共産主義は間違っている!
国際共産主義勢力、文化共産主義勢力の攻勢に勝利しよう!

勝共運動による救国救世

韓国の宗教家・文鮮明師が1981年の国際会議で表題の構想を発表してから30年。…続きを読む

福島第一原発のオフサイトセンターに待機していた自衛隊特殊部隊に3号機への給水命令ができたのは3月14日午前11時。指揮官は「前へ!」と叫んだ。…続きを読む

ここで言う日本とは、建国された当時の古代日本のこと。国民の多くがその由来を知らない建国記念の日は、…続きを読む

震災復興の日本は何でも政府に頼り、社会主義国の様相を呈している。まるで、戦時中の国家総動員体制と同じだ。…続きを読む

代表執筆者の杉原は、中学生が使う検定公民教科書の多くが、新しい教育基本法を無視し、…続きを読む

代表執筆者の杉原は、中学生が使う検定公民教科書の多くが、新しい教育基本法を無視し、…続きを読む

昨年5月4日、米軍普天間飛行場の県外移設を断念した鳩山由紀夫前首相は、その理由を「在沖縄海兵隊の抑止力を学んだからだ」とした。…続きを読む

「生きることは苦である」と喝破した釈迦が、最後に残した言葉は「この世界は何と美しく、人間の命は何と甘美なものなのだろう」。…続きを読む

遠藤周作や黒岩祐治神奈川県知事、濱田純一東京大総長などを育て、灘校を東大合格者日本一の私立校にした伝説の国語教師、橋本武の物語。…続きを読む

日本近代史が専門の著者が、大胆な発想で古代史をひも解いている。…続きを読む

自分に負けない生き方とは
 今回の大震災や原発事故では「想定外」の言葉がたびたび使われたが、将棋のような勝負の世界では想定外が当たり前で、それに対処するために日々自分を鍛えている。…続きを読む

この書評は2012年2月に投稿されました。

国際ハイウェイプロジェクト日韓トンネル

著/梶栗玄太郎 光言社 1785円

30年の実績踏まえ、未来へ

国際ハイウェイプロジェクト日韓トンネル韓国の宗教家・文鮮明師が1981年の国際会議で表題の構想を発表してから30年。その間の調査・研究や用地確保の進展が、ルート図まで付けて紹介されている。そこまで公開したのは、国民的な気運の盛り上がりで、日韓両国の国際プロジェクトに発展させたいとの熱い思いからだろう。
 驚かされるのは、青函トンネルを掘った最高の技術陣を擁して、日韓トンネルの出発点となる佐賀県呼子から壱岐、対馬の陸上部、玄界灘と対馬海峡の海底の地質・地層の調査を行ったことだ。その範囲は一部、韓国の研究者らの協力を得て、韓半島の上陸口が想定されている巨済島や、同島と対馬との間の海峡にも及んでいる。それだけ調査を行うには、陸上部であれば土地の確保が必要で、それもほぼ確保さ れている。つまり、この先どんな形で日韓トンネルが掘られようと、本書の資料は無視できないものだ。
 文師は統一教会の創設者であり、調査・土地購入の費用は、信徒らの浄財で賄われたという。一宗教団体が大きな公共事業を行うことに疑問の向きもあるだろうが、かつて行基や空海が橋や道路、池の建設、修築を行ったことを思えば、不思議ではない。さらに、調査の成果や用地は一般財団国際ハイウェイ財団の所有となっているので、公共に資する用意が整っている。
 70~80年代は、ローマクラブの「成長の限界」と共に、地球規模のインフラ整備が提唱された。その後、環境問題の高まりや世界経済の停滞から、あまり語られなくなったが、今こそ世界を元気にするような発想が必要なのではない か。文師は2005年にベーリング海峡を橋とトンネルで結ぶ構想を、国際ハイウェイの一環として発表している。
 大震災と津波、原発事故を経験して、日本はエネルギーの孤立を認識した。日韓トンネルがあればケーブルやパイプで大陸とつながり、日本の安定と東アジア経済の飛躍的な発展も期待されよう。まずは日韓が壮大な夢を共有できるようになりたい。

この書評は2011年11月に投稿されました。

前へ!

