トランプ政権下で米国から排除されようとしている外国人たちとは?~2013年、ボストンにて
米国のトランプ政権が始動するや否や、メキシコとの国境の「壁」などの移民・難民政策が、実施・具体的検討に移されています。
米国に来た難民・移民その他の外国人たちは、なぜ、米国を選んだのでしょうか?
当事者たちの話からは、単に「稼げる」「機会がある」ではない数々の要素が浮かび上がってきます。
ユースホステルに泊まれば「社会」が見える
私は海外出張のとき、ユースホステルがあれば宿泊の第一の選択肢としています。
キッチンがあるので自炊が楽しめます。客室がドミトリーなら、周囲に他の宿泊客がいますから、少々の介助はお願いできます。
それに加え、少なくとも西欧・米国では、ユースホステルは図書館や公民館などと同じように社会教育施設の一つとして位置付けられており、地域でさまざまな役割を果たしています。役割の内容は国・地域により異なりますが、滞在することで、ありのままを見ることができます。
ユースホステルは、昼間は小学生の校外活動の場ともなります。その地の小学生たちが何をどう学習しているのか、時には自分自身が教材になりながら、知ることができます。
それに、ホームレス向けの炊き出しや地域の低所得層御用達カフェなど地域の情報を得たければ、ユースホステルのフロントの方々は貴重な情報源、または最も頼れる情報源へのレファラーとなってくれることが多いのです。
これほど「お得」な宿泊施設は、他にありません。
2013年2月、私はボストンで開催されたAAAS(米国科学振興協会)の年次大会に参加したのですが、その時も現地のユースホステルに宿泊していました。
2013年2月、ボストンのユースホステルにて(1) スーダンから来た母と息子
高校生のグループが大騒ぎしながらロブスターを茹で、バックパッカー風の人々の姿が目立つキッチンの片隅に、ダークスーツに身を固めた黒人男性がいました。左胸には名札をつけていました。
流暢な英語で礼儀正しく挨拶してきた好感度大の男性は、30歳ということでした。スーダンで生まれ育ち、大学で法学を学んだ彼は、戦乱の中で住まいや家族を失ったとのこと。母親と二人だけで、難民として米国にやってきて、居住許可を待っているところでした。
男性は、居住許可までの宿舎としてユースホステルを割り当てられ、母親と二人で滞在していたのです。もちろん、ユースホステルでの滞在そのものが、受け入れにあたってのアセスメントの一環であるはずです。彼ら親子の振る舞いや他の宿泊客との関係は、当然、チェック対象になっているでしょう。
「米国に受け入れられたら、何をするつもり?」
と聞いてみたら、
「まずは弁護士事務所の仕事を探して働きはじめ、また法学を学んで、米国で弁護士資格を取り、弁護士として働きたいんです」
ということでした。経歴からいって、まったく不自然ではない希望です。
「それは素晴らしい、あなたがこれまでやってきたことが生きるし」
と答えた私に、男性はさらに語りました。
「でも、いつかスーダンに戻りたいんです。弁護士として」
なぜ? 生まれ育った国だから?
「それもありますけど、あの国に正義をもたらし、正義が大切にされる法治国家にしたいんです。カネと武力があれば何でも出来る国ではない将来のスーダンをつくるために、働きたいんです」
穏やかな口調で語る男性の目頭には、ほんの少し、涙が浮かんでいました。
そこに、民族衣装姿の年配の女性がやってきて、私のわからない言葉で彼に話しかけました。女性は、左胸に名札をつけていました。男性のお母さんでした。私は男性に
「あなたがたの母国のことは、アフリカにあることくらいしか知らないけれど、あなたたちが米国で幸せに暮らし、母国に幸せな将来があるように願っています」
と語り、お母さんに訳して伝えてもらいました。お母さんは、少し悲しさの混じった表情で、私にニッコリと頷いてくれました。そこに来るまでに何があったのかは想像もつきませんが、想像を絶するような経験をされた方なのでしょう。
2013年2月、ボストンのユースホステルにて(2) 中国から来た留学生
ある夜、私はキッチンに隣接したダイニングでノートパソコンを広げて仕事をしていました。ユースホステルの多くで、WiFiはダイニングなど交流の場でしか使えないようになっています。客室に情報機器とともに引きこもられたら、ユースホステルは国際交流の場として機能しませんから。
すると、アジア系の若い男性が近づいてきて、「ちょっと中国語で検索をさせてほしい」ということでした。私はすぐにゲストアカウントを作り、中国語に設定して使ってもらいました。
男性は中国人留学生(私費)で、ボストンの建築学校に在学中、語学のトレーニングもしながら大学への編入を目指しているということ。しかし、住んでいたアパートが前の週に火事で全焼し、彼は着の身着のまま逃げ出せたものの、教材・パソコンを含め、家財道具や衣服のすべてを失い、今はボストン市の斡旋でユースホステルに仮住まいしているということでした。
ど素人ですが建築に関心がある私は、安藤忠雄の大ファンであるという彼と、建築家や建築物について大いに語って盛り上がりました。三島由紀夫のファンでもある彼が、三島の切腹に関する美学を滔々と語って目を輝かせるのには、やや退いてしまいましたけど。
フランスの建築家であるル・コルビュジェの話題で盛り上がっていたとき、「まだ一つも見たことない」という彼に、「私も一つしか見たことないよ? その一つは、日本にあるんだけど」と言うと、「ホント?」と驚かれました。ホントです。上野の国立西洋美術館。
「いいなあ、いつか日本に行って中に入って見たい」という彼に、「ぜひ来て来て」と答えました。
でも、建築が学べる大学だったら、中国にもいくらでもあるでしょう?
