毒親問題で大学生活を諦めようとしている貴方へーT_ritamaさんの「私が休学を決めるまで」を読んで

つつがなく大学生活を送り卒業・修了することは、誰にでも可能なわけではありません。(写真:アフロ)

2016年5月12日に公開されたブログ記事「私が休学を決めるまで」(T_ritamaさん)が、大きな反響を呼んでいます。

ブログ記事によれば、筆者Tさん(ブログ記事注でご自分を「T」と書かれていますので)は、いわゆる「毒親」のもとに育たれ、その毒親から大変な妨害を受けながらも、必死で勉強して国立大学に合格しました。

しかし大学入学後は、毒親といえども「親がいる」ということで、学生支援機構奨学金も借りられず、学費免除も受けられず、バイトと学業の両立に疲れ果て、ついに休学を決意されたとのことです。

事実であるかどうかの確認はできませんが、大いに有りうる話です。というより、私自身も重なる経験があります。

大学時代の周辺には、同様の成り行きの末、20代で「借金取りに追われて地方の町にいるようだ」という消息を聞いたのが最後、という元同級生もいました。親の借金の連帯保証人にされていたということでした。

毒親のもとに生まれてしまったら、何もかもを諦めるしかないのでしょうか?

本人のどんな努力も、結局は無駄なあがきに終わるしかないのでしょうか?

T氏の壮絶すぎる学生生活のアウトライン

Tさんが経験されたことがらの詳細は、ブログ記事「私が休学を決めるまで」に記載されていますが、アウトラインは以下のとおりです。

  1. T氏は大学受験を強く希望したため、高校卒業後、進学に反対する親(怪しい宗教の信者、教義からか高等教育に反対)から家を追い出された。アパートを借りることもできなかった(親を保証人や連絡先にできず、機関保障を利用するにも身内を「身元保証人」にする必要があったため)。友人のワンルームに居候、難しくなったら脱法ハウスに居住。アルバイトで一ヶ月あたり10万円を稼ぎながらの受験勉強であったが、第2志望の大学に合格。
  2. 親は一時、理解を示すそぶりをしたが、結局は自分の希望通りのコースにT氏をはめ込むため、合格した大学への進学を妨害した。T氏は家を飛びだし、大学のある地域に行き、入学手続きをした。
  3. T氏は学生支援機構奨学金・授業料免除・大学の学生寮のいずれも、親の協力が得られない(学生支援機構奨学金の機関保障は、身内を連絡先にできないため無理と判断)ために利用できなかった(のちに学生寮には、事情を知った大学の配慮で入寮できた)。
  4. 大学入学半年後には、国民健康保険料も自分で支払う必要が発生した。親がT氏を扶養家族から外したゆえ。
  5. アルバイトで年間130万円(学費・寮費・健康保険料等)を稼ぎながら、さらに大学院進学に向けた貯金をするのは無理と判断したT氏は、休学を決意した。

文科省と大学が用意している公的支援の「谷間」

T氏自身はブログ記事後半で、

「日本はレールから外れた人間に対して非常に冷たい社会」

「日本の制度が例外事項に対する思慮が及んでいない」

「大学は文科省の『学部生の授業料免除は親の収入で決める』という方針に従うしかないのだ。(略)資金の大半は税金で運用されており、逆らうことが出来ない。この結果には正直失望した。どうしてこんな意味の分からない取り決めがあるのだろう」

と端的に述べています。「レールから外れた」あるいは「例外事項」であるからこそ配慮や支援が必要なのに、そういったことは想定されていないのです。これは障害者福祉でも、私が現在進行形で痛感しているところです。

現在の国公立大学の学生向け支援は

「18-20歳くらいで大学に新入生として入ってきて、入学時は未成年なので(今は違いますが)親に扶養されており、しかし親に十分な経済力がなく、大学に入れるのが精一杯。親は子どもに対し、『大学で学び、卒業し、幸せな大人になってほしい』と思っている

という、親のすべてには当てはまらないケースを想定しています。

このため、

「親は両方揃っているんだけど、必要な書類を用意することに協力しないし書類への記入もしないので(あるいは「記入する」といって受け取って意味をなさない記述をしたり←経験あり)、奨学金や学費免除の申請ができない」

というケースでは、「制度の谷間」に学生を落としてしまいます。

私学の場合は、独自の支援を行える余地が若干あるのですけれども、「入学する」が大きすぎるハードルになるため、現実的な選択肢として考えるのは難しいでしょうね。

ただ近年、東洋大学・早稲田大学など、「大学でブラックではないアルバイトをしながら、学費免除を受け、学業にも大きな無理なく向かう」というコースを用意する大学が増えてきています。入試を突破できる学力は当然ながら前提にはなり、毒親を持った子どもはそこにもハンデを背負うことになるのですが、制度があれば、苦しい状況にある子どもたちに「そこまで行ってみる」という希望を提供することにもなります。

大いに、期待したいところです。

今、Tさんが使える何かは?

生活保護は無理なのか?