著/麻生幾 新潮社 1575円

大震災と戦った人たち

前へ!―東日本大震災と戦った無名戦士たちの記録福島第一原発のオフサイトセンターに待機していた自衛隊特殊部隊に3号機への給水命令ができたのは3月14日午前11時。指揮官は「前へ!」と叫んだ。その直後、水素爆発が起こり、2台の水タンク車は跳ね飛ばされ、4人が負傷、被曝した。初めての体験、目に見えない恐怖にさらされる隊員たち。彼らに勇気を与えたのは、先頭に立ち続けた指揮官の姿だった。
 当時の検証で、被曝しながら2日間、放置された作業員がいたことが分かるなど、東電、政府、消防、警察、自衛隊が混成する現場は混乱を極めた。結局、力を発揮できたのは、指揮系統が明確で補給体制のある自衛隊で、逆に欠陥を露呈したのは、他局との連携が悪い原子力安全・保安院、本社と現場に格差のある東京電力、感情的な対応が先走った政府首脳である。警察は福島県警自体が被災して、支援部隊を受け入れることも不可能だった。
 隊員の精神状態を見ながら、自衛隊が心のケアもしっかりしているのには感心した。彼らも同じ人間であり、愛する家族にメールしながら、危険に飛び込んで行っていた。その勇気のおかげで、東北全体を失うような放射能拡散は防げたのである。
 東北の道路を管轄しているのは東北地方整備局。激震に襲われた直後、女性の防災課長はすぐにヘリ発進を命じた。その数分後、仙台空港は津波に呑まれる。通信が寸断されるなか、空からの映像が状況把握に威力を発揮した。
 救援には道路が通じないといけない。東北を南北に走る国道から、くしの歯状に海岸線に出る道が被害が少ないことが分かり、ブルドーザーで土砂ががれきの撤去にかかる。がれきの下にある遺体を収納しながらの悲惨な作業だった。
 大震災、原発事故を風化させないためにも、命懸けで戦った無名戦士たちの物語を、語り継いでいく必要があるだろう。

この書評は2011年11月に投稿されました。

日本人はなぜ日本のことを知らないのか

著/竹田恒泰 PHP新書 756円

古代日本の成立史を知ろう

新自由主義の復権ここで言う日本とは、建国された当時の古代日本のこと。国民の多くがその由来を知らない建国記念の日は、『日本書紀』によると神武天皇の即位が西暦では紀元前660年2月11日になるからだ。
 もちろん、著者はその通り主張するのではない。三輪山周辺に巨大前方後円墳が造営され始めた3世紀前後が大和朝廷の成立期であり、神武天皇に該当する最初の指導者が出現したのは、「およそ二千年前か、それ以上」と表現するのが妥当だろう、とする。天皇による統治が続いている以上、日本が現存する世界最古の国であることは間違いない。中国のように、王朝ごとに歴史は分断されてはいない。
 では、古代日本の完成をいつとするか。第42代文武天皇の時代、701年に大宝律令が定められた時だとする。律令国家の完成で、「日本」の国号と「天皇」の称号も法律に明文化されたからだ。
 古墳時代までの日本は多くの部族が連立していた。弥生時代は環濠集落が防衛的で、傷付いた人骨もあることから、戦乱の時代だったと推測される。そうした苦難を乗り越え、大和朝廷により統一されていったのである。神武東征や日本武尊の苦難の旅は、その一端を物語っている。事績が伝わっておらず、存在が疑問視されている第2代から9代までの天皇の時代は、国譲りのような婚姻による同盟の拡大が進められたからだろうという。
 しかし、4世紀から5世紀の日本も、和による国づくりを目指した聖徳太子も、中国の冊封を受けることは嫌った。日本の独立を損なうからだ。大化の改新以来、元号も日本独自のものを使っている。「朝貢すれども、冊封は受けず」は、今で言えば「貿易はするが、隷属はしない」で、その気概が感じられる。
 日本人が建国史を知らないのは、学校で『古事記』を教えないからだ。著者は、自然観、死生観、歴史観から成る日本人の価値観を教えるには『古事記』が最適だとして、その試論も展開している。

