このごろの日本の状況について、先輩たちに尋ねてみました

案外、歴史は繰り返しているのかもしれません。(写真:アフロ)

国際情勢、食糧問題、エネルギー問題。少子化に高齢化。

今週にも成立するかもしれない共謀罪に、「2020年」という時期まで示された憲法改正の議論。

数多くの問題が一気に噴き出している今だからこそ、落ち着いて、日本の先輩たちにコメントをお願いしてみることにしました。

(コメントをお願いした(ことにした)哲学者・Aさんと物理学者・Bさんの正体は、末尾で明かしています)

哲学者・Aさんに、ポピュリズムについて尋ねてみました

このごろの日本では、分かりやすく、一般の人々の怨念に火をつけるような方法で政治が動いていますけど、どう思われますか?

「一番足りないのは、実験的精神だと思います」

は?

「まず、読書は学問という伝統を変革したところが、近代科学の凄さなんです」

それで科学が進歩して世の中を変えてきたわけですよね。

「だから、教養というものとは違う、もっと原始的な精神を、科学だけではなく他のものでも、もっと掴まなくてはならないのではないですか? 原始人的な驚きとか、その驚きから、直接ものを考えていくことを」

何が受け入れられるのか探り、考え、受け入れられることだけ言うとなると、「忖度」の精神ですね。

「でも、日本独特のものではないかもしれません。新聞を読むようになって、人間は弱くなりました。もし自分のことが新聞に書いてあったら、たいていは『嘘が書いてある』と思うでしょう」

裏の取れた事実だけが書いてあるとしても、それが自分の全体像を示しているというわけではありませんからね。

「なのに、他の人のことが書いてあると、信じちゃう。そこがダメなんですよ。その相手にぶつかって、ちゃんと理解しようとすることが少ないんです。自分の見ているところから、ものを考えないと。それが実験的精神というものです」

ただ、すべてを自分で見て聞いて接して確認するというわけにはいかないんですよね。ネットで議論になると、特にツイッターのように長い文章が書けない場所では、すぐに確かでない根拠をもとにした議論が起こって、論破したのされたのという話になってしまいます。

「論証と実証は違うんですよね。論理でできるのは論証です。実証するにはたくさんの言葉が必要です。何かを創るということは、対立を止揚に持っていくという弁証法のやり方では捉えられないところがあります」

ところで、昨今の日本の状況に話を変えさせてください。共謀法がこれから成立するかもしれないということで、「政府に都合の悪いことを言ったりしたりしていると弾圧されるのか」と戦々恐々としている人がたくさんいます。私も怖いです。「テロの準備のようなものが対象だ」とどれだけ言われても、何がテロの準備なのかを決めるのは政府ですから……。

「弾圧されるということを本当に身近に感じていれば、この一つの文章、この一つの作品が最後になるかもしれないと、命がけで書くことになるでしょう。そういう気持ちになる人が増えたら、日本の文化は立派になっていくのだと思いますよ」

思想信条の自由、表現の自由が「あって当たり前」ということに慣れすぎてしまったのかもしれませんね。なくなったらどうなるかという危機感を持つのは大事なことだと思います。たくさんの人が危機感を持って言ったり動いたりして、「そういった自由が結果としてなくならなかった」ということになれば、言うことないですね。

ありがとうございました。

物理学者・Bさんに、原子力とエネルギー問題について尋ねてみました

こんにちは。大分県で発生した地割れが拡大していて、なんとも不気味なものを感じます。昨年の熊本地震のときにも「なんで川内原発を止めないんだ」という議論になりました。結果として安全であることを願うしかないんですが、こんな時だからこそ、原子力を基本から考えてみたいです。

「まずね、物質の質量というのはエネルギーなんです。ポテンシャル・エネルギー。アインシュタインの相対性理論が言っているのはそういうことです。質量を全部潰せば、そのエネルギーを全部使い切ることができるわけです。でもまだ、1グラムを潰すといっても、その千分の一か、一万分の一くらいしか潰していません。いつか、全部潰せるようになるかもしれませんけどね」

すると、いつの日かそれに成功したら、エネルギーの調達という面では問題はないわけでしょうか? 使ったエネルギーを熱として放出するところには限度がありますし、地球温暖化というのは、もう既に限度に達しているということだと思いますけれど。

「質量だって無限ではありませんから、エネルギーの調達は、いつかは限度に直面しますよ。本当に何もないところからはエネルギーは出てきません。それに、物質がエネルギーに関係しているのは間違いないのですが、物質が本当にエネルギーになるかどうかは分かりません」

技術の進歩で効率は高められ、望んでいない結果は避けられるのではないでしょうか?

