厚労省「一億総活躍社会の実現に向けて ご意見をお寄せください」に答えてみました(加筆あり)。
世代的に、「活躍」から最初に思い浮かべるのは、仮面ライダーはじめヒーローです。(写真:毎日新聞デジタル)
本日2015年11月6日まで、厚生労働省が
「一億総活躍社会の実現に向けて ご意見をお寄せください」
と、大変イケてる(反語)感じでパブコメを募集中です。
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000101660.html
というわけで、意見を述べてみました。Excelシートで、書きにくいったらありゃしないのですけどね。
Excel職人は大嫌いなんですが、その「大嫌い」を乗り越えないと意見述べられない仕組みが作られてるんですから、しかたありません。
生産性革命という面から見て、これってどうなんでしょう?
カテゴリーを選びました
いずれも強く関連しあっている問題ですから、「どれかを選べと言われても」ですが。
1.生産性革命の実現について ( )
2.希望出生率1.8の実現について ( )
3.介護離職ゼロや生涯現役社会の実現について ( ◯ )
※ いずれかに○をつけてください。
以下、パブコメ本文です
ライター(ペンネーム:みわよしこ)として、一障害者としての意見です。
働けない障害者は「一億」に入りますか?
一点目、「総」と「活躍」の具体的内容につき、貴省のお考えを明確にすることが必要です。「一億」は障害者を、「活躍」は障害者の就労を含むと拝察します。就労の可能性が低い障害者の「活躍」を如何お考えでしょうか? 万が一にも「社会から消せばよい」でないことを願います。
精神障害者の就労への移行の道を分断して「総」活躍?
二点目、2018年より障害者雇用義務に精神障害者が含まれます。精神障害者対象の作業所では数年来、就労移行型・A型(注:「職場」的な作業所)への傾斜配分が進み、B型(注:「通う場所」「居場所」的)作業所の維持・利用の可能性が減少しています。病院からの地域移行が進めば、デイケアの次はB型が自然な道筋です。医療の世界から一般の社会へと踏み出す可能性を狭めることは即刻止め、すぐに就労に至れない人が自分に適した試行錯誤をできる道筋を豊かに残されることが、精神障害者も含めた「総活躍」に必要と考えます。
障害者福祉や障害者の所得保障は、「活躍」しても不要になりません!
三点目、障害者福祉・障害年金・生活保護は引き続き必要です。障害によってハンデを背負うからこそ、マイナスをゼロにするための障害者福祉や何らかの所得保障が必要なのです。障害がハンデをもたらす現時点では、就労にも社会参加にも、福祉と所得保障が必要不可欠です。2020年にパラリンピックを開催する日本が、障害者に対してハンディキャップレースを課しつづける恥ずかしい国であってはなりません。
以上3点を当方の意見として述べさせていただきます。
(パブコメここまで)
矛盾だらけの「福祉から就労へ」、エア「障害者利権」
私、2000年以後の日本の「福祉から就労へ」路線そのもの、もっといえば「ワークフェア(workfare)」概念そのものの偽概念ぶり・ウソ八珍ぶりに異議があります。
就労したくても就労できなかった人に、「福祉から就労へ」という選択肢ができることは悪くないとは思うんですが、「そうでなければならない」と言うと、いろいろとおかしなことが起こります。そもそも「福祉」は「就労」の反対語じゃないんですから。
仮に「福祉から就労へ」を目指すべき方向性と認めたとしても、日本で行われてきている「福祉から就労へ」路線は矛盾だらけで、機能せず、巻き込まれる障害者をいたずらに苦しめるだけかと思います。
このことを、パブコメという機会を用いて、言挙げさせていただきました。
精神障害者に絞ったのは、目に見えず理解されにくい障害ゆえに、精神障害者の状況が今もっとも悪化しつつあると思うからです。
なにより、障害者である私自身、幸せに生きて、自分の人生にまあまあ満足して死にたいです。
幸せに生きるために仕事をし続けたいし、その仕事が充実した幸せなものであることを追求し続けたいです。
しかし現在、障害者福祉と所得保障なくして、障害者の幸せな暮らしや仕事はありえません。
遠い将来、障害や疾患があろうがなかろうが、そのことによって誰もハンデを負うことがないという理想が実現されれば、障害者福祉や、障害者を対象とした所得保障は必要なくなります。
しかし現在の日本では、障害によるハンデを補うための(そして不十分すぎて補えていない)障害者福祉や所得保障が劣化しつづけ、疾患や障害の内容によっては、事実上使えないものになりつつあります。
その状況で障害者に「福祉から就労」や「活躍」を要求するということは、障害に対する何の手当もなく「障害がありながら健常者並み」を要求するということです。
もちろん、障害者福祉や障害年金・生活保護と障害加算などに対して、「障害者利権」という声があることは承知しています。私自身、市中でしばしばぶつけられていますから。
利権というには小さすぎる「利権」に対して「利権!」と叫びたくなる側の方々のしんどいご事情は、理解できなくはないつもりです。
そういう方には、健常者が健常であることによって可能になるあれこれ、「健常者利権」をお金に換算してみてください、と申し上げます。
もしも
健常者利権<障害者利権
なのなら、「障害者利権」は確かに存在するのでしょう。
でも、計算してみるまでもなく
健常者利権>>障害者利権
にしかなりようがありません。このことは、障害者の低い所得そのものが示しています。
本当に利権があるのなら、その利権によって、より豊かになっているはずです。しかし障害者は、障害年金や生活保護(障害加算つき)を利用してなお、健常者よりはるかに低い所得しか得ていないのです。
少なくとも、
「障害者は障害者利権を利用してウハウハ、健常者が汗水垂らして働いて払った税金で、お気楽ご気楽な生活をしている」
を示す客観的データはありません。
参考:
明治安田生活福祉研究所『生活福祉研究』:障害者に対する所得保障拡充の必要性ー障害年金制度の現状と課題-(2012)
注:2014年(平成26年)以後の障害者白書には、障害者の所得の詳細に関するデータは掲載されていません。
最後に
障害者を含めた「一億総活躍」のためには、まずハンデを負った人々のハンデをなくし、すべての人が同じスタートライン・同じ前提から物事を始められるための予算が必要です。
障害者が就労という形で活躍すべきかどうか、また、そもそも「一億総活躍」路線を認めるべきかどうかは、大いに議論あるところです。
しかし、もしも障害者を「一億」「総」から排除するつもりがないのであれば、最初に必要なのは、ハンデをなくすための障害者福祉であり、所得保障です。
不完全ですが、障害年金は所得保障の重要な一部です。
しかし、障害年金があっても、障害者は経済的自立に到達できない場合が多いのです。
言い換えれば、現状の障害者福祉と障害年金では到底補えないハンデを負わされ続けているのです。
だから、しばしば生活保護が必要になり、さらに障害加算が必要になるのです。
「障害者利権」と言われようが、「障害者だから障害者利権を守りたいんだろう」と言われようが、私は「これが現実なんです」と声を上げ続けるしかありません。