この書評は2011年11月に投稿されました。

新自由主義の復権

著/八代尚宏著 中公新書 840円

日本経済を停滞から救う

新自由主義の復権震災復興の日本は何でも政府に頼り、社会主義国の様相を呈している。まるで、戦時中の国家総動員体制と同じだ。政治主導、公務員改革を唱えながら、民主党は官公労や企業組合の意向に反する政策を断行できないでいる。自民党をぶっ壊すと言った小泉元首相のようなリーダーが、同党にはいないようだ。
 そこで、小泉政権時代に活躍した著者が、新自由主義に基づいて経済から教育、社会保障まで論じ、日本再生のビジョンを示している。基本になっているのは、高度成長期の田中政権で作られた均衡ある国土発展の見直しだ。
 過疎化、高齢化が急速に進んでいる地方を公共事業で維持するのをやめ、利便性の高い地域に居住を集約するコンパクトシティーを進める。農耕に不向きな中山間地は自然の森に戻す。それには、農家への戸別補償をやめ、兼業農家を減らし、専業農家の大規模化を進める必要がある。農業の競争力を高めるには、企業の農業参加も自由化すべきだ。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)も農業改革、農産品の輸出増大のチャンスとなる。
 新自由主義の思想は日本にも昔からあった。平清盛が福原(兵庫)に港を開き、遷都したのは、日宋貿易がもたらす利益に注目したからだ。ところが、貿易を知らない源氏に滅ぼされたので、日本は内向きになってしまった。自由市場の形成では、織田信長の楽市楽座が有名だ。江戸時代には米を元に先物取引も始まっていた。
 成長期に設計された年金制度も、安定期に合わせて変える必要がある。著者が提案するのは年金目的の消費税方式で、国の役割はそれにとどめ、それ以上は民間に任せる。現状では、実質的に未納者が50%を超え、国民年金は破綻している。
 医療費の抑制では、人口に応じて家庭医を配置し、その紹介によって専門医にかかるようにする。高速道路の料金は混雑迷惑料と捉え、段階的に料金を変えられるようにする。電車などにも応用すれば、通勤ラッシュの緩和になる。
 夫婦別姓制度の勧めは同意できないが、自由と倫理を基盤とする経済思想は再考の価値がある。

この書評は2011年11月に投稿されました。

新しい公民教科書

著/杉原誠四郎ほか 自由社 1260円

愛国心も自然に正しく教える

新しい公民教科書代表執筆者の杉原は、中学生が使う検定公民教科書の多くが、新しい教育基本法を無視し、愛国心や公共の精神を教えていないことを批判する。国家に要求するだけの公民の立場に立ち、大人になれば分かるような知識を並べているにすぎない、と。それは、教科書以前の、人間としての生き方の問題だろう。
 「動物は死を恐れるが、『死』を考えることはできない」として、宗教の大切さもきちんと紹介する。「家族のなかで育つ私たち」として、家族の絆が郷土や国家の礎であると教える。なんとなく感じていることを、はっきり言葉で伝えることが、教育には重要だ。
 愛国心については、自己愛から家族愛・愛郷心を経て発展していくものだとする。そして、愛国心は、国際社会の平和と発展に貢献する精神の土台をなす、と。阿倍仲麻呂の望郷の歌「天の原ふりさけみれば春日なる……」や、オリンピックの北島康介選手が載っているのもバランスがいい。
 領土については、ロシアが占領中の北方領土、韓国が占領中の竹島、中国が領有権を主張している尖閣諸島を記述する。国益の追求と外交のあり方から国連の問題、そして日本の安全保障を世界的な視野から紹介する。その一環として、北朝鮮による日本人拉致事件も詳しく書いている。
 課題の探求として、「ディベートをやってみよう」と提案する。対立する意見がある中で合理的な合意を求める手段として、公正な議論は欠かせない。それにより、双方が理解を深められるからだ。日本の教育に欠けている意見発表の機会も増やすべきだろう。
 これまでの教育は、教師は生徒の同伴者で、道徳のような価値は一方的に教えるものではないとの考えが多かったが、杉原は道徳も正しい方法で教えるものだとする。子供の人格を尊重することと、歴史的に伝承されてきた価値を伝えることとは矛盾しない。本書のように全うな国民のあり方を教える教科書が、早く主流になってほしいものだ。

