「不幸のドミノ倒し」を途中で止めるには - 小金井女子学生刺傷事件から

どういう理由があっても、悪は悪。「悪」とはっきりすることを未然に止めるには?(写真:アフロ)

2016年5月21日、東京・小金井市で芸能活動をしている女子学生Tさんが刃物で刺され、重体となりました。

刺したのは元ファンの男性です。

危険な行為の兆候は、ブログにもSNSにもありました。

狙われる側が取ることのできる有効な対策は、何かあるのでしょうか?

私の「狙われ」経験

はじめに、Tさんのご回復を祈ります。

私は若くも美しくもなく、華々しい芸能活動をしているわけでもありませんが、一方的に距離を詰めてくる相手に困らされたり、恐怖を味わったりした体験は何回かあります。

Tさんの遭われた災難に、まったく他人事ではないと感じました。

最も最近の、2015年8月まで続いた接近について、簡単にアウトラインを記します。個人特定につながる情報は改変しています。

  • 相手について

東京都A市に住んでいる40代単身男性で、生活保護利用者(傷病者・精神疾患)です。以下、X氏とします。

  • 発端

2014年夏、反貧困運動界隈の集まりに参加したところ、参加していたX氏が近づいてきました。

X氏は住所を書いた紙を私に手渡し、「A市のケースワーカーが自分をバカにするので取材して欲しい」と言いました。

生活保護利用の方から、「自分の受けている不快な扱いを解決するために記事化してほしい」というご依頼を受けることは、しばしばあります。しかし、メディア報道はこういう場合、どういう結果につながるかわかりません。一時的な成功につながったとしても、その後、さらに激しい反動が来る場合もあります。私には、結果に対して責任を持つことはできませんし、目の前の問題を解決するためなら、メディア報道より弁護士さんたちの方が確実です。いつも、このように理由を述べてお断りしています。X氏に対しても、そう言いました。

大変不満そうだったX氏は、次に「住所を教えてください」と言いました。「自分も教えたから」と。冗談ではありません。一応、女性の一人暮らし。猫もいます。でも目の前のX氏に「教えられません」と言う勇気は持てませんでした。私は「名刺が切れているので」とお断りしました。X氏は去って行き、3メートルほど離れた会場の椅子に座って、ずっと私の方を見ていました。周囲の笑いや会話に反応するではなく、こちらをジトっと見続けていました。正直なところ、不気味でした。

  • 繰り返しと対処

私はその後も、自分が必要なので取材として、反貧困運動界隈の集会に参加しました。東京近郊の場合はたいてい、そこにX氏もいました。近づいて来ようとするのを巻いて巻いて、話しかけようとされたら別の人に話しかけ……という対応をしていました。

もう少し毅然と対応すべきだったのかもしれませんが、私は「生活保護問題のライターに生活保護だからといって差別された」と一方的に主張されることを怖れました。私には生活保護差別のつもりはないのですが、X氏には「生活保護差別」と理解する自由があり、周辺の人々には同意同調する自由があります。久しぶりの顔見知りや友人と楽しく話していたら、すぐ横や背後、20cmほどしか離れていない位置にX氏が立っていて、なんともいえないニタニタ笑いを浮かべていて……ということが何回もありました。音もなく接近され、そこに立っているというだけで、怖かったです。

集会主催サイドにも相談しましたが、参加を拒む権限が主催者にあるわけではありません。特に、生活保護を利用している精神疾患の方に対して何か強い注意をすることに対しては、反貧困運動の方々も慎重です。相手は想像もつかない傷つき方をする可能性があり、その後、どういう影響がどこに波及するかわかりません。

その事情は私も理解できるのですが、私だって恐怖を味わいたくはありません。しかし「黙って近づいて立ってニタニタしている」だけで強いNoを言うことも困難でした。問題にできることがあるとしたら、「近づきすぎ」ということだけでしょうか? 相手から1メートル以内への、しかも横や背後からの接近は、攻撃の準備や侵入と同一視されてもしかたがないものだと思います。

