「老齢基礎年金<生活保護基準」は何が問題なのか

「真面目に働いて、幸せな老後を」は、もう夢物語なのでしょうか?(写真:アフロ)

厚生年金を逃れる事業所多数の存在が、問題視されています。

従業員に資格があるのに事業所が厚生年金に入れていない「加入逃れ」が政府の想定以上に広がっている。

(略) 厚労省年金局事業管理課は調査対象から漏れていることを認め、「実態が把握できれば適切に対応したい」とコメント。把握できていない加入逃れは、ほかの業界にも広がりそうだ。

 厚生年金は平均的な収入の人で毎月約3万9千円(雇い主も同額)の保険料を40年間払うと、月約15万6500円を受け取れる。一方、国民年金は月約1万6千円の保険料で、受給額は満額でも月約6万5千円。

出典:厚生年金逃れ、国の想定以上 建設業・ごみ収集員も 朝日新聞デジタル 5月30日(月)10時12分配信

従業員本人が国民年金保険料を支払っていれば、基礎年金の受給資格はあるのですが、

「どうせ老後は生活保護か野垂れ死に、だから年金は払ったら損」

「無年金でも高齢になれば生活保護で暮らせるなら、真面目に働いて年金払うのはバカらしい」

という意見も、広く見られます。

しばしば生活保護との関連で語られる「年金は払い損」と、事業所の厚生年金逃れは、密接にリンクしている問題です。

「必要だと思うから払いたい」と思う人々が多ければ、自分で払い、あるいは事業所に支払いを求め、加入できていない問題を関係省庁にタレコミ……ということになるはずです。

でも、現状はそうなっていません。なぜ、そうなるのでしょうか?

「生活保護問題≒高齢化問題≒低年金・無年金問題≒労働と雇用の問題」という図式

生活保護世帯・生活保護受給者の増加は、基本的には高齢化とリンクしています。

高齢化とともに、低年金・無年金の高齢者の生活保護利用も増加しています。

ここ10年程度で見ると、生活保護世帯のうち概ね75%は、高齢者世帯(約45%)・障害者世帯(約10%)・傷病者世帯(約20%)、「働けるのに働かない人」でなく「働けないので働いていない人」です(文末・注1)。

「働けるのに働かない生活保護の人々」という見方は、「少しでも働けるなら働くべき」「お金を稼げないならボランティアくらい」という意見とともに、広く見られるものです。そうすると、健康な若年層から就労機会を奪うことになったり、本来なら有償であるべき労働の「やりがい搾取」を正当化してしまったりします。「働かないで生活保護なんか許せない、働け」という考え方は、最も働く機会を得るべき人々の首を、真っ先に締めてしまいます。

それはさておき、年金問題は、まさに労働の価値と納税の意味をめぐる問題です。

低年金・無年金問題は、なぜ労働と納税の問題なのか?

老齢年金制度には、さまざまな側面があります。

現役世代は、親の扶養・介護から(せめて金銭面だけでも)解放され、生産・育児にエネルギーを注ぐことができます。

さらに、現役世代が年金保険料を支払います。

老後に支払われる年金保険料が支払いに「見合う」ものであるべきかどうか、「見合わせる」ことが可能かどうかという問題もあります。

また「若年層や子どもに、もっと支出を」という必要性も指摘されています。

しかし「働き続けたら、そこそこの老後」が次世代にも次の次の世代にも現実であり続けることは、日本の持続可能性に大きく関わる問題です。人がいなくなったら、国が消えるわけですから。

年金制度「だけ」・国家財政「だけ」で議論できる問題ではありませんが、「そこそこの老後」の「そこそこ」の程度を議論し調整しながら、若年層や子どもへの支出も増加させ、確保することが必要です。

もしも、現役世代が親の扶養に出産に育児に、もちろん現役世代としての労働に納税に社会保険料支払いに、で消耗してしまわなければならないとしたら?

「何のために労働するのか? 納税するのか?」

という疑問が持たれて当たり前です。

ブラックではない労働をし、「まあまあ」と思える生活を営み、「抑圧されている」「搾取されている」という感覚につながらない範囲で税や社会保険料を支払い、結婚したかったら結婚し、子どもを育てたかったら子どもを持ち、老いた親の面倒を見たかったら介護もし、働き続けて老後を迎えたら自分も「そこそこ」の生活を営める……が長期に維持されており、今後も期待できるという状況こそが、勤労と納税のモチベーションになるはずです。

そういう状況は、日本では一度も実現されたことがありません。これからでも実現に近づける必要はあります。

「まじめに働いても、そこそこの老後が手に入らない自分はかわいそうだ」

と思うなら、憎む相手は生活保護利用者たちではなく、勤労の価値や納税の意味があまりにも軽んぜられている状況です。

「勤労する自分が踏みつけられている」「納税する自分が搾取されている」という感覚があるのなら、踏みつけ、搾取している相手に対して直接アクションしなくては意味がありません。その相手は、間違っても生活保護利用者たちではありません。

低年金・無年金問題は、なぜ生活保護制度とリンクするのか?