この書評は2011年11月に投稿されました。

決断できない日本

著/ケビン・メア 文春新書 819円

決断するサムライ文化もある

決断できない日本学生への講義で「沖縄はゆすりの名人」と言ったと報道され、著者は2011年3月、米国務省日本部長を解任された。ところが直後の大震災で「ともだち作戦」の調整官に任じられ、被災地救援と原発事故の対応に忙殺される。本書はその体験を踏まえた日本論でもある。
 講義録を元に告発したのは沖縄研修旅行に行った学生で、それを企画したのは護憲派弁護士の日本女性、学生たちは記事を書いた共同通信記者の自宅に泊まったというから、著者は嵌められたのだ。沖縄総領事を務め日本人の妻を持つ著者は大の親日家である。
 原発事故の際、米国が最も懸念したのは、日本政府が対策を東電任せにして、正確な情報を得ていないこと。そのため一時、原発から200キロの東京の米国人にも退避勧告を出そうとしたが、著者は日米関係が揺らぐと反対、ぎりぎりで見送られたという。
 東電は大津波による全電源喪失を「想定外」と発表したが、対テロ戦争中の米国は、原発がテロでそうなった場合も想定し訓練している。原子力とは国家の責任で管理する必要があるほど危険なエネルギーなのだ。危機への認識が、安全保障と同じように日本政府は不十分である。
 東アジアの安全保障において「米国は槍、日本は楯」が持論の著者は、中国から見た日本列島の地図を示し、その戦略的重要性を力説する。韓国にも、日本の協力がなければ米軍は韓国を守れないと説得している。その意味では、日米同盟は非対称だが不公平ではない、と。
 米政府が鳩山政権を信用しなくなったのは09年12月、社民党との連立を優先し、普天間基地移設の決断ができないと通告してきた時で、小沢一郎は自分の利益のためには日米同盟も犠牲にする「政治屋」だと思われているという。
 「決断できない」のは和を優先する社会の欠点だが、同時に日本は「果断に決断するサムライの文化を有していた」と期待を寄せる。

この書評は2011年5月に投稿されました。

日米同盟vs中国・北朝鮮

著/アーミテージ・ナイ、春原剛 文春新書 861円

在日米軍4万人こそ抑止力

日米同盟vs.中国・北朝鮮昨年5月4日、米軍普天間飛行場の県外移設を断念した鳩山由紀夫前首相は、その理由を「在沖縄海兵隊の抑止力を学んだからだ」とした。その抑止力とは何か、米政権で活躍してきた2人の知日派が率直に語っている。
 もっとも鳩山氏は2月13日、「抑止力は方便だった」と発言し、琉球新報社説に「これほど言葉の軽い政治家を見たことがない。そして自らの言葉に無責任な人も。万死に値する」と書かれた。少しも学んでいなかったのである。
 アーミテージ、ナイ両氏が緊急提言したのは、民主党政権によって日米関係が壊れようとしているからだ。普天間は自民党長期政権にとっても「パンドラの箱」だった。複雑な思惑に利権が絡みつき、よほど慎重に扱わないとすべてをぶち壊しにしてしまう。
 抑止力とは4万人の在日米軍が実質的な「人質」になっていることだ。春原氏が、オバマ大統領が李明博韓国大統領に「米韓関係は米国のアジア太平洋戦略の要だ」と発言したことに敏感に反応し、「日本から韓国に乗り換えるのか」と聞くと、両氏は言下に否定。「陸軍中心の在韓米軍と海・空軍中心の在日米軍とでは戦略的重さが違う」と。まして、韓国には北朝鮮が侵攻してくる恐れがある。
 日本が防衛でも自立を求めるのは当然だが、抑止力とは要するに「信用と能力だ」と言う。自立を求めるあまり信用を損なうと、角を矯めて牛を殺してしまう。米国にも、知日派が減り、中国の比重が増しているとの懸念がある。
 未曽有の大災害に見舞われた日本。昔なら大陸から攻められても仕方なかっただろう。それを防いでいるのが在日米軍である。今、彼らは「トモダチ作戦」と名づけ、被災地で救援活動を展開している。
 130カ国が日本に支援の手を差し伸べているのは、「信用」があるからだと思っていい。戦後日本が積み上げてきた歴史を菅政権は再認識し、さらに信用を高める努力をすべきだ。

