私生活が忙しくなったので、少しの間更新が遅れます。
出来るだけ今年度中の再開を目指します。
楽しみにしていただいている方には申し訳ないですが、しばらくお待ちください。
鼻腔をくすぐる煮込んだ豆の匂い。
芳醇なワインの香り。
今頃はメインになる肉を焼いているのだろう。脂の焼ける香ばしい匂いもする。
そんな芳しい匂いの中、物音一つ立てずに進められる食事。
食事をとっているのはレエブン侯爵。優雅に静かに、その教育の高さを示すような動作だ。
そんな食事風景にノックと共に割り込んだのは仮面をつけた男と、それに付き従う青年。ナインズとアランだ。二人は軽く礼をした後、ナインズはレエブン侯に近い席に座り、アランは主人が座ったのを見届けると部屋を去る。
ナインズの座った席には給事が香りの強いお茶を出し、人前で食事をとらないナインズを香りで楽しませようとする。規律正しい給仕が丁寧な礼をして部屋を後にすると、食堂にはナインズとレエブン候の二人だけが残った。
周りをみまわしながらナインズがいくつかの魔法をかける。その出来に納得したナインズは頷きながら出されたお茶を持ち、顔の前で二、三度揺らした後ソーサーに置く。
カチリと陶器同士がたてる小さな音を合図に、レエブン侯とナインズの会話がはじまった。
「ふむ、成る程。あの時の令嬢がまさかそんな事になっているとはな」
「やっぱり驚きますよね。少し興味深かったので、その後もしばらく実験に付き合ってもらったんです。いくつかの低級な装備を与えて、本当にカースドナイトを取得しているか。結果は大当たりでしたよ。きっと彼女はとても優秀な前衛になれる人物です」
モモンガがエリアスに連れられてこのバハルス帝国に来た時伝えられた目的である新しい人材と人脈の確保。それに一役買いたいと提案したモモンガ。エリアスがそれまでの人脈の再確認と、それを使って新たに交友関係を広げていく一方で、モモンガはモモンガなりに帝都での人材発掘をしていた。
言ってみればそれが帝都に来てからの観光だったり見物だったりする。自らの知的好奇心を満足させながら友人の役にも立つ。まさに一石二鳥の仕事だった。
エリアスの方も、圧倒的な強さを持つモモンガを満足させられる人物を探すという事で快く許可を出している。
先日の帝国皇帝に目をつけられたのは予定外だったが、今日見つけたという実力者の存在は大きい。
「実験か。先ほど執事から聞いたが、庭でゴブリンを召喚して闘ったそうだな」
「ええ、実力的をはかる為とデメリットの実験の為に」
「低位のアイテムを破壊する、か。中々頭が痛い問題だな」
「そうですね。強さはレベル10よりも結構上みたいですけど。レベル10程度のゴブリンを三匹相手にして余裕がありましたから」
「レベルか。確かナインズの国での強さの指標だったな。難度で言ったらどの位になるんだ?」
「難度ですか……。うーん。30位? すみません。ユグドラシルと差がありすぎますし、そういったスキルも持ってないので正確にはわからないです」
「そうか……いや、助かるよナインズ。君の国ではゴブリンにも強敵足り得る者達がいると言う話だからな。と言う事は冒険者でいうと金級以上の実力者ということになるか」
「まあそうなりますかね。装備も最後の方は私が持ってた物に切り替えていったので、その補正を考えるとそれ以上の強さになっていたかも知れないです。でも、あんまりおすすめできないですよ、彼女。この国で普通に販売されてる防具だったら戦闘の度に駄目にしてしまいますから。こうして考えると、この世界でのカースドナイトのデメリットは大きすぎます」
装備の内容とそれにかかった合計金額を聞いてエリアスは眉をひそめる。全て一般の兵士が持つ武具よりもかなり高性能であるし、それに相応しい値段のそれらを彼女は全て壊したのだという。しかもほぼ一回の戦闘ごとと考えると、実際に味方に引き入れて運用するには二の足を踏む。
「私が貸した装備は壊されてないですから、ある一定以上のデータ量──価値や効果のあるものは壊されない筈です。それでもエリアスさんが手に入れるには結構苦労すると思いますよ」
モモンガが貸し与えているのはギルドメンバーのたっち・みーに憧れて、彼の最強装備である鎧を真似たデザインで作ったものだ。
色は誤魔化す様に白ではなく黒であるし、胸の中央の宝石はルビーを使っている。素材も自分が見て楽しむ用なのであり合わせの物を使っており、オリハルコン程度の鉱物だった筈だ。しかし、この世界でオリハルコンは気軽に手に入れられるものでは無い。
それに、そもそもユグドラシルのカースドナイトをとったプレイヤーなら、オリハルコンで作られた装備程度なら触れた瞬間に破壊できるだろう。こちらとあちらでは低級アイテムに対する感覚が違うようだ。もしくはただ単にレベル帯から考えた低級アイテムという事なのか。
