たとえば日教組が元気だった時期、日本の教育の中立性は損なわれていたのか?
「政治的中立」は、「数」のような抽象概念かもしれません。(写真:アフロ)
2016年7月10日の参院選直前、自民党が「学校教育における政治的中立性についての実態調査」を開始し物議を醸しています。
Y!ニュース記事:自民党が学校の先生の政治発言の密告を推奨した件(渡辺輝人さん)
「政治的中立」がなかったと考えられている時期、たとえば日教組が活発に活動していた地域・時期の学校教育はどうだったのでしょうか?
日教組華やかなりし福岡県での学校教育は?
私は1970年、福岡県で公立小学校に入学しました。中学・高校は福岡市内の私立中高、その後、福岡市内の予備校を経て大学に進学しました。
1960年代~1970年代は、全国的に日教組が元気だった時期ですが、特に福岡県では元気だったようです。
この時期の学校教育で、私が経験したことを記してみます。
教員たちの主力層は?
1970年に30~40歳の中堅教員、10年後の1980年に40歳~50歳となり校長・教頭となることが視野に入った世代の教員たちは、1930~1940年生まれ。
終戦時には、中学生・女学生・小学生。
戦争の記憶、そして1945年8月15日を境に周囲の大人が全然違うことを言い出したトラウマが生々しかったと推察されます。「推察」というのは、その教員たちの多くにとっても、積極的には語りたくないことであったようだったからです。
戦争の悲惨さは「身に沁みる」以上だったでしょう。高校時代の教員の中には、広島の原爆で両親と兄姉を亡くした経験を持っている人もいました。
そういった経験のある方々が、戦争や戦争を連想させるものに拒否感を持つか? あるいは愛着を持つか? まことに一筋縄でいかない感がありました。
子ども時代に刷り込まれたもろもろへの複雑な感慨
私が受けた学校教育の中で中堅世代だった教員たちには、「平和は大切だ」という思いとともに、なんとも簡単には言い表せないような感情を持っていることがありました。ちょっとした対話のはしばしに出た言葉から総合すると、
「平和は大事だし、自分もそう実感するんだけど……では、自分が1945年8月15日まで経験してきたあれは、何なのよ?」
というところではないかと思います。
とはいうものの、子ども時代に刷り込まれた言葉や考え方は、そもそも意識しないので大人になっても残るものであり、
「雪が積もったから、1年生はみんな合同体育ってことで、その山に行って雪で遊ぼう」
という場面で、山まで雪の中を歩いて行くことは「雪中行軍」と呼ばれていました。
先生方のほとんどは、日教組に参加していましたが、そんなに軍事アレルギー的な何かを見せられた記憶はないんです。
「人として当たり前」の配慮にかすむ日教組の存在
入り組んだ歴史的事情のある地域には、入り組んだ現在があるものです。
隣の小学校区には自衛隊の駐屯地があり、自衛官を親に持つ子どもたちが同じクラスにいました。
風水害のとき、その駐屯地のお兄さんたちは、土のうをかついで駆けつけてくれる、かっこいい、頼りになる人たちでした。
「災害救助の自衛隊」と「政治問題になってる自衛隊」が同じものであることに気付いたのは、10歳を過ぎたくらいのころだったと記憶しています。イメージが結びつかず「え? そうだったんだ」と驚いた記憶があります。
そんな地域で、自衛隊員の家族もいる中で、教室で「自衛隊は違憲だから」と言えるでしょうか?
「あなたのお父さんの仕事は、あってはならないものなんだから」
などと言えるでしょうか? もしも万一、覚せい剤の売人や暴力団員の子どもがそこにいたとしても、その子の存在や親の仕事を直接に傷つけるようなことは言えないのが、まともな人間の感覚でしょう。人としてまともな教員が、自衛隊のさまざまな側面や背景を知りつつも、教員として、目の前の子どもたちにまっとうに向き合っていたわけです。
世の中には、そうではない教員もいるのかもしれません。でも私は幸いなことに、ほとんど出会ったことがありません。
原発問題、同和問題、在日外国人問題、いずれにしても、そこに当事者がいれば、不用意に傷つけたり、あるいは気を使いすぎて萎縮したりすることの繰り返しのうち、「こなれて」いくものではないでしょうか。
1970年代、私が通った学校の教員たちには、かなりの「こなれ」がありました。
人として当たり前の配慮を、やりすぎにならないように不公平にならないように注意しつつも、習慣としてする態度が「ふつう」でした。
教える方も大変だった教科教育現代化と日教組
1970年代は、教育カリキュラムが戦後どんどん高度になっていき、最も「てんこもり」だった時期です。
特に数学では、カリキュラムの現代化が進みました。
小学校は「算術」、中学校や女学校では図形・方程式・微分積分(それも工場などへの動員があったためロクに習ってない)を教わっただけの先生方が、小学4年の算数に導入された「集合」を教えなくてはならなくなったわけです。
日教組は、教科教育内容の理解・教え方の工夫・共通教材作成などの場としても機能していたようです。
ちなみにカリキュラムの高度化で先生方が大変だったのは、算数だけではなく、社会でもなんでも同じでした。
共通教材作成は、どの教科でも進んでいたのですが、特に政治性が何か盛り込まれていたわけではなく、ふつうにコンパクトにまとまった、教えやすい分かりやすい教材の数々でした。
少なくとも1982年、私が高校を卒業するまでは。
「日教組だからどうこう」より、「教員として、目の前にいろんな背景をもつ子どもたちがいる中で、高度化された教科内容を教えなきゃ」が、アタリマエのこととして優先していたのだと思います。
教員たちの労働条件改善も