この書評は2011年5月に投稿されました。

官能仏教

著/西山厚・愛川純子・平久りゑ 角川書店 1470円

人生を甘美にしてくれる信仰

奈良の都―その光と影「生きることは苦である」と喝破した釈迦が、最後に残した言葉は「この世界は何と美しく、人間の命は何と甘美なものなのだろう」。人生が苦だけなら、人類ははるか昔に滅んでいたに違いない。生き続けているのは甘美だからだ。インドでその意味を探求し、官能仏教と造語した奈良国立博物館学芸部長の西山氏と2人の女性が、楽しいエッセーをつづっている。
 「官能を性的なものだけと考えるのは間違いで、本来、すべての感覚で得る快さのことを指す」と西山氏は言う。言葉はその感覚の一部を表現したにすぎない。
 わかりやすいのは密教の歓喜天(かんぎてん)で、よく「聖天(しょうてん)さん」と呼ばれ、夫婦和合、商売繁盛のご利益があるとして広く信仰されている。象の頭をした2人の仏が抱き合っている不思議な仏像で、古代インドの神、ガネーシャが仏教に取り込まれたもの。元は悪い神だったが、女好きなのを利用して観音菩薩が仏教に帰依させたとされる。
 金剛界で最高の明王とされる愛染(あいぜん)明王は、密教が生み出した愛の願いをかなえる仏。真っ赤な体に憤怒の表情で、手には弓矢を持っている。意味からすればギリシャ神話のエロス(キューピッド)と同じなのだが、激しい怒りが呪力の強さをうかがわせる。後三条天皇は愛染王法の力で後冷泉(ごれいぜい)天皇の死を早めさせたという。
 茶々・淀殿も信仰していた「弁天さん」は、古代インドの水の女神サラスヴァティー。弁舌と知恵の弁才天が弁財天にも転じ、女性や商人の信仰を集めている。香の秘法が特徴で、仏教に奥深い香りをもたらした。
 湯屋の中で全身が膿んだ男の体から、口で膿を吸い出したという光明皇后は、まさに観音菩薩の化身。男性にとって、女性と母の理想像とも言えよう。父藤原不比等の邸宅を国分尼寺の総本山・法華寺とし、そこに施薬院や悲田院を建てた。尊敬する父がつくったこの国を、女性の力で支えようとした願いが伝わる。真筆『楽毅論(がっきろん)』から、力強さと大雑把さがうかがえるというのも面白い。

この書評は2011年5月に投稿されました。

奇跡の教室

著/伊藤氏貴 小学館 1365円

人をつくる国語教育

奇跡の教室 エチ先生と『銀の匙』の子どもたち 遠藤周作や黒岩祐治神奈川県知事、濱田純一東京大総長などを育て、灘校を東大合格者日本一の私立校にした伝説の国語教師、橋本武の物語。彼は中学の3年間、中甚助の『銀の匙』だけをテキストに授業をした。
 もっとも今年99歳の橋本は、教え子たちが「還暦過ぎても、みんな前を向いて歩いている」のが何より嬉しいと言う。「結果が出なければ、責任を取る」と言って戦後、特殊な授業を始めた橋本にとってそれこそが結果だと言われ、著者は驚いている。いつまでも興味を持ち続ける人づくりが、橋本の狙いだったのだ。
 『銀の匙』は明治の東京下町で育った少年の物語で、当時の風俗や少年の成長が細やかに描かれている。橋本は生徒が主人公の人生を追体験し、日本文化を学べることから同書を選んだ。
 祖母との触れ合いや男友達との確執、女の子へのほのかな思い、「寒の丑(うし)の日に売る紅」のくだりから、十干十二支の暦法、方位へと話題は広がる。そのため橋本は毎回、膨大なプリントを用意した。どんどんわき道にそれて行く、究極のスロウ・リーディングだ。
 「国語はすべての教科の基本、学ぶ力の背骨」が橋本の持論。興味に突き動かされて思考の枝を伸ばすことで、思春期の生徒たちは自分の言葉を獲得していく。「国語が好き」な新入生は5%だったのが、1年後には95%になったという。
 速読がはやりの時代だが、橋本は「すぐ役立つことは、すぐに役立たなくなる」と言う。それは自身が受けた中学教育への悔いでもあった。時代と環境、才能が合わさって実現した授業から、学ぶことは多い。