もしTさんが高校を卒業していないのなら、「生活保護を利用しつつ高校を卒業する」という選択肢があります。

学資を貯蓄するにあたっても「生活保護を利用しながら、将来の自立のために働いて大学の学資を貯める」という方法もありますが、ハウツーの蓄積がありません。なにしろ、これは一昨日の5月13日に可能になったばかりなのです(朝日新聞記事「奨学金で大学進学しても、生活保護費は減額しない運用へ」

詳しい状況を伺わなくては何とも言えませんが、現在のところ、大学に進学してしまっている状況では、

「生活保護を利用して大学での学業や大学院進学のために何かをしやすくする」

は、一般的には難しいかなあと思われます。

ただ、これまでも

「生活保護を一部でも使ったら、大学生でいられなくなる」

とは限りませんでした。たとえば

「大学4年の冬に、父親の勤務先が消滅して、雇用保険も払われていなかったので即収入がなくなり、母親はショックで病気になってしまい、一家で生活保護を受けることに」

というケースで、卒業まで「あとは卒論だけ」という大学生に

「おうちが生活保護なんだから」

と退学させることは、誰がどう見ても愚かな選択です。こういうケースでは、生活保護を一部利用しながら(親の世帯の生活費という形で)大学に在学しつづけることが、既に認められてきています。

Tさんの場合も、過去に認められていて「前例がある」ケースのどれかに当てはまる可能性があるかもしれません。しかし、ブログに書かれている情報だけでは、かなり判断材料不足です。

生活保護をはじめ困窮者支援に詳しい法律家などに相談してみられることをおすすめします。たいていは、子ども・青少年の貧困問題一般にお詳しいので、他の選択肢を提示してもらえる可能性もあります。

生活保護問題対策全国会議:相談先リスト

制度はないわけではないけれど、「大学生」が使えるか?

たとえば、Tさんの大学入学当初の「住む場所がない」という問題だけなら、

「ネットカフェに泊まるお金がなくなったネットカフェ難民」

と同じく、単に「住むところのない人がいる」という問題として解決できる……はずです。

しかし、おそらくは「大学生」という身分と、学業やアパート入居のための手持ち金が問題にされ、何もかも失って本当にホームレス状態寸前になるまで、何も利用できない成り行きになるかと思われます。

まず、相談窓口にいる方々がTさんの背景を理解するだけでも困難でしょう。分かってくれない相手たちに、何度も何度も同じ話を繰り返し、疑われ、怪訝に思われ、何か情報を提供はしてくれるけど結局は利用できない……という経験は、私にもあります(ただし障害者福祉で、ですが)。

そもそも福祉は、日本では「弱い者にありがたく恵んでやる」ものであると思われています。社会保障や社会福祉を「権利」と言っただけでバッシングになりかねません。その「恵んでやる必要があるかもしれない弱い者」が大学や大学院に行っていたら(まして、対応している人より偏差値高い大学に行っていたりしたら)、「恵んでやる」対象とは見られないでしょう。私も、前の大学院生活では、この問題でけっこう苦労し、結局、福祉方面からは何も得られていません(それどころか……ですが、その話は長くなるので、ここではしません)。

「お金がない」に対しては、社会福祉協議会などの貸付もあるのですが、まとまった金額だとカタい保証人、しかも「そこまでカタい保証人なら、その人から借りればいいのでは?」というほどの保証人を求められたりします。Tさんのケースでは、事実上使えないでしょう、

長期的には、高等教育を「選びたければ選ぶことのできる当然の権利」と位置づける必要があるところでしょう。

社会的養護の枠組みは使えないのか?

Tさんは、状況としては、社会的養護下のお子さんたちに近いと思います。

社会的養護とは、親がいなくなった・親に虐待されたなどの問題により親と暮らせないお子さんたちの生活と学びを支えることです。具体的には、施設や里親です。

高校卒業とともに、あるいは、20歳になるとともに(大学進学した場合)、施設を出て何もかも自分で賄わなくてはならない社会的養護のお子さんたちは、もともと大変なのですが、さらに大変な状況におかれます。あまりにも大変で、たとえば大学に行っても無事に卒業することが難しいことなどは、将来の貧困にもつながります。このことは、ここ2年3年ほどで、やっと世の中に広く知られてきました。

現在、社会的養護下のお子さんたちは、大学卒業までは施設で暮らせるようになっています。

このような枠組みをTさんにも適用し、奨学金や学費免除に関する「親」問題を、社会的養護のお子さんと同じように解決できないものかと思います。

「いったん就職する」という選択肢も

いったん就職するのも、一つの選択肢だと思います。それも、できるだけ正社員の立場で。

たとえば短時間勤務・変形勤務を適用してもらえば、大学に少し通いながらの職業生活も可能だと思います。

私は東京理科大の夜間部に通いました。そこには、既に企業・省庁(気象庁が多かったです)などに高卒で就職していた同級生が、大学での学びを求めて来ていました。私も、入学して1年ほどで定職につきました。

東芝で長らく光半導体の研究をされている古山英人さん(2015年に提出された特許)は、学部時代の同級生でした。体育の授業では私と卓球のラリーをして、周囲を驚かせたりしました。ふたりとも卓球経験者で、古山さんは東京都、私が福岡市の選手権大会に出たことがあったので「東京 vs.福岡」と煽られたりしていました。私は大して強くなかったんですが、競技経験あると、やっぱりスピードが全然違いますからね。