今ほどではありませんが、学校教員はそれなりの激務でしたから、労働条件改善のための運動は盛んでした。
これは、盛んであることがむしろ好ましいのです。比較的恵まれた職業についている人たちが、まず自分たちを引き上げなければ、さらに悪い条件下にある人たちの労働条件を引き上げることはできませんから。
問題は「授業をブッチしてストやっていいのか」ということですが、そういう先生はほとんどいませんでした。校門前のビラ配りを、小中高の12年間で5回以下程度は見た、くらいです。それも、なんだか「組合への義理果たし」みたいな感じでした。押し付けられたことも、読むように迫られたことも、親に渡すように要請されたことも、記憶にありません。
ろくでもない活動家教員はいたけど
もちろん、中には「活動がすべてに優先する」というタイプの教員もいました。でもそういう教員はだいたい、「若手イビリ」「授業放棄」「生徒に対するイジメ」などの問題がついてまわっており、校区から校区へとたらいまわし。一箇所に長居はしませんでした。仕事熱心、労組活動の意義を理解している良心的な先生方も、こういう活動家教員は歓迎しませんでした。
一つの小学校に、いても同時に1~2人。30クラスある大規模小学校が普通だった時期の「教職員延べ50名」の中の1~2名。むしろ子どもたちにとっての「反面教師」的な存在でした。
そもそも労組活動ばかりやっていて教室にはほとんどおらず、授業は自習ばっかり。偏向教育しようにもできないわけです。なにしろ、授業しないんですから。たまの授業も、教員むけアンチョコを棒読みしたり黒板に丸写ししてるだけでした。
生徒にとっては「先生当てにしてたら、義務教育もちゃんと受けられない」という危機感を持つきっかけでもありました。
同時期の近くの校区の小学校で、「グループ自主学習」と称して、理科の実験室で怪しいこと危ないことばかりやっており、爆発事故を起こしたけれども幸い全員無事だった、という男子グループもいたそうです。現在は全員が興味関心を活かし、職業人として活躍しているとのこと。
小学生に監督なしに好きなだけ実験させて、しかも事故まで起こすのは、良いか悪いかといえば良くはありません。しかし「やんちゃや逸脱もあって大人になるもの」の範囲にあった出来事ではないかと思います。
塾・予備校では
政治的活動にコミットしている・コミットしてきた先生方は、塾や予備校には、公立学校の比でなく数多く存在しました。
中には、そういった政治的課題を積極的に授業中に語る先生方もいました。主食副食があるところに、ときどき口にする刺激的なお菓子のようなものでした。
逆に、深くコミットしているのに、授業中には全く語らない先生もいました。
予備校時代、福岡で反原発運動の旗手となっていた平井孝治さん(当時、九大助手)に数学を教わりました。ふつうに分かりやすく楽しい数学の授業でした。
ある時、繁華街の街角で、誰も聞いていないのに街頭演説をしている平井さんを見て、授業のあとで質問を持って行ったときに
「先生って、ああいうこともしてらっしゃるんですか」
と聞いたところ、
「あ、見たの?」
とニコニコしていました。
当時、塾や予備校の主力だったのは、60年代の学生紛争の中で活動していたため「カタギの仕事」に就けなくなった人々でした。
私たちは、「白バイに追っかけられたらどこに逃げたら良いか」「火炎瓶の作り方は」といった話も聞きながら、「さて自分たちはどうするか」の参考意見や判断材料にしていました。
「政治的偏向」の有無より大事なことがたくさん
授業だけではなく、学校にいる時間や校外活動も含めた、学校生活の充実。
教員が疲れ果てておらず、自らのワーク・ライフ・バランスが保たれた状態で、大きな無理なく指導や教科教育の研究もできること。
そういうことに公的な手当が何もなかったから、「何もかも日教組で」ということになっていたのかなあ、という気もするところです。
別に、労働組合でやらなくてはならないわけではないし、「労働組合しかない」となると別の意味で問題です。
それに「労働組合以外の手段があるのなら、そっちの方がいい」という先生方も、現在は多いことでしょう。
先生方に数多くの機会があって、時間その他の余裕があって実質的に選べることを、教科教育だけでも、今からでも追求する必要がありそうです。
政治的に中立なんて、あるようで実在しない概念です。
数学の世界には「太さのない線」「面積のない点」がありますけれども、実際に線や点を描けば、必ず太さや面積が含まれてしまいます。
どうしても「政治的に中立」をいうのなら、政治的に中立で「ある」という状態が何を指すのかを定義していただなくては。
たとえば「議論になっている話題に触れない」や「教育指導要領に書いてあることしか言わない」は、どこが「政治的に中立」なのでしょうか?
その「政治的」「中立」を判断する人の「政治的に中立」は、誰がどのように担保するのでしょうか?
できることは、
「この場面、この相手に対して、少しでも適切」
の追求くらいでしょう。その積み重ねが100年くらい続けば
「この期間、この範囲で、こういう意味で政治的に中立だったと言える」
が生まれるのかもしれません。
とりあえず、自民党の「実態調査」に対しては
「な、な、なーにが報告されるのかなあ?」
程度に、少しは警戒しつつも生暖かく見守ればいいと思っています。
案外
「自由購入の教材費や制服代が高価すぎて、買ってやれないと学校で『貧乏イジメ』されるんですけど、これって政治的に中立とはいえないんじゃないですかー?(棒)」
「子どもの貧困対策ってことで、子どもの学校にスクールソーシャルワーカーが配置されてるんだけど、はなっから人数が全然足りてないんですよね。これって貧困放置ということで、政治的に中立じゃないんじゃないですかー?(棒)」
といった報告が殺到するのかもしれませんよ。