この書評は2011年5月に投稿されました。

邪馬台国と「鉄の道」

著/小路田泰直 洋泉社歴史新書y 903円

日本の原形が見えてくる

邪馬台国と「鉄の道」 日本近代史が専門の著者が、大胆な発想で古代史をひも解いている。目的は「近代の前提となる強固な社会は如何にして形成されたのか」を探るためだ。それには、「倭国大乱」を防ぐため共立された邪馬台国の卑弥呼から始めるべきだ、として、鉄を示す神や神社、地名から古代の交易圏を類推している。
 吉野ケ里遺跡が有明海に近い内陸部にあるのは、朝鮮半島・大陸に通じる博多湾、輸出用の硫黄や貨幣に使える貝を産する南九州と、近畿へ通じる宇佐への交通の要衝だったからだ。
 邪馬台国の場所では著者は畿内説を取る。西に偏った北九州だと中央集権的な専制国家になるが、近畿だと30余国との適度な距離から連合的な封建国家になれるからだ。
 そして、魏志倭人伝に書かれた旅程の読み方を、瀬戸内海ではなく日本海を通り、丹後半島の由良川から加古川に抜け、大和に至ったとする。確かに、方角的にも記述と合い、両河川を使う路は標高も低く、鉄にかかわる地名が多い。同様の発想から、神武東征も事実で、北九州から大和への中心の移動だったとする。
 大和で王権が女王から世襲の男王に移るとき、女王は祖霊として守ることで、王権の安定化を図った。それが、神宮皇后の八幡神で、著者は八幡三神の真ん中に鎮座する姫大神(ひめおおかみ)は卑弥呼だとする。
 北九州に日本の最初の中心ができたのは鉄を産する朝鮮半島に近いからで、それが大和から近江に移るのは、鉄が次第に国産化されたからだ。伊吹山周辺には製鉄遺跡が多く、長浜の大友は戦国時代、堺と共に鉄砲の生産地となる。継体天皇も琵琶湖西岸の製鉄集団に支えられていた。
 さらに、天武天皇による古事記の編纂と神話の創造は、賞味期限切れになった始祖霊を、「神と融合させ、正当化し直すことだった」とする。神との接点に皇祖神として天照大神が設けられたため、卑弥呼は正史から消されてしまうが、人々の記憶にはしっかり残っている。