「技術の問題ではない、もっと原始的な問題です。『どうすれば?』が全部は分かっていません。原理が分かっているのなら、あとは技術の問題になるのですが、そこまでは行っていません。これは原子力の、最後まで残る問題です」

神をも怖れぬ所業に天罰がくだる、という見方をする人たちもいます。

「原子力は、自然にはないことをしているわけではないんです。太陽だって原子力ですから。でも人間がそれを利用すると、人類全体の集団的自殺のようなことが出来るようになったわけです。道理や道徳にも、いろんな問題が起こってきます」

とはいえ、エネルギーがないと人間は生活できません。日本は資源に恵まれているわけではありませんし。私自身は原発賛成ではないのですが、東京電力の方々とお話していると、組織エゴや業界エゴではなく「そうはいっても日本の自前エネルギーがないと」という視点から、「やはり原発は捨ててしまうわけにいかない、だからこそ安全に万全を期して」というお考えの方が結構いらっしゃいます。少しくらいは組織エゴや業界エゴ、それから自分のエゴもあるのかもしれませんけれども。

「だから原発は手放せない」と言われると抵抗があるのですが、「日本にとって原発は必要だ」という気持ちや考え方の全否定はできないと思うんです。東日本大震災の後は、「万全の安全」と言われると「それを言います?」という気持ちが湧き上がってくるのですけど。

「結局は、いろんな問題がある中で、何を一番大切にするかということですよね。僕は、何よりも、平和を永続させることを優先しなくてはと思っています。絶対的に」

困難は戦争で解決すればいいと期待している方々は、そんなことを言っても嘲笑するだけだと思うんですが。

「相対的な問題と見ると、そうなりますね。戦争が引き起こされて多くの人が死ぬといっても、戦争がなくても死ぬじゃないかと。でも、うっかりすると、人類の大部分が破滅することになります。何かと比較してどうこう言えるわけではない、一番大きな問題になってしまっています。平和は、すべてに優先する問題なんです」

そう決めてしまえば、次は「その平和をどうやって作って維持するか」という問題ですね。

「そうです。科学の進歩が、たとえば平和の問題を決定的に変えてしまったのであれば、あとは平和を保つ技術、政治技術の問題です。そんなふうに、はっきり考えればいいんです。民主主義とか共産主義とか言い合うのが現実だと言われたらそれまでですが、そんな陳腐で曖昧なものに、なぜこだわるのでしょうか?」

民主主義へのこだわりは大事だと思うんですが……。

「でも、政治は能率的な技術にならなくてはならないと思うんですよ。精神の深みにかかわらない、人間の物質的生活を整えることだけを目的にすればいいんです。そうはっきりと意識した政治技術専門家が、一番必要な気がします」

もしかすると、「極右」「新自由主義的」という見方をされる政党は、「そういう政党が欲しかった」という世の中の隠れた志向にハマったのかもしれませんね。とはいえ、深みにかかわらなさすぎ、「人間」の範囲を非常に狭く捉えすぎといった問題はあるわけです。

だから、そういった問題がなくて世の中に必要とされるもろもろを提供できる政治技術専門集団が作れて、その集団が世の中に「待ってました!」と迎えられて、最大与党になれないまでも影響を与えられる位置にいられたら、かなり違うんでしょうね。

私は生活保護を専門の大きな柱にしているのですが、まさに人間の物質的生活を整える制度です。生活費は現金という形で渡し、消費生活や選択の自由、精神的な自由や社会生活の自由も提供してます。それが人間の生活ですから。ほかは住宅・教育・仕事・医療などの現物で、必要とされる資源をパッケージで提供しているわけです。

生活保護だけでも、「人間の生活に必要なものは何か? その基本と言えるものは何か? それらを購入する費用は、いくら必要か?」を、ごまかしなくハッキリさせて、必要な金額と人数をハッキリさせて費用を確保することのできる政治技術の専門家は、本当に必要ですね。

原子力の話が思わぬところに落ち着きましたが、ありがとうございました。

種明かし

哲学者・Aさんは三木清(1897-1945、Wikipedia:三木清)、物理学者・Bさんは湯川秀樹(1907-1981、Wikipedia:湯川秀樹)です。

発言は、『直感を磨くもの 小林秀雄対談集』(Amazon書籍ページ)をベースに、私がインタビューしているふうに変形しました。

三木清の最後は獄死でした。そういう過去を思い起こさせる出来事は、現在の日本でも起こっています。

また、学問の場で専門知と良心にもとづいて必ずしも政府方針に沿わない発言を続ける人々は、兵糧攻めに遭っているも同然の状況なのかもしれません。

日本だけが特別なわけではなく、世界で同時並行的に似たようなことが起こっています。

「ここに学べばいい」「こうすればいい」というモデルは、世界のどこにもありません。

人間の課題であり、人類史上の課題なのでしょう。

だからこそ。

現在を見つめながら歴史の声に耳を澄ませながら、まずは自分と自分の生活と暮らしている地域のこれからを考え、出来ることをしていくしかなさそうだと思えてならないのです。