東大生5人による強制わいせつ事件報道をめぐる「不思議」 - あれもこれも「東大」だから?
2016年5月、東大の男子学生5人が女子学生1名に対して強制わいせつを行った事件が報道され、続報も多数あります。
この事件の報道に接するたび、「不思議だなあ」という疑問が沸きます。
事件の内容は
「20代の男性5人が20代女性が1人で住む部屋に押しかけて部屋飲みを行い、集団で女性を暴行(性的暴行を含む)した」
というもので、特に珍しい犯罪ではありません。
しかし報道されるのは、暴行の詳細な内容と、男性5名のプロフィールばかり。
しかも男性のうち実名報道されているのは「主犯格」とされる1名だけ。実名報道されていない4人は、未成年でもなんでもありません。
疑問だらけの報道です。
容疑者たちの実名・匿名に関する「不思議」
そもそも容疑段階で実名を出す必要があるのかどうかという問題もありますが、それより不思議なのは、主犯格とされる男性1名だけが実名報道されていることです。引用では「●●●●」氏とします。
●●氏については、親に関する情報が詳細に報道されています。
それなりの教育投資が可能で文化資本も豊かだったのは理解できますが、「東大」「エリート」が強調されているのかなあ? とも思います。
残る4名については、実名は報道されていませんが、経歴・プロフィールは「丸分かり」レベルで詳細に報じられています。
警察が報道陣に対して実名を明らかにしていない場合、実名報道は不可能です。でも、ここまで詳細に述べられている以上、報道陣には実名が公開されているのでしょう。
なぜ、4名の実名は出ないのでしょうか。「容疑を否認しているから」という見方もあるようですが、否認していようがいなかろうが、実名報道は、行われるときには行われます(実名報道の是非や意義については、さておきます)。
不思議です。もしかして、報道すると政権や総選挙に影響が及ぶ可能性があるとか?
東大で一くくりの「不思議」
東大では、入学時に専攻を決めるのでなく、1年次・2年次の成績による「進学振り分け」で決めることとなっています。
容疑者たちの所属している学科は、工学部システム創成学科システム創成A(環境・エネルギーシステムコース)、および大学院工学系研究科システム創成学専攻と思われます。
彼らが「東大の中でさらに選抜されたエリート」なのかどうか。
「進学振り分け」の底点(合格最低点)推移を見てください(https://todai.info/shinfuri/technology.php による)。
理科系から進学するのであれば、希望すれば行ける学科であることがわかります。
容疑者たちの成績がどうだったのかは、わかりません。
非常に好成績で、しかし自分の希望で選んだ進学先なのかもしれません。行き場がなくて仕方なく選んだ進学先なのかもしれません。
いずれにしても、世間から見た「東大生・東大院生というエリート」が、東大の中でもエリート意識を抱いているとは限りません。
逆に、落ちこぼれ意識を抱いている場合もあります。
事件の内容に関する「不思議」
事件の内容は、「酔った男性5人が女性1人を暴行した」というものです。
内容の詳細をレポートした記事の冒頭です。引用にあたり、「東大」が含まれる語句を太字にしています。
もしかすると、「天下の東大」の学生・院生の「バカ」ぶりに、ニュースバリューが認められているのかもしれません。
バカ学生・バカ院生は、偏差値と無関係に存在するのですけれどもね。
不思議です。
ついで暴行の内容です。
「主犯」「主犯以外」が、実名・匿名の境界線なのでしょうか?
でも内容を見る限り、「主犯」もそれ以外もない感じを受けます。
また、性的な内容も含まれていますが、「わいせつ」「性的」という言葉から通常浮かぶイメージとは、かなり違う感じがします。
なんといいますか、ミミズや昆虫に対する子どもの残酷さに近いような。
さらに暴行の「ノリ」は、中学生・高校生による路上生活者襲撃に近いのではないでしょうか。
今に始まったことではなく、報道されるようになってからでも30年以上が経過しています。
裁判が開始され、精神鑑定などが行われれば、精神的・社会的な成熟の度合いも明らかになるかもしれません。
いずれにしても、あえて特徴を見出すならば、「東大」ではなく
「成人男子らによる、中学生的というべきか幼稚というべきか微妙な犯罪」
であるように思えます。
なぜ「東大」に重点が置かれるのでしょうか?
不思議です。
東大だから、理系だから、高偏差値だから起こったのか?
容疑者5名の「東大」、または「理系」は、事件の内容にどのような関係があるのでしょうか。
東大・理系に魅力を感じる女子学生は、いるかもしれません。
また、高校でコース分けされた時期から男子の多い環境にいれば、女性を「人」と見ない感覚が育ちやすいかもしれません。
では、2003年に大きく報道された、「スーパーフリー」事件のメンバーはどうだったのでしょうか?
事件主犯格とされた人物に関するWikipedia記事によれば、メンバーの所属大学・出身大学は
- 早稲田大学2年
- 早稲田大学政治経済学部3年
- 早稲田大学教育学部4年
- 学習院大学経済学部1年
- 日本大学法学部3年
- 慶應義塾大学商学部卒
- 早稲田大学理工学部卒
- 明治大学
- 産能大学
- 法政大学3年
- 慶應義塾大学法学部2年
- 慶應義塾大学経済学部1年
- 東大農学部3年
となっています。
偏差値も学部も大学も、見事な多様性を誇っています。「文理融合」でもあります。
もう、「属性は関係ない」と言い切れるのではないでしょうか?
最も大切なことを置き去りにする「不思議」
被害に遭った女子学生について、詳細が報道されていないことは、せめてもの救いです。
こういう事件はいつでも起こりえます。
加害者にも被害者にもならないことが最善ではありますが、もしも被害を受けてしまった場合、どのように回復することができ、どのように謝罪と償いを求めることができるのでしょうか?
二次被害、三次被害は、どうすれば防げるのでしょうか?
「再発させない」は不可能であるとしても、再発を防止するために何が可能なのでしょうか?
いろんな試行錯誤をしながら、自分の幅を広げていくことは、男女とも成長に必要です。
その試行錯誤と安全のバランスは、どう取ればよいのでしょうか?
誰がいつ、そういった「大人になる方法」を教えるのでしょうか? 教えられるのでしょうか?
はっきりしているのは、日本では不足していることばかりだということです。
結論:容疑者たちが所属していることを除き、「東大」に意味はない
この事件での「東大」には、とりたてて意味はありません。
入試を突破する学力の形成は、人間としての成熟や成長と無関係ではないものの、学力そのものは人間性と直接の関係を持っていません。
偏差値がインモラルや犯罪を抑制するのなら便利ですが、残念ながら、そんなことはありません。
未成熟のままでも、研究室や学会など自分たちの所属する社会で、彼らは一人の大人として扱われていました。
もしかすると、1つ~3つ程度の近い分野の研究室のメンバーたちだったのかもしれません。
彼らが「大人」であった社会と、事件を起こしたときの集団は、どう違うのか。
なぜ、このような結果に至るまで、エスカレートが止まらなかったのか。
そういったことこそ、詳細に検討され、報道されるに値することです。