JR北海道の廃線に関する議論をめぐって:誰の「足」が失われるのか

赤字ローカル線が失われると、交通弱者や社会的弱者の「アクセス」が失われます。(ペイレスイメージズ/アフロ)

JR北海道管内では、数多くの赤字路線が廃止されてきました。現在は、日高本線の廃止に関する議論が焦点となっています。

赤字路線が廃止されるとき、誰のどのような「アクセス」が失われるのでしょうか?

2011年8月、最後になるかもしれない日高本線・浦河駅で

私は2011年8月、北海道・浦河町を訪れ、4日間滞在しました。

浦河町では、1980年代から精神障害者たちが共同生活を行っており、その中心となっている「浦河べてるの家」には世界中から視察が絶えず、今や、町の貴重な観光資源にもなっています。

東日本大震災直後、私は浦河町について、

「町に住んでいる精神障害者たちを、町の人たちが守ろうとして一緒に避難したので、みんな津波から助かった」

という噂を耳にしました。

その瞬間は「なんと素晴らしい」と感動したのですが、30秒後、私は「ん? そんなことあるかい?」と眉にツバをつけはじめ、実際はどうだったのか調べはじめました。

実際に起こっていたことは、噂に聞いた美談とは全く違いましたが、美談以上でした。

さらに2011年8月には浦河町を訪れ、「浦河べてるの家」だけではなく、浦河町役場の方々や防災情報伝達に関わった河村宏氏(Twitterアカウント)、また都市部の身体障害者である熊篠慶彦氏(特定非営利活動法人ノアール 理事長)に取材し、記事をまとめました。

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行って驚いたのは、浦河駅近辺の徒歩圏に自転車屋さんはなく、したがって車椅子のタイヤの空気入れやパンク時の修理をお願い出来るお店はないことです(一応、携帯ポンプは持っていましたが)。

幸いにもお願いする場面はないまま、浦河駅から日高本線の電車に乗り、浦河町を後にすることができました。

一人しかいない駅員さんに気持ちよく乗車介助していただき、「また来てくださいね」「ぜひ!」と手を振って別れました。

「もしかしたら最初で最後になるのかも」とは、全く思っていませんでした。

日高本線・浦河駅(2011年8月28日)
日高本線・浦河駅(2011年8月28日)

飛行機は、鉄道を代替できるのか?

もちろん廃線にあたり、代替となる交通機関は検討されています。

近距離の移動はバスに、特急電車などを利用する長距離の移動は高速バスあるいは飛行機に、ということになるでしょう。

日高本線をはじめとする今回の廃線の検討でも、もちろん同様の議論が行なわれています。

人口減、道内格差が広がる北海道は、起死回生の一手として「空港民営化」の実現に向けて取り組んでいる。東京五輪が開催される2020年までに、道内にある13空港(定期便が就航しているのは12空港)のうち7空港の一括民営化を目指すというものだ。玄関口である新千歳空港を中核に国内外、道内の路線のネットワークを強化して訪日外国人(インバウンド)を取り込み、経済の活性化を図る狙いがある。

(略)

「20年までに、インバウンドを15年の倍に当たる4000万人に増やす目標を掲げている国の観光戦略にとって、北海道は重要な観光拠点です(略)」(北海道を取材するジャーナリスト)

 業績が絶好調の新千歳空港をハブ空港として道内の路線網を拡充させることで、海外からの観光客を道北や道東に送り込み、新たな市場を開拓して経済を活性化させようというもの。道産物の輸出拡大や空港の収益体質を強化するという一石二鳥の狙いもある。

出典:北海道の危機…鉄道の半分が維持困難、12の空港ひしめき赤字深刻、道民流出続く 2016年12月08日 06時06分 ビジネスジャーナル

国際線で海外から訪れる観光客の大半に対しては、「道北や道東には飛行機でどうぞ」でよいのかもしれません。

でも2020年には、東京でオリンピックとパラリンピックが予定されています。

パラリンピックのために訪れるインバウンドの障害者は、北海道には来なくてもよいということなのでしょうか?

近距離路線は、概して機体が小さいのです。

そもそも飛行機は「車椅子でも健常者と同様に利用できる」というわけではなく、車椅子の搭乗手続きは相当に面倒くさいものです。

「もしも車椅子に火薬を仕込まれたら」といった可能性を考えれば、ある程度は致し方ないことではあります。

さらに日本では、障害者向けカウンターに、列に並びたくない健常者のオヤジが割り込んできて優先的に対応を求めたりすることが相次ぐ場合もあります。すると2時間前にカウンターに到着していても搭乗がギリギリになったりします(私はそういう場面で当事者のオヤジに聞こえるように「困る」という意志表示をしますが、そういうオヤジは、カウンターの航空会社社員の女性の声は聞こえても、私の声は聞こえないという特別な能力を持っています。私はただ単に困らされ、あとで航空会社社員に謝られても怒るに怒れず、あとで悔し泣きするだけです)。

それでも、乗れればまだマシなのかもしれません。LCCの場合には、事実上乗れないこともあります。

参考:電動車いすの搭乗拒否は人権侵害 日弁連、LCCに警告 朝日新聞 2016年11月16日20時36分

高速バスは、鉄道を代替できるのか?