それはさておき、古山さんはたしか高卒で東芝に就職し、優秀なので研究部門に配属され、研究となると大学で学ぶ必要があり、というわけで理科大に来ていたわけです。でも毎日、就労時間が1時間短くなるため(1限に間に合うためには、就業時間終了の1時間前には出なくてはならないということでした)、土日のどちらかは休日出勤をして勤務時間数の帳尻を合わせている、と聞いたことがあります。それはそれで大変だったはずですが、若くて体力があれば、なんとかなることが多いでしょう。

ガチガチと思われている大企業にも、そのくらいの裁量はあります。

もちろん「自分が大学生だということが、いつの間にか忘れられていた」ということになってしまうブラック企業につかまると、大変悲惨なことになりますので、十分の上に十分な注意が必要です。

大学就職課にも、就職については協力してもらえる可能性があるのではないでしょうか? 「在学中の就職」というイレギュラーなことがらではありますけれども。

会社との相互理解があれば、大学院以後、同じように学業と仕事を続けられる可能性もあると思います。

衝撃を受けるTさんの言葉

とにもかくにも、Tさんの心身ともの健康と、今後の少しでも良い成り行きを祈るしかありません。

私が休学を決めるまで

から、衝撃を受けた言葉を引用し、印象をコメントし、記事の結びとします。

こういう環境下で一番必要なのは生きるための気力である。生きる気力がなくなれば文字通り死んでしまう。心を折られないように生活することがまず第一で、そのための多少の出費は惜しんではならない。「趣味に回す金があれば学費に当てろ、貯金しろ」という人がたまにいるが、そういう人は何も分かっていない。趣味に回す金、時間があることが一番大切である。極限状態では精神力の勝負であるのでここを削ることはあり得ない。もちろん出来る限り出費を抑えつつ趣味に興じることになるが。

同じような言葉を、何回、生活保護を利用している方々から聞いたことでしょうか。

生活保護費(生活費分で概ね7万円くらい)のうち2万円・3万円といった金額をご自分の生きがいになる何かに投じ、食うや食わずの生活になる方は、時々いらっしゃいます。

その方々も、「少しは控えたら」というようなことを言われ、「これを奪われたら自分は死んでしまう」と怒っていらっしゃいます。

「生活保護費の範囲で、生き物として生きることをちゃんとしたら、節約が上手になったら、働けるなら働くようになったら、趣味にもお金が使えるかもしれない」

というのが、おそらく、常識的な見方なのでしょう。

でも数年にわたり、何百人もの生活保護利用の方に接してきた私から見ると逆で、

「保護費の中で、限られた範囲だけど、精一杯、自分の生きがいや趣味に投資し、楽しむことで、生きる気力が沸き、節約したり働いたりする意欲が沸き、生活がマネジメントできるようになっていく」

というものなのです。

私自身もそうでした。福祉事務所で生活保護申請を勧められるほど困窮していたとき(結局、利用歴はないままですが)、自分が志し、道なかばにして去った学問が、どんなに光り輝いて見えたことか(そこで一度目の大学院博士課程進学という愚行に走ったわけですが、その話はさておきます)。

私は自分の両親のもとにいるのが嫌で、両親の手の中にいるのが嫌で、そこから自由になるために家を飛び出した。名実ともに自由を手にしたわけであるが、現状の私を見ればわかるが、社会のレールから外れ、扶養から外れ、この環境では一般家庭なら簡単にできることどころか賃貸を借りることすらままならない状況になった。本当の自由とは何なのかが分からない。

自由とは、端的に言えば、あなたの使える資源のことです。「本当の」自由となると、私には分かりませんが。

ブラック労働をしなくても、誰でも働けば基本的な生活、あるいはそれ以上の生活ができるなら、自由です。

働けない、あるいは何らかの事情で労働市場に参入していないとき、基本的な生活ができるなら、その人は自由です。

毒親の子に生まれなくても、日本では多くの人が、そのような意味での「自由」から程遠い状況にあります。

今日明日、この状況を変えることはできません。

でもTさんは、毒親のもとから飛び出し、学修支援制度の谷間に落ちながら必死でもがき、お友達や大学関係者などの理解者も増やし、ここまでご自分の「自由」を拡大していらっしゃいました。

自由になりつつあることは、間違いありません。

もっと、自由になりましょう。きっとなれます。

間違っても、

「毒親のいうことを聞かない自由は、酷い目にあい、潰され、消えることと同じ意味である」

ということはありません。

残念ながら、現在の日本には、事実上それに近い状況があります。

毒親の論理を「そういうもの」と疑いもしなかった方々が、「あれ、おかしいかも?」と思うようになれば、状況は少しずつでも変わっていきます。

動きづらい世の中も、動くときには一気に動きます。

絶望したらおしまいです。

疲れたら休んで、負荷を減らして。

絶望しないで、前に少しでも進んでいきましょう。

私もそうしてきました。今もそうしています。