私はNoを言えず、集会主催サイドに何らかの対応をお願いすることもできず、東京近郊での反貧困運動関連集会への参加を避けるようになりました。また、ソーシャルワーカーや精神医療などの専門家が集まる有料の集会に参加するようになりました。東京からの参加に、交通費を含めて1万円以上かかる集会ならば、X氏と出会う可能性は低いだろうと思ったのです。しかし、甘かったようです。

  • 仙台にて

2015年に入ったころ、私は仙台で開催されたソーシャルワーカーの勉強会に参加しました。するとそこには、X氏が来ていました。X氏は、会場にいた私には関心を示さず、社会福祉学で有名な大学教授(男性)と個人的に親しい関係にあること、夜行バスで懸命にやってきた生活保護利用者であることを会場でアピールしました。

大学教授の反応から察すると、勤務先の名刺をX氏に渡したことがあるだけのようでした。

私は、「ああ、この世界の有名人なら誰でもいいんだな」と思いました。

休憩時間、大学教授にX氏は近寄ろうとしていましたが、長い生活保護ケースワーカー経験を持っている大学教授の方は、邪険にするでもなく接近させるでもなく、合気道の達人のような対応をしていました。お見事でした。私には真似できません。

  • 中央線にて

2015年8月のことです。私は出張から戻り、中央線下り線に乗ったところでした。

この時期、18歳の猫の衰弱がじわじわと進んでいました。

出張は最低限にしていました。その最低限の出張も、猫の体調を危ぶみながら、留守宅の猫のケアをお願いしているペットシッターさんと緊密に連絡しながらでした。

用事を終えて、一刻も早く家に帰りたい気持ちで東京に戻り、中央線下り線に乗っていたところ、途中から同じ車両にX氏が乗ってきたのです。

X氏は私のすぐ近くの座席に陣取り、ニタニタ笑いを浮かべながらこちらを見ていました。私は無視していました。もちろん私が健常者なら、すぐ降りるなり逃げるなりして巻いて、追っかけてくるようなら駅員に相談しているでしょう。しかし、若干混んでいた電車の中で車椅子が動くのは大変です。それに、降りる予定の最寄り駅・JR西荻窪まで、私は一人では下りられないのです。

西荻窪で私が降りるとき、最寄り駅は山梨県が近い駅であるはずのX氏も降りてきました。私が周囲を警戒しながらエレベータに乗っていると、X氏はエレベータに乗らずにエスカレーターの方に回ったのです。私はエレベータに乗り、X氏がまだコンコースに到達していないのを確認して多目的トイレに入り、ドアが外からノックされるまで入ったままでいました。早く家に帰って、猫に夜の注射を打ちたいのに。泣きたかったです。

10分ほど後、多目的トイレから出ました。もう大丈夫だろうと思いたかったです。周辺を警戒しながら改札を通ると、どこに隠れていたのか、X氏がニタニタ笑いながら近づいてきました。私は駅前の交番に飛び込んで事情を話しました。するとX氏は方向を転換し、私に何の関心もないかのような素振りで、駅前の吉野家に入りました。私は警官に吉野家方面を見張ってもらいながら、おそらく地元民しか分からない遠回りルートで帰りました。X氏に後を付けられる可能性はありませんが、暗い夜道です。私は「これは、生活保護問題について書いた罰なのか? なんでこんなことをされなくてはならないんだ?」と自問しながら、やっとのことで帰りました。

猫は、その1ヶ月後に他界しました。

  • その後

私はその後、本州で開催される反貧困関連集会には、一切参加していません。X氏と遭遇したくないからです。ソーシャルワーカーだけのクローズドな勉強会・当事者のクローズドな集会などには、ときおり参加しています。そういう場なら、入場者をコントロールできる可能性が高いので。

また、出張で住まいを留守にするときには、よりいっそうの警戒を心がけるようになりました。ペットシッターさんを危険に巻き込むような事態はあってはなりませんから、事前に地元の警察に留守を伝え、「ペットシッターさん以外は不法侵入扱いでかまいません」とお願いしています。

X氏に私の住まいの場所がバラされる可能性は、常に「ある」と考えています。私に反感や敵意を持っている方々は、反貧困運動の中にも結構います。そういう方々の中に、私の住まいの場所を知っている人がいるかもしれません。私が困ろうがどうなろうがどうでもいい方々なら、X氏に依頼されれば、私の住まいの場所を教える可能性はあるでしょう。社会運動の中の感情のこじれには、何につながるか分からない恐ろしさがあります。

  • 警察への相談は?