年金と生活保護は、保険と扶助という異なる制度で、直接の関係はありません。

しかし生活保護の方に「他法他施策優先」という原則があるため、関係を持つことになります。

低年金・無年金で、収入が生活保護基準以下の場合、年金生活では足りない分が生活保護基準まで補填されます。ですので、低年金・無年金による生活保護利用は、「年金生活者が生活保護『も』補完に使っている」と見るべきなのです。

しかし実際には、「生活保護も使っている年金生活者」とは見られず、「真面目に年金を払わなかった生活保護受給者」あるいは「自業自得で生活保護しかなくなった人」と見られることが圧倒的に多い現実があります。

私は「なぜ、こうなるのだろう?」と考え続けています。

低年金・無年金高齢者の生活保護利用は「働いたら損」の根拠になるのか?

低年金高齢者の全員・無年金高齢者の相当数は、年金を払ってきた人々です。

低年金といえども、年金を受給しているのなら、年金保険料を払ってきたわけです。

無年金の方も「完全に払ってこなかった」ということは多くはなく、「年金保険料の支払い実績はあるけど受給資格を充たせなかった」という場合が多いのです。

額に汗して働いた時期があって、でも、年金だけで老後の生活が組み立てられるところまでは行けなかった人々です。

そういう人々、あるいは、そういう方々が生活保護を利用することを「社会問題」「モラルハザード」などと責める方々のご意見に接するたび、私は「なぜ、真面目に働こうとする努力を、そんなに憎むのだろう?」と思います。

100点満点の安定・長期労働以外は差別の対象になるのなら、そのことこそが「働いたら損」という状況を作るのではないでしょうか?

「生活保護の必要はない」という老齢期を迎えられる100点満点の労働は、現在の現役世代には、最初から手に入らなかったり、あるいはあまりにも容易に奪われたりする、もはやファンタジーの世界の宝物のようなものです。

「年金を支払わずに生活保護」という選択はトクなのか?

このような状況から、「どうせ生活保護があるから年金払わなくていいや」という極論も現れるようになりました。

たとえば藤田孝典さんのご記事「非正規雇用の若者はもう国民年金保険料(15,590円)を支払うな!ー老後は生活保護を受けよう!ー」は、きちんと読めば「雇用と社会保障の見直しが必要」という議論なのですが、タイトルと冒頭部分だけを読むと

「年金保険料の支払いはバカらしいから、やめちゃえ」

の勧め、と取れなくはありません。ネットでの反応を見ると、そういう解釈もされているフシがあります。

もちろん、「年金保険料払うのバカらしい、払いたくない」というお気持ちは分かります。個人の選択として、そうせざるを得ない場面があることも、「わがこと」として知っています。不安定な就労状況にある人々にとって、現在の年金保険料は、あまりにも厳しすぎる水準でもあります。

でも、個人レベルの「年金をもらえるかもらえないか」問題としても、「払わない」ではなく、減免を申請して加入期間には含めてもらったほうが、圧倒的に「おトク」です。

現在25歳の方が70歳になるとき、年金はおそらく、辛うじて維持されているでしょう。

どうなっているか分からないのは、むしろ生活保護の方です(もちろん「昔、そういう結構な制度があってねえ(遠い目)」という状況が実現してほしいとは思っていませんが)。

老後、年金が少しでも「ある」のと、まったく「ない」のは、全く異なります。

可能な範囲で年金には加入し続け、保険料を支払えないならば減免を申請し、認められなければ異義を申し立てましょう。

一人で行うのが大変なら、支援団体に相談してください。

他の方々や団体の助けも借りて、自分の仕事と生活と将来の年金の全部を、ご自分なりの「そこそこ」の範囲で守るのがベスト、だと私は思っています。

国家レベルで見て、年金と生活保護はどちらがトクなのか?

では、日本という国家のレベルで見たとき、年金と生活保護は、どちらがマシなのでしょうか? 

とりあえず、「赤字国債」の問題を脇に置くとしても、簡単に結論が出せる問題ではありません。

生活保護という社会保障制度は、社会をさまざまな脅威から守る役割も果たしているから「社会」保障なのです。まさに「情けは人のためならず」。だから、税金や保険料などを先立って支払うことを前提にしない「扶助」なのです。

生活保護によって、日本全体の公衆衛生レベル・治安・貧困世帯の子どもたちへの一定の教育と社会への接続など、数多くのものごとが、不完全ながら維持されてきました。生活保護基準の向上によって前進し、維持によって守られてきたのは、日本社会の全体です。

しかし、年金は保険料の支払いを前提とした「保険」です。保険である以上、将来の見返りは一定ではありません。一定にすることも困難です。

年金が保険である以上、保険を補完する存在が不要になることはありません。現在の日本には、生活保護以外に補完できる存在がありません。労働と税制の重みが減少するとともに、個人が形成した資産で年金を充分に補完する可能性も減少しました。

「年金か、生活保護か」という問題ではありません。両方が必要です。

そして、この2つだけでは足りません。支えになる何かが、もっと必要です。

「低年金・無年金で生活保護」の増加は、社会的コストを増加させるのか?

