今日これから参院選に行く方へ:ある自民党支持者の思い
本日の参院選、選挙後も続く争点が、選挙民の数だけあるはずです。(写真:Natsuki Sakai/アフロ)
「争点は日本会議」と語る自民党支持者
「今回の選挙では、日本会議を争点にしたかったです」
と語るIさん(30代後半・男性)は、長年、自民党を支持してきています。
極めて右から「中道の中、ちょっと右」あたりまで、多様な立場・考え・意見の持ち主を広く取り込んできたことは、自民党政権の安定の一つの源であったと私は認識しています。
生活保護制度も、年金制度も、障害者政策も、1940年代から1990年代にかけての日本、ほとんどの時期が自民党政権下にあった日本ではじまり、少しずつ充実し、整備されてきました。
背景には、社会党(現在の社民党とは似て非なる「中道左派」の幅広い受け皿にもなっていました)・共産党・労組などの組織的アクションもありました。しかし歴代自民党政権は部分的にでも、生存・生活やその発展の重要性に、一定の関心を向けていました。
自民党の政治家たちによる地元民の生活重視は、時に「わが町に国費でもたらす経済的メリット」の行き過ぎももたらしましたが、選挙民の生存・生活あっての自分たちであることが自然に共有されていました。現在の自民党の政治家にも、そういう方々はいらっしゃいます。
Iさんから見た、現在の自民党の問題点は?
「日本会議です」
外部から見ると、もしかすると、今や「日本会議=自民党」なのかもしれません。
「でも、自民党の中にも『日本会議』的な思想にどっぷりはまっている人たちと、お付き合い程度に名前を連ねているだけの人たちがいるわけです。その両者をはっきり分けて分断するために、何らかの意味で踏み絵を踏ませるような政策的争点ができないかなと思ってきました」
Iさんはどういう人なのか
Iさんは、大学で物理学を専攻。研究の道を志し、博士号を取得しました。
研究は、現在も続けています。関心範囲は専攻した理論物理学にとどまらず、自然科学と人文社会科学との関連する分野も含めて幅広く、しかも深いのです。
私はIさんに、ときどき自分の生活保護制度研究(初論文こちら)の知恵袋になっていただいていますが、毎回、
「本当に知的能力の優れた人って、こういうふうに情報を獲得して、こういうふうに考えて展開させるんだなあ」
と感銘させられるばかりです。
しかし現在、若手研究者が大学や研究機関で常勤のポストを獲得するのは、至難の技です。
精神障害者でもあるIさんは、無理を自らに強いることを避け、障害者福祉と自営で生計を立て、自分の病気を悪化させないように配慮しつつ、大きな無理のない生計と研究の発展を両立させています。
「半福祉半就労」という言葉があります。
Iさんの状況は「ちょい福祉・ぼち就労・まあまあ研究」というところでしょう。
障害者の生き方の今後のモデルの一つとなるのではないかと、私は注目しています。
Iさんは、自民党が「日本会議」をどうするべきと考えているのか?
Iさんが主に問題にしているのは、「日本会議」および関係深い「親学」による主張の数々です。
「発達障害は親の子育てが原因、伝統的子育てなら発生しない」
という高橋史朗氏の主張(著書へのリンク)や、後に事実無根であることが判明した「江戸しぐさ」を根拠とした伝統的マナーへの回帰運動など、どなたも「そういえば」という例はご存知でしょう。
これらの事柄に関する自民党の対応は、Iさんから見てどうでしょうか?
「発達障害についての親学のトンデモが政権に関わりすぎたことは、一部是正されました。『江戸しぐさ』批判も、だいぶ、おおっぴらにやれるようになりました。あの周辺が一枚岩であるわけではありません」
自民党の組織としての生態の「自然」により、ある程度の自浄はなされてきた、ともいえます。
「でも、自民党は一応、プロの政治家の集団です。状況として切るべき相手を切る判断をすることは、期待したいです。自民党支持者として、そういう状況を理性的な立場から作っていきたいと思っています」
現在の自民党の自浄能力は、支持者のIさんにとって全く満足できない、もっともっと高める必要がある……ということのようです。
「日本会議不支持、なおかつ自民党支持」の立場からの期待
かつて「55年体制」下で、「自民党内の派閥争いや主流・非主流の後退が、事実上の政権交代をもたらしてきた」と言われてきました。
「切るべきトンデモを切る判断ができない政治家には、トンデモと一緒に心中してもらいたいです。そういう、あまり分かりやすくなくて泥臭い政治的な力学が、それなりに機能することに期待する……というのが、私のように、日本会議は不支持だけど自民党を支持する人たちの考え方ではないでしょうか。自民党非支持者からすれば、じれったいこと、この上ないかもしれませんが」(Iさん)
いえ、私にとっては、そんなことないです。
私は特定の支持政党を持ったことが一度もありません。自民党も含めて、どこかの政党を「◯党だから」という理由で支持したことはないです。とりあえず、自分が大切だと思う個別の課題のそれぞれについて、まず「ちゃんと、事実に基づいた対話ができる」、できれば「支持したい意見を持っている」という政党や政治家に増えてほしいと思っています。
現在の自民党や、自民党の政治家の方々にも、そういう部分・そういう個人は含まれています。「その部分だけ」「その個人だけ」を支持することができる選挙方法が、今、存在したら、どんなにありがたいことでしょうか。
しかし今、ないものはないのです。
「ないものねだり」はやめて、今、選択できる方法で、選挙民各人が、自分の出来るだけの納得をするしかありません。
今日これからの投票行動、「左」なり・「中道」なり・「右」なりのベストは?