X氏の件では、警察への相談はしていません。「接近してニタニタ笑いながら立っている」だけで相談してよいものかどうか、迷ったからです。しかし2015年8月、JR西荻窪駅まで後をつけてこられた時は、さすがに警察に相談したほうが良いのではないかと思いました。

再発やエスカレートの可能性があれば、いつでも警察と居住地域の福祉事務所に情報提供できるように、準備はしています。

  • 「言いなりにならない」という意思表示

JR西荻窪駅前で私が交番に飛び込んだとき、X氏はすっと尾行をやめました。X氏に「生活保護の当事者の自分のすることは、生活保護問題のライターなら問題にできないだろう」という目論見があった可能性、私が駅前交番に飛び込んだことで目論見が外れた可能性はあるでしょう。

以後、私はときどき、SNS等で「『自分は生活保護だから』『自分は◯◯運動に関わっているから』を理由にして私を思い通りにしようとする目論見を持っている方には毅然とした態度で臨みます」という意思表明をするようになりました。どの程度の効果があったかはわかりません。ただ、他の生活保護利用の方も含め、「言うこと聞いてもらえる」「優しくしてもらえる」「親しいんだとアピールさせてもらえる」という目論見で近寄ってくる方は、激減しました。まあ、そういうことがあって不愉快な思いをするたびに、自分でも「怖っ」と思うような怒り方してますからね。

  • 警察への相談をためらった理由

X氏の件で地元の警察に相談していない理由は、「遠い昔に自分が犯罪被害を受けたときの対応で不信感が」を含め、いくつかあります。

まず、トラブル(か?)の相手が男性である場合、受けた被害で辛い思いをしているところに警察官が勝手に「恋愛ストーリー」を作った経験もあることから、「起こっていることの不気味さと、警察に相談したらまた同じようなことになるリスクと、どっちがマシか?」と究極の選択で悩みます。

もう一つは、警察への相談が「最終手段」になってしまう可能性が高いことです。通常、「ある女性に接近し、横や近くに立っていることを繰り返した」で逮捕されたり実刑を受けたりする可能性はありません。しかし精神疾患を持つX氏の場合、犯罪行為を行う「おそれ」によって、期限の定めなく精神科の閉鎖病棟に閉じ込められる可能性があります(池田小学校事件をきっかけに創設された制度による)。

もちろん、私が優先したいのは、X氏の自由よりも、自分と尻尾のある家族(猫)と協力関係にある人々を守ることです。そのために必要ならば、ためらわずに警察に相談し情報提供します。

でも最も望むことは、将来にわたって、その必要が発生しないことです。

「不幸のドミノ倒し」の発生は避けられない

私の周辺には、数多くのDV被害者がいます。

多くは女性で、辛うじて逃げてきて何年も経過した後も、加害男性の接近を恐れています。時には、接近されて恐ろしい思いをしています。

「警察に相談したら『引っ越したら?』と言われた」

という話も、多数聞いています。生活保護で、しかも地域の小中学校に通う子どもがいたりすると、そんなに簡単に引っ越せないのですけどね。

大学の同級生女子のうち何人かは、ストーキング被害に遭っています。相手の男子学生たちは、本当に普通の、真面目で成績も悪くない、人柄に何か問題があるというわけではない学生たちでした。特別な資質や病気を持っているから、そういう行動に走るというわけではなく、何か本人の中でも「変なスイッチ」が入るようなことなのではないかと思います。