現在の生活保護基準が「健康で文化的な最低限度の生活」を保障できているかどうかは議論のあるところですが、とにもかくにも、日本人大多数の生活レベルは、生活保護基準と強い関連を持つもろもろによって決定されています。だから、生活保護基準は大切なのです。時の政権の意向や都合で、少なくとも簡単に下げられるべきではないのです。下げれば、生活保護費の節約はできるかもしれませんが、別の「コスト」が増大し、全体でみた時の社会的コストは増大します。

低年金・無年金の方々が増加すること、その方々が生活保護を利用することは、年金と合わせて見た場合、特に社会的コストの増大にはつながらないでしょう。生活保護費は増大するとしても、年金給付は節約できているわけです。特に無年金の方のうち、年金保険料を払った時期はあるけれど受給に至れなかった方々の納付した保険料は、ご本人に還元されていないわけです。そのことを考えれば、「無年金の方々が生活保護を利用する」を問題視することこそが問題です。

生活保護基準を一定レベル以上に保つことを前提にするならば、「年金+生活保護」の総額は、どちらが増えてもあまり変わらないでしょう。内訳とお金の出処が変わるだけです。

さらに

「もう、みんな老後は生活保護でいいじゃないか、ベーシック・インカム化してもいいじゃないか」

と考えることも可能ですし、総額はほとんど変わらないと思われます。「保険」の部分がゼロになり、給付は全部、税財源になるだけです。

考え方としてはスッキリしているのですが、一つ、大きな問題があります。

税収は景気など数多くの要因に左右されているため、

「1年後も3年後も5年後も10年後も、まあまあ予測の範囲で、だいたい同じように」

とはいかないのです。

なので、文字通りの「保険をかけておく」が必要になります。

結論からいうと、年金制度そのものは「やはり、なくせない」です。

冒頭で紹介した事業所の厚生年金逃れには、従業員ご本人の国民年金保険料の未納・減免による問題も重なることが多いため、非常に深刻な問題です。

でも「こういう業種が」「こういうタイプの事業所が」と一つ一つを問題視しても、おそらく解決できません。

根本的には、労働と雇用の問題です。

現役時代、既に充分に稼げない人が多く、さらに年金保険料の支払いが生活に大きな犠牲を強いることになり、家庭・育児などを含めた個人生活が圧迫されるわけです。

労働によって「そこそこの現役時代」を実現できず、働き続けて、せめて国民年金保険料を支払いつづkたとしても、「そこそこの老後」が約束されないわけです。

この状況にこそ「勤労と納税が報われないなんて、バカらしい」と怒るべきです。

とりあえず、現在ある社会保障・社会福祉制度は、生活保護を含めて守りつつ、公的住宅や家賃補助などの充実・各種手当の充実・減塩制度の充実をはかっていくことは可能でしょう。その先には

「現在の物価水準で月額5万円の老齢基礎年金があれば、家賃補助や手当類を組み合わせて、生活保護水準以上の『そこそこの老後』が組み立てられる」

という近未来もありえます。

一世代後、二世代後、100年後をイメージして、とりあえず今日、

「年金保険料の減免を申請しに行く日時をスケジューラに入れる」

というあたりから、出来ることを少しずつ行い、将来の自分も子ども世代も孫世代も楽しく生きていける将来を実現させることを……可能だと信じましょう。粘り強く時間をかければ、きっと可能なことです。

注1

ここ10年程度の生活保護世帯のうち「働ける」とされる25%は、母子世帯(約7%)・その他の世帯(約18%、世帯主が障害者でも傷病者でもなく、働ける年齢層で、母子世帯でもない)です。

この人々は、「本気の就労活動をすれば就労できるはずだ」と見られがちです。まさに「キミはまだ本気出してないだけ(参考:東京新聞記事(2016年2月6日)」です。本当にそうなのかどうかにご関心ある方々は、ダイヤモンド・オンラインの拙記事「生活保護への就労支援はやっぱり絵に描いた餅」も、ぜひご参照ください。

なお、母子世帯のシングルマザーが抱えている困難の数々は、実態を知れば、到底「働けるでしょう?」とは言えないものです。この問題については、ダイヤモンド・オンラインの拙連載『生活保護のリアル~私たちの明日は?』に多数の記事を掲載しております。ご関心がある方は、お目通しください。