「◯党のうち、女性(例)で、その◯党の△に積極的でない人に議員になってほしい」
「◯党のうち、靴の中に水虫菌を飼ってない人(例)に票を入れたい」
という候補者選択を、間接的にでも実現する方法は、今の日本にはありません。
とりあえず今日は、政党と候補者でしか選べない中で、選挙に行き、
「この政党(人)を選べば、◯については期待できるけど、△については期待できないし、はぁ……(溜息)」
とぼやきながら、少しでも意味ある努力をするしかないと思います。
「左」・「中道」にとってのベストは?
中道と左、あるいは「特に政治について考えてないんだけど、生きづらくなるのはイヤだ」と思っている方々には、「自分の一票を死票にしない」でしょうか?
当落線上の方々に対し、「気に入らないんだけど、この人は自分にとってはマシだから」という究極の選択をすることでしょうか?
もちろん、選挙に行くことは大前提です。
「右」に対して、私の考える投票行動のベストは?
右の方々は、ご自分の投票行動が及ぼす結果について悩む必要は、それほどないのではないかと思います。改憲勢力が優勢なのは変わらないので。
でも、もしも今日これから選べるのならば、立場や考え方の違う人と共有できる事実や前提を共有して、ちゃんと話が聞けて対話ができる候補者を選んで欲しいです。
そういう方々には、自党と異なる意見を持つ人々とも協力し、政権が何であろうが現象としては変わらず存在する課題の数々、高齢化・少子化・貧困の拡大……に超党派で取り組み、解決することが期待できます。
異なる意見もあっての社会です。いざというとき、決定的な誤りを冒さないためにも、異なる意見や少数意見は大切です。
私自身は、「右」でも「保守」でも、とにかくお一人でも多く、聞く耳と対話する能力のある方に当選してほしいと思っています。
「右」だから、「保守」だから出来ることや期待できることは、たくさんあるのですから。
自民党支持者のIさんは
「自民党支持者と非支持者の議論は往々にして感情的になりがちですから、冷静で理性的な議論ができる雰囲気を広げていきたいと考えています」
と言います。私も、その点については全く同意見です。
対話の出来ない人は、左右どちらにもいますけど、対話の出来ない人が権力を握った場合の弊害は多大です。
とにかく、対話の出来る人に国会議員になってほしい。大臣などのポストについた後も、一定のリーダーシップと「対話が出来る」を両立させて欲しい。心から、そう望みます。
なぜ、Iさんは自民党を支持しているのか?
では、30代後半のIさんは、なぜどのように、自民党を支持するようになり、今も支持しているのでしょうか?
そもそもの始まりは?
「小泉純一郎政権時代からです。それ以前は、政権交代のために民主党を支持したこともありました」
何がきっかけだったんですか?
「高校の同級生が『小泉チルドレン』として選挙に出て当選したときに、手伝いをしたりしました。その中で、選挙や政治の中の泥臭い力学に、興味が向かうようになりました。個人的には『小さな政府』を理想としていましたから、巨大な既得権の巣窟であった郵政民営化をなしとけげた政治のリーダーシップの発揮に感銘しました。小泉純一郎という特異な首相の力が大きかったとしても、大きな既得権益を民営化するという作業を成し遂げた組織としての自民党の強みを知りました」
以後、ずっと自民党支持なのですよね? 支持がぐらついたことはありましたか?
「今です。私は基本的に、『是是非非』であることを旨としているので、安倍政権については疑義が多いんです」
評価できるところは?
「外交。悪くないです」
基本、そんなに外していないと私も思います。
逆にダメだと思うところは?
「内政です。アベノミクスは、完全に小泉竹中構造改革路線から先祖返りしてしまった利権誘導型政治で、様々な利権を肥大化させ。問題を大きくしています。さらに、新しい国際競争力を持った新産業の育成を阻害しています」
特に生活保護制度改革については「先祖返り」以上です。目指すところは、旧生活保護法(1946)なのか、救護法(1929)なのか。生活保護について、これから何かが現政権や財務省の考えるとおりに進められたら、本当に人が死んだり、あるいは回復できないダメージを負ったりしかねないと、私は恐れています。
Iさんはさらに、
「さらに、日本会議との関係もあるわけです」
と言います。具体的に「日本会議との関係のここがダメ」と思う点は?
「教育の現場にさえ、『ニセ科学』をいくつも含む狂信的な思想を流入させようとしています。危機感を覚えています」
敢えて聞きます。なぜ、「自民党ごと日本会議を捨てよう」と考えないのですか?
