私がフェイスブックプロフィール画像をトリコロールにしなかった理由-「他国のシンボル」にどう向き合うか
2015年11月13日に発生したパリ同時テロで、数多くの日本人が、フェイスブックのプロフィール画像にフランスの三色旗のトリコロールを重ね、賛否とも数多くの意見や議論を引き起こしました。
パリ同時テロへの反応が忘れられる前、まだ多くの人にとって記憶の新しいこの時期に、私の考えをまとめておきます。
私が自分の写真をトリコロールにしなかった理由
パリ同時テロが発生したとき、私が最初にしたことは、まず友人たち知人たちの安否を確認することでした。
パリに住んでいる日本人と家族、パリ以外の場所で出会ったフランス人と家族、たまたまパリに旅行していた友人の家族など、ぱっと思い浮かぶだけでも10家族ほどが、その時パリにいました。ありがたいことに、誰も事件に巻き込まれていませんでした。
私は、パリを訪れたことが3回あります。10代のときからフランス音楽に関心がありました。フランスの大学に留学中の友人がいた時期もあって、そこを訪ねたこともあります。別の地域に行こうとしたけれども直行便に空きがなくパリを経由することになって時間の都合で一泊したこともあります。良くは知らないけれども、馴染みのある土地ではありました。
しかし、そのパリで大変なことが起こったからといって、
「他国のシンボルを日本人の自分が使って何かの意思表明をしたい」
とは思いませんでした。
ふだんから国のシンボル・政治的シンボルの取り扱い、特に他国のシンボルは慎重にしています。「今回もそうだった」というだけです。
国旗国家など国のシンボル、政治的な意味を孕んだシンボルは、扱い方によっては思わぬトラブルの原因になります。
私は日本人ですが、日の丸・君が代・旭日旗が海外の人々に持たれているイメージを熟知しているとは思っていません。
他国のシンボルならば、なおさらです。
良くわからないものは、慎重に扱いたいと思います。そこで今回も慎重に扱い、つまりフェイスブックのプロフィール画像をトリコロールにしませんでした。
国旗国歌・政治的シンボルは、どのように扱われているか
現在のドイツでは、ナチス・ドイツのハーケンクロイツ(鉤十字)を公共の場で使用・展示しているだけで、「民衆扇動罪」で処罰されます。法で処罰されるかどうかはともかく、その国が「忌むべきもの」としている歴史を思い起こさせるシンボル・過去の歴史や事件によって強い嫌悪感を持っている人々が多数いるシンボルの使用は、背負った歴史やイメージを熟知した上で、反応を覚悟して確信犯で行うのでない限り、慎重にすべきだと私は考えています。
日本の「日の丸」「君が代」と、それらに対するイメージや取り扱いから「国旗国家とはこういうもの」と考えていると、海外で「え?」という場面に多々遭遇することになります。
日本の学校で「日の丸」「君が代」をめぐって現在も起こっている数多くの問題は、戦後から1999年まで、正式には国旗でも国歌でもなかったことによっています。日本には、近代国家として国が成り立つとともに自然の流れで出来た国旗・国歌というものがありません。江戸時代以前は国家という概念がなく、国といえばほぼ藩のことだった日本は、開国にともなって国家としての象徴が必要になりました。結局、10年足らずの間に「日の丸」が国旗という位置に落ち着くことになったわけです(参考:Wikipedia「日本の国旗」)。すべての日本人が共有している国旗・国歌の成り立ちの物語は、少なくとも明治維新以前にはありません。「国」概念がなかったわけですから。
それぞれの国が自国の成り立ちを反映した国旗・国歌を有していますが、成り立ちも、成り立ちやその結果に対する国民感情の強さも内容も、全く異なります。その違いは国旗・国歌についての取り扱いの違いにも反映されています。
むろん「国のシンボルとして尊重」は概ね共通しています。しかし、毎朝、星条旗と国に忠誠を誓う儀式がある米国の小中学校でも「強制」というわけではなく、特に外国人や移民の子どもに対しては「誓わない自由もある」と最初に教えることもあるそうです。もちろん、従わないからといって罰があるわけはなく、なんとなく忠誠を誓っていた日本人の子どもが疑問を感じて止めてみたところ、担任教員が「やっと気付いたんだね」とニッコリしたという話を聞いたこともあります。米国ならば州による違いも考慮しなくてはなりません。
掲揚されている国旗・国歌が歌われている場で歌っている人々や国歌そのものに対しては、「あなた方を大切に思うゆえ、あなた方の大切にしているものを、私は蔑ろにしません」という態度が必要です(何らかの意図の元に確信犯的にそうしないことを選ぶ場合を除いて)。
何をすれば敬意を表明したことになるかは、文化により国により異なるので、敬意を表明するのは意外に困難です。しかし「蔑ろにしない」という態度は、大きな間違いなく示せることが多いでしょう。他国にいて、その国の人々が国歌演奏に起立しているとき、「自分は日本人なのに起立しなきゃいけないのか?」と思うなら、たいていは黙って座っていていいんです。ただその間、表情やしぐさで「国歌に起立している貴方たちを尊重します」と示しつづけることは必要です。
今回のトリコロールは?