この書評は2011年5月に投稿されました。

大局観

著/羽生善治 角川oneテーマ21 760円

自分に負けない生き方とは

大局観  自分と闘って負けない心自分に負けない生き方とは
 今回の大震災や原発事故では「想定外」の言葉がたびたび使われたが、将棋のような勝負の世界では想定外が当たり前で、それに対処するために日々自分を鍛えている。中学生でプロ棋士になり、40歳で十分老成した風格を漂わせている著者が、「六十歳、七十歳になっても伸びる能力はまだまだある」と、これからの生き方を展望する。
 昨年10月、清水女流王将(当時)がコンピュータと対戦し、プロ棋士として初めて敗れ、話題を呼んだ。コンピュータは膨大な情報の中から最善の手を選ぶのだが、人間は反対に「極力手を考えない」という。経験から、「ここが急所かな」というのが「なんとなく」見えてくるからだ。だから、指し手を見れば、人間かコンピュータかはすぐ分かる。つまり、将棋は「読み」と「大局観」のゲームなのだ。
 その大局観を「いかに読まないか」の心境だ、と著者は説明する。手を読む能力は体力のある若手が優れているが、大局観は年齢を重ねるごとに進歩するので、それが闘う柱となる。しかし、そのためには「精神的に強くなる」のが条件だ。
 将棋界には「反省はするが、後悔はしない」という言葉があるという。「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」とも。年を重ねるとは失敗を重ねることであり、骨身に染みる反省で知恵を得るのだが、うじうじ後悔していたのでは何にもならない。負けから学び、失敗をばねに勝った人だけがプロとして残っているのである。
 悔やまないためには、「自分の将棋は次の一手から新たに始まる」と思うこと。そして、「どんなにひどいミスをしても、すぐに忘れる」ことだという。失敗を引きずると、もっと大きな失敗を犯しかねない。
 そして、「地道にプラスになるような小さな選択を重ねることで、いつか大きな成果に至る」と言う。直感やひらめきも一つの才能だが、「確実に、一歩一歩進み続けることができる」ことこそが、最も素晴らしい才能だ、と。

この書評は2011年5月に投稿されました。

朝鮮で聖者と呼ばれた日本人

著/田中秀雄 草思社 税込2100円

農村の発展に尽くした重松髜修

朝鮮で聖者と呼ばれた日本人 重松髜修物語 戦前、朝鮮金融組合理事を務めた重松髜修(まさなお)が“聖者”と呼ばれたのは、「事業は愛の実行である」として「同胞相愛のために」農村の発展に尽くしたからだ。同胞とは日本人と朝鮮人のこと。平壌の東、約40キロにある江東、地元に多いクリスチャンはまさにそう感じたのだろう。
 日韓併合の翌明治44年に松山中学から東洋協会専門学校(現拓殖大学)に入学した高橋は朝鮮語を専攻、桂太郎校長は「宣教師のような気持ちで海外に出て行くように」と訓示した。
 大正4年に卒業、朝鮮総督府の官吏になった高橋は、土地調査の仕事を経て金融組合へ。朝鮮の財政改革のために乗り込んできた目賀田種太郎が作った、農民の信用組織だ。李氏朝鮮時代、農民は苛烈な収奪と高利にあえぎ、働く意欲を失っていた。
 三・一独立運動で右足に大怪我を負うが、回復した高橋が始めたのは、「卵から牛へ」を合言葉に、副業に鶏を飼い、卵で貯金すること。日本から白色レグホンを導入し、受精卵を産ませては、農民に分け与えた。
 高橋に応じたのは、固陋な旧世代に失望していた村の若者たちだ。鶏を増やして貯金し、大学へ進む者も出てきた。江東での13年間で農村改善に成功した高橋は、高松宮殿下から銀製花瓶を下賜される。
 そんな高橋を作家の島木健作が訪ねている。島木の勧めで俳句もたしなむ高橋は『朝鮮農村物語』を著す。島木は「春風駘蕩たる和気がおのずから満つる」ような人だと高橋を評している。
 組合教育部長をへて敗戦前、国民総力朝鮮聯盟の実践部長を務めたことで戦後、高橋は逮捕される。ところが、彼を取り調べた検事は、卵預金で早稲田大学を卒業した農村青年だったという。
 無一物になって妻と娘の待つ愛媛に帰った高橋は、また5羽の鶏を飼うことから生活を始める。美しい日本人を発掘した著者に感謝したい。