「小泉政権時代に活躍したような、これからの日本に必要な改革をなしとげるのに必要な自民党議員が、時としてアベノミクスに批判的な態度を取りながらも自民党に在籍し続けています。だから、その人たちを応援するために、自民党支持を続けています」
Iさんにとっての自民党の「褒めどころ」、支持のポイントは何ですか?
「政治のプロが多く、野中広務のようなリベラルから保守まで、さまざまな考え方の議員が話し合いながら共存することのできる懐の広さがあることです」
私も、それは「55年体制」が長年支持されてきた理由でもあると認識しています。
さらに、政権党であったからこそのメリットが、デメリットとともに存在するはず。Iさん、どう見ますか?
「理想を語るだけではなく、政権担当時には官僚機構を使いこなす政策実行能力を持った議員が、自民党にはたくさんいます」
逆に、Iさんから見て、自民党のダメなところは? 「日本会議」との関係については、さきほど話していただきましたが。
「『話し合い』体質、悪い意味でのなれあいの部分が大きいことです。時代に即さない政策を変えたり権益を切ったりすることが、多くの場合は難しいです」
でも、生活保護は、時代に則さない既得権益として、バンバン切られているわけです。なぜ生活保護なのでしょうか。考えれば考えるほど頭のなかが「?」だらけになります。
Iさんは?
「今は自民党を支持していますけれども、一方で『自民党以外で現実的な政権運営能力を持った政権交代ができる政党を、できれば育てていきたい』という思いも持っています」
敢えて聞きます、ご自分の大切なものが失われたら?
Iさんは「小さな政府」を支持していると言います。もう日本政府は「小さくなりすぎた政府」だと私は思うのですが。
いずれにしても、「小さな政府」のもとで継続させにくい政策には、Iさんが重視している科学技術政策・教育政策も含まれています。
Iさん、これらが自民党政権の継続のもとで、今まで以上に失われるとしたら、どうでしょうか?
「私は、極端な小さな政府主義者ではありません。国家としての長期の持続可能性に大きく関わってくる教育政策と科学技術政策においては、国が積極的に負担すべきという考え方です 」
もしかすると、自民党支持者には、こういう方々も多いのかもしれません。「おおさか維新」は明確に極小の政府を目指していますが、自民党・公明党には「小さな政府」と言いつつも「小さめの政府」程度の志向の方も多いように見受けられます。
さて、Iさんも私も障害者。障害者福祉がなければ、今くらいの日常生活や、今くらいの職業生活を含む社会生活も成り立たなくなる立場にあります。
少なくとも私は、障害者福祉が後退したら、自分自身の生存生活が危うくなり、職業も含めて社会的活動どころではなくなります。だから、現政権の方針が継続することの支持はできません。
たとえば、生活保護には世の中のあらゆる不足が押し付けられてきています。障害者が教育を受けられず(現在40代後半より年長の障害者は、義務教育も受けていないことが珍しくありません)、したがって生計を立てられる就労もできない中で、親や施設に抱え込まれるのではない「自分の生活」「自分の人生」を営んで育んでいくための基盤として使えるものは、日本には生活保護しかありませんでした。
生活保護を含め、社会保障や福祉が根こそぎにされてしまうことに、私は自分自身の生存・生活のために「No」を言わざるを得ない立場にあります。
Iさんも、そこは同じ立場にあるはずです。Iさんにとって、障害者福祉とは?
「まず、障害者福祉は国民の多様性、ダイバーシティの確保において大きな役割を果たしています。しばしば過剰な同調圧力が問題になる日本においては、障害者福祉によって多様性が確保されることは、大切なことだと思います」
現在の日本では、24時間介護が必要な障害者でも、税を財源とするたくさんの資源が必要で納税者になる見込みがない障害者(障害児)でも、何十年も生きられます。
これは、日本の障害者運動が獲得してきた、世界に誇る実績です。
意味付けや評価をするためには、今後数世代にわたって、この状況を維持する必要があります。
今、短期的な帳簿の損得では、間違いなく「損」です。しかし今「損切り」して良いものなのかどうか、損得勘定の基準やモノサシも含めて、今後数十年かけて検討していく必要があります。
現在は、とりあえず「事実・事例はできた、できつつある」、評価はまだまだこれから、という段階ですから。
とりあえず、ここ3年半で政権が検討してきた障害者政策が実施されたら、Iさんも私も、自分たちの5年後・10年後があるかどうかという状況になります。Iさん、そうなったら、どうします?
「精神障害者でもある私は、現状の社会福祉政策の中でいただけるものについては、ありがたく頂きます。でも、自分自身がある意味で『既得権益者』です。国民が選択した政権が社会福祉の後退を選ぶのであれば、それもやむなし、と考えています」
Iさん、今度「既得権」について語りましょう。私は、そんなに諦めのよい人間ではありません。
「生きる」「暮らす」が可能であることを「既得権」と呼ぶなんて、悲しすぎます。私は、認めたくありません。
でも、「生きさせろ」と主張するだけでは、早晩、生きて行くこともできなくなるでしょう。
「生きられる」「暮らせる」の根拠として、感情によらない納得に至る論理を、今と近未来の自分の生存と生活について恐れながら焦りながら考えています。
私はとにかく、これから選挙に行き、投票してきます。