では、地上を走る高速バスがあればよいのでしょうか?

私にとって、片道4時間以内なら、高速バスはかなり魅力的な選択肢です。

価格面の魅力もありますが、飛行機に比べると、高速バスは移動の前後の時間のロスが少ないのです。これは車椅子族にとって、大きな魅力です。

しかしここでも「乗れない」という壁にぶつかることがあります。

日本で「標準型」とされる車椅子、手動または簡易電動の「1945年型フォールディングタイプ」と呼ばれる車体を持つ車椅子なら、ほぼ問題なく高速バスの荷物入れに入れられます。

このタイプの車椅子は、病院や公共施設に置かれている、左右の幅を縮めて折りたたむものです。車椅子といえば「座面を下に押して折りたたむアレ」「ステッピングバーを踏んで前輪を挙げるアレ」と思い込んでいる方も多いことでしょう。

しかし、この折りたたみ機構は、「使っていないときに場所を取らない」という目的によるもので、乗っている人間の身体のことを考えているわけではありません。

日本以外の先進国では、一日数時間~十数時間、車椅子利用者の身体の一部となることを考慮した車椅子が一般的です。私もそのような車椅子に乗っています。一般的な日本の車椅子に乗っていて身体を壊し、「こんなものに乗っていたら仕事も何もできない」と懲りたからです。

問題は、利用者の身体を痛めないように作られた車椅子は、それほど小さく折りたためない場合が多いということです。

私は北海道で、「車椅子をリムジンバスの荷物入れに入れられなかった」という経験を、数回しています。旅行案内カウンターでバス会社に問い合わせてもらい、「◯時のバスなら車体が大きいので積めます」ということが判明したので、幸い、涙を飲んでのタクシー利用ということにはならずに済みました。

でも、本格的な電動車椅子で、本体重量が100kgに達するようなものだと、日本では「どうやっても高速バスには乗せられない」ということになりそうです。

障害者権利条約(仮訳)を締結している先進国、また1990年に障害者法を定めて障害による公共交通機関の利用制約を禁止した米国では、事前に車椅子のサイズや重量を知らせておく必要はありますが、車椅子がどのようなものであるかによってバスの「乗れる」「乗れない」問題が発生することは、基本的にはありません。

なお障害者権利条約には、外務省による公定訳もありますが、この問題に大きく関連する第9条に、原文に出てくる「アクセス」という用語が全く現れない意味不明ぶりなのです。

路線バスは、鉄道を代替できるのか?

最後に、近隣住民の足としての鉄道はどうでしょうか?

まず、廃線が検討されるほどの鉄道路線は、そもそも利用者が少ないため運行が少なくなっています。日高本線・浦河駅も、2011年3月、発着は1日6回だけでした。

そんな鉄道路線を当てにしていたら、生活が成り立ちません。自動車を保有・運転できるなら自動車、そうでなければ路線バス。すると鉄道の利用者はさらに減少。経営難から廃線が検討されることになります。

ところが鉄道が廃線になると、時間の問題で、同じ理由によって、路線バスも廃止が検討されることになります。

既に一日2往復しかなくなっている路線バスが廃止されるとき、最も大きなダメージを受けるのは、自動車を保有・運転できる人ではなく、その地域から出て行ける人でもなく、そこにとどまるしかなく、しかも自動車という「足」もない人々です。

具体的に言えば、生活保護で暮らしている人々が、通学・通勤・通院・買い物などの「足」を失うのです。

とはいえ多くの場合、地域を離れずに・離れられずにいるのは、高齢者です。

比較的若年の人々は、「通学できない」「通勤できない」という事情により、とっくの昔に地域を離れざるを得なかったのです。

この他、貨物鉄道など、鉄道は「鉄道以外の手段は、ないことはないけれど問題が」という数多くの役割を背負っています。

結論:少なくとも、公共のお金の使い方は見直すべきでは?

赤字ローカル線問題は、ノスタルジーや「べき」論によって解決できるものではありません。

「経営が成り立たないから市場原理によって、という論理ばかりでは」と言っても、補助金類を含め、経営資源がなければ経営できません。

北海道の赤字ローカル線問題が、どう解決されるべきなのか、どうすれば廃線を避ける現実的な見通しにたどりつけるのか。私には全く見えません。

しかし鉄道のように、誰もが利用する可能性のあるもの・誰もが利用者になりやすいものに重点的に資金投入することの意味は、やはり再考されるべきではないかと思います。

その地域の人々だけの役に立つわけではなく、たとえば重装備の車椅子に乗っている障害者を含めて地域を訪れる人々すべてが利用できる交通インフラとして、やはり鉄道は重要な意味を持っています。

おりしも、カジノ法が成立したばかりです。いくらかでも公金を注入するのなら、未成年者・関心のない人は利用者になれないカジノ(さらに、生活保護の人々などの利用制限までが取りざたされています)よりは、普遍的に誰の役にも立つ可能性のある交通インフラの方が好ましいのではないかと思われてなりません。

赤字ローカル線・路線バスの維持は、「限られた人の役にしかたたない」「経営が成り立たない」の意味内容を含め、私たちの公共財はどうあってほしいかという観点から、再検討されてほしいところです。