この書評は2011年5月に投稿されました。

仏の発見

著/五木寛之・梅原猛 平凡社 1470円

親鸞がこだわった「悪」をめぐり

仏の発見 越後配流後の親鸞を新聞に連載中の五木氏と、親鸞を「二、三年後に書き上げるはず」と言う梅原氏の対談は、おのずと親鸞の意味を問うことに集約されてくる。悪人正機や女人救済という浄土教の核心を説いた法然の教えを、弟子の親鸞は徹底させる。
 具体的には、法然もしなかった妻帯である。梅原氏は「大乗仏教を一つの革命とすれば、もう一つの大きな革命が、親鸞仏教ですよ。日野家の出身ならば、摂関家の兼実の娘と結婚しても、おかしくないと考えたのでしょう」と言う。
 法然に帰依していた関白の九条兼実(かねざね)は、罷免された上、地獄に落ちる恐怖から異常な精神状態になり、阿弥陀如来への念仏により誰もが等しく救われるとする法然に「女をたくさん知った私と、あなたのような清僧の念仏は違うのではないか」と問う。「同じだ」と答える法然に兼実は、弟子の中から清僧を選び、自分の娘の玉日(たまひ)と結婚させるよう迫った。そこで法然が選んだのが親鸞である。
 五木氏は「当時の結婚という形態を考えてみると、ちょっと疑問が残りますね」と応じる。男が女の家に通う通い婚が一般的だったからだ。京都・伏見区にある西岸寺には、玉日が住んでいた兼実の屋敷を寺にしたとの伝承がある。梅原氏は、そんな伝承を採集して親鸞を書こうとしているという。
 親鸞が戒律を破ることにもなる妻帯に踏み切ったのは、自らの悪に向き合うためだったのだろう。性愛から生じる悪は、自身と不可分の悪として自覚せざるを得ない。それでも如来の救いを信じられるかが親鸞の思いであり、師への信頼がそれを乗り越えさせた。
 両氏の原点には、不幸な死を遂げた母への思いが共通している。五木氏の母は敗戦後の朝鮮の混乱の中で、梅原氏の母は氏を産んだ1年3カ月後に、それぞれ亡くなっている。子を生かすために死んだ母の救いを願う思いが、女性をめぐって悪の意味を問い続けた親鸞に、両氏を傾倒させているようだ。

この書評は2011年5月に投稿されました。

迷える者の禅修行

著/ネルケ無方 新潮新書 税込777円

日本人に「大人の修行」を

迷える者の禅修行―ドイツ人住職が見た日本仏教 1968年、ドイツに生まれた著者は、生きる目的を探すなか16歳で禅に出会う。初めての坐禅で得たのは「身体の発見」だという。
 鈴木大拙らの活躍でドイツにも禅道場がある。もっとも曽祖父は日本の三井で貿易に携わり、牧師になった祖父は4歳まで東京で育ったから、縁はあった。曽祖母はリルケに岡倉天心の『茶の本』を紹介したほどの人。
 禅僧になろうと、ベルリン自由大学から22歳で京都大学に留学し、兵庫県の山奥にある曹洞宗の修行寺・安泰寺に入る。来日して戸惑ったのは、日本の僧は仏ではなく住職になるために修行し、一般人は仏教を知らないこと。
 25歳で出家した出家した著者は、臨済宗の本山でさらに修行し、安泰寺に戻る。そして、無宗教化した日本でこそ布教すべきだと考え、大阪城公園でホームレス生活をしながら坐禅会を始めた。この時、ビジネスパークの無料パソコンでホームページを立ち上げる。
 理想的な雲水生活をしていた著者に、安泰寺の住職が事故死したとの知らせが。葬儀の後、2002年に住職を継ぐ。修行を始めた頃、指導を求めた著者に「修行は自分でするもの」と答えた亡き師匠。著者は「ここで大人の修行をする」と決めた。
 その後、安泰寺の修行者は外国人が過半となり、共通語は英語。「日本人は支柱が必要なトマト、西洋人はひもをたらせば勝手に伸びていくキュウリだ」と言う。日本人が得意な居眠りが、ドイツ人にはできないとも。身体感覚の違いだろう。
 日本人が優れているのは「和」の感覚で、自我の強い西洋人は苦手だという。著者が目指しているのは、両者の長所を取り入れた修行だ。例えば、起床を2時間早めるだけで、生活がかなり合理化されたという。
 大阪城公園で知り合った女性と結婚。息子を授かって親の気持ちがわかり、「子供こそ、大人を大人にしてくれる」と言う。しかし、彼が僧になると言ったら、必ずほかの寺に修行に出すそうだ。