私自身は、暴力被害を受けたことはほとんどないのですが、いわゆる「粘着」に類することをされた経験は何回かあります。そのたびに

「なんで出会った時に気づけなかったのか」

「ヤバいと判断すべきだったタイミングはいつだったのか」

「もっと早く、もっと傷が浅いうちに遠ざける方法はなかったのか」

と自問しました。

現在は、

  • 出会いの時点で見抜くのは無理。(上記X氏のように)見抜けたとしても、最初の出会いや接近の機会は往々にして「その時点で遠ざける」が無理な場面。
  • 「自分が不快だと感じた」=「ヤバい」 で吉。即、遠ざけるべき。
  • 円満な方法で遠ざけることは基本的に無理。なるべく早期に、警察に相談すべき。
  • 近づくリスクを相手に認識させ、なるべく「やりやすそう」と思わせないことも重要。挨拶や会話は丁寧に、でも不快を感じた時に強く鋭く周囲に聞こえる声で「離れて下さい!」と言う程度のことは、積極的に行うべき。相手に恥をかかせないことより、自分の身の安全の方が大事。もちろん「逆ギレ」につながったら、すぐに警察。

と考えています。

「不幸のドミノ倒し」を途中で止めるには

自分の周辺の誰かの脳内で勝手な片思いが行われ、あるいは勝手に恋愛ストーリーが作られることに対して、止める手段はありません。

それが最初の行動に繋がることを止める手段もありません。

もう、確率現象として「起こることはある」と思っておいたほうがよいのではないかと思います。

しかし最初の行動が始まったとしても、エスカレートして最終的に不幸な結果に至るまでの成り行きは、たいていは「即」ではありません。止める機会はたくさんあります。

成り行きを途中で止め、あるいはその結末に至らない成り行きへと流れを動かせればよいのです。

カギは、警察または公的機関か

片思い脳内ストーリーが、他者から見れば理解不能な犯罪に結びついてしまうとき、もう本人にもどうにもならない状況なのではないかと思います。過去の事例から研究が進められることを望みます。

しかしカギは「冷水をかける」と、その機会を増やすことにあるのではないでしょうか。

たとえば、「気持ち悪いんですけど」「怖いんですけど」段階で警察に相談することが当たり前になり、相談を受けた警察は相手を呼んで事情を聞くことが通例になれば、かなりの牽制になるのではないかと思います。

現在だと、相手が精神疾患持ちや精神障害者でない場合には、「おそれ」「可能性」で公権力が何かをすることはできません。相手に対する人権侵害になってしまいますから(精神疾患や精神障害があっても同じなのですが)。

でも「相談を受けたので話を聞かせてください」なら、可能なのではないでしょうか。

一般市民が道路を通行していて職務質問を受けることだってあるんです。

相談を受けた警察に「そちらのお話も聞きたいんですが」が不可能な理由はないと思います。

警察にそこまでの余裕がないならば、各地の福祉事務所に配置されている警察OBが生活困窮者支援事業者とともに動いてもよいのではないでしょうか。

ご本人は何らかの困難を抱えているから、誰かを困らせてしまっているわけでしょう。

言い換えれば、自分から「困難を抱えております」というサインを発しているわけです。その困難が不幸な結末につながる前に、本人が必要としている困難の解決を手伝うような関わりも、考えられてよいのではないかと思います。

以上、警察でも公権力でもない、「そこまでではないけれど」という被害(未満)を受けた経験を持つ側からの

「こんな可能性があったら助かる」

を述べてみました。

警察が、不幸なことが起こって「加害者」「被害者」がはっきりした後でないと動きにくい宿命のもとにあるのなら、まだ「加害者」「被害者」がはっきり分かれていない段階で出来ること・打てる手段を増やしていく必要があるでしょう。誰かが被害者になってからでは遅すぎます。

公権力にあまり期待するのもどうかと思いますが、「冷水をかける」程度の、濫用にならないキワキワのちょっとした公権力使用は、もう少しあってもよいのではないかという気がします。

最後に、Tさんのご回復への祈りを、再度繰り返します。