「どうにかできない事は無い。手に入れる事ぐらいはできる。我が家に伝わる魔法の装備がミスリル製だからな。 ただ新しく手に入れる為には、アダマンタイト級の冒険者を雇う必要がある。それにオリハルコンやミスリルのインゴットなどの場所を調べ、加工する為に国交の無いドワーフの国を探す事になるかもしれないな」
つまりはとんでもない手間が掛かるという事だ。
そこまでして運用したいかと言われると首を捻らざるをえない。
「これからの成長を考えると手に入れておきたいが……。今貸し出している装備を与える事は出来ないのか?」
「あれには友人との思い出があるんで絶対に駄目です」
たっち・みーが引退するしばらく前に完成して、<完全戦士化>で着込んでスクリーンショットを撮って遊んだ品だ。
しかも、偶然その場面を親しいギルドメンバーの一人ウルベルトに見られ大爆笑された。
「いいじゃ無いですか、モモンガさん! とっても似合ってますよ」
笑顔のアイコンと共にかけられた言葉は笑いに弾んでいて、ヘッドセットが冷たく感じる程顔に血が上った。
その後カラーリングをたいそう気に入ったウルベルトと何枚かの写真を撮り、データを渡す事で口止料にしたのだ。
「悪の華に相応しいカラーリングじゃ無いですか、暗黒騎士って感じで」
そう言ってくれた友人の、その声が蘇る。今でも気恥ずかしいが、仲間たちとの思い出の品な事には変わりない。他人に引き渡すなんてできる筈もなかった。
「では仕方がないか」
「それに、明日その職業を初期化出来ないか試してみるつもりなので、そこから考えても遅くないですよ」
「どういう事だ?」
ワインで口を湿らせるエリアスを見ながら胸を張る。
「カースドナイトは呪われてなければつけないという職業なので、明日この巻物を使って解呪を試してみようかと思っています」
「それは?」
インベントリから取り出した巻物を振って、テーブルの上に置く。
「八位階の呪いを解く魔法が込められた巻物です。信仰系の巻物なので、信仰系魔法詠唱者か盗賊かの協力が必要になります。これはユグドラシルでのカースドナイトがもたらす呪いを解くのに必要な魔法です。レイナースさんを呪ったモンスターが一体何レベルだったのかはわかりませんが、十分対処可能だと考えます」
「成る程。呪いを解けば物を壊さなくなる、という事だな」
「ええ、それでエリアスさんに相談なんですが……」
信仰系魔法詠唱者の伝手がない事を打ち明け、それならば何とかしようと請け負うエリアス。
それにホッと一息ついた所で、今度はエリアスの方が身を乗り出してモモンガにせまる。
「明日、皇帝の夜会に出ることになった。私と君と、私の婚約者だ」
「げ。それってあれですか? 大勢の帝国貴族の前で恥をかけと?」
「そうだな。みんなの前で踊る事になるだろう。最も、拙いダンスよりもまずいのは皇帝が君の同伴相手は不要と言ってきている事だ。意味は判るだろう?」
「帝国の貴族令嬢をあてがわれるって事ですよね。うわー。うまくエスコートなんて出来ないですよ! それに、身体にベタベタ触られたら流石に骨だってばれちゃいます」
「それはしっかり対策をしたから大丈夫だろう。だから別に踊る位ならば害にはならない。問題はそれで君の正式な相手がその令嬢だと思われることだ。本命が別に居てのただ見かけだけの相手という事にしたい」
「そんな事言われても本命なんて居ませんって」
椅子にもたれ掛かるモモンガ。そのまま顔を見上げて照明のシャンデリアをぼんやりとみる。伊達に童貞をやってきて居ない。
「そこでだ。今日あったというレイナース嬢を使おう」
「え? レイナースさんをですか?」
「そうだ。信仰系魔法詠唱者が準備できなかったと伝え、解呪の手間と引き換えに夜会に一緒に来るように伝えるのだ」
モモンガにはエリアスの言っている意味がわからなかった。
招待状には三人の名前しか載っていないと言うのに、四人目を連れて行くとはどういう事なのか。
「レイナース嬢をナインズの本命の様に扱えば良いのだ。なに、世話係として従者やメイドの一人二人は連れていくものだ。メイドとしてレイナース嬢に来てもらい、ずっと君の側につければ皆彼女が“お気に入り”だと思ってくれるだろう」
「成る程」
「彼女には出来るだけ顔を出させたままでな。君の相手をする令嬢は醜い顔のレイナース嬢に言外に劣っていると示される事になる。プライドの高い彼女達には耐えられない屈辱になるとは思わないか?」
薄い唇をめくりあげて笑うエリアスの悪どい顔にモモンガは感心する。利用する事についてレイナースに少し申し訳ない気持ちになるが、自分とエリアスの今後の進退の為ならば仕方ないと割り切る。
明日の詳しい打ち合わせをした後、二人はそれぞれの部屋に分かれる。
望む事望まない事に関わらず、モモンガのはじめてのダンスは明日になりそうだった。