フランス国旗は、現在の他国の国旗です。ナチス・ドイツのハーケンクロイツのような、明確に問題のあるシンボルではありません。日本人のフェイスブックユーザが多数、自分のプロフィール画像をトリコロールにしたことに対し、フランスが国として不快や違和感を示したということもありませんでした。
少なくとも、フランスの方々に許容される範囲なのでしょう。そこから励ましのメッセージを読み取った方もおられるかもしれません。
トリコロールは「イスラム国」の勢力下にある人々への軽視なのか?
しかし「イラク戦争の犠牲者は?」「ガザ爆撃の犠牲者は?」「シリア空爆に巻き込まれた市民は?」という観点からプロフィールをトリコロールにする人々に対して違和感を表明する意見も、数多く見られました。
この点について、私は「現状、こうなるのは致し方ないかな」と思っています。
パリが気になるほどにイラクやガザやシリアは気にならないのが、多くの日本人の感性です。まず、行ってみたことのある人の数が、全く異なるのではないでしょうか。
2000年のデータ(出典)を見てみましょう。
「9.11」以前、「イスラム国」も存在しなかった2000年、日本から出国した日本人は約1800万人でした。
同年、フランスに行った日本人の人数はデータがありませんが、2003年-2012年のデータから見て、おそらく100万人~150万人であったと推測されます。
損害保険料率算出機構の資料によれば、2000年、ヨーロッパに渡航した日本人は約240万人。ざっと
「外国に行く日本人の7人に1人(13.3%)はヨーロッパに行っており、その半分はフランスに行っている」
ということになります。
同じ2000年、中近東に行った日本人は、約18万人でした。出国した日本人の1%です。そもそも馴染みの薄い地域であったことは、間違いありません。
その後、「9.11」があり、イラク戦争があり、「イスラム国」が生まれ、さらに行きにくい地域となりました。
観光客が行きにくいだけではなく、商業・工業などの仕事で行く人々にとっても行きにくい地域です。ジャーナリストも、行くなら命がけです。人的交流が日常的に乏しい上、仕事で行く人が極めて少ないわけですから、情報も入って来にくくなります。
さらに言語の問題もあります。
アルファベットが使われているのであれば、文字については英語との共通部分があるわけですから、辞書くらいは使えます。しかしアラビア文字は「学んでみよう」というモチベーションがない限り、日本人が日常で馴染む機会はありません。私も、全く読めません。
もともと馴染みが薄い上に、行きにくく、情報も入ってこないとなれば、
「そこにも人がいて暮らしていて」
という感覚を持てなくなるのが通常だと思います。
というわけで、日本人の「トリコロール」が、イラクやガザやシリアを軽視したことになるとは、私は思っていません。
「なぜ、こうなった?」を考えてみる必要はある
しかし、パリ同時テロの衝撃から一週間以上が経過し、日本に暮らしていてパリ・フランス・あるいは「イスラム国」に意識を向ける機会は激減してきました。
落ち着いた今こそ、情報の非対称・「馴染み」の非対称を含めて、
「なぜ、こうなった?」
を大いに考えてみるべきかと思います。
日本人は特別に薄情だから、あるいは特別に西ヨーロッパ贔屓だから、トリコロールを選択したというわけではないでしょう。
イラク・バグダードに在住していたイラク人女性の手記(Baghdad Burning)の日本語訳という作業を続けているのも、日本人です。
関心の持ち方や情報の取得のありかたに対する意識が少しずつでも変わっていけば、このような状況に対する日本人の反応は、少しずつ変わっていくでしょう。
なぜ、トリコロールだったのか。
なぜ、シリア国旗ではなかったのか。
なぜ、フランスでもシリアでもない第三の平和のシンボルが選ばれ、あるいは考案されて選択されることにならなかったのか。
そこには、日本人が今後のために考えるべき数多くのポイントが、含まれていそうな気がするのです。