「うん、その方がお金かからないし、容易ではあるんだけどね」
物価の高いボストンで子どもを学ばせるにあたり、親御さんはどう金策をしているのか、通りすがりのオバハンとして心配になるところです。「バイトはできないでしょ?」と聞くと、そのとおりだそうでした。今は、不十分ながら存在する学校の給付奨学金と親からの仕送りでなんとかしているのだそうでした。火事で焼け出された後は、ボストンの中国人会のようなコミュニティが、衣服・文房具など当座必要なものをすぐに提供してくれたそうです。
中国のすぐ近くの日本に留学する選択肢はなかったのかと聞くと、当時、行き先が日本である場合、合法的に入国するにあたっては、渡航・学業・生活以外に、日本円で約500万円~1000万円の「特別な費用」が必要なのだそうでした。彼が中国のどこの地域の、どういうご家庭の出身なのかは聞きそびれましたが、その「特別な費用」は公的なものとは限らないかもしれません。まあ、「どうしても日本」という理由がないのであれば、英語圏の方が将来の選択肢や可能性にもつながりそうです。建築の勉強のために、わざわざ日本に来る必要はないかなあ? とも思います。
それにしても、貴方は、なぜ米国で建築を学んでいるの?
「僕は中国を変えたいんだ。今の中国は、カネカネカネ、拝金主義で、腐敗がひどくて。そういう気持ちの現れのような大きくて醜悪なビルがたくさん作られていて、正義がなくて、美もなくて」
それは、日本も大して変わらないかもしれません。
「だから僕は、僕の造る建物で、中国を内面から変えたいんだ。目に入ってくる美があれば、精神性が大切だと思う人が少しずつ増えるだろうし、そうなったら、正義を大切にする人も増えるだろうと思うんだ。まず米国で建築家になって、米国やヨーロッパで働いて、いつか中国に帰って、中国を内面から変えたいんだ」
内心、「いかに困難な道のりだろうか」と思いながら、でも「ほんの少しでも実現してほしい」と思いながら、「こんな志を持って留学する日本人の若者、今、いるんだろうか?」とも思いながら、私は彼の言葉に頷いていました。いつか日本に来て、ル・コルビュジェの国立西洋美術館も見てほしいです。
外国人が米国に期待するものの一つは「正義」
スーダンと中国から米国に来た2人の口から、同じように「正義」という言葉が出たこと、同じように「正義を母国にもたらしたい」と語られたことは、2013年の私にとって大きな驚きでした。彼らが米国を選んだ理由は、「米国の豊かさの分け前にあずかれるから」でも「豊かな米国ならキャリア構築の機会があるから」でもなかったのです。
もちろん、職または職に就ける可能性があり、暮らしてゆける可能性があり、職や暮らしにつながる学びの機会があるから、彼らは米国に来たのです。それらの重要性は充分に認識しつつ、なお、彼らは米国に「正義」を期待し、いつか母国に、その「正義」をもたらそうとしていたのです。
「正義」は、使用するにあたって非常な注意を必要とする用語です。
「正義」という用語を用いた瞬間、世の中は「正義」と「正義でないもの」に分断されます。だから、「正義」は社会的排除の言葉ともなります。移民・難民排斥の論理にも、それなりの「正義」はあります。世界中のあちこちで戦争をすることを「正義」とする論理も存在します。
スーダンと中国から来た2人の男性が思い浮かべていた「正義」の内容が実のところ何だったのか、私は知らないままです。そこまで立ち入った会話をする時間はありませんでしたから。
でも2人が考えていた「正義」が、数多くの多様な人が生きられること・生きやすくなることを含んでいたことは、間違いなさそうです。
2人は今も、たぶん米国内のどこかで暮らし、働いていることでしょう。オバマ政権からトランプ政権への移行と、それにまつわるもろもろの変化も、リアルタイムで「わがこと」として経験しているはずです。
2人は今、米国の「正義」について、どのような思いを抱いていることでしょうか。
私にできることは、米国内の顔の見える人々を2人とともに思い浮かべながら、祈るような気持ちで、米国内の激動のニュースに接し続けることくらいです。