクチャー』(角川学芸出版)他多数。
武田 そうでした。それぞれのパソコン通信は独立した一つの“島”で、別の“島”のユーザーとは通信することができませんでしたね。
村井 そして当時、SFCからPC-VANとNIFTY-SERVEとASCIInetを専用回線でつないで、インターネットとパソコン通信のメール交換実験をやっていたんです。そのうち、PC-VANからSFCを介してASCIInetやNIFTY-SERVEへ、といったメールのやりとりもできるようになりました。
武田 “島”と“島”とをつなげる……そんな実験が、ここSFCで行われていたとは……! ひとたび回線につなげば、日本中のあらゆるコンピュータがSFCを介してつながれるようになった歴史的瞬間ですね。
村井 本当は1対1の実験だと言いながら、メールをUターンさせているのは裏をかいているみたいでよくない……とは、あまり思っていませんでした(笑)。
武田 思っていなかったんですね(笑)。実にインターネット的なご意見です。
村井 だってどう考えても、メールは誰にでも送れるようになったほうがいいですからね。
そのうち、当時のニフティ岡田社長が「メールが届くということが、こんなに多くの人に好評です」と公に説明し続けたので、インターネットとパソコン通信とのメール交換が認められるようになりました。
まあでも、今思うとけっこう危ない橋を渡っていましたね。そもそも、インターネットそのものが法的にかなりグレーな代物だったんですよ。
武田 といいますと?
村井 通信の交換業務は、本来、事業者としての届け出が必要なんです。でも、インターネットは、IP(インターネット・プロトコル)で交換してつないでいくわけで、端末があれば誰でも交換していることになる。だから当時の郵政省のデータ通信課に行って、「誰でもできるからやりたいです」と言ったら、「よいことだから、やってもいいんじゃないですか」と言っていただきまして。
まわりが「違法なんじゃないか」と心配するので、許可をもらった証拠の書類を書いてもらおうとしたんですけど、それは書